『笛』
学園長の庵に呼ばれた教師数人。
つまりこれは職員会議ではなく、学園長から何らかの命が下されるわけである。 「近ごろ京を中心としてあちこちで、妙な事件が相次いでおる」 といわれてもこの乱世、妙な事件が起こるのは近ごろに限ったことではない。それより、この場に1年は組のしんべヱが呼ばれていることのほうがよほど妙だ。 「放下師、興行師、それに風流をたしなむ貴族などが次々に襲われておる」 「興行師と貴族とはまたどのようなつながりで?」 野村雄三が困惑した顔で学園長に尋ねた。 「それに楽人じゃな」 「だからそれはどういう…」 厚着太逸がさらに問いかける。 「襲われるとはつまり、殺されたということですかな?」 山田伝蔵がたたみかける。 「いやいや、そうではないから妙だと言うのじゃ。ただ一つの共通点は『笛』じゃな」 「笛?」 教師陣が一斉に声をそろえる。その中で妙にうなづくしんべヱ。 「で、うちのしんべヱがここにいるのはなぜなんです?」 土井半助がまた別の疑問を持ち出す。 「実はの、福富屋さんからの依頼があったのじゃ」 福富屋とはしんべヱの家の屋号で、堺の豪商なのである。 「あのね、ぼくのパパが京の楽器商いの店から笛を1箱仕入れたの。そしたらその荷がうちに来る途中でやっぱり襲われちゃったの」 教師陣の中で、いささか緊張した面持ちでしんべヱが精一杯説明をする。 「その荷が奪われたのかい?」 半助がしんべヱの顔を見て訊いた。 「ううん。荷は無事だったの」 「じゃあ金を奪われたの?」 「ううん。それも無事だったの」 半助と伝蔵は慣れているからいいが、次第に他の教師たちは苛立ってきた。 「じゃあ、なんで襲われたっていうのかな」 「それが、あの……」 緊張も限界なのか、しどろもどろになるしんべヱ。 「だれかケガをしたのかな?」 「ううん。ケガはしなかったんだけどね、でもね、あの、気がついたら寝てたんだって」 「はあ!?」 再び教師陣が声をそろえる。 思わずたじろいで、汗と鼻水をだらだら流すしんべヱの鼻水を拭いてやりながら、半助は安心させるように頭をなでた。 「気がついたらってことは、荷を運んでいる途中で知らない間に寝てたってこと?」 「う、うん。そうらしいの。うちの若いもんが荷を取りに行ったの。荷といっても笛が10本入った箱だけだから、1人だけだったの。それで、途中で一休みしていたら急に頭がぼーっとして、気がついたら道に寝転がっていて、箱が開いていて。でも笛も財布も盗まれていなかったんだって。だけど気持ちが悪いし、京では似たような事件があったっていうし、これからこんなことがあっては困るから調べてくれって、パパが……」 それだけ説明し終えると、しんべヱは力を使い果たしてへなへなと果てた。 確かに妙な話で、とりたてて実害もないのだから放っておけばいいような話なのだが、そこはさすがに忍術学園の教師たち。すぐにぴんとくるものがあった。 「学園長、これはもしかして何者かが眠り火か何かを使ったということでは?」 厚着が緊迫感を漂わせた顔で言った。 「ということは忍術の心得のあるものがそのようないたずらをしている可能性があると」 伝蔵が厳しい口調で言った。忍術を悪用することを、学園では厳しく戒めている。 「うむ。しかしただのいたずらとも言えんじゃろう。今のところ被害らしい被害が出ていないというだけで、笛がしつように狙われているということは、どこかの忍者が何らかの目的を持って動いているとも考えられる」 一同がうなづいた。 「いずれにしろ、まずはそれを確かめることじゃな」 「して、それをどのように?」 「おとりが手っ取り早かろう」 厚着の問いに答えた学園長の言葉に、一同一瞬嫌な顔をする。 忍術学園の教師たるもの、今さらおとりになるのが嫌だなどという者がいるわけではない。ただ、それが学園長の口から出ると、何かろくでもないことを考えていそうでいやーな予感がしてしまうのだ。 だれが犠牲者に? と、みんな黙って指名を待っていると、 「今回は半助にやってもらう」 半助はしんべヱを放り出して学園長に詰め寄った。 「な、なんでわたしなんですか!?」 「去年の忘年会の余興で披露した笛が好評だったからじゃ」 当然のように言い放つ学園長に乗じ、他の教師たちも、そうそう、あれは感動でした、土井先生はなかなかの名手でなどと勝手におだてあげる。 「そ、そんな……」 最年少の半助の抗議などだれも聞いてくれるはずもなく、おとり役は半助に決定した。 「だから嫌だったんですよ」 歩きながらだれにともなく半助はつぶやいた。 「黙りなさいよ。変に思われますよ」 姿は見えないがどこからか伝蔵が答える。 「普通の格好でいいじゃないですか。何の意味があるんです」 「普通の町人が風流に笛なんぞ吹かないでしょう」 「せめて放下師とか……」 「学園長の趣味ですよ」 「だから嫌だって言ったのに」 会話が堂々巡りしている。 そういう半助の格好は、藤色の小袖に髪をおろし、藍の小袖を被衣にして半分顔を隠している。隠しているにもかかわらず、しっかり化粧はさせられている。 「相手を油断させるためです。我慢しなさい」 「だったら伝子さんでもいいじゃないですか」 いつもは嫌がるくせに、こんなときは都合良く伝蔵に押しつけようとする。 「わたしだってそう思いますよ。ですが少なくとも笛は土井先生のほうがお上手ですよ」 『少なくとも』に力を込め、少し尻上がりのきつい口調で伝蔵が答えた。 油断させるために女装して、という学園長の作戦を聞いたとき、野村と厚着は二重に胸をなで下ろしたものだった。 「よかったですなー、山田先生ではなくて」 「あれで夕刻に川べりで笛を吹いていたのでは妖怪ですからな」 「油断以前にだれも近寄らない恐れがありますからな」 だれもいないのを確認してそんなことをしゃべりながら廊下を歩いていた2人に、どこからともなく火縄銃が撃ち込まれるというちょっとした事件もあったのだが、ともかく半助がおとりとして、風流人が歌を詠みにきたり楽を奏でにきたりすることで有名な川辺のスポットに立ち、少し離れて3人が警戒と護衛についた。 半助がそこにおとりとして立ったのは数日のことだった。 犯人が現れたわけではない。 女性が一人で笛を奏でていても不自然ではないところということで選んだスポットだったが、いささか人目がありすぎた。 たいてい数人の風流人がいる場所ではあるのだが、妙にその人々の耳目を集めてしまったのだ。自身の手を止めて半助の周りに集まってきてしまう人数が、日を追うにつれて増えていった。あげくのはては「夜道は危ないですよ。送ってさしあげましょう」などと言い出す輩まで現れる始末。 とうとう断り切れなくなった半助が一人の男に同道を許し、その男を途中で野村が眠らせなければならなくなったところで、場所を替えることになった。 「笛の音のせいか、それともこの艶姿のせいでしょうかな」 野村にそうからかわれて半助は、もう絶対にこんなことは嫌だと言い出し、それを学園長が命令じゃの一言で一蹴し、今度はもう少し明るい時間に、日ごとに場所を替えて出没してみることになった。 そうしたある日、昼間学園の外に所用で出ていた厚着が、含み笑いをしながら職員室に戻ってきた。 「最近ちょっとした噂だそうですよ。あちこちで妙なる笛を奏でる美女。いつのまにか現れ、どこへともなく消えるので、あるいは狐狸妖怪の類ではないかとか……」 げんなりした顔の半助に、厚着はすっと表情を引き締めた。 「噂になっているということは、そろそろ来るでしょうよ」 頼むから1日も早く現れてくれと念じながら、半助は夕刻になると支度をした。 その日は、小さな神社へと出かけた。これが任務でなければ、こんな格好でなければ、しばし楽に興ずるのもたまには悪くない。 薄暮から空に星がちらちらし始めるころ、半助はふとある気配に一瞬緊張する。張り込んでいる先生方も気付いたらしい。が、そんなことはおくびにも出さず、半助は優雅に笛を奏で続けた。 緊張が一瞬だったのは、それを隠すためでも、周りに援護がいるからでもない。 (素人?) どうみても、何らかの鍛錬を受けた者には思えない。 ほどなくして、どこからかかすかな煙と匂いが漂ってきた。半助にはもうおなじみの匂いだ。半助は息を止め、眠ったふりをしてその場に伏した。 その半助のそばに、そろりと近寄ってきた人影が二つ。眠ったふりをしながら半助はその人物の気配を伺う。 (二人? しかしこれは……) 一人がそっと半助の手にある笛に手をかけた。 次の瞬間、その人物ははっとして振り向いた。いつのまにか、うしろに三人の大人が、しかも音に聞く「忍者」とおぼしき者たちが自分たちを取り囲むようにして立っていたのだ。 驚きのあまり声も出ない様子の二人は、手に手をとって逃げようとしたが、眠っていたはずの女性が、つまりは半助までが起きあがって自分たちの行く手をふさいでいる。 二人とも観念したかのようにうなだれた。 が、四人の教師も、これはどうしたものかと腕組みしたまま当惑していた。 二人組は、まだほんの子供だったのだ。 |