『まだふみもみず』
僕は将来何になりたいのだろう。
もちろん、忍者になりたい。一流の。忍びの世界にその人ありといわれるような忍者になりたいと、この忍術学園に入ったのだ。 でも、6年生にもなるともうちょっと現実的に考えざるを得ない。 い組の立花や潮江ならばそれも可能だろう。だけど、僕には向いていないような気がする。技量ならばこれからまだまだいくらでも磨ける。そのための努力ならするつもりだ。 だけどそういうことじゃない。持って生まれた資質とでもいうのだろうか。平たく言うと「性格」ということになるのかもしれない。このごろそんなふうに考えてしまう。 それでもやはり忍者になることを諦めたくはない。こんなふうに悶々としているのは僕だけだろうか。みんなが自信満々に見える。 「……輩、善法寺先輩!」 呼びかけられてはっとした。 「どうしたんですか? 眉間に八の字がよってます」 1年は組の猪名寺乱太郎が、心配そうに自分の眉間にしわを寄せて見せた。 そうだった。今は保健室で新野先生に頼まれた薬棚の整理をしていたんだった。 「あ、ごめん。ちょっと考え事をね」 あわてて笑顔を取り繕うと、乱太郎もにこっとした。可愛いやつだ。可愛いんだが……。 「これはこの引き出しでいいんですよね」 「違うよ。これはそっちだってば」 「そうでしたっけ?」 頼むから毎回毎回同じことを聞かないでくれ。 しかし、これでもこの1年ぼうずは少しずつ成長しているのが僕にも分かる。 「あ、せんぶり〜! これ、この前テストに出たんです。ちょうどその前日にここで先輩に教えていただいたから、すごくいい点取れたんですよ。ありがとうございました」 「そうか。良かったな」 こんなとき、ふと思うことがある。忍者としての精進を続けつつ、僕の性格に合いそうなこと。 そう、教師になることを。 少なくとも血なまぐさい世界よりはきっと僕に向いている。そう思った。 その日、僕は保健室の掃除当番だった。掃除を終えてチェック表に記入していると、1年は組の教科担任の土井先生が顔を出した。 「あれ? 新野先生は?」 「今いらっしゃいませんよ。また胃薬ですか?」 土井先生は苦笑した。 あの物覚えの悪い乱太郎たちの担任なのだ。胃薬どころか頭痛薬がほしいこともあるだろうと思うぐらいだ。 「授業で使う薬草を借りに来たんだけどね」 「すぐ戻られるとは思いますけれど」 「うん。後に回すと用事があるし、ちょっと待ってようかな。ああ、なんだかここはほっとするなあ」 そんな保健室登校児のようなことを言いながら、土井先生はうーんと伸びをした。 確かに、僕の見る土井先生はいつも、職員室で仕事をしているのでなければ1年は組の生徒たちに振り回されているといった状態で、たまには一人で息抜きもしたいだろうと思われた。 「今度は何の授業ですか?」 そんなことを聞いたのがきっかけで、僕は土井先生と話しこんだ。僕は保健委員を長いことやっているせいか、はたまた僕の特性に向いていたものか、結構薬草毒草関係には強いのだ。またこちらが興味を持って聞くと、土井先生はうれしそうに熱心に教えてくれる。僕もこんなふうな教師になれたなら、いや、そうなりたいと思った。 そこへ、 「失礼します」 新たに保健室に入ってきたのは、山田利吉さん。1年は組の実技担当山田先生の自慢の息子さんだ。 ここの卒業生ではないが、忍びの先輩としてもちろん憧れもし、尊敬もしている。時折学園内で姿を見かけることはあるが、たいがい山田先生のところへ行くか(当然だが)、結構長い付き合いらしい土井先生と話をしていたりして、僕などが個人的に会話するチャンスなどはない。 その利吉さんが来たのだから、僕は小さくガッツポーズをした。 しかし、いざとなると本当に聞きたいことというのはなかなか聞けないものだ。任務のことなど話せない部分も多いだろうし、大体土井先生と利吉さんが「久しぶりだね」「先生もお変わりなく」などとありていの世間話をしているのに、生徒の僕が話に割って入るわけにはいかない。 それでも利吉さんが僕の名前を尋ねてくれ、何が得意なんだいなどと聞いてくれたことにとりあえず満足して、これでこの次に話しかけるきっかけができたなどと思っていた。 ほどなくして利吉さんは土井先生にいとまを告げて立ち上がった。土井先生も見送るためにか、立ち上がった。 「またすぐ仕事かい? 長くなるの?」 「いえ、それほどでも」 そして利吉さんは土井先生の目を見て何かつぶやくように言ったのだが、僕には聞き取れなかった。 「いでそよ人を……」 土井先生も特に何も言わず、わずかばかり妙な間をおいたのち、「気をつけてね」と言って送り出した。 僕は利吉さんを見送って、あんな優秀でかっこいい忍者になりたいという憧れも、やはりまだ捨て切れない自分を感じていた。 そのわずか数日後のことだった。 僕は学園長に呼ばれた。 「これをササハラ城の殿様にとどけてもらいたい」 と、手紙を渡された。 「必ず直接殿の手に渡すのじゃ。それから、それをだれも他の者に見られてはならん」 それが指示だった。 6年生にもなると、これはただの「おつかい」ではない。実習なのか仕事なのか、前もって知らされることはないが、いずれにせよ失敗すれば減点だ。 手紙を届けるなど基本中の基本のようでいて、城の誰にも見られずに直接殿に渡すとなると簡単ではない。見つかったら危ない、ということだ。 もちろん表だって行くわけにはいかないし、夜寝るときだって一人になるとは限らないお殿様だ。さて、どうしたものか。 むろん、いきなり生徒に不可能なことは言うわけはない。今回もそうだ。幸い僕は以前にもササハラ城には行ったことがある。全部とは言わないが、多少内部の様子も分かっているし、忍び込もうと思えばできるだろう。とりあえず隠れて殿様の様子を見張っていてチャンスを伺うしかない。 そして僕は首尾良くササハラ城に忍び込んだ。それから城主の私室の方向に向かって天井裏を慎重に這っていった。 もう少し、というところで、 「伊作くん」 背後からいきなり小声で呼びかけられ、情けないことに僕は心臓が止まりそうになった。 かろうじて驚きの声は飲み込み、音を立てないように振り返ると、意表を衝かれたことには、そこにはなぜか利吉さんがいたのだ。 「利吉さん、どうしてここに?」 僕が小声で聞くと、利吉さんは目配せをして、付いてくるように合図した。確かに、殿の寝所の近くの天井裏など、怪しいことこの上ない。かえって城側も警戒しているはずなのだ。特に、何かは知らないが学園長がだれにも見とがめられずに城主に直接渡せ、などと言う状況に陥っている城ならば。この場合、話をするならむしろ外へ出た方が安全なのだ。 僕は黙って利吉さんの後に付いていった。入ったときにはかなり緊張していたが、利吉さんの後に付いていくのなら安心だ。これからもしかして利吉さんと一緒に仕事ができるのだろうかと、ちょっとわくわくさえしていた。 外へ出て、人気(ひとけ)のない場所に行くと僕らは繁みに身を隠し、声を殺して話をした。 「よかった、ぎりぎり間に合った」 利吉さんがほっとしたような笑みを浮かべた。 「どうしたんです?」 「仕事帰りに学園に寄ったら、いきなり学園長に呼び止められて、そのままここに来させられたんだよ」 「お仕事って、この間言っていた? もう終わったんですか?」 「たいした仕事じゃなかったからね」 利吉さんはこともなげに言った。いつになったら僕はこんなふうに余裕を持って仕事できるようになるのだろう。 「学園長が言うには、君が出発した後、状況が変わったって言うんだ」 「じゃあ、任務は中止ですか?」 「いや、こちらを渡してほしいそうだ」 そう言って利吉さんは懐から別の書状を取り出した。 「あ、はい。分かりました」 僕は差し出された書状を受け取った。 「古いほうはわたしが預かって戻るから」 「はい」 そう言って、先に学園長から預かった密書を取り出そうとしたときだった。 「困るなあ、利吉くん」 びっくりした! 本当にびっくりした。今度こそ心臓が止まるかと思った。 いつの間にか利吉さんの背後に土井先生が現れ、声をかけたのだった。 のんびりしたその口調とは裏腹に、その表情はふだん教室では見ないものだった。怖い顔、というわけではないのだが、何と言うのだろう、目が笑ってない。 驚いたのは、利吉さんも僕と同じぐらいびっくりして動揺を見せたことだった。いつも冷静沈着だと思っていたのに。 「土井先生!」 利吉さんと僕は同時に声を上げた。 「どうしてこちらに?」 利吉さんはすぐに落ち着きを取り戻し、そう尋ねた。しかし、相変わらず先生の目は笑わなかった。 「かわいい生徒のために決まっているだろう。さ、君はこのまま帰りたまえ」 穏やかな口調はそのままに、有無を言わせぬ迫力で利吉さんにそう命じた。 意外だった。傍目には、土井先生は利吉さんのよい兄貴分という感じで、とても仲が良さそうだったのに、こんな言い方をするんだ。はっきり言って怖い。 しかし利吉さんも帰れと言われて、はい、では帰りますとは言わない。 「どうしたんです? 僕はただ学園長に…」 さっき僕に言ったことを繰り返そうとしたけれど、 「今引き上げれば見逃してあげるよ」 再び冷気を帯びた土井先生の言葉にさえぎられてしまった。 一体何がどうなっているんだ? 利吉さんが、ぎりっと奥歯をかんだような顔をした。 「どういうことですか? 先生。先生がいらしたということは、やっぱりテストだったんですか?」 それがこの学園の定番だからだ。 が、僕がそんな発言をした途端、パン! と、僕の頬が鳴った。 何が起こったのか、分からなかった。 痛さよりもただ驚いて。僕は惚けた顔で、眼前の土井先生の怒った顔を見ていた。 「これは任務だ。すぐにテストだと思うような甘い考えをもっているからまんまとだまされそうになるんだ」 「え? だって……」 「忍者が簡単に自分の密書を渡してどうする!」 「え!?」 僕は、まさかと信じられない思いで利吉さんを見た。 利吉さんは僕を見なかった。ただ強張った表情で土井先生を見ていた。 「利吉くんなら無条件にわたしたちの味方だなどと思うな。彼はフリーだ。そのときの任務を全うするだけだ。場合によっては学園と対立することだってある。利吉くんだけじゃない。学園のOBだからといって皆自分に味方してくれるわけではないのと同じだ。わたしたちが生きているのはそういう世界だ。そんなことも分からなかったのか?」 先生の言葉の最後のほうは、怒っているというよりどこか悲しげだった。 それはできの悪い生徒、つまりこの僕に対する情けなさだったのか、それとも、敵対して闘っているかもしれない学園の卒業生たちを思ってか。それとも……。 利吉さんがなぜ、僕にこんなことをしたのかは知らない。そんなことは関係ない。それが今回の仕事だったのだろう。 だけど僕のふがいなさはどうだ。土井先生のおっしゃるとおりだ。相手が利吉さんだからといって易々と信用して、大事な忍者としての基本さえ忘れてしまうなんて。僕は……。 うなだれた僕から目をそらし、土井先生は、今度はいつもの口調で利吉さんに話し始めた。 「君の任務の邪魔をして悪かったね。だけど見過ごすわけにもいかないし」 「なぜ分かったんです?」 「確証があったわけではないよ。ただ、たまたま善法寺がここへ向かったと聞いて、何かあってはいけないと思っただけだよ」 「そうですか。では仕方がありませんね」 利吉さんは笑みを浮かべてそう言ったが、すっと懐に手を入れた。 僕はさっと緊張した。いまだはっきり事情は飲み込めないものの、とにかく今の利吉さんは学園の敵らしい。ここで土井先生と一戦交えようとでも? だが、その瞬間土井先生もまた懐から何かを取り出した。 利吉さんは一瞬身構えた。 「今日のところはこれで勘弁してもらえないかな」 「は?」 脱力した利吉さんの声がした。 見ると、土井先生の手にはまたもう一通の密書が。 「なんです? これは」 すっかり毒気を抜かれた利吉さんが、いつも学園で先生と話すときの調子に戻って言った。 「これはね、学園長がここの殿様に宛てて書いた手紙とほとんど同じ内容の偽手紙だよ」 「そ、そ、そんなものわたしに渡しちゃっていいんですか!?」 まったくだ。敵に密書の内容知らせてどうするんだ。 だが、土井先生は全く動ぜず、にっこり笑って 「いいんだよ。ただし、善法寺が殿様に無事書状を渡した後にしてくれるかな?」 「後って……でも、それでは……」 「君の立場は分かる。だからここは痛み分けってことで」 「そっちは痛まないんでしょう?」 利吉さんがうらめしそうに、視線を密書から土井先生に移した。 「気づかれなきゃ君だって痛まないさ。これで戦が回避できるなら、君だってそれくらいの協力はしてくれるよね?」 無敵の笑顔で言われて、利吉さんは何も言い返せない様子だった。 「それに」 急にまた土井先生は真顔になった。 「それぐらいの腹芸は覚えておくものだよ」 なんだか分からないが、土井先生のその言葉に、利吉さんは思うところあったようだ。ちょっと考え込んだあと、 「分かりました。ここは先生の顔を立てることにしますよ」 「ありがとう」 先生はまたにっこり笑った。 「では、わたしはこれで」 そう言って利吉さんは姿を消した。 それから先生は再び僕に向き直った。 「さ、わたしは外で待っているからね。自分で最後までやり遂げるんだ」 「は、はい」 そうして僕は再度天井裏に忍び込み、今度こそ任務を全うした。 僕が外へ出たときは、すでに空は満天の星。 私服に着替えて待っていてくれた土井先生と僕は、並んで学園への道をたどった。 土井先生は僕を見て、「よくやったな」と、いつもの笑顔でほめてくれた。だけど僕は最初の失態が情けなくてまだ落ち込んでいた。 そんな僕の頭をぽんぽんと叩いて、先生はようやく事情を説明してくれた。 あの城は今、重臣たちが開戦派と穏健派の真っ二つに分かれてしまっているそうだ。開戦派はすぐに敵国との戦を始めたい。だが、ここはついこのあいだも戦のあったところで、あまりにうち続く出兵は民を疲弊させると穏健派は大反対。 そこにつけ込んで、周辺諸国からそれぞれ都合のいいように、巧みに開戦を煽るような手紙やら、逆になんとか開戦を思いとどまらせようとする手紙やらが毎日のように届けられ、城主もかなり混乱しているらしい。 そこで重臣たちは、自分に都合の悪い手紙を途中で奪ってしまい、殿に渡らないようにし始め、その強奪合戦もだんだん激烈になってきてしまった。 そこでそのどちらかの一派が(おそらく開戦派が、と土井先生は言った)、城の忍者を使ったのでは手の内が見えると利吉さんを雇い、僕のように殿に手紙を届けようとする者から書状を奪い、もし相手が思うに任せない相手なら……(そこで先生は一旦言葉を切った)そいつを殺してしまうことになるかもしれないのだと。 「たとえ相手が君でもね」 土井先生は静かにそう付け加えた。 僕は、僕は……。 事情が分かってれば僕だって、という言葉を、僕はかろうじて飲み込んだ。分かっている。忍者なんて道具なんだ。作戦の全体を知らされることなんてないと考えたほうがいい。自分の見聞きする範囲からいかに全体像をつかむか。それも大事な忍者の仕事だ。 そして利吉さんには、面目を保てるように僕から奪ったことにした偽密書を渡したわけだ。学園長は、そんな城主に状況を大所高所から見るように諭し、開戦を見送るように伝えたのだという。偽密書には、その後半の部分、開戦した場合のデメリットだけ書いてあったらしい。だからべつに開戦派に見られても構わないということだそうだ。 「じゃあ、僕は……」 僕は今日起きたことを反芻しながら土井先生に尋ねてみた。 「もしかしたら利吉さんに殺されていたかもしれないんですね?」 土井先生の温かい手が、僕の頭に置かれた。 「殺させやしないよ。その前にわたしが……」 そこでまた土井先生は言葉を切った。 「きっと助けてみせるから」 僕は涙がこぼれそうで、土井先生の顔を見ることができなかった。 自分の愚かさが、甘さが思い知らされ、情けなくて情けなくて。 きっと土井先生は、いざとなれば利吉さんに手をかけることもできるのだろう。けれどそんなことをせずに生徒を守る決意をしているのだ。そしてそれだけの強さが先生にはある。なぜだか僕にはそう確信できた。 利吉さんも先生方も、変わりはない。己の仕事を全うしようと思ったら、半端な覚悟ではできないのだ。それだけの鍛錬が必要なのだ。 華々しい一流忍者になれそうにないから教師にだって? わずかでもそんなことを考えた自分が許せなかった。 僕がそんなことで落ち込んでいるとは知らず、 「今日のことはショックだったかもしれないが、いずれ慣れるさ。実際には滅多に切ったはったにはならないものだよ。今日だって結果的にはうまくいったろう? だから利吉くんを恨まないでやってくれるかな?」 土井先生はそんなことを言って僕を慰めてくれた。 僕はもちろん正直に告白する勇気などなく、やっとのことでただ「はい」とだけ答えた。 僕なんかまだまだ半人前だ。もう一度一から考え直そう。自分の将来を。そう思いながら僕は学園に戻ったのだが……。 忍者の仕事は秘密のはずなのに、土井先生がなぜ利吉さんの仕事先を知っていたのか、僕はそのときには頭が回らず、その後何事もなかったかのように学園で談笑するお二人を見ても、一度機を逸してしまった僕は二度とそのことを聞き出すことはできなかった。 有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする・・・ |
水城るう様へ。30000hit御礼です。 リクエストは伊作メインで利吉と土井が出て来る話ということでした。 はたして御期待にそえたものかどうか分かりませんが、単にリクにこたえたというより、 自分の書きたかったものが書けたと思っています。 相変わらず色気なくてすみません。 風味程度に利土をふりかけてみました。 半年もかかってしまいましたがお捧げいたします。リクありがとうございました。 裏解説 |