裏といっても変な意味じゃないです。 実はこの「まだふみもみず」というタイトルは「傾城屋」のやえやえさんに付けていただきました。 これもオンリーの収穫の一つです。 私がタイトルを付けられないという悩みを打ち明けたんです。ほんとにダメ。 書き終えてから文章の中から一語持って来るのがほとんど。(チェックしてみてください) 何度も公募しようかとさえ思ったぐらい。 だけど公募して一通も来なかったら悲しいじゃない?(笑) 逆に幾つも来たら、だれかのを落とすっていうのも嫌だし。 ところがやえやえさんはタイトル考えるのが大好きだそうで、じゃあ、今書きかけのも「るうさんへ」っていうファイル名になってるので、付けてくれないかって頼んだら快く引き受けて下さいました。 のみならず、これからも引き受けて下さることになり、もうそれだけで私は書くのがいっそう楽しくなる気分です。 さてこの「まだふみもみず」ですが、ご存じのように百人一首から小式部内侍の歌ですね。 才能ある若者の試み、一人立ち、そんなことを思わせる背景があります。 密書を届けるという伊作の任務に「文」をかけてくださったそうです。 さらに「いくののみちのとほければ」は「行く野の道も遠ければ」とも読めるので、伊作の将来を「まだ踏みもみず」という意味もかけてみました。 伊作の一人称は今回「僕」にしてみましたが、「わたし」派の方もいらっしゃるでしょうね。 私もそれも悩んだのですが、今回絡む相手が利吉と半助で、心の声なので「僕」でいいかなと思いました。若さが出ると思って。 さて今回、ほんとにほんのりですが利土井風味にしてみました。 どこかお分かりになりますか? なぜ半助が利吉の行き先を知っていたのか。 もちろん、保健室で利吉がつぶやいた「いでそよ人を」の一言から察したわけですね。 ちなみに「有馬山」は摂津の歌枕、猪名は今の尼崎近辺。 これは単に「ささはら」を示すだけに言ったのではないのです。 「風吹けば」はたよりがあればということですが、得に「男性からの」文を示すんですね。 そして「さあ、あなたのことを忘れたりするものですか」とつながるわけです。 なのに「まだ文もみず」なんですね、利吉も(笑)。 やえやえさんはそこもかけてあるそうで、結構切実な利吉であったりします。 あとは皆様のご想像にお任せいたします。 あ、でも決して土井利ではありません(笑)。 |