贈り物 忍術学園の一室で、6年生数人が額を寄せ合って何事かひそひそと相談していた。 「いいか、分かってるな」 そう念を押したのは、とりあえずこのグループのまとめ役にあみだで当たった善法寺伊作だ。 「今回のレポートは、われわれの班は喜車の術でいく。先生方に何かプレゼントをして、先週のテストの点を1点でも上げてもらう。観察力を磨き、どの先生がどんな贈り物を喜んだかをレポートする」 「なんでプレゼントなんだ? それじゃ賄賂じゃないか。忍者たるもの、やはり言葉でうまくおだてて喜ばせるのが筋だろう」 異を唱えたのは潮江文次郎だ。 伊作は顔をしかめた。 「だから、それは以前の6年がやったレポートが図書室に残ってるんだ。そうだな、長次」 確認されて、中在家長次は黙ってうなづいた。 「われわれとしてはやはり独自色を出したい。プレゼントといっても、相手が喜ぶことが大事なんだ。銭じゃなくてな。どの先生が何を喜ぶかを見抜くというところに意義があるんだ。それはもう何度も言ったろう」 伊作に説き伏せられ、文次郎はしぶしぶうなづいた。 「さ、それじゃあそれぞれの担当だけど、くじ引きの結果仙蔵が火縄銃の山田先生」 仙蔵が、任せておけ、というように親指を上に向けた。 「長次は剣術の戸部先生」 長次は黙ってうなづいた。 「文次郎は体術の木下先生」 「難物だがやる気が出るぜ!」 文次郎は張りきっていた。 「小平太は火薬の土井先生」 「ま、なんとかなるだろう」 「一番御しやすそうな相手だ」 仙蔵が、楽勝だな、という視線を送った。 「そして俺が隠し武器の野村先生だな」 それぞれがうなづいた。 「それじゃ、明日にはともかくアタックして、結果を報告すること」 そしてこの場は解散となった。 そして翌日の夜のこと、忍たま長屋の1室に同じメンバーが集まって、何やらまたひそひそ話していた。 「じゃあ、まず俺から報告よしようか」 伊作が切り出す。 「俺は野村先生。大木先生との対決に役立ててもらおうと納豆を大量に持っていった」 「バカかおまえ!」 文次郎が毒づいた。 「納豆を食べられないってだけで、大木先生は納豆が怖いわけじゃないんだぜ」 「そうだけど、納豆が嫌いな人っていうのはあの匂いが嫌いなんだ。納豆を頭から浴びせられたら退却すると思わないか?」 「たしかに、それは大木先生でなくても有効だな」 七松小平太が助け舟を出す。 「ところが、野村先生の部屋に行ったとたん、その大木先生が後から入ってきて、納豆が見つかって後ろから思いっきり頭をどつかれた」 「運が悪かったな」 と小平太。 「おまえ、その不運体質なんとかしろよ」 文次郎が容赦ない突っ込みを入れた。 「じゃ、だれか保健委員代わってくれよ」 全員が押し黙った。 もう何年も繰り返してきた会話なので、伊作もそれ以上何も言わない。 「長次はどうだった? 何を持ってったんだ?」 「刀の手入れ用の油」 長次がぼそっと、必要最小限の受け答えをする。 「で? 戸部先生の様子は?」 伊作ももう分かっているので、一つ一つ区切って質問をする。 「喜んでた」 「じゃあ成功なんだな?」 「いや」 「なんで!?」 「テストの話をしようと思ったら、虫が飛び込んできた」 みんなため息をついた。それだけで十分、その後の展開は想像できる。 「仕方ないな。文次郎は?」 「微妙な線だな」 「なんだそりゃ」 「俺は酒を持ってったんだよ。好きそうだからな」 「そうじゃなかったのか?」 「いや、酒は好きらしい。それにテストの点もまけてくれることになった」 「だったら成功じゃないか」 「うーん、だけどなんだか『ふっ』とか笑ってよ。あれはばれてるけどあえて引っかかってくれたって感じだな」 文次郎は複雑な表情だ。 「大切なのは結果だ。選んだ物が良かったから木下先生も認めてくださったのだろう。成功としていいのじゃないか?」 立花仙蔵が冷静な声で口をはさんだ。 「そういうおまえはどうなんだ?」 「もちろん成功さ。山田先生は大喜びだった」 「何を贈ったんだ?」 「紅屋の春の新色」 みんな一瞬沈黙し、妙な空気が流れた。頭に浮かんだ光景は、皆一緒だったろう。 「さ、小平太」 伊作が気を取りなおして話を進めた。 「おまえは土井先生だったな」 「うん……」 小平太はなんだか口篭もった。 「喜んではくれたんだけど……」 「交渉は決裂か?」 文次郎が結論を急がせた。 「案外手強いんだな」 仙蔵がにやりとした。 「そういうわけでもないんだ」 「なんだよ。はっきりしろよ」 「まず、俺は国からだと言っておいしいお菓子を持っていった。結構甘いものが好きそうだと思って」 「なるほど」 「土井先生は喜んで、君も一緒にと言ってお茶を入れてくれた」 「話がしやすそうじゃないか。それで?」 「で、この前のテスト、僕の感じだと70点ぐらいな気がする。それじゃちょっと、と切り出したんだ」 「うまいじゃないか」 「だけど、土井先生は、俺の成績は問題ない。それどころかあの問題で70点なんて、とてもよくできたとほめてくださったんだ」 小平太はいつのまにか、にこにこしながら話していた。 ベシ! 文次郎が小平太の頭をはたいた。 「アホ! おまえが喜車の術かけられてんじゃないのか!」 「だけど、喜んでくれたんだから一応成功じゃないのかな」 小平太が口をとがらせた。 「うーん、でも結果がなあ。だいたい土井先生はいつもにこにこしてるからな。術が成功したのかどうか判断ができないよ」 伊作が悩んでしまった。 「小平太と土井先生がお菓子とお茶じゃあ、場がなごみすぎだ。人材を替えるべきだな」 仙蔵が提案した。 「よし、今度は俺が行く!」 文次郎が張りきって名乗りを挙げた。 「そうだな。文次郎は一応成功してるわけだしな。で、何を持っていく?」 「土井先生は独身だろ? 独身の若い男が欲しいものといやあ、女だろう」 「女なんか、どこで調達するんだよ」 小平太が目を丸くして聞いた。 「くの一教室の……」 言いかけて文次郎は考え込んでしまった。くの一の上級生など、恐ろしくてとても頼みごとなどできない。一生かかって利子を払わされるような気がする。 しばらく考えて、文次郎はさっぱりと言った。 「よし、仙蔵、おまえが女装して行け」 「却下!」 0.3秒で仙蔵に断られ、文次郎はまた考え込んだ。 「ばかばかしい!」 いきなり長次が吐き捨てるようにそう言うと、立ち上がった。 「教師のご機嫌とりなんかやってられるか。俺は抜けるぞ」 そう言うとさっさと部屋から出ていってしまった。 「おい、長次!」 伊作があわてて止めようとしたが、仙蔵は 「ほっとけよ。だいたいあいつに喜車の術をやれというほうが無理だ」 と、伊作を座らせた。 「それより作戦を立てよう。文次郎、何か思い浮かんだか?」 文次郎はまだ頭を抱えていた。 翌日のこと、仙蔵が廊下で土井先生を呼びとめた。 「国元の母が、着物を新調するといいと言って、反物を送ってきたのです。でも、ちょっと柄がわたしには大人びすぎているというか。似合わないと思うんです。でも、送り返すのもなんだし、こういうのは土井先生のような大人で粋な方に着ていただくほうがいいと思いまして。きっとお似合いだと思います。受けとっていただけませんか?」 そう言って仙蔵は反物を差し出した。 土井先生はびっくりした顔をしたが、一応というふうに手に取って反物を眺めた。 「そうだね、少し大人っぽいかもしれないな。でも……」 そう言うと土井先生は反物を少し広げ、仙蔵の肩に当てた。 「もうおまえたちも少し背伸びしてもいいころだろう。お母上もそう思ってこれを選ばれたのではないかな」 「は、はあ…」 土井先生は首を少しかしげて仙蔵の姿を眺めた。 「ほら、いいじゃないか。君は少し大人びてるし、きれいな顔立ちをしているから似合うよ」 「あ、ありがとうございます…」 仙蔵は少し頬を染めて礼を言うしかなかった。 「アホか! ったくどいつもこいつも!」 その夜、例のメンバーが集まったとき、報告を聞いて文次郎が怒った。 「だけど、ああ言われたらそれ以上強いて先生にとは言えないじゃないか」 仙蔵がむっとして言い返した。 「うーん、恐るべき喜車返しだな」 小平太がうなった。 「そんな術あったか?」 「いいから。それより文次郎。おまえ、女以外に何か考えたのか?」 伊作が話を進める。 「考えたともさ」 文次郎は胸を張った。 「土井先生は本がお好きだ。今まで読んだこともないような珍しい書物ならきっとうまくいくはずだ。難しいから読んでくださいといえば、仙蔵みたいなことにはならない!」 「それはそうかもしれんが……」 仙蔵が白い目で文次郎を見て言った。 「そんな本、どうやって手に入れるのだ?」 「堺に行けばなんとかなるんじゃないかな」 「金はあるのか?」 文次郎は再び頭を抱えた。 その翌日、今度は伊作が、昼休みに食堂で土井先生に近づいた。 「先生、いつも1年生の相手、大変ですね。それもあのは組ですからね」 「ああ、でも面白いからね。べつに大変ではないよ」 土井先生はやはりにこにこと話に応じた。 「でも保健室で乱太郎に聞いたんですけど、先生、神経性胃炎なんでしょう?」 そう言われて土井先生は少し情けない顔をした。 「そうなんだ。でもこのごろは結構良くなってきたんだよ」 「あの、これ、新野先生の手ほどきでわたしが作った胃薬なんです。飲んでみてください」 「なんだ、実験台かい?」 そう言いながらも、土井先生は嫌そうな顔一つしない。 「そ、そんなことじゃないです! 乱太郎が心配していたから……」 「そうか。生徒にそんな気を使わせて、わたしは駄目教師だなあ」 「そんなことないですよ。それだけ土井先生がみんなから好かれてるってことじゃないですか!」 「そうかな。ずいぶん嬉しいことを言ってくれるね」 土井先生は本当に嬉しそうだった。 (よっしゃ!) 伊作は心の中でガッツポーズをした。 その瞬間。 「土井せんせー!」 「早くお昼食べちゃって遊びに行きましょうよ」 「カマボコは入ってなかったですよね」 「ほかに嫌いなものがあったら僕が食べてあげる」 わらわらと入ってきて土井先生を取り巻いた1年は組の連中に伊作ははじきとばされてしまった。 「あ、善法寺先輩。こんにちは」 乱太郎が気づいて挨拶をした。 「あ、ああ、こんにちは」 「何か土井先生に用事だったんですか?」 「ああ、彼はわたしに胃薬を作ってきてくれたんだよ」 土井先生がにこにこと言った。 「へえ、善法寺先輩って優しいんですね」 「胃薬作れるんですか。すごいなー」 1年生に尊敬と憧れのまなざしで見つめられ、テストの点をまけてくれとは言えず、伊作はすごすごと引き下がった。 「大木先生の次は1年ボーズか。っとにお前ってやつは……」 今度は文次郎はあきれていた。 「おまえって、卒業してもそうなのかな」 「仙蔵! 怖いことを言うな!」 仙蔵は伊作の抗議には耳を貸さず、 「残るはおまえだぞ、文次郎。ちゃんと考えたのか?」 「…考えた」 「なんだ?」 「土井先生だから若い男の欲しがるもの、なんて考えたのがいけないんだ。やはり忍者は忍者。それも火薬のスペシャリストだ。火薬もしくは火器をプレゼントすれば必ず喜ぶ!」 3人が同時にため息をついた。 「で、その火薬はどうやって手に入れるんだ?」 小平太がまた聞いた。 「そりゃ、学園の火薬庫から失敬するぐらいしか手がないな」 「ばか。万一ばれたら退学もんだぞ」 仙蔵があきれて言った。 「じゃあ、担当の先生に事情を話して少し分けてもらう!」 「落ちつけ文次郎! その担当はだれだ?」 「ああああ!! 土井先生だった!」 結局頭を抱え込む文次郎だった。 3人がまた盛大にため息をついた後、小平太が言った。 「なあ、これって野村先生や戸部先生と同じく、失敗というレポートじゃいけないのか?」 顔を上げた文次郎、伊作、仙蔵が顔を見合わせた。 「おれ、土井先生には無理だと思うんだよな。この作戦は」 「どうしてだ?」 仙蔵が尋ねる。 「だって、きっと何を上げたところで喜んでくれると思うよ。だけど結局暖簾に腕押し、糠に釘、柳に風、馬耳東風というか…」 「意味わかんねえよ!」 「つまり、何を上げても怒られる心配はないけど、点数をまけてくれるというリアクションは望めない。だいたい、何でも喜んでくれそうじゃないか。それってこっちが見ぬいたことにはならないだろう」 「それは、そうだけど…」 伊作が口篭もる。だけどなんだか納得がいかない。何を贈ったら土井先生は一番喜ぶのだろう。もうレポートよりも意地というか、好奇心というか、知りたくて仕方ない。正直、最初は楽勝だと思ったのに、こんなにてこづるなんて。 それは仙蔵も同じだったらしい。 「なら小平太、おまえ抜けろ。わたしは追究してみせるからな」 「そうだ! 忍者は最後まで諦めてはいけない!」 「べつにおれだって嫌だってわけじゃないよ」 「でも、しばらく観察してみたほうがいいかもしれないな。レポートには間に合わないが」 伊作の提案に、反対する者はいなかった。 後日、伊作は1年は組の子供たちが土井先生にまとわりついているいつもの光景に出くわした。 土井先生は相変わらずにこにこしていた。 「先生、ねえ先生、もうすぐ母の日だから、ぼくたちみんなからプレゼントをあげたいんです」 「なんで母の日なんだ!」 「うーん、なんとなく」 「先生、何がほしいですか?」 「先生が一番喜んでくれるものを上げたいんです」 伊作は1年ボースの気楽さをうらやましく思いつつ、思わず聞き耳をたてた。 「ねえ、何がいい? 土井先生」 「そうだなあ…」 土井先生は嬉しそうに首をかしげて少し考えて言った。 「お前たちの100点満点のテストの答案だな」 「えー! そりゃないよお」 「ほかにないの?」 「ないなあ」 遠ざかる1年生と土井先生を見送って、伊作は全身の力が抜けるのを感じていた。 |