■昼下がりの口車■
長月も中頃。
---end---
夏に盛りを迎えた草花が衰退している庭園の中で、秋に向け、徐々に艶やかに色づいていく草花がある。 たとえば竜胆や槿、紫苑だとか―― 秋はすぐ傍にある。 吹き抜ける風にも、そんなことを感じることが出来た。 そろそろ涼しくもなろうか、と思わせる柔らかい風が草花を撫で、木の葉が静かに音を立てる。 中々に趣深き光景である。 風流人であれば、しみじみと歌の一つも詠みそうな。 そこからいけば、鉢屋三郎が風流人でないということは確からしい。 縁に腰をおろし、胡座をかいた膝に肘を置いて、その手で頬杖をしている。 口を真一文字に閉ざし、眉間に深く皺を寄せ。 纏う雰囲気はおよそ穏やかなものではなく、それは高く晴れ渡る初秋の空の爽やかさには酷く似つかわしくない。 さっきまで友人と――不破雷蔵と――二人でいて、談笑などもしていたから、機嫌が悪かったわけではない。 少なくともさっきまでは。 今現在も、決して物凄く機嫌が悪いというわけでもないのだ。ただ、少し虫の居所は悪かったが。 何故こんな気分になっているのか。 三郎はそれを考えただけで更に深く、眉を顰め、項垂れる。 ……暇だ。 三郎は、ひっそりつぶやくと、溜息を吐き出した。 そう、鉢屋三郎の機嫌が思わしくないのは、暇さ故なのである。 優秀と呼ばれようがなんだろうが、元来面白がりでじっとしていられない三郎である。 彼にとって暇こそが最大の敵だ。 いつも隣にいる雷蔵は委員会でこの場にはおらず、その上友人達は試験が近いからと部屋に閉じこもって出てこない。 試験が近いからといって必死になる三郎ではない。腐っても天才である。 そんなわけで、今、思い切り暇なのだ。 ――仕方ない。 三郎はすくと立ち上がる。一年は組でもからかいに行こう。 学園きってのトラブルメーカー達を、すっかり気に入っている三郎であった。何せ彼らと一緒にいれば退屈しようがない。 +++ +++ +++ 一年は組の教室は、放課後ということもあって空だった。 まあ、三郎も誰かがいることなど期待してはいなかった。 音に聞く問題児達が居残りで勉強することはなかろう――補習授業はあるかもしれないが。 教室の窓から外をのぞく。 いつも元気に駆け回っている十一人の子ども達がいない。 「あらら」三郎はおもわず声に出して落胆した。 一番に足を運んだ長屋にもいなくて、ここにもいなくて、校庭にもいない。 おかしいな、と、三郎が顎に手をかけて思案している所に、声がかかる。「鉢屋だろう、何してるんだ?」 三郎は慌てることもせず――その声を知っていたからだ――振り返る。 「すいません勝手に上がりこんで」三郎はにこりと微笑んで見せた。目の前の男――土井半助に。 その他意のない笑みは作り物ではないようで、土井もまた、笑顔になる。 「構わないが、どうしたんだ?」 土井の疑問は至極尤もだ。一年のクラスに五年が独りいるとあっては。 「一年は組に会いに来たんですよ」 別に嘘をつく必要などない、三郎は正直に答えた。 土井は言った。「ああ、あいつらなら、実習で外に出てる。明日まで帰らないぞ」 「何ですと!?」 三郎はたっぷりうろたえて、声を張り上げた。 そんな三郎に土井も驚く。 何かあったのか、という声は、最早三郎には届かない。 三郎は強いショックに苛まれていた。 嘘だろ嘘だろ嘘だろ…… あいつらがいなかったら俺どうやって暇潰せばいいわけ? こんなことでそこまで落ち込むか、と言われようが、本人、いたって真剣である。 当然、土井は詳細を知らないから、三郎が突如としてこんなにも沈んだのを訝ったし、心配した。 だから、数十秒後その理由を聞いたとき、土井は心底呆れた。これが学園の誇る天才か。 「暇だからってウチの生徒をからかいにくることはないだろう……」 溜息混じりの言葉に、三郎は真面目な顔で答えた。 「私は暇が一番怖いんです」 ここまで言われては苦笑するしかない。暫く間を空けて、土井は思いついたように言った。 「暇なら手伝ってくれないか、ネズミ捕り」 「ネズミ?」 三郎が眉を顰めた。学園に忍び込むとは奇特な――あるいは馬鹿な――ネズミもいるもんだ。 +++ +++ +++ 三郎は前を歩く土井の背を見ながら思う。 ネズミの数匹くらいなら、この男なら独りででも捕れるのでは?と。 それほどに、三郎は土井の忍びとしての能力をを高めに見積もっている。 先程とて、雷蔵と自分とを見誤るはなかったではないか。一分の迷いもなく鉢屋と呼んだ。少しは考えてもいいものを。 三郎は出かかった溜息を堪えた。 ――正直、好きになれないんだけどねぇ、この人。 何考えてるかわかんないし。 悪戯にはひっかかってくんないし。 尤も忍術学園の教師の殆どがそれに該当しているわけだが、どうにも土井の場合、普段の好青年の印象が強い分、そのギャップに敬嘆ついでに慨嘆したくなる三郎である。 「土井先生」 「何だ?」 「ネズミは何匹ほど?」 「さぁ、何匹くらいだろうな……」 土井は首を傾げて苦笑していた。 余裕を持っているふうに見えるから、たいした数でもないのだろう、と三郎は思う。 だが土井は、次にこんなことを言った。 「二十匹くらいだろう、多分」 こりゃまた、結構な数である。少なくとも平然と言える数ではない。 「……二十?」 流石に三郎が聞き返すが、土井は頷く。「多分な」 骨が折れるお手伝い引き受けたもんだ。 三郎は項垂れたくなった。 乗りかかった船を下りるわけにもいかないから、土井の後を歩く足を止めることはしなかったが。 +++ +++ +++ 「それで?どうなったの?」 先の出来事を、今、三郎は雷蔵に話してやっている。 物語で言えば佳境の場面で、一度話をきると、雷蔵は期待に満ちた目で続きを促した。 この先に下らぬオチがあるとは、彼は到底想像していないらしい。 「どうって、ネズミ捕りしたんだよ」 「わかってるよ」 じれったそうに言う雷蔵に、三郎は苦笑するしかない。あんまり話したくないなあ。 +++ +++ +++ 「土井先生……?」 「何だ?」 「これは……一体……」 三郎は、土井に手渡されたものをしげしげと眺める。 土井はさも当たり前のように答えた。 「鼠落としだよ」 鼠落とし――即ち鼠を捕る器具である。 土井は完璧な微笑とともに、言った。「鼠捕りをすると言っただろう?」 わたしは嘘は言ってないよ、と、完璧な微笑が雄弁に物語る。 これには三郎も閉口するしかない。なんてこった。 幾ばくか間を空けて、三郎は漸く声を出す。 「……普通、ネズミって言ったら、侵入者とかじゃありません?」 土井は、「そういうときもあるな。今は違うけど」などとのたまった。 完璧な微笑は、崩れることはなかった。三郎は、今度こそ完膚なきまでに閉口した。 結局、それから約一時(二時間)以上、二人で鼠落としをあちこちに仕掛けるために時間を費やした。 全ての作業が終了した頃には、既に日は沈んでいた。 +++ +++ +++ その話を聞いていた雷蔵の全身から、へなへなと力が抜ける。 「何、それ……」 「俺に訊くなよ」 酷く疲労しているように、ポツリと呟く三郎に、雷蔵は心底同情した。 この男、こう見えてプライドは高い。 多分、遊ばれて、結構傷ついたんじゃないだろうか。 「なあ、雷蔵」 三郎が、虚ろな目をしながら雷蔵を呼ぶ。 雷蔵が何だと訊くと、三郎は言った。 「俺、あの先生、好きになれんかもしれん……」 しんみりした声である。 雷蔵は、少し考えて、 「そっか……」 と答えた。 それ以外にかける言葉は見つからなかったのだ。 |
「Optimism」の日向しゅう様の「苦手意識」が気に入って、三郎との取り合わせだったらどうなるかなと思ってリクさせていただきました。もう笑いっぱなしですよ。絶対蜂屋三郎って才能の無駄遣いをしている。しかも本人はそれに全力を傾けてるという気がするんですよね。原作読んでも。その三郎を辟易とさせる土井先生。完璧な微笑がかえって腹立つ!(笑)。確信犯なのか天然なのか分からないあたりもすごくいい! 理想的な2人の関係(?)をありがとうございました。しゅう様。 |