■愛弟子の成長過程■
それは、きり丸が忍術学園五年生に進級した年のことだった。 初春、桜がちらほらと咲きはじめている季節。 土井ときり丸は、久方ぶりに彼らの家に帰った。 家の中に踏み入った途端、あまりの埃っぽさに二人は咽て咳き込んだ。 「こりゃとりあえず掃除せんと寝れんな……」 土井が、げんなりと呟くと、 「ああもう、またかよっ!」 きり丸の自棄になったような声が響いた。 「散ッ々、学園の中掃除したってのに……ああもう、タダでどれだけ働いてんだ俺は……」 桶に溜めた水に雑巾を浸し、きつく絞る。 先日の忍術学園の大掃除の折に、何度も何度も繰り返しやった作業だ。 「ぐだぐだ言うな。自分のウチだろうが。」 窘めるように言いながら、箒を握る土井の顔に苦笑が浮かんでいる。 先日の馬鹿みたいに広い学園の大掃除に疲れて帰ってきて、帰宅後、また掃除だ。 失笑するしかないではないか。 結局、二人が掃除を終わらせたのは、日の目が見えなくなった頃だった。 薄紫の残光が、窓からそろりと入ってくるのみ。 二人は、壁にもたれかかり、ぐったりと座り込んでいた。 その薄暗さと、疲労と、静かになりゆく街のざわめきに、二人は強烈な眠気を感じずにはいられなかった。 「疲れたな……」 「うん……も、動きたくない……」 二人は呟きながら、うつらうつらと目を閉じかかっていた。 夢現の中。 音を聞く。 規則正しいリズム。 とんとん、と。 聞きなれた、これは、そうだ……朝の音―― ぱち、と土井が一気に覚醒する。 暫くは起き上がらないで、思考が冷静に作動すようになるのを待つ。 そう言えば、自分はいつの間に布団に入っていたのだろうか。 昨日、壁にもたれかかってうとうとして以来の記憶がない土井だった。 考えられるのは、きり丸が敷いたということ。 わざわざ二人分の布団をしいて、自分を寝かしたというのか。 ――そんなことをするようになったのか。 土井が思案にふけっていると、、飄々とした声がかかった。 「起きたんなら手伝ってくれない?センセ。」 土井は上体を起こして、声の方に向く。 きり丸が土間に立って、朝餉をこしらえているのが目に入った。 「もう……朝か。」 土井が、まだ少し呆けたような声で言うと、きり丸は悪戯っぽく笑う。 「何言ってんの、昼だよ、昼。センセ、アンタ寝すぎ。」 ま、朝飯代節約できたからいいけど。と、きり丸の笑みが深まった。 「ひ、昼だと!?何で起こしてくれなかったんだ!」 慌てたように喚く土井に、きり丸は呆れたように、 「……センセ、その科白、すんげぇガキくさい……」 と言った。土井は、己の失態を知って頬を赤らめる。 「う、煩いっ!」 「…………可愛いね、センセってね。」 呆れ半分に揶揄しながら、きり丸は、すのこに腰掛ける。 その手に持った包丁で、器用に野菜の皮をむいていく。 きり丸は、手元から目を離さぬまま、言葉を続ける。 「別にいいですけどね、寝過ごしたって。休みなんだしさ。」 「よくあるかいっ!今日町内の掃除だったんだぞ!」 土井が不機嫌な声で言い返せば、 「そーゆー問題じゃないっしょ。フツー、示しがつなないって言うモンっスよ。」 すぐに揚げ足を取られる。さすがに土井は、ぐっと息を詰まらせる。 きり丸は、皮を剥いた野菜をざるにいれて、土井を振り向く。 「ま、尤も。起きないセンセのために俺が代わって町内掃除したし?今更示しも何もないですけどぉ。」 憎たらしいほど綺麗な笑みを浮かべて、きり丸は言った。 土井の拳が、きり丸の頭に落ちた。 「何なんスか!?ホントのこと言っただけでしょー!」 頭を押さえて抗議するきり丸に、土井はさらりと一言。 「何かものっすごい腹が立ったもんで、つい。」 「うわ、ひでぇ。」 言いながらも、二人は無邪気な笑みを零していた。まるでじゃれあってでもいるように。 「大体な、わたしが寝過ごしたのは疲れてた所為だろうが。誰の所為だ、その疲れは。」 タイミングさえ見計らえば、「お前等の所為だろう!」と、きり丸に迫る事ができるが。 今はそうではない。 土井を疲れさせた張本人を、きり丸は即答した。 「がくえんちょ。」 学園長だ、と。あんまりに正論だから、土井はがくりと項垂れた。 きり丸はその姿を笑って、野菜の入ったざるを抱え、立ち上がって台所へ戻った。 「……疲れてんなら、だらけてていーッスけど。布団、畳んどいてください。すぐ飯ッスから。」 言って台所で何やらやっているきり丸に、土井は目を細める。 きり丸は……精一杯気を使ってくれている。 朝起こさなかったのも。 自分に代わって掃除にでたのも。 自分が疲れているのを知っていたからで。 きり丸自身、同じくらいに疲れているだろうに。 ――数年前なら。 人を朝っぱらから叩き起こして、バイト三昧だった彼。 何かにつけて厄介ごとを運んできた彼。 そうでなければ学園に残って補習だった、彼。 休みに、ちゃんと休めた記憶なんてない。 彼のために割いた労力は半端なものじゃない。 でも今は。 彼は立派に育った。 強かに、しなやかに、逞しく。 当分バイトはしなくても大丈夫だといった。忍術学園内で請負った忍び仕事をこなして稼いだからだ。 厄介ごとは大抵、自分達で片付けるようになった。 補習なんてしなくても――少なくとも実技は――彼は優秀な成績を残すようになっている。 もう、彼のためにあくせくと動き回る必要は、ない。 むしろ、彼の方が自分のために動いてくれる事すら多くなって。 それがなんとなく寂しいなどと言ったら。 彼は笑うだろうか。 ぼうっと湧き上がる思いにふけっていると、ナベを両手に持ったきり丸が顔を覗き込んできた。 「何やってんのセンセ。ぼさっとしてないでさっさと布団たたんで着替えてしたくする!」 まくし立てられて、土井は思わず苦く笑う。 「お前な、どこぞの奥さんじゃないんだからそういう言い方やめんか!」 「先生がぱっぱと動けばいーんでしょーが。ほら、さっさとする!」 促されるまま、布団を片付けて、着替えて。 顔を洗おうと井戸に向かう時、土井は少しだけ、戸口のあたりで立ち止まった。 せかせかと働く、いとおしい愛弟子。 随分成長して、腕の中に抱きとめる事はもうないかもしれない。 それでも、『先生』と呼ぶ声には、小さい頃と何ら変わらぬ慕いがある。 それがどれだけ嬉しいか。 お前はわかってるのかね。 台所のきり丸と目が合って、土井はにこりと微笑んで見せた。 きり丸は一瞬きょとんとして、次いで、照れくさそうな笑みを返したかと思うと、一瞬でそれは掻き消えた。 「突っ立ってないで、はやく!飯冷えちゃうでしょ!」 照れ隠しに再びどやす声に、土井は外に出る。 見上げた晴れ渡った空に、さっきのきり丸の笑みを思い出して、小さく喉を鳴らして笑った。 ---end--- |
日向しゅう様のOptimismの壁紙固定記念とでも申しましょうか(笑)。キリ番踏んだわけでもなく、私が何か差し上げたわけでもなく、要は本当にしゅう様の御好意で頂きました。まさに棚ぼた。「きり土井っぽい」という微妙なリクをさせていただきましたが、成長して師と弟子がちょびっと逆転したかのようなこの関係がすっごく好きなんです☆ 33巻では乱太郎の世話をやいていたきり丸。成長したらやっぱりこんな感じになるんじゃないでしょうかね。しゅう様、本当にありがとうございましたv |