夢の跡
海を臨む小高い丘の上の一角に開けた場所があった。 昔、屋敷があった跡のようで井戸や束柱の跡などが残っていて、その周りを取り囲む様に山桜が群生している。 中には焦げたような跡が付いている木もある。 以前あった屋敷は火災によって消失したという事だろうか。 まだ春には少し早い如月のある晴れた日。 一人の若者が此処を訪れていた。 この景色も桜もすべて昔のまま、無いものは屋敷と父母達。 そして変わったのはこの私。 この屋敷が焼け落ちた時、ただただ泣いていた幼い私は、年を重ねてまた此処に戻って来た。闇討ちに遭い命は助かったものの、父の負傷は激しく一人で起き上がる事も適わず、全身に受けた傷はおそらく完治しないと思われた。 もし完治しても廃人同様の状態となろう。 そんな傷だった。 そして母はそんな父を哀れに思い、父を道連れに屋敷に火を放ち自害した。 「母上、何故火を付けるのですか。中には父上がいらっしゃるのに・・・!」 母の行動に訳が分からずおろおろとする私。 そんな私に諭すように静かに母が言った。 「父上の体はもはや自害する事も適わぬ。父上はこの桜が美しく咲いている今が死に時じゃと申された。あの桜たちに見送られながら静かに死にたいと・・・。だが、そんな父上を一人で逝かせる訳にはゆかぬ。母が一緒に冥土に送って差し上げねばならぬのです。」 「母上・・・!」 「わかりますね半助。ここが父と母の死に場所なのです。」 そう言うと母は桜を指差した。 「私達の骨はあの根元に埋めなさい。」 「母上。嫌だ・・・!死んじゃ嫌だ。嫌だ嫌だ。」 泣き叫ぶ私。 そんな私を抱きしめながら泣く母。 「出来るならお前を連れて行きたい。しかし、此処はお前の死に場所ではないのです。自分の死に場所は自分で見つけるもの・・・。」 そう言って自分の涙と私の涙を拭くと、この上も無く美しい笑顔で微笑んで炎の中に身を躍らせた。 それが母の最期の姿だった。 「さぞかし不肖の息子だとお思いの事でしょうね。」 父母の亡骸を埋めた桜に話しかける。 来ようと思えばもっと早くに来れたものを、あれから一度も訪れてはいなかった。 あの時のあなた方の死に様。 あまりに鮮烈でいつも私の心から離れなかった。 自分達の死に様で生き方を示してくれた父母。 私はそんなあなた方に顔向け出来なかったのです。 許して下さい。 私があれから歩んだ道は修羅の道でした。 あなた方が他界した後、菩提を弔ってくれた住職が私を引き取ってくれましたがその寺も襲われ、いくつかの紆余曲折を経て忍びとなりました。 今の世の習いとは言え、私には辛い事が多すぎました。 その辛さを隠す為に、私は更に冷徹になりました。 何も感じず 何も考えず ただ命じられるままに動く者。 心弱い私は幾つもの無益な殺生を重ねて来ました。 私は自分の死に場所を見失ってしまっていたようです。 海からの風が桜の枝を揺らしてゆく。 懐かしい潮が混じった風の匂い。 半助は桜の幹をそっと抱きしめた。 この桜の下で泣いていた私。 ただ泣く事しか知らなかったその頃に戻る術は無い。 父に剣を習い始めたばかりの頃、稽古そのものより稽古に使う木刀が重くて泣いてばかりいた。 母には読み書きを、爺やには学問を習った。 あの頃に見た夢はいつも皆が笑っていた。 桜を眺め 月を眺め 海に入り遊んだ。 あの頃に見た夢をもう一度見ることが出来るのだろうか。 お前なら出来ると言った人がいた。 お前の姿は哀しすぎると。 その哀しみを持って次の子供達を導いてやれと、 「こんなに汚れてしまった私の手で、子供達を教える事など出来ません。」 そう言うと、人を導くには相応の技量と強さ、それにも増して自分の手が汚れていると言えるお前のその心が大事なのだと言った。 私を必要としてくれる場所があるのだろうか。 あるのならばもう一度生き直して見てもいいのだろうか。 そう思えるようになりました。 今日此処へ来て決心がつきました。 ここで私が見た夢を次の子供達に続けられるように 私の道をもう一度開いてみます。 幼い頃に見た夢の跡を追って。 いつか桜が咲く頃にまた参りましょう・・・ 了 あとがき このお話は原哲夫(画)隆慶一郎(原作)の漫画「SAKON」と 中島みゆきの唄「最後の女神」が下敷きになってます。 「SAKON」に至っては、父母の自害のシーンは殆どそのまま 使っています。出来ればもっと消化して自分なりのシーンを作っ て見たくもあったのですが、このシーンがとてもとても好きで 初めて読んだ時から、これは半助の過去だ!と決め付けていた物 ですからそのまま使ってしまいました。ご了承ください。 やえやえ |
拙宅で爆弾13175を踏んでくださってリクに応じてくださいました。「疲れた土井先生」というお題で、まさかこんなにすごい作品をいただけるとは思いませんでした。頂くのが申し訳ないぐらいです。 凄絶な半助の過去。哀しみ。それを乗り越えてきた心の静けさまで伝わるような見事な筆致だと思います。今までやえやえ様が書かれたものの中でも最高傑作の一つに数えられるのではないかと個人的には思っているのです。 背景の木は桜じゃないと思いますけど、木全体のイメージで使わせていただきました。 |