ふと、何か気配を感じた気がして外を見ると、いつの間にか雪が降り始めていた。
 なんでこんな日に雪なんか降るのだろう。俺がまた一人ぼっちになってしまった日に。だれもいない、こんな寒い夜に。
 音もなく降りつづける雪を眺めていた俺の耳に、足音が聞こえた。こっちに来る! 先生?
 そんなはずは、と思いながら、すがるような思いで外へ飛び出した。だれもいるはずなどなかった。
「先生! 土井先生!」
声に出して呼んでみた。返事などあるはずがない。
「先生……。」
迷子のガキみたいに、涙が出そうだった。先生、幽霊でもいいから来てよ!
 その時、今度こそ本当に足音が聞こえた。ざく、ざくと、雪を踏みしめてくる。人影も見えた。こっちへ来る!
「きり丸?」
俺は目を見開いた。蓑をかぶって、白い息を吐いている、それは乱太郎だった。
「何してるのさ、こんなとこで。」
「それは、こっちの……。」
俺は最後まで言葉を発することができなかった。乱太郎に抱きついて、泣き出してしまった。ほっとしたのか悲しかったのか、嬉しかったのか悔しかったのか分からない。ただ、もう涙をこらえることができなかった。こんなのかっこ悪い。乱太郎の前で涙なんて見せたくない。そう思えば思うほど、涙をこらえることができなくて、俺は声を上げて泣いた。
 乱太郎は、何も言わず、ずっと俺の背をさすってくれていた。

「火ぐらい起こしなよ。風邪引くよ。」
乱太郎に促されて家の中に入った。乱太郎は勝手知ったる他人の家で、さっさと薪を持ってきて、いろりに火を起こしてくれた。
「お茶いれるね。」
これじゃどっちが客か分からない。でも、俺はそのままにまかせていた。なんだか、それが心地よかった。
「乱太郎、おまえ仕事は?」
「ちゃんと城には休暇届を出してきたよ。」
「俺が帰っているって知ってた?」
「うん、利吉さんが知らせてくれたよ。だから来たんだ。」
わざわざ俺のために、とは言わない。利吉さんの好意も、乱太郎の好意も、今は素直に受けられる気がした。
 乱太郎が入れてくれた温かい茶をすすりながら、俺はようやく人心地ついた気がした。
「ごめんな、乱太郎。寒かったろ? なのに全部おまえにさせて。」
乱太郎は照れたように笑った。
「いやだな、そんな神妙になったらかえって気をつかっちゃうよ。立ってる者は先生でも使えのきりちゃんでしょ?」
そうだったかな。先生……。そうだ、聞かなくちゃ。
「なあ、先生の顔、どうだった?」
「え?」
「土井先生の死に顔。おまえ見たんだろ?」
「ああ、うん。」
一瞬、乱太郎もつらそうな顔をした。だけど、どうしたものか、すぐにまた笑顔を浮かべた。
「きれいだったよ、とても。眠るように逝かれたらしいから。苦しそうじゃなかった。不思議だね。笑顔のまま逝けるなんてこと、本当にあるんだね。先生、微笑んでるみたいだったよ。よかった。」
乱太郎は自分に言い聞かせるみたいに言った。俺も、少し安心した。
「そうなんだ。よかった。」
「うん。よかったよね。」
死んだってのに何がよかったんだか分からないが、俺と乱太郎はそんなことを言い合っていた。

次の日の昼には、しんベエが牛車に山ほど食料や酒を積んで訪ねてきた。俺たちだけでこんなにいらねえだろ、と思ったら、見透かしたみたいにしんベエが言いやがった。
「きり丸、これ売ったらだめだよ。後からみんな来るんだからね。」
みんな?
 そう、それから続々と、元は組の連中が来始めたのだ。3日目にはいちばん遠くにいたはずの金吾まで到着して、全員がそろった。
「なんだよ、みんな利吉さんから?」
「違うよ。わたしが庄左エ門に連絡して。」
と乱太郎。
「それで僕が団蔵に頼んでみんなに連絡を。」
と庄左エ門。
 出席だけはいいと、自分を慰めるみたいに言っていた土井先生の言葉を思い出した。
 それから俺たちは、この狭い家でみんなでわいわいと、昔の話をして過ごした。一人前に酒飲んだりして。土井先生の思い出話を山ほどした。ものを食ったりしながら。時には笑ったりもしながら。
 なんで、こんな普通に飲んだり食ったり、笑ったりさえできるんだろう。もう土井先生はいないのに。そんなことを思って、不覚にも涙が出た。俺が泣くと、みんなもつられて涙ぐんでいた。しんベエなんか、俺より泣いていた。鼻水は自分でふけるようになっていたけど。俺がそう言ってからかうと、みんな今度は涙流しながら笑った。なんか、変な連中の集まりみたいになっていた。

 翌朝、ぽつぽつとみんな帰り始めた。
 最後に、乱太郎が残った。俺は外に出て見送った。また雪がちらついていた。
「あの、ありがとな、乱太郎。俺、嬉しかったよ。」
乱太郎はまた照れたように笑った。
「どうしたの、ずいぶん素直じゃない、きりちゃん。」
「うん、今言っておかないと、もしかしたら乱太郎と会えなくなっちまうといけないからな。」
乱太郎はそれを聞くと、顔を曇らせた。
「ねえ、きりちゃん、確かにそうだけどさ。毎日そんなこと考えるのはやめようよ。」
何言ってんだよ。それが現実なんだよ。
「だって、それじゃ今、きり丸と離れられなくなっちゃうもの。だけどそれじゃ先へ進めない。」
先へ? なんで進まなくちゃいけない。先生はもういない。
「もう会えないかも知れない。明日死ぬかもしれない。たしかにそうかもしれない。かもじゃなくて、そうなんだよね。特に、わたしたちは忍者なんだし。だけど、それじゃ毎日が悲しいよ。わたしたちは、幸せになるために生きているんだから、また会えるって信じて、希望を持って生きていていいんじゃないかな。」
俺はびっくりした。乱太郎がこんなことを考えていたなんて。なんのために生きているかなんて、俺はしっかり考えてたこともなかった。幸せになるために、生きてる?
「それじゃ、幸せってなんだよ。俺、もう一人ぼっちなんだぜ?」
「どうしてよ。みんな集まったじゃない。」
それは分かるけど。ありがたいと思うけど、違うんだ。先生はもういない。
「きり丸、子供のころ、ご両親を亡くした時、悲しかったでしょ?」
「あ、ああ、そりゃもちろん。」
「だけど、土井先生に会えたんでしょ?」
ああ、そうだ。先生がまた俺に帰る場所を与えてくれた。甘えることも、反抗することも、親のようにさせてくれた。だからよけいなんだよ、乱太郎。よけい、俺はひとりぼっちなんだよ。
「だったら、またいつかだれかに会えないなんて、どうして言えるの?」
だれかって、だれ?
「自分で家族を持って、幸せになることができるはずでしょう? そういう相手に会えないって、どうして分かるの? 決め付けちゃだめだよ!」
 考えたこともなかった。そんなこと。でも、そうなんだ。俺はまだ、これから自分の家族を持てるんだ。
 俺は、今度は本当に乱太郎に笑顔を見せられた。
「うん、ありがとう。大丈夫だよ。俺、ちゃんと生きていけるから。今はとても考えられないけど、きっといつか幸せになると思うよ。だから安心して城へ戻れよ。」
乱太郎も、今度は本当に安心したように笑った。
「うん、またね、きりちゃん。」
「ああ、またな、乱太郎。」
またな。そうだ。今はそれを信じてもいい。生きていくために。幸せになるために。また今度会えると、信じてもいいよね、土井先生。
「さてと……。」
 とりあえずは、うちの掃除から始めよう。それから仕事を探さなきゃ。俺はのびをして、冷たい空気を吸い込んでから家の中に入った。ここは俺のうち。それは変わらない。そうだよね、土井先生。いつか今度は俺がだれかに言ってあげるんだ。「おかえり」って。きっといつか、そんな日が来る。





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言い訳