第36回
祭のあと

 第22回で嵐山幕府大賞典のことを書いてから丸1年。今年も大賞典の季節がやってきた。

 今年は、嵐山幕府と裏金産業の共催という形となっていた(裏金産業が勝手に共催にしたのだが)。そのため、準備が忙しかった。将軍に比べたら忙しさは比ではないが、それでも年に一度の行事であるから、気合を入れていろいろ手を回したのである。まあ準備に関しては特出すべき事項が無いのであるが。つボイノリオのCDを発見した時が一番の喜びであったのだが、後でGo-oneに聞くと「結構いろんなところで見るし、買うのは馬鹿馬鹿しい」と言われてしまい、ちょっとしょぼくれてしまった。しかし、それにしてもあの枠順は作為的なものを感じてならない。将軍曰く、「ら・ぼんばさんの厳選なる抽選によるもの」であるが、当人たち以外に証人がまるでいないことが胡散臭さを増大させている。終わったことなのでもはやどうしようもないのだが。

   今年は去年と違い、きっちり前日は有給休暇。ただし、昼まで寝ていたが。16時ぐらいになってぼちぼち横浜を出る。今にも雨が降りそうな天気であったが、予報を見るとすでに京都は雨らしい。まったく、行事を催すとさんぎょーの雨男ぶりが顕著に現れてしまい悔しい限りである。

 晩に京都到着。雨は降ってはいないが、そのうち降りだすであろう空模様である。傘は折りたたみしか持っていないが、とりあえずは使わなくてよさそうである。D.Dさんに連絡を取り前日追いの会場となるしょうざんへ向かう。しかし、京都駅で迷ってしまう。6系統の乗り場がわからないのだ。私が卒業してから、ちょっとだけ京都駅のレイアウトが変わったのだが、そういえば卒業後に京都駅から6系統に乗ったことが無いのかもしれない。で、案内板まで引き返して探すが、やはり見つからない。歩く距離的にそんなに変わらないので、諦めて来た206系統に乗る(6系統は玄琢=四条大宮間の運行に変更になったらしい)。

 しょうざんに着くと、将軍とD.Dさんがビリヤード中。ボウリングは40分待ちの表示。金曜日の晩だというのに(金曜日の晩だからか?)、何やらイベント盛り沢山でフリーのレーンが少ないのが原因であるようだ。しばらく3人でビリヤード後、空いたレーンでボウリング。調教スコアは紛失してしまったが、スコアよりもフォームなどの矯正に時間と神経を費やしたのでやった価値はあるだろう。

 その後、「嵐」にて前夜祭。ここには既出の3人に加えて二ツ才さんも参加。4人で喋って盛り上がる。ロクに飲めもしない酒を飲み、ハイテンションになり、結局何喋ったか覚えていない。それでも、メンツがメンツだけに、まともな話は全くなかっただろう。周りのお客さんの目も白かっただろう。しかしそんなことは気にしない。気にはならない。なぜならこれが前夜祭であるから。人間(RUQS連中だけかも)、酒の席のくだらない話に異様な盛り上がりを見せるものである。

 この日の晩は、さんぎょー邸に寝床を確保していたのだが、前夜祭が始まる前の「日付が変わるまでには寝よう」という将軍の御誓文も虚しく、嵐を出る時にはすでに日付が変わっていた。というわけで、さんぎょー邸にいく術を失った私は、当初の意志と反して(ある意味予想通りに)将軍邸へとなだれ込んだのである。そこで、着いてからすぐ寝ればいいものを、この3人がそんなにおとなしくサクっと寝るはずもなく、嵐に引き続いて祭が行われたのである。1時過ぎにマノレから電話がかかってきて、このHPの掲示板で電話しながらチャットをするという何とも無意味な祭を行い、寝床に入ったのは2時をゆうに超えていた。

 翌朝。本番当日である。10時にフィガロが車で迎えに来る予定であったが、8時過ぎにはすでに起床。起き掛けにいきなりダビスタやるわ、将軍のテンションは高いわでもう起きてすぐに体力をムダに失う。思えば、この時点で(本当は前夜祭が行われた時点で)私と将軍の買い目はなかったのだが、それに気づかないのは祭のせいである。フィガロ到着後、買い込んだ賞品群を持って乗車。くだし邸に行き、くだしとMDプレーヤー、それにくだしお手製の賞品を積んでいざ北上。が、目的地はしょうざんではなく、天一であった。しかも佛大前店に行けばいいものを、キムチにつられてか白梅町店に行く。とはいえ、私にとっても久々の天一であったから、喜びも一入。横浜ラーメンはもう食べ飽きた(普段から食べているとよっぽど天一の方が飽きる味だと思うが、その事実は将軍とフィガロの前では無かったことになるのは言うまでもない)。

 一通り腹がふくれたところで、いざしょうざんへ。賞品の確認と会場設営に時間をかけていると、T寄がやってきた。さすがに朝は強い(いつも通り動きは緩慢だったが)。また、D.Dさんが予想屋をやるべく準備をすすめていたが、予想屋は気づいたら無料になっていた。T寄に賞品を見せびらかし、痴話に時間を費やすと、それから続々と来場。試合開始20分前にさんぎょーがやってきて(淀に行っていたらしい)、全員揃う。RUQSとしては奇跡に近い集合ぶりである。主催者(将軍)、共催者(D.Dさん、裏金産業)共に時間にルーズな人が嫌いであり、そのあたりを徹底して告知していたことと、送迎バスの力であろうか。ともかく、ボウリング大会は時間通りに執り行われたのである。

 試合に先立って、将軍が開幕の宣言(ここでいう「開幕」は、「劇場の幕を開ける」ことではなく、「幕府を開く」ことであるのは、聡明な読者諸君はおわかりだろうが)。D.Dさんの祝電披露(祝電は濡れイエフさんより)。そして私のルール説明。結局テレフォンを使う人は現れなかったのが残念でならない。

 パーマーさんの始球式(BGMは「名古屋はええよ、やっとかめ」)も無事終了し、いよいよ試合開始。私は去年の競輪選手に引き続き、今年はロッテサポーターの格好&ビ○ラデ○ンの顔のプリントが入ったTシャツを着ての参戦。ゲーム内容、および結果は別頁にアップしているのでそれをご覧いただきたいが、我が6枠は散々であった。元々団体賞を獲りにいくよりも楽しければいい、という枠であったが、全体的に優勝戦線に絡むことなく惨敗。過去、10数回のRUQSボウリング大会の参加歴を持つさんぎょーが終わった後に、「自分の同枠で優勝した人はいない」という事実を聞かされ、そのジンクスが生きていたことを痛感する。ほな、2年連続でさんぎょーと同枠の私はどうしたらええねん。

 大会は、終始主導権を握り、1G,2G共に200アップのD.Dさんが2着に70点近い差をつけての優勝。現役時代からのブルペンエースの汚名を返上した。2着は激しい叩き合いとなったが、スタートでつまづいたフィガロがその差を最後まで挽回することができず、前回チャンプのウケケケケさんがきっちり連対。枠で4-8は10.8倍となった。2-4一本かぶりの売れ方だったが、抜けたD.Dさんを追う2人、という構図では的中は有り得なかった。6枠総流しをかけていた私はただバカを見ただけだった。予想屋は3点ボックスで見事的中。裏金産業推奨馬券も「D.Dのウラ」で枠単(発売はしてないが)をきっちりゲット。思えば簡単な予想だった。

 表彰式では、初優勝のD.Dさんがトロフィーを受け取った。しかしこのトロフィー、賞品の1つであるオスカー象より小さいことは内緒である。将軍がケチったツケである。その後、1人に1個ある賞品は順番にくじ引きにより渡されていった。当たり賞品として、歯磨き粉1年分はマノレが、くだし作成のカレンダーは私がそれぞれゲット。目玉の「フライパン1年分」は、3人まで残った際にあきやんが引き当てた。その前のスプリングマンには、当然のように引けず、笑いの神は降臨しなかった。この当たりが彼のヌルいところであるが、こんなことはもう見慣れたのでどうしようもない。団体賞は3Gに猛然と追い上げた1枠がゲット。うなぎパイを持ってきたT寄はそのまま持ち帰ることとなったが、併せて贈られた缶ジュース1ケース分とともに、1枠の方々のご好意によりみんなに配られた。そのせいで帰りの送迎バスにはコーラを飲みながらうなぎパイを食べる姿がそこかしこでみられる異様な光景に。運転手はさぞ驚いたであろうが、相手が客とはいえ、いくらこれが仕事とはいえ、そんな連中を送迎しなければいけないとは不幸な運転手である。

 北大路駅に着き、時間は早いが四条烏丸に向かうこととなった。ここで、回数券を使用して1人分電車賃を浮かすという将軍の提案の元、11人でじゃんけんが行われた。一斉にじゃんけんやるもんだから、なかなか勝負がつかなかったのだが、何回かのあいこの後、将軍とフィガロが勝った(これらの光景も、他人からしたら異様だっただろう)。で、2人がサシでじゃんけんをし、結局フィガロの勝利となった。将軍はただのかませ犬となってしまったのである。ボウリング大会から流れが無いのはもはや明白。これがとどめである。しかし、その後、事件が起きたのである。

 じゃんけんに負けた連中が、北大路→四条までの運賃230円をフィガロに支払、フィガロが回数券を買う、という手筈だったのだが、券売機に硬貨を入れていくと、どうも2070円(9人分)しか無い。確認をしても、みんな金を払ったという。腑に落ちないが、このままでは回数券は買えないので、仕方なくフィガロが立て替え、回数券を購入。で、配る。するとやはり1人分余ってしまった。じゃんけんには確かに11人参加していたのに、金は1人分足らず、キップは1人分余るという怪現象。じゃんけん参加者に1人1人確かめると、最後にすぐらーが

 「わし、もらってへん」

と一言。即座にフィガロ

 「お金、払いましたよね?」

 すぐらー「払ったよ」



















 「ごめん、払ってないわ」

 今日びの吉本でもやらなさそうなギャグである。一同、大爆笑。それにしても、そんな笑いの取りかたは汚いったらありゃしない。これではじゃんけんに負けた将軍も、死んでも死にきれないではないか(←とどめ)。後で掲示板に本人のカキコがあったが、じゃんけんに負けた後にキップを買ったらしい。その時点でアカンやん。

 18時半開始の「将軍をなぐさめる会」にあわせて早めに移動したが、18時という中途半端な時間に四条烏丸に着いてしまった一行。一部を除いて、早めに店に入ることにした。濡れイエフさんの一句が場内を沸かせ、なぐさめる会は大いに盛り上がった。下座に近かったフィガロのところに食べ物が固まっていた事実は見なかったことにしても、私のところにデザートが来なかったのは納得がいかん。どうしてこのサークルは昔からデザートを食べるのに躍起になるのであろうか。また、第一と第二が、「目くそ鼻くそ論争」を始め、それが将軍のツボにはまる。敢えてネタとしてやっているのはわかるのだが、この2人がばかなことを真剣にやると面白い。キャラ得である。私ではこうはいかない。

 最後にも一句を読み、将軍が吹聴したためか、隣の客はすっかり「京大俳句倶楽部」と勘違いしていたようだが、最後に恒例の三本締めを行わず、万歳三唱だけを行ったのだが、その掛け声と例のカレンダーの相乗効果により、最後にはもっとヒドい誤解を受けたようであった。まぁ、二度と会うことは無いと思うからもういいでしょう。

 続いて一行は去年と同様、カラオケへ。人数も大量なので、それなりに苦労はするかと思ったが、そこは将軍の話術で見事人数分ゲット。部屋は4、5部屋はキープできたかと思う。しかし、裏金産業ご一行(私を除く)は、カラオケとは別に夜の興業に出かけてしまった。ただ歌うだけでは満足しないようだった。結果は…。ネタがネタなので、ここで明文化するのはやめておこう。ただ、さんぎょーだけが満足した、という事実だけお伝えしておく。話を戻してカラオケ。私が入った部屋が、メンツがメンツだけにいつも通りのメドレー入れて歌いまわす歌い方を延々とやる。今回は歌手別ではなく古い方から年代別に行っていったため、近年に近づくにつれ段々とわからない歌が多くなり、いたたまれなくなってしまった。結局最近3年ぐらいはやらず、別の部屋へ行ったりしていた。時間も迫り、会計の時に将軍から予算を見せられてびっくり。なんと4割引ぐらいになっていたのである。無論、飛び込みであるし、割引券の類は持っていない。それでも、交渉次第でこの価格である。人数が多かったのが幸いしたのもあるだろうが、いくらなんでも店側もまけすぎである。将軍の交渉が絶妙だったのか、店が交渉ベタだったのか、今となってはどうでもいいが。

 この後、一行は先斗町の飲み屋で3次会の予定であったが、私はさんぎょー邸に向かった。京阪の終電一本前。樟葉行き最終である。土曜の晩の最終近い電車、さすがに座れはしなかった。七条でGo-oneと別れ、藤森で下車。さんぎょー邸に行く。すると、ソワレを行っていた4人衆がしめやかに反省会を行っていた。指名できるからといって店で自発的に手を挙げてはいけない、という結論に至ったらしい。あと、T寄の好みは今だにようわからん。

 次の日(日曜日)。7時開始のさんぎょーの号令に合わせたのは、ただGo-one一人であった。さんぎょー邸にはいつも通りKBSラジオが流れていたのである。この日は特出すべきことはなかったが、私は不調の底で、最初3半荘で和了ゼロという大ブレーキ(何に対してブレーキなんだか…)。結局T寄につきあったラス半も沈み、終わってみれば25100点以上あったことが無いというていたらく。濡れイエフさんと違い、旅打ちでの相性の悪さが露呈した。

 そんなこんなで3日間の京都滞在。今回は大賞典が本目的も、結局はバカ騒ぎをして体力が奪われただけ、終わってみれば脱力感しか残らないという結果。しかも横浜に戻って会社に行ってみると仕事がモリモリたまっていた。朝の雀荘でのバカ騒ぎとは対極に、誰もいない会社で一人静かに仕事をしている私がいた。

 敗因はすべて前夜祭にあるだろう。将軍と一緒に行動すると、その場では楽しいが、後先考えない行動に出てしまうため、トータルで失敗する。今度、幕府&裏金産業の初の海外興業を計画中だが、四六時中祭が行われるメンツでは、今から興業の失敗が見えており不安で仕方がないのもまた事実である。


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