第73回
アラブの殿堂で大賞典

 事の発端はしばらく前、将軍からのとある提案だった。

 「冠レースを権利として売っている競馬場がある」

 噂には聞いていたが、実際にあると知ったのはこの言葉を受けて調べた時だった。地方競馬は赤字続きの競馬場も多く、財源確保やこのイベントに伴う客の入りを期待してのことだろう。確認すると、いくつかの競馬場でやっているようだが、価格が違ったり平日だったりと弊害が多い。そんな中、行けそうだと判断したのは広島県は福山競馬場である。ここは個人では1万円で冠を購入することができる。仲間を増やしていけば、1人当たりの支払い分も減る。福山はサラブレッドの導入をついに決めたようだが、この段階ではまだ100%アラブのレースである。クールテツオーにも会えるかもしれない。

 そんなわけで、競馬場は福山に決定。あとは、行く手段と渡す賞品、それにメンバーの選定である。手段は最初新幹線のつもりだったが、思ったより人数が多いので車の移動が割安ではないか、ということで車に。大阪=福山で約300kmである。100km/hで飛ばしても3時間かかるところなので近いとは言い難いが…。メンバーを募ったところ、こんな馬鹿な企画にもかかわらず、9人が集まった。また、権利購入額の「1万円」は「賞品代」の名目で計上すれば良いらしく、要するに「権利購入」として別途1万円が必要、というわけではないことも確認。花束は別途購入する必要があったので、これは購入したが、それでも一人およそ2000円である。安い!!

 11/26(土)。参加者は2台の車に4人ずつ分乗し(kage氏は東京からの参戦のため、新幹線で福山入り。さんぎょーは何故か長距離バスで当日福山入り)、一路福山を目指す。2台のうち、スグノレカーは彦根から、将軍カーは京都からスタート、神戸在住のD.D氏は前日のうちに大阪の私の家に入り、当日は将軍カーが迎えに来ることとなった。ちなみに大阪に来た時間が7時。早い。早朝もいいところだ。

 途中、合流地点として定めた山陽道の権現湖PAの到着は2台とも遅刻という予想通りの結果に。しかしながら、中国道で事故渋滞にハマった将軍カーと、名神を間違えて吹田で降りたスグノレカーとでは遅刻の意味が違う。その先でも、福山東ICでスグノレカーが勝手に先に降りたはいいが駅までの道のりがわからなく電話かけてきたり、どうにも2台の呼吸は合わないまま。福山駅でkage氏を拾い、これで8人。さんぎょーは放っておいて、このメンバーで競馬場に向かうことに。

 時間もちょうどお昼どき、ということで、道すがら食料を買い込んでいくことになったのだが、なかなかコンビニが見つからない。駅から競馬場まで、1つも見つけることなくたどり着いてしまった。これでは中で多少高めのものを買わなくてはいけなくなることから、一度コンビニを探しに戻る。競馬新聞を各自購入し、これで準備万端。いざ競馬場に。

 競馬場では駐車場を2台確保してくれているとのことだったが、どうやらちゃんと伝わっていなかったようで、結局1台は事務所の前あたりに停めさせてもらったが、もう1台は一般駐車場の方に行け、と。たかだか1万円で文句を言う身分ではないのでここは素直に従う。全員そろって、関係者入場口から競馬場に入る。ちょっと偉くなった気分。でも馬糞臭い。

 中に入り、まず受付。そして今日の賞品をここで渡す。ちなみに賞品は、「第6回嵐山幕府大賞典」の銘が入った焼酎である。ところが、賞品は業者の手違いで

弟6回

 間抜けな仕上がりになっていた。将軍が業者から賞品を受け取った時、私と話合いが持たれ、そこで直す(修正用のラベルはもらっていた)かどうかの判断を下す。結論としては、「現地に行ってみんなの意見を聞いて直すかどうか決めよう」との判断にも関わらず、当日なし崩し的にそのまま渡したのは言うまでもない。

 さて、話は戻って受付でのこと。前述のコンビニで全員が競馬新聞を購入済だったのだが(手ぶらで行ってもアラブではぜんぜんわからないと皆判断したため)、受付で、おばちゃんがすまなさそうに、「人数分ないんですが…」と差し出した紙袋には、5部ほどの競馬新聞各紙と、なぜかポプリが。この紙袋、今回の記事用にと私が預かり我が家に放置してあるが、ポプリもそのままなので、競馬新聞がものすごくいい匂いがしている。

 その競馬新聞には当然のように冠名が。

こちらはちゃんと「第6回」

 ちなみに、ちゃんとWebでもアップされている。こうしてみると本当にバカなことしてるな、という気分にさせられる。これでも1万円。企業(法人は5万円)が宣伝を見込んで応募するのもわからなくはない。話題性だけはある。

 続いて来賓室に通される。この日はずっとここでの観戦となる。そもそも競馬場の来賓室なぞ、入るの初めてなので比較対象が無いのだが、イメージとしては指定席ではないが室内だしある程度好きに動き回れるスペースがある、という程度だ。ちなみに来賓席には3つの専用窓口があったが、3つとも空いていることは一度としてなかった。

来賓席の風景

 競馬場に着いたのが12:30。5レースが終わろうとしていた頃である。嵐山幕府大賞典は9レース。しかしその前に、担当者からこの日のスケジュールを聞かされる。表彰式があったり、口取りがあったりと忙しいのだ。最初、口取りはスーツを着ないとNGだ、と(将軍から)聞いていたのだが、後で担当者に聞くと「みなさん参加してもらって結構ですよ」とアッサリ。以前、うちの会社で馬を持っている先輩が川崎で勝った時、全然関係ない人も口取りに参加できたらしいので、地方ではそんなものかもしれない。ともかく、自分の一口馬が勝ちあがる前に口取りを行うという幸運には恵まれた。

 6レースのパドックを行っている時のこと。来賓席にいる方から話しかけられた。ちょっと取材をさせてほしいとのこと。いや、そんな身分でもないのに。聞くと、競馬新聞「福山エース」の樋本デスクだそうだ。福山エースでは冠レースがあると、その関係者に取材をしてwebにアップするそうである。ということでその素材を見つけるためにいろいろ聞かれた。上記リンクから探せばあるが、嵐山幕府大賞典の記事は最後にリンクを貼ることにする。なにしろ、このエッセイより読み応えがあるので先に読まれてしまうと面白くないので。取材で聞かれたことは大体がwebにそのまま記載されているが、私の年齢が将軍と一緒になっているのが困った限りである。ちゃんと取材の材料を生かしきれていないがな。私はこの時27歳。お間違えなく。この記者、デスクであるのでレースもきちんと見ていなくてはいけないらしく、取材中6レースが始まると「ちょっと待って」の声と共にレースにかぶりついていた。どんな時でも仕事を忘れないそのスタンスは立派である。このデスクに、「クールテツオーが見たい」と言ったところ、「引退した」との回答。……非常に残念である。福山に来てからのクールテツオーは精彩を欠いていたようだが、それでも私のHNの元となった馬である。一目見たかったのだが、残念だ。

 さて、7レースから私も真剣に競馬をやる。ところが、当然のように7、8レースと立て続けに外す。本命でガチガチ決まるレースが無いが、かといって全くの無印同士が来るわけでもない。ということは、軸を間違えなければ高配当、ということになるのだが(実際配当はそうなっているのだが)、軸が全く当たらない。1周1000m、最後の直線が2〜300mほどの狭い福山競馬では、勝負どころは向正面にあるのである。3角よりさらに前である。短距離だったら完全にスタートだけで決まる。で、前を行く馬を買えばいい、という結論に行き着くのである。この結論には誰もが行き着くのであるが、では「前に行く馬はどれか?」と言われるとサッパリわからんのである。

 アラブのレースをやるのは、園田以来である。園田は今やサラしかいないが、かつてはアラブのメッカだった。学生時代、インターナショナルジョッキーシリーズで武豊見たさと、吉田勝彦アナの実況聞きたさに何回か行っただけだ。その時にいた強い馬の、ニホンカイユーノス、ケイエスヨシゼンなどが今では主要な種牡馬であることを考えると時の経つのは早いものだ。当時からリーディングぶっ千切りだったスマノヒットは健在だった。もちろん、クールテツオーも強かったのだが。アラブ3冠獲りそうだったし。あと、ハッコーディオスはまだ元気に福山で走っている。

 さて、8レースも終わり、9レースのパドックが始まる。まず、来賓室から下に降りる。下では出番を待つ騎手が控室にいたが、競馬とは全く関係なく、ゴルフを見ていた。休憩中には他のレースは見ないのだろうか。さらに、横では後検量を行う場所が。こんな素人が入れるところでやってていいのだろうか。写真は逆光で見難いが、中央付近にいるのが騎手で、その横に大きい体重計みたいなものがあった。

出走表
後検量(見難いけど)

 6枠6番に、「ハイスイノジン」という、このレースに図ったかのように出てきた馬がいる。これが勝ったら、嵐山幕府大賞典のトロフィーに名前が刻まれることになるのだが、この馬は名が体を現すように毎レース背水の陣で臨んでいるらしく、今回も人気薄。しかし名前が名前なので、我々はみんなしてこの馬の単勝を購入することに。これがその馬券。レース名もちゃんと入っている。この馬、実力通りの人気にはならず、我々が来賓室を出る時は4番人気に押し上げられていた(最終的には6番人気)。

記念馬券

 次にパドックに。中からパドックを見るのは初めてだが、なんだかヘンな気分である。ここでは誘導馬に乗せてもらえる、ということで代表してぱーまー氏とD.D氏が。ちなみに鞍上に体重制限は無いらしい。ぱーまー氏、ほっと一安心。

パドックを内側から
フトメノコリ(78kg超級)

 今度は馬場の方に。ここでこのレースに乗鞍の無い騎手と記念撮影(私のカメラでは撮影せず)。その後、馬場の目の前でレースを観戦することに。場内には「嵐山幕府大賞典」の名前の由来がこんこんと説明されている。一同大爆笑。ここで読まれている原稿は将軍が書いたものをほとんどそのまま読んでいるだけに面白すぎる。

レース前に
デカデカとレース名が…

 レースは福山リーディングジョッキーの渡辺博が騎乗のイケノファイターが完勝。第6回勝利者としてトロフィーに名前が刻まれることとなった。単勝は5番人気だったが、上記のように単勝のオッズはどうとでも変わるのが地方競馬の常である。実力と人気は一致していないこともある。いずれにしても強かったのには間違いない。ちなみにこのイケノファイター、父はスマノヒットだった。まだまだ負けられないといったところか。

 レースが終われば、まずは口取り。スーツ着ようが着まいが、結局全員参加。

初体験の口取り

 さて、これが終わるといよいよ表彰式である。将軍と私がプレゼンターに。賞状や賞品を渡す。その後、なぜか私がコメントを言うことに。こんな公の場所で言うと思っていなかったので、全く言葉が出ず。終始自分の思い出を語るだけだった。「関係ないやん!!」という周りからのツッコミは全くもってその通りである。下の名前が「てつお」だからクールテツオーに会いたかったなんてことを聞かされても場内の客はしらけるばかりである。

賞状授与。将軍がプレゼンター
賞品授与。こちらは私
コメント中。内容は無いに等しい

 そんなこんなで、私のしょうもないコメントが終わり、表彰式も終了。段を降り、来賓室に戻ろうとすると、先ほど先導馬を引いていた方から声をかけられる。なんと、使い古しのクールテツオーの蹄鉄を譲っていただけるとのこと。これはありがたい。コメントでクールテツオーの話をしなかったらこんな縁もなかっただろう。ありがたく頂戴しようとしたが、現場には無かったので後でメールをくれとのこと。急いでメールしたが今のところ(12/1現在)返事なし。

 来賓室に戻り反省会。コメントがつまらんというさんぎょーの忠告を受けてしまった。さんぎょーは一人来賓室に残り荷物番をしていたのだが、放送で大学名が出された時、同じ来賓席にいた別の客から「立命館のサークルと言えば…」とわずか1つのヒントでサークル名を当てられ、その後根掘り葉掘り聞かれたそうな。さんぎょーがたじたじになる姿も見たかったが、それよりそんなヒントだけで当てたその人を褒めたい。昔の栄光はまだ福山では色褪せていない模様だ(そもそも競馬をやりに来ている時点でクイズ研と関係ないのに)。

 気を取り直して最終レース。園田で馴染みのあるハッコーディオスが出ていたのでここから買うとアッサリ勝利。最終レースにして、私はようやく1つ馬券を当てた。ハッコーディオスになんぼか助けられたが、トータルはもちろんマイナス。しかし馬券よりいろいろ楽しめたことと、もしかしたらクールテツオーの蹄鉄をもらえるかもしれないという期待を抱き、福山競馬の遠征は終了した。

 晩にはさんぎょーが単独行動のため欠け、そのほかに福山在住の赤ヘノレ氏とN畑氏を迎え、10人で飲み会。いつものように馬鹿な話に終始し、内容の無い会話が取り交わされるのであった。

 翌日は尾道ラーメンを食べに尾道に。写真を撮ることもないので見どころなし。12時に解散となったが、わずか3時間余りで帰阪。ジャパンカップを我が家のテレビで見るという快挙を成し遂げた。復路のスグノレカーは私とスグノレの二人だったが、1年前の北海道旅行から成長は見られるものの、荒い運転に変わりはなかった。スピードある分だけ今の方が怖い。

 思い出作りとしては充分なツールとなりうることが今回の旅で証明された。近場にあればいいのだが、福山はさすがに遠い。次回第7回嵐山幕府大賞典はいつものように(何もなかったかのように)ボウリング大会が行われることだろう。その時のトロフィーを見て驚くのは、今回のイベントに参加せず、この記事を見ていない人だけなのだろう(っているのか?)。

 エースの記事はこちらから。秀逸です。本名出てますが気にしないように。


目次へ