世界の代表的少年合唱団・聖歌隊


  世界には数え切れないほどの少年合唱団や聖歌隊があり、実力が未知数のものや、実力を持ちながら、南アフリカにあるために、少年合唱ファン以外にはあまり知られていないドラケンスバーグ少年合唱団のようなものもあります。ここでは、世界の少年合唱団のうち、日本にもよく来日し、レコードやCDも発売されている合唱団のうち、代表的なものをとりあげてその特色を紹介し、感想を述べていきます。それぞれの合唱団は、設立の理念が、歌にも反映しています。また、発声にもその合唱団の色彩のようなものがあって、それを知ることによって、聴く楽しみも増すと考えられます。

    ① ウィーン少年合唱団 (Wiener Sängerknaben)

 日本で、「少年合唱団」と言えば「ウィーン」という連想ができるほど有名で、2~3年に1度の来日も定期化し、映画にも何本か出演し、何冊もの本が出ています。歴史的なことについてはヴィテシュニック著の「ウィーン少年合唱団」やティール著の「天使はうたう」に詳しく書かれています。ハプスブルグ王朝の宮廷附属少年聖歌隊を前身とし、1498年、マクシミリアン1世が正式に初代指揮長を任命して発足しました。その後、宮廷の礼拝堂でのミサを捧げることをもって任務としていましたが、第一次世界大戦で、ハプスブルグ家の崩壊と共に解散されました。それを再建したのがヨセフ・シュニット神父です。シュニット神父は、自分の財産を整理して聖歌隊を合唱団として再建しただけでなく、歌って収入を得るという自給自足の考え方で合唱団を運営し今日に至っています。
  寄宿制度をとり、アウガルテン宮殿での合唱訓練は、個人指導に力を入れ、技術的にも高度な練習を行っています。また、確実に技術を修得できるまで時間をじっくりかけ、絶対に曖昧な妥協を許さないとのことです。
  レパートリーは、宗教曲をはじめ、ドイツ・オーストリア系の作曲家の歌曲、民謡やオペラの合唱、オペレッタ、ウィンナ・ワルツ、公演先の国の歌など多彩です。また、最近ではポップスにまで進出してきました。とりわけウィンナ・ワルツは、ウィーンっ子でなければ歌えない洒落た味わいを持っています。声はやや細いが、これによって独特の繊細なやさしさや可愛らしさを表現できます。また、透明感のある清澄なハーモニーが魅力です。私は、1960年代から現在までのレコード・CDをかなり持っていますが、音質は現在のものがよいものの、歌そのものは、古いレコードの方がよいと思います。「モーツァルトの子守歌」「ブラームスのワルツ」、シューベルトの「いずこへ」「楽に寄す」「ます」、メンデルスゾーンの「妖精の歌」、ドレクスラーの「美しい兄弟よ」など少年の歌と思えないほど完成度の高い見事なできばえです。最近の実力低下は、世界的に変声期が早くなったために訓練期間も短く、また、深い歌の心を理解して歌うほど成熟していなかったためとも考えられます。1960年代は14歳の団員がかなりいたが、今は、13歳まで残ればよい方であるといいます。これは、少年たちの責任ではありません。また、レパートリーを広げるということは、それだけ深みという点で弱くなります。以前は、第1部宗教曲、第2部オペレッタ、第3部歌曲、民謡、ウィンナ・ワルツという構成でしたが、最近では第1部宗教曲、第2部歌曲、民謡、ウィンナ・ワルツ等という構成で、特に第2部は楽しませることにも配意したステージとなっています。
  さらに、最近では、団員構成もオーストリアとその周辺国だけでなく、インターナショナル化していて、日本人の団員もおり、カイ・シマダやヒビキ・サダマツが団員として凱旋帰国しています。団員の9割がオーストリア出身だが、米国やカナダ、ドイツ、中国など各国から入団し、2010年の最新情報日本人も5人いるそうです。しかし、これは裏返せば、国内で団員を確保できなくなったということです。入団希望者がピークだった1950~60年代には約30人の募集枠に500人以上が殺到していました。しかし、希望者は減り続け、競争率は最近では2~3倍に落ちているそうです。これでは、人数の問題と共に音楽の質の問題が問われそうです。
  さて、近年は創立500周年を祝う一方で、女性として初めて芸術監督に就任したアグネス・グロスマンが経営陣と衝突して辞任するという激動ありましたが、そのような対立の影響も少年たちの歌に微妙に影響しているかもしれません。そんなこともあって、一時は、芸術監督にOBでもあるバイロイト音楽祭を今日の水準にまで引き上げた合唱指揮者でのノルベルト・バラチュが就任しました。その後、2001年には、経営陣が交替し、元団員のゲラルト・ヴィルトが芸術監督、元団員のオイゲン・イエーサーが団長、さらには理事長に就任しました。ところが、イエーサー団長・理事長は、2008年5月11日、ウィーン少年合唱団の来日中に急逝。後継として、ゲラルト・ヴィルトが兼任することになりました。それによって、ますますインターナショナル化とエンターテイメント化が進んできています。
また、最近では声変わりすれば退団という伝統や厳格な寮生活が豊かな時代に育った子どもや親たちに受け入れられなくなり、入団希望者が激減していると言います。これに対応するため、合唱団では退団後の音楽大学進学を支援する付属学校の新設といった対応に乗り出しました。2012年12月、専用の劇場が完成。初日にはウィーンフィル管弦楽団の演奏に合わせ、ミサ曲などを披露しました。最近では、日本にも毎年春から夏に来日しているので、その動向は把握しやすくなってきました。

       ② パリ・木の十字架少年合唱団 (Les Petits Chanteurs a la Croix de Bois)

 20世紀末には毎年のように、年末日本を訪れていたこの少年合唱団の歴史は、最近では数年に1度ぐらいの来日になりました。創立はわりあい新しく、1907年に誕生しています。ローマ法王ピオ10世の「静かなまごころの歌を」という呼びかけに応えた大学生たちが、貧者の一灯のお金を出し合ってパリの下町に作ったといいます。少年たちがまとう白い侍者服の上の十字架が金や銀でなく木の十字架であるところに、誕生期の理念を感じます。パリのサンジェルマン・ロセロワ教会で最初のオーディションが行われ、彼らの美しく純粋な声は大反響を巻き起こし、あっという間にフランス国内にその名が知れ渡りました。寄宿制度をとっていますが、個人の自由を尊重するフランスの伝統に基づいて、勉強や、合唱訓練がすめば、かなり自由に自分の生活を楽しんでいるそうです。
 さて、創設当時は主に宗教曲だけをレパートリーとしていましたが、1924年以降、若き神父Abbe Mailletにより、フランスの世俗曲や外国の曲(フランス近代歌曲、童謡、民謡、世界各国の民謡や黒人霊歌など)もレパートリーに取り入れるようになりました。特に、グレゴリオ聖歌隊としても世界で最もすぐれた合唱団という評価を得ています。合唱団はこれまで世界80か国以上でツアーを行い、ローマ教皇ヨハネ23世は彼らに愛情を込めて「私の小さな平和の使者」という呼び名を与え、「平和の使徒」の名称が「パリ木の十字架少年合唱団」の別称として正式に与えられています。日本では「パリ木」という愛称でも親しまれています。この合唱団の歌は、ラテン的な明るくかん高い声で、鼻頭に響く明るく張りのある発声が特徴です。ソリストも確かな実力を持っていて、調和したハーモニーよりは、むしろ一人ひとりの声や歌を聴く方が面白いと感じます。   

      ③ テルツ少年合唱団(Tölzer Knabenchor)

 1980年代以後に、日本でもたいへん有名になってきたテルツ少年合唱団は、モーツァルト生誕200年の年1956年に組織されましたので、その歴史はまだ浅い方だと言えます。発祥の地バート・テルツは、バイエルン州・ミュンヘンの南に位置する温泉町です。指揮者、ゲルハルト・シュミット=ガーデン(Gerhard Schmidt-Gaden)が、郷里の有力者の後援を得て、理想とする少年合唱団を作り、現在まで60年間(2016年現在)彼によって指導されています。指導者が変わらないということは、一貫した指導が行われているということにつながります。団員の少年は200人を数え、4つのグループに分かれて活動しています。カンマーコーアと呼ばれる、最高実力のソリストのみが入れるクラスから、数々のオペラ(少年役)への出演、大曲への録音参加など精力的に活動を続けています。この合唱団の特徴は、宗教曲も歌いますが、教会に所属せず、少年の声の美しさをどこまでも追求し、むしろ、積極的にオペラ等に出演している点です。また、寄宿制度をとらず自宅から通っている点も、前述した少年合唱団と異なります。
 ヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、カール・リヒター、ラファエル・クーベリック、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ピエール・ブーレーズ、ニコラウス・アーノンクール、リッカルド・シャイー、など世界を代表する多くの指揮者やヨーロッパの主要オーケストラと共演していることも特筆できます。それは、その実力の証でもあります。
 従って、レパートリーも従来の少年合唱団よりもずっと広く、宗教曲からアニメ・ソングまでバラエティに富んでいます。また、オペラのソロパートを歌う少年もたくさんいます。また、発声は、かなり胸声の混じった声であり、清澄な美しさよりもむしろ、少年らしい溌刺とした力強さを感じます。日本へは1986年から4回来日していますが、漫画家たらさわみちの「バイエルンの天使」で紹介されることによって、広く知られるようになりました。また、アラン・ベルギウス、ハンス・ブッフヒール、クリスチャン・フリークナー、ルートウィヒ・ミッテルハンマーなど、近年のボーイ・ソプラノの歴史に名を残すソリストも輩出しています。

      ④ レーゲンスブルグ大聖堂聖歌隊(Regensburger Domspatzen)

  高僧ビスチョフ=ヴォルフガングによってレーゲンスブルク大聖堂付属学校が設立されたのはは975年とされていますが、聖歌隊の歴史はさらに300年遡るものと考えられます。ドームシュパッツェン(Domspatzen)=“大聖堂の雀たち”の呼称で知られています。ドナウ川の最北点に位置するレーゲンスブルグは人口10万人ほどの小都市ですが、この聖歌隊は学校形式をとり、南ドイツ各地から集まった少年たちが寄宿生活をしながら合唱活動をしています。彼らは、公式に任命された「ユニセフ大使」であると同時に「ヨーロッパ文化親善大使」でもあります。さて、この聖歌隊は、20世紀初頭から公演旅行も行ってきました。1937年には南米を訪れ、後にはアフリカやアジアにも客演しています。また、この合唱団は30年にわたって、先代のローマ法王 ベネディクト16世の兄である、ゲオルク・ラッツィンガーに率いられていました。ヴァチカンでの2つのコンサートを録音したCD (2005年) は、クラシック音楽チャートのベストセラーになっています。
 ミサに出演するのはもとより、テレビ・ラジオ・CDと活躍し、レパートリーは、グレゴリオ聖歌や多声音楽を中心にし、バロック・古典派・ロマン派の合唱音楽を得意としています。18歳まで在籍できるため、年齢層も広く、ア・カペラの8声の合唱曲でも構成がしっかりしています。歌声は凛として虚飾がなく、それが子の合唱団の魅力でもあります。日本公演でも、観客に媚びることなくその持ち味を発揮した演奏をしていました。

      ⑤ モンセラート少年聖歌隊 (Escolania de Montserrat)

 世界的チェリスト カザルスを生んだスペイン北東のカタロニア地方バルセロナから北西60キロ離れた標高 1235メートルの山の中腹に建てられたモンセラート修道院の附属音楽学校少年によって構成された聖歌隊で、1307年の創立という歴史を持っています。この修道院に附属して建てられたエスコラニア音楽院では、現在、厳しい試験を通過した10~14才の約40~50名の少年たちが、寄宿舎生活をしながら学んでいます。また、大聖堂では、毎日午後1時と7時にミサが行なわれていて、ここで、歌っています。グレゴリオ聖歌を中心にした宗教音楽をはじめカタロニア民謡や現代曲までをレパートリーとしており、1982年の来日公演では、明るく伸びやかな演奏を聴かせてくれました。また、ビクトリアやモンテヴェルディの作品をはじめ多数の録音を残しています。

      ⑥ 聖トーマス教会合唱団(Thomanerchor)

 1212年、オットー4世が、聖トーマス教会付きアウグスティノス修道会とその附属学校の創設を承認することによって、この聖歌隊も誕生しました。附属学校は、当初聖職者の育成を目指していましたが、まもなく、修道会に寄宿していない少年も受け入れられるようになりました。教育内容には、当初より典礼の歌が含まれていました。
教育内容には、当初より典礼の歌が含まれていた。10歳から18歳の少年達は寄宿生活を送りながら歌っています。変声前のソプラノ・アルト、変声後のテノール・バスによる四部編成で、団員は約100名です。歴史的にみても、1409年のライプツィヒ大学創立祝賀会などにもかかわり、合唱団の歴史はこの町の歴史そのものとも言えます。団員はトマーナー(Thomaner)、合唱団を指導する音楽監督(カントル)はトーマスカントル(Thomaskantor)と呼ばれ、著名なカントール(教会の音楽監督)たちが次々に生まれたが、その最初の人がゲオルク・ラウです。なお、この時期は、宗教改革の時期とも重なり、彼の2年間の在職期間は、マルティン・ルターとヨハン・エックとの有名な公開論争(1519年)の時期にあたっています。
 この合唱団を世界的にしたのは、J.S.バッハがその後半生の27年間カントール(合唱長)を務めてきたことによります。バッハは、この合唱団に大きな影響をもたらし、その受難曲、オラトリオ、カンタータ、モテットなどは、この合唱団によって初演され、今でも主要なレパートリーとなっています。
 ヨハン・ヘルマン・シャイン、ヨハン・クーナウ、J.S.バッハ、カール・シュトラウベ、ギュンター・ラミンなど著名な人物が多いことでも知られています。とりわけ、バッハは27年間にわたって合唱団を率い、共に『ヨハネ受難曲』『マタイ受難曲』などを初演しました。先代(1992年 - )のトーマスカントール ゲオルク・クリストフ・ビラー(Georg Christoph Biller)は、長年にわたってこの合唱団を率いてきましたが、健康を理由に辞任し、後継候補者の中からゴットホルト・シュヴァルツ(2016年 - )が選ばれました。合唱団員は寄宿舎で、様々な年齢によって構成される10から12名ずつの縦割りのグループに分けられて、共に生活し、学校へ通います。このような下級生の教育に上級生が携わるシステムは、長い歴史によって培われたものです。1975年の初来日以来何度も来日しています。

    ⑦ ドレスデン聖十字架合唱団 (Dresdner Kreuzchor)

 
ドレスデン聖十字架合唱団は、1300年(1206年説もあります)、東部ドイツの古都ドレスデンの聖十字架教会付属の学校として誕生しました。聖トーマス教会合唱団と並んでドイツで最も古い少年合唱団のひとつとして、中世の典礼の伝統をいまに伝えています。第二次世界大戦末期にはドレスデンが空襲を受けて、建物にも人にも大きな被害を受けましたが、戦後再建され今日に至っています。バロックの作曲家 シュッツをはじめ、バッハ、モーツァルトなどの作曲家や文学者のゲーテなどの絶賛を受けました。ドレスデン聖十字架合唱団には、附属の寄宿舎つき学校があり、少年歌手たちはドレスデン=シュトリーセンに位置するクロイツギムナジウムに通い、卒業後は全寮制の学校に就職します。ドレスデン聖十字架合唱団は数多くの著名な音楽家を輩出しており、テオ・アダム(バス・バリトン 1926~ )、ジークフリート・ハインリヒ(指揮者 1935~ )、ペーター・シュライアー(テノール 指揮者 1935~ )、ルネ・パーペ(バス 1964~ )、ハンス=クリストフ・ラーデマン(指揮者 )等は、世界的によく知られています。
  近年の最も有名な合唱指導者(クロイツカントル)は、作曲家でもあった常任指揮者のルドルフ・マウエルスベルガー(1889年 - 1971年)で、マウエルスベルガーは、有名な晩課祷を発展させ、毎年クリスマスの折にその音楽礼拝を行うようになりました。現在のクロイツカントルは、ロデリヒ・クライレ(1956年~ )が務めています。
  現在合唱団こは9歳から19歳までの約150人が所属。聖十字架教会での礼拝や多くのコンサートを行っています。レパートリーは初期バロック作品から、バッハの受難曲、カンタータはもちろん、現代作曲家の作品や民謡まで多岐にわたっています。また当地の名門オーケストラであるドレスデン国立歌劇場管弦楽団、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とも定期的に共演しています。日本でも1979年の初来日以来何度も演奏会を行っており、芯のあるきりっとした歌声が特色の一つです。

      ⑧ ウインズバッハ少年合唱団(Windsbacher Knabenchor)

  ウインズバッハ少年合唱団は、ドイツのニュールンベルク近郊のウインズバッハにある合唱団で、1946年に元ドレスデン聖十字架教会合唱団のメンバーのハンス・タームによって創設されました。タームは、自分の音楽理想を実現するため、故郷のウインズバッハにこの合唱団を作ったそうです。タームの夢はカール=フリードリッヒ・ベリンガー(2012年まで常任指揮者)に引き継がれ、世界的に知られるようになります。
  この合唱団は、教会に所属する聖歌隊ではなく、寄宿学校を母体とした9歳から20歳までの混声合唱団です。もちろん、教会でも宗教曲を歌いますが、特色あるレパートリーは、ルネッサンス期からバロック期にかけてのマドリガルとドイツ民謡で、日本でも2枚のCDが発売されることによってその実力が知られるようになりました。とりわけ、ア・カペラは、清澄な響きが際だって美しいです。正確な音程と一糸乱れぬ完成度の高さをもっています。
 日本には平成7(1995)年に来日しましたが、それに合わせて「インスブルックよ、さようなら」「ブルックナー:アヴェマリア」の2枚のCDが発売されました。また、最近ではバッハ「カンタータ集」、「クリスマスオラトリオ」、モーツァルト「レクイエム」、シューベルト「ミサ曲第5番」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」などを録音しています。

      ⑨ ドラケンスバーグ少年合唱団(Drakensberg Boys' Choir)

 1967年に創立された南アフリカの少年合唱団。地理的に離れていることもあって、日本では最近まであまり知られていませんでしたが、1992年ポーランドで開催された世界少年合唱団フェスティバルに参加し、他の名門の合唱団と競い合い、最優秀賞を獲得したことで世界的に知られるようになりました。日本へも1997年の初来日以来何度も来日しています。レパートリーは宗教曲からアフリカ民謡まで多彩ですが、何よりもアフリカ民謡では、身体を大きく揺らせながら歌うので、最初は驚かされます。また、楽しく踊りながら歌う歌もあります。しかし、それでいて音楽が崩れるということは全くなく、むしろ強靱なリズム感に支えられて歌が存在することを実感します。また、人種が混ざり合っていることもあってか、歌声も声質の異なる高音から低音まで幅広く、変声前の少年たちの歌声独特の甲高さがなくソフトに聞こえます。当然のことながら、混声合唱団です。そのようなことから、録音だけでこの合唱団の真の魅力をつかむことはできません。
  7歳から16歳の団員たちは、ドラケンスバーグ少年合唱学校に所属し、南アフリカの緑に包まれた高原の自然の中にある丘陵地帯にある寄宿学校で生活しながら音楽を学んでいます。

       ⑩ ウィーンの森少年合唱団(Die Sängerknaben vom Wienerwald )

 1921年、ウィーン近郊のメートリング市の聖ガブリエル教会でミサや祭礼のためにスタアニスラウス・マルスゼック神父によってこの少年合唱団は、創設されました。最初の1年はセント・ガブリエル少年合唱団という名前でしたが、「ウィーンの森少年合唱団」に改名しました。名前も制服も似ているためか,昔は、なにかとウィーン少年合唱団と比較されることがありましたが、ウィーン少年合唱団との大きな違いは、寄宿生活ではなく団員の少年たちが、聖ガブリエル教会の宣教師神学学校付属の音楽教室へ通って音楽を学び、訓練を受けていることです。年齢は7~8歳から14歳(変声前)までと制限されています。従ってボーイ・ソプラノだけの合唱団です。1968年以来10回以上来日しており、そのコンサートに接した人も多いですが、レパートリーは、宗教音楽、シューベルトやモーツァルト等の作品、「ヘンゼルとグレーテル」などのオペレッタで、ステージもそのような構成になっています。歌声は、ストイックな響きよりも、明るく、軽く、伸び伸びしたもので、それがかえって宗教音楽に疎い少年合唱ファンに広く受け容れられています。千鳥屋のCMにも登場しています。また、世界各国にも演奏旅行をして有名になりましたが、2014年に解散したようです。

      ⑪ ウエストミンスター大聖堂聖歌隊( Westminster Cathedral Choir)

 ウェストミンスター大聖堂とウェストミンスター寺院とその聖歌隊は、名称が似ているので混乱する人もいます。ウェストミンスター大聖堂(Cathedral)はイギリスにおけるカトリック教会の総本山であり、ウェストミンスター寺院(Abbey)は英国国教会です。ウェストミンスター大聖堂が誕生したのは1903年(1901年説もあります)と20世紀になってからで、同時に聖歌隊学校も創設されました。聖歌隊は、少年聖歌隊員と成人男性聖歌隊で構成されています。少年聖歌隊員のリハーサルは毎日早朝、聖歌隊全体のリハーサルはそれぞれの典礼の前に行われています。この聖歌隊は、イギリスの伝統的歌唱技術を守りながらも、ややラテン系の音色が少し混じったような独特の音色を持っているように感じます。

      ⑫ ウェストミンスター寺院聖歌隊 (Westminster Abbey Choir)

 ウェストミンスター寺院(アビー)は、歴代イギリス国王の戴冠式が執り行われたり、英国王室の葬儀が行われたりする場所でもあります。近年ではダイアナ元妃やエリザベス皇太后の葬儀も行われ、記憶に新しいところでは全世界で放映されたウィリアム王子の結婚式が2011年にありましたが、これらの儀式で賛美歌を歌っていたのがウェストミンスター寺院聖歌隊です。ウェストミンスター寺院の歴史は古く、7世紀のベネディクト修道会にまで遡りますが、少年聖歌隊が歌うようになったのは1384年からと14世紀末になってからです。その後、宗教改革を経て、1560年、エリザベス1世の勅許により現在の教会が誕生した。設立当初、寺院の聖歌隊のメンバーは10名の少年と12名の成人男性だったそうです。18世紀には、ヘンデルのオラトリオの多くがウェストミンスター寺院聖歌隊のメンバーによって定期的に演奏された。現在、聖歌隊は少年聖歌隊員と成人男性聖歌隊員からなり、8歳から13歳までの少年たちが寺院内にある学校で寄宿生活を行っています。イギリスのほかの聖歌隊の少年が一般の学生とともに寄宿生活を営んでいるのに対し、ここでは少年聖歌隊院のみが学んでいます。ウェストミンスター寺院聖歌隊学校は、少年聖歌隊員を育成するために特別に作られた学校です。少年聖歌隊の生活の中心は、ウェストミンスター寺院です。早祷(朝の祈り)や晩祷(夕べの祈り)典礼に彼らの存在は欠かせません。また、さまざまな国家行事に参列することも多くあります。近年は演奏活動やレコーディングにも積極的に参加しており、アメリカ、ドイツ、オランダ、ロシア、ポーランドなどでも演奏ツァーを行っています。2000年よりジェームズ・オドネルがオルガニスト兼少年聖歌隊員監督を務めています。オドネルは英国王立音楽院のオルガン教授を兼任しています。

      ⑬ チューリッヒ少年合唱団 (Zürcher Sängerknaben )

  
スイスにあるチューリッヒ少年合唱団 は1960年にアルフォンス・フォン・アールブルグによって創設されました。現在も様々な背景や宗教の100人以上の団員を擁し、聖歌隊としての活躍だけでなくヨーロッパや各地やアメリカを演奏旅行しています。多くのヨーロッパの少年合唱団のように、混声合唱団です。また、カラヤンをはじめとする世界的な指揮者のもとで歌っています。また、最近脚光を浴びているチューリッヒ歌劇場にも「魔笛」の三童子の役でよく出演しています。日本でもCD「アヴェ・マリア」が発売され、その歌声に接することができます。歌声は、強烈な個性はありませんが、清澄で柔らかな響きで心休まることが特色です。また、このCDにはダニエル・ペレットというボーイ・ソプラノのソリストが4曲歌っているが、この合唱団の団員かどうかは不明です。また、最近のソリストとしては、ヨナ・シェンケル(Jonah Schenkel)が秀逸です。

      ⑭ モスクワ・アカデミー少年合唱団 (Boys Choir of the Moscow Choral College )

  モスクワ・アカデミー少年合唱団は、1944年アレクサンドル・スヴェシニコフ(1890~1980)によって設立された「モスクワ合唱アカデミー」の精鋭による合唱団です。創立当時は、宗教をアヘンとするスターリン治世下のソビエト連邦時代であり、聖歌隊は音楽の表舞台からほぼ完全に消えていましたが、合唱の伝統は絶えることはありませんでした。古くよりロシアでは、典礼で楽器を認めず、典礼を美しく歌うというキリスト教の古い伝統があり、この合唱の伝統が守られていました。このアカデミーは、小中学校8年、専門高等学校3年の11年制で、その上に大学課程をもっています。ソビエト連邦が崩壊し、宗教音楽も復活した今、レパートリーはロシアの音楽が中心ですが、西欧の音楽も重要な位置を占めています。1970年から、ロシアを代表する合唱指揮者の1人であるヴイクトル・ポポフ教授が音楽監督を務めています。このアカデミーは、ロシアの合唱界・声楽界の中で重要な位置を占めており、数多くの著寧な音楽家を輩出しています。初来日は1993年で、それ以来3年おきぐらいに来日しています。ア・カペラによって歌われる混声合唱は重厚で、その歌声は伸びやかで、ロシア民謡でその魅力は遺憾なく発揮されています。

      ⑮ カンターテ・ドミノ少年合唱団(ベルギ一少年合唱団 Cantate Domino )

  ベルギー少年合唱団「カンターテ・ドミノ」は、1959年(1960年説もある)ブリュッセル近郊の街アールスト市で、合唱指揮者でもあるミヒャエル・ギース(ゲイス)神父により創設されました。メンバーはブラッセル近郊のアールストにある聖マールティン中高等学校の生徒と卒業生で構成されています。
  現在合唱団には約50人の少年が所属し、当市の中等学校である聖マルタン枚の在校生と卒業生から構成されています。教会のミサでの歌唱がその活動の中心です。ベルギーを代表する合唱団として、クラウディオ・アバド、小澤征爾、コリン・デイヴィスなど世界的な指揮者と共演する機会も多くあります。この半世紀で、すでに世界33か国にて公演。レパートリーは教会音楽が中心ですが、グレゴリオ聖歌から一連のアカペラのポリフオニー曲、バロックおよびロマン派、そして近代の音楽、フランドルの現代作曲家の教会音楽から世界各地の民謡までこなしますが、合唱音楽の本家であるフランドルを代表するこの合唱団の実力はポリフォニーによって発揮されます。日本では1981年に初来日公演を行って以来、5回来日しています。最近では、東日本大震災の翌年、福島県および宮城県の合唱団と共演しています。 

       ⑯ チェコ少年合唱団“ボニ・プエリ”(Czech Boys Choir Boni Pueri)

  チェコ少年合唱団“ボニ・プエリ”はチェコの東ボヘミア地方の中心都市フラデツ・クラコヴェを本拠地とする少年合唱団です。 1982年11月にイルジー・スコパルによって、同地方で初めての少年合唱団として、人々の期待をうけて設立されました。現在の指揮者は、パヴェル・ホラークです。少年合唱団といっても、4歳から23歳までの青少年約350名による混声合唱団で、重厚な音楽を聴くことができます。この合唱団の団員育成の特色は、5年間にわたり合唱の他、音楽理論、発声法、イントネーション、ピアノ、演劇論を勉強し、その卒業生の中で優秀な卒業生がこの合唱団のコンサート部門に入団することができるというシステムで、これによって質の高い音楽性を確保しています。2006年よりボニ・プエリ音楽学校がチェコ文化省より教育機関として認可され、さらに幅広い音楽活動、教育活動を行っています。チェコの音楽文化の伝統を受けついだ合唱団でありながら、洗練されショーアップされたステージを繰り広げ、観客を楽しませることも大切にしています。国際的な音楽祭への参加やオペラ出演や出演各国への演奏旅行もよく行っており、日本にも2000年12月以来7回来日しています。初来日の時は、子どもたちのオペラ『ブルンジバール』の日本初演を果たし、マスコミでも大きく取り上げられました。また、このオペラに取り組む様子と日本初演がテレビ番組でも取り上げられ、初来日ながら各方面で多くの注目を浴びました。日本との関係は、東日本大震災復興のためのチャリティコンサートを開いたりすることでさらに深まっています。

       ⑰ 聖フローリアン少年合唱団 (St. Florianer Sängerknaben)

 聖フローリアン少年合唱団は、オーストリア中部のドナウ河畔の都市リンツのの南東10マイルにある聖フローリアン修道院に付属する合唱団です。この聖歌隊に所属し、後年にはオルガにストを務めたブルックナーのゆかりの地として有名ですが、歴史的には、1071年と9世紀までさかのぼることができます。出身者で最も有名な作曲家はアントニー・ブルックナー(1824〜1896)であり、12歳の合唱団に入隊し、1855年に生徒、合唱団、バイオリニスト、オルガン奏者、作曲家、教師として結成され、休暇中や退室時には、部屋に泊まり(ブルックナージム)、常に彼のために準備を整えました。そのように本来、教会に奉仕する聖歌隊であるため、全員、寄宿舎生活を送る少年たちのみで編成されています。
  現在、この合唱団の団員は、約30人でほぼ8~10歳から14歳までで組織されています。彼らは壮大なバロック様式の宮殿である修道院で歌いますが、学校は地元の州立学校に通います。修道院施設にはコンピュータ室、サッカー場、スイミングプール、体育館があります。団員は、セーラースタイルのダークブルーとホワイトのユニフォームを着用し、隣接する写真に示されているように、合唱団の赤と白のバッジが飾られています。合唱団は主にアビーのサービスで歌うために存在しますが、リンツ、ザルツブルグ、ウィーンなどのオペラやコンサートの演奏にも参加しています。 1983年以来の芸術監督は、以前はウィーン少年合唱団との7年間の指揮者であったフランツ・ファーンバーガー教授です。その合唱は初来日したことは、どちらかというと素朴で地味な感じがしていたのですが、最近では、アロイス・ミュールバッヒャーのような色っぽい女声を思わせるようなソリストも輩出しており、歌声にもボリュームが増しています。日本にも1987年以来何度か来日しています。


      ⑱ アウグスブルク大聖堂少年合唱団 (Augsburger Domsingknaben)

 ドイツ南部のロマンティック街道に位置するアウグスブルクは、ローマ人が築き、ルネサンス期に最盛期を迎えましたが、南ドイツの音楽の中心地の一つでもありました。モーツァルトの父レオポルト・モーツァルトのの出身地としても知られており、現在もその生家が残っています。アウグスブルクの大聖堂に専属する聖歌隊は、1439年に誕生していますが、レオポルトも少年時代に所属していました。大聖堂の守護聖人である聖母マリアにちなみ、聖歌隊の少年たちは「マリアーナー」と名乗っていました。ところが、その後、19世紀の1865年までに一度活動が途切れてしまいます。現在の少年合唱団は、1976年に大聖堂のオルガン奏者のラインハルト・カンマ―(Reinhard Kammler)によって新設されたもので、変声前の少年達と大人の男性で構成されています。ラインハルト・カンマ―は、1995年に音楽監督に就任しました。レパートリーでは、グレゴリオ聖歌をはじめバッハ、ハイドンなどの宗教音楽に加えて、ドイツ民謡などもあります。週末ごとに本拠地である大聖堂のミサで多彩な合唱曲を披露するほか、ドイツ国内やオーストリアなど国外でのコンサート、イベントでの合唱、録音などさまざまなシーンで活動しています。日本では、1993年に来日公演を行っています。この聖歌隊の歌声は柔らかく、ドイツ系の聖歌隊に多い硬質の歌声とは違います。


⑲ モナコ少年合唱団(Les Petits Chanteurs de Monaco)

 ヨーロッパの高級リゾート地として知られる面積的には世界で2番目に小さいローマ・カトリックの国モナコ公国のモナコ大聖堂の聖歌隊の少年パートが、モナコ少年合唱団です。その起源は18世紀前半のアントワーヌ1世の時代まで遡りますが、現在の聖歌隊の形(テノールとバスの男声とアルトとソプラノの少年の声を用いる)が整ったのは1904年です。1904年にモンシニョール・ペルショが音楽監督を務めるようになって以来、ヨーロッパにおける教会音楽の復活の一躍を担い、またその後はルネッサンス音楽を歌うことによって、ヨーロッパでも有数の合唱団といわれるようになりました。とりわけ、1974年にピエール・デュバが音楽監督に任命されると、世界中でツアーをするようになり、それに伴って、メンデルスゾーンの歌曲からシャンソンまでとレパートリーの幅も広がりました。特にフランス南部に近いという地理的状況と公用語がフランス語であることから、フランスものを得意としています。「リトル・シンガーズ・モナコ」と呼ばれ、モナコの国民から愛される少年合唱団は、レニエ3世王子から、モナコの歌う若き文化大使と命名されました。試験に合格した8歳以上の少年たち最大36名によって構成される合唱団は年3回のツアーを行っています。1999年から息子のピエール・デバが合唱・音楽監督を務めていこれまでにイタリア、スペイン、ドイツ、ポーランド、デンマーク、ベルギー、オランダ、スイス、オーストリア、エジプト、アメリカ、カナダ、日本、韓国、東ティモールなど、30か国以上を訪れています。日本には1986年に初来日以来、89年、94年に来日公演を行い好評を博し、2016年にも久しぶりに来日公演を行いました。




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