| 広島少年合唱隊 |
| プロフィール |
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| 少年のための5つのソング「君がいるから」 |
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| CHILDHOOD DREAMS WORLD PEACE CONCERT |
| 広島少年合唱隊第43回定期演奏会 |
新指導体制のもとで
今年度は、広島少年合唱隊にとっては激変の年となりました。それは、これまで指導の中心として活躍されていた登副隊長先生が広島市教育委員会指導主事にご栄転され、副隊長として隊に残られたものの、教育委員会の仕事が激務のため、新指導体制を組む必要があったからです。それは、声楽家である平田先生ご夫妻をメインに据えた指導体制という形で実現しました。今回の定期演奏会では、平田昌久先生の指揮、ヴォイストレーナーの平田玉代先生という布陣により、これまでの特色に加えしなやかな表現とまろやかな発声という成果として現れました。
また、隊員の構成を見ると、小学生30人に対して、中学生・高校生で構成されている研究科が20人(変声前4名)と男声部の比重がかなり高くなったことも大きな変化です。そうなると、必然的に厚みのある演奏になります。少年合唱団である以上はボーイ・ソプラノの比率がもっと高い方が望ましいのでしょうが、その分を今年度はプログラムの多様性ということで積極的に活かしていたのも心に残りました。
さて、広島少年合唱隊の選曲の特色は、メッセージ性の高い歌をよく採り上げることです。それが清純な声や真摯で裏表のない隊員の態度と結びついて独特の美しい世界を創り上げていくのです。だから、広島少年合唱隊のコンサートの楽しみ方の一つは、歌に込められたメッセージを聴きとって自分の心に響かせることと言えましょう。
「マイバラード」が底流になって
第1ステージの「ぼくたちのレパートリー」は、日中国交回復30周年記念大連演奏旅行からという副題が付けられていましたが、心ときめく「マイバラード」に始まり壮大なスケールの「昴」で結ぶ歌の数々には、広島少年合唱隊の特色がよく現れていました。それぞれの歌に込められたメッセージは確実に心に伝わってきました。また、第1曲目の「マイバラード」の歌の心は、このコンサート全体の底流として流れていました。それにしても、「花を贈ろう」における平田先生のやさしさに満ちた指揮はどうでしょう。心和む指揮とはこういうことなのかと思いました。広島少年合唱隊の平和の歌は人を責めるのではなく、人が本来もっているやさしさに直接訴えかけます。また、海外公演となると歌詞の理解という壁があるでしょうが、それを補って余りある「斉太郎節」や「怪獣のバラード」の舞台演出は、観客を楽しませるという要素も満たしていました。これは、日本の少年合唱に欠けている要素かもしれません。
「遊び歌」は、楽しくなくっちゃ
第2ステージは小学生隊員による英語の遊び歌。ここでの主役は3年生以下の予科生たちで、それを本科生が支えるという構図で創られていました。現在井口明神小学校の「総合的な学習の時間」で英語活動を指導されている林隊長先生の指揮は、昨年度の定期演奏会の遊び歌の指揮でも「よき羊飼い」という雰囲気でしたが、今年度はさらに一層見守っているという感じが強くなってきました。それだけで少年たちが闊達に動くようになっていることの裏には、よほどの信頼があるものと推察されます。歌はどれも動作を伴う楽しいもので、英語へのアプローチだけでなく小学校低学年の音楽は、もっと「遊び歌」を採り入れてもよいのではないかと思いました。ここでは、明るい声質と楽しそうに歌う隊員の創り出す雰囲気があいまってほほえましいステージになっていました。
研究科を生かしたステージ
第3ステージは「無伴奏男声合唱の響き」と題して、変声後の研究科の隊員のステージでした。このようなステージをこれまで設けたことがあるかどうかは知りませんが、研究科が20人という現在ではむしろやってみたい試みです。小学校卒業後も残って歌いたいと思う隊員がたくさんいるということは、歌や合唱の魅力もあるでしょうが、合唱隊の生活に離れがたいよいものがあるということの証でもありましょう。昨年度まではボーイ・ソプラノの中心として活躍していた少年たちがその声を失うことには多かれ少なかれショックもあることでしょう。しかし、みんな乗り越えれば怖くない・・・特に中1の少年たちの姿からはそんな想いさえ感じ取れました。変声を終えて安定し伸びやかな声になっている隊員と、まだ変声中の隊員が混じっていますが、演奏は無伴奏だけに、声そのものに集中して聴くことができました。男声としては未完成であっても、その青竹のような若々しい魅力はまた格別でした。
神秘的な響き
前半の最後、第4ステージは「平和と祈りの歌」。「アオギリの歌」は、アオギリに託した平和への祈り心が爽やかで、おなじみの「Panis
Angelicus(天使のパン)」は、変声前と変声後の声の絡み合いが実に美しくきれいな仕上がりになっていました。そして、この日の白眉は、ヴィクトリアの「O
magnum mysterium(おお、大いなる神秘
)」。16世紀・声楽の黄金期に作曲されたこの曲の神秘的な響きとクライマックスへ向かっての高まりは、いつまでも耳の底に残っています。技術的にも高度なこういう曲がプログラムに入っていることも、広島少年合唱隊の魅力の一つです。
混声・同声の聴き比べ
後半の最初、第5ステージは少年のための5つのソング「君がいるから」。この心ときめく全曲の生演奏を聴くのは3年ぶりですが、前回は混声合唱でした。初演当時のインパクトがかなり強かったのですが、今回は同声3部合唱ということで、少し違った印象を受けました。1曲目の「君がいるから」は、混声の方が力強いのですが、例えば「僕はもう違う」という一節を強めることによって、全体として引き締まった感じを出していました。この歌によって私は友情の本質を学びました。2曲目の「ことばは不思議」と3曲目の「雨の日のラブソング」は、特にボーイ・ソプラノで演奏することによって繊細でまろやかなイメージが一層強くなります。4曲目の「ぼくたちのひろしま」では懐かしさが、5曲目の「花はなぜ咲く」では、きっぱりとした心が伝わってきました。混声・同声どちらにもそれぞれのよさがあるというのが、私の印象です。
指導者の理想的な出番
第6ステージは指導者の先生方だけによる演奏。こういう試みは初めてということですが、声の重なりが美しい2曲をもう少し聴きたいと思うところで終わったという構成が絶妙でした。これだけでも、先生方の声やハーモニーの美しさは十分に伝わってきました。
後世に伝えたい歌
最後の第7ステージは、昨年度に引き続き「ふるさとの四季」。日本には優れた童謡・唱歌がたくさんあります。このような歌を繰り返し歌って、後世に伝えていくこともまた大切なことだと最近強く感じるようになってきました。そして、広島少年合唱隊が営々としてそのようなことをやっていることに改めて感銘を受けました。源田俊一郎の編曲は流麗にそれぞれの曲をつなぎ、それを歌う少年たちは時には力強く、時にはたおやかに、自然の変化とそこで生きる人の営みを詩情豊かに表現していました。
ところで、10年あまり前、「とまや」ということばが難しいからといって「我は海の子」を教科書から抹消したことがありました。また、それに類する愚挙がいくつも行われてきました。ことばの意味がわからなければ、教えてやればいいじゃありませんか。それが教育です。時代に媚びた音楽産業と、日本の過去を必要以上に悪く捉える歪んだ思想は結びついて、美しい日本の歌を過去のものにしようとしましたが、よいものは残さなければなりません。これらの歌を通して自然と人間の共生があたり前だった日本のよさを見直そうではありませんか。いささか論調が激しくなりましたが、現代の日本への警鐘も含めて、この定期演奏会の最後のメッセージは訴えているように感じました。
| 全日本ジュニアコーラス・フェスティバル2003 |
| 広島少年合唱隊第44回定期演奏会 |
広島少年合唱隊の魅力
広島少年合唱隊の魅力って、何だろう。「歌のメッセージ性」「清純で明るい歌声」「裏表のない規律ある隊員の態度」、これらが三位一体となって独自の美しい世界を創り出していることです。今回のプログラムを見ると、昨年度のものを下敷きにしながらも、それを一層発展させていることが感じられました。また、今年度から予科を1年生から募集したため、昨年度よりボーイ・ソプラノの比率は高くなりましたが、声が幼くなったという印象はありませんでした。それは、入隊して練習する中で、比較的短期間のうちに「広島トーン」を体得していくためでしょう。さて、今回の定期演奏会のテーマ「とどけ、愛と平和のメッセージ」は、今回だけでなくこれまでもくり返し訴えかけてきたテーマかもしれませんが、このことを意識して練習し、発表することで、隊員の中に内面化していくものでしょう。練習の最後に「これまでの練習やジュニアコーラスフェスティバル参加、合宿・・・すべては、この日のためにあった。」という林隊長先生の檄が飛びましたが、隊員たちは、それをどう自分の中に取り入れたでしょうか。
ポリシーを高く掲げて
第1ステージは、宗教曲と平和の歌。いわば、広島少年合唱隊のポリシーというべきものを冒頭に掲げました。「Laudate
Dominum」は、合唱の中でハイ・ソプラノのパートを際立たせることで、聖なる世界にいざない、「Ave Verum
Corpus」では、聴く者の魂をさらに浄化していきます。その後に歌われる「青い空は」と「折り鶴が飛ぶ日」は、共に原爆投下によって起こった悲劇を歌った名曲。プログラムには、「折り鶴が飛ぶ日」が誕生してから、広島少年合唱隊の持ち歌として歌い広められているまでの経緯が記されていました。これを知ってから聴くことで、また、新たな感動が生まれました。平田昌久先生の指揮は、少年たちから美しい響きを引き出していました。
「英語の遊び歌」を自然体で
第2ステージは小学校1〜3年生の予科隊員をメインにした英語の遊び歌。ついつい楽しい動きの方に目が奪われがちですが、英語が自然な形で少年たちの身に付いていることにも感心しました。その裏側には、レッスンの中の挨拶や指示を英語で呼びかけたりすることもあるようです。また、舞台の広さを計算した動きが見られました。林先生の「よき羊飼い」ぶりは、いつものことながら、表に見えない指導力の素晴らしさを感じさせます。
チルコットの歌の多様性を
今年の夏、東京で行われたジュニアコーラスフェスティバルに参加参加した広島少年合唱隊は、そこで、イギリスの作曲家 ボブ・チルコット先生の指導を受けたそうですが、その成果の発表の場として、第3ステージは設けられました。4曲の歌はおそらく単独の曲でしょうが、この作曲家の多様な側面を見せてくれます。英語の歌詞なので意味はわかりませんでしたが、林先生の指揮は第2ステージと違って雄弁に語りかけてくれました。
いい青年が育っているな
第4ステージは今年も、主として変声後の研究科隊員のステージでした。最近の小学生にとって中学校は「こわいところ」というイメージがあるそうです。荒れている柄の悪いの生徒を見ていたらそういう不安も起きて当然かもしれません。しかし、広島少年合唱隊の卒団生は、研究科として残っても、受付や会場整理役になっても、紳士的です。いい青年が育っているなという気持ちにさせてくれます。4年前の秋、初めて岡山で出会った隊員たちも、みんな中高生になったのかと思うと、感慨深いものがあります。
この日の選曲は「上を向いて歩こう」「さとうきび畑」「夜空の向こう」「世界に一つだけの花」と40年前から最新の曲までありましたが、どの曲もそのメッセージが浮き彫りにされていました。とりわけ、「さとうきび畑」は、平和を歌う広島少年合唱隊ならではの祈り心が伝わってきました。隊員全員で歌う「世界に一つだけの花」は、会場の手拍子が歌詞を消してしまうのが残念でした。
振り付けが生きるとき
ボーイ・ソプラノによる少年合唱を楽しむ第5ステージは、同声合唱組曲「ぼくだけの歌」でした。この曲はTOKYO FM少年合唱団によって創唱され、今でも歌い継がれています。特に「一千億の夢」は、TOKYO FM少年合唱団と聴き比べてみようと思いながら聴いていました。
全体としては、手拍子交じりのやんちゃな歌い方が、意外性もあって楽しめました。しかし、「ヘイ!」という掛け声は、下手をすると下品になるのに、そうならず品位を保っていました。やんちゃさの中にときどき見せるやさしい表情との対比も生きていました。
このステージの衣装は、ベレー帽を取って赤・黄・緑・青・紫のバンダナを首に巻くというだけのものでしたが、これが、簡素な衣装でありながら、個性と統一性の両方を満たしていました。振り付けでは、ボックスステップがうまく生かされていました。特に「なにかいいことありそうな」の手を回す動作が、一つからだんだん増えて行くところが美しく、歌と合致していました。ただ、「一千億の夢」は、歌そのものに大きな力があるので、「青い大空飛んでいきたいな」以後の横へのステップは、歌への集中度が減少してしまいます。また、力強くステップすると足音になってしまいます。その部分は足を大地に着けて歌だけにして最後手をつないで上に挙げるようにしたらどうだろうかなどと思いながら見ていました。
特色あるステージ
「古き良き日本の歌」と題された第6ステージは、平田玉代先生指揮による独唱、三重唱、混声合唱など多様な表現による日本の童謡・唱歌でした。最初は、宮崎啓輔君のボーイ・ソプラノ独唱による「雨の遊園地」。今年の「童謡歌唱コンクール」本選に出場予定の宮崎君の歌は、どこまでも清純で、憂いのある部分は特に美しく感じました。聴きながら、この声が失われないでほしいと願ったものです。「からたちの花」は、三重唱。伸びやかで表情豊かに歌われました。「里の秋」は、変声前6人、変声後4人の4部合唱。声のバランスがすばらしく、調和的でした。このステージの最後は、昨年も好評だった指導の先生方によるア・カペラの「みかんの花咲く丘」「浜辺の歌」。声そのもの、歌そのものに集中できるすばらしい歌唱でした。このような演奏形態のステージは他の日本の少年合唱団のコンサートにはないものなので、特色のあるものとしてぜひ続けてほしいと思います。
「ぼくたちのレパートリー」は、メッセージの宝庫
第7ステージは、愛唱歌のステージでしたが、メッセージの宝庫と言いかえることもできます。それぞれの歌が伝えるメッセージは、確実に聴く者の胸に迫ってきました。とりわけ最後を飾る「歌はともだち」は、歌にはどのような力があるのかということを歌ったもので同名の番組の主題歌。20年ぶりぐらいに聴きましたが、こんなによい歌だとはその当時は感じませんでした。きっとその頃は、あまり悪いものを知らずに生きることができたのですね。人生経験によって、同じ歌でも違って聞こえるということを痛感しました。広島少年合唱隊の隊員の皆さんが、これらの歌のメッセージを心の糧として成長されることを願っています。
| 広島少年合唱隊創立45周年定期演奏会 (平成16年10月30日) |
舞台を活かして
これで、4年連続広島少年合唱隊の定期演奏会に行ってきました。会場のアステールプラザ大ホールの舞台は、横幅が広く幕がないところに特徴があります。この日のステージは、この舞台をよく活かしていました。第1曲目、舞台裏の両袖から「SIYAHAMBA」という声が響き、声が近づきながら隊員が所定の位置に並ぶという演出など、その最たるものでしょう。南アフリカの民謡ということで意味は不明ですが、大地の響きが伝わってくる力強いこの歌は、これから始まるコンサートへの期待を高めてくれます。舞台に全員が並んだ時に気付いたことは、小学生の隊員が例年より小柄に見えたことです。それもそのはず、今年度は6年生が1名のためということがわかりました。「世界に届け!」と題する4曲からなる第1ステージは、「世界に一つだけの花」を除いて初めて聞く曲ばかりでしたが、明るい張りのある「広島トーン」と呼べる声の特色を活かした選曲で、その歌の世界に引き込んでくれました。「世界に一つだけの花」も、今年は拍手によって消されることなく聴くことができました。
繊細さとユーモアと
ここ3年ばかり、広島少年合唱隊は、隊員を変声前と変声後に分けてそれぞれ1ステージもたせています。この企画は少年合唱を楽しみたい人、混声合唱を楽しみたい人、男声合唱を楽しみたい人のそれぞれの想いを叶えてくれます。
さて、第2ステージの少年合唱による「しずかにしてね」は、こわせたまみの詩による合唱組曲。言葉のもつ繊細なきらめきを高嶋みどりが、色彩感のある曲に仕上げています。いわゆる壮大な曲はないのですが、第1曲の「なみは てかな」のさざなみを想像させるオブリガードの美しさは格別です。「かたつむり」って、こんな動的な生き物だったかなと意外性のある第2曲、ユーモラスな第3曲「おんなじ くまでも」が、特に心に残りました。繊細さとユーモアとが混じりあったこの歌の生命を平田先生の指揮は紡ぎ上げていました。
毎年聴いても
変声を終えた研究科の中学生・高校生以上の男声合唱も毎年メンバーが替わり、同じ歌を歌っても少しずつ味わいがちがいます。岡山ではじめて見た隊員がいると、「今年も残っていてくれたんだね。」と、思わず声をかけたくなってきます。「縁の下の力持ち」と題されたこのステージで「見上げてごらん夜の星を」と「夜空の向こう」は2年連続採り上げられましたが、何度聴いてもよいものです。また、「荒城の月」のような後世に残したい名曲をさりげなくプログラムに入れているところも好ましいです。人数的に10人ばかりなので、声部の絡み合いがよくわかるところも聴きどころですし、何よりまだ男声としては成長過程にあるだけに深みは乏しくても、新鮮な感じがしました。
とどけ、愛と平和のメッセージ
副題になっているこの言葉こそは、広島少年合唱隊存立の基盤とも言えましょう。宗教曲と平和の歌は必ず定期演奏会に採り上げられています。この日も平和への祈りは、戦後10年もたってから白血病を発病して帰らぬ人となったサダコを悼んで作られた「折り鶴が飛ぶ日」へと止揚されていきました。この歌を聴きたいために会場に来る人もいるのではないでしょうか。「平和」の美名のもとに戦争やテロが繰り返される今こそ、広島少年合唱隊は、平和を築く上で歌が果たす役割について問いつづけてくれることでしょう。
名演のかげに
広島少年合唱隊は、ふだんの舞台演出でも「見せる」要素を大切にしてきました。今回久しぶりに取り組んだオペレッタ モノドラマ合唱「ごんぎつね」は、総合芸術として見応えのあるものでした。アリアはないのですが5つの合唱曲と朗読を背景にドラマは進められました。この物語は、善意を理解されないごんの悲劇であると共に、自分のことを思ってくれたごんを殺してしまう兵十の悲劇でもあります。
着ぐるみをまとった森内君のごんは、敏捷な動きで舞台狭しと駆け回ります。狂言においては「猿に始まり狐に終わる」という言葉があります。猿の動きが一番演じやすく(まねやすく)、狐の動きが一番難しいということです。森内君の動きは、姿勢を低くしてちょこまかと走る「動」の部分と、穴の中で考えたり、兵十や加助の後を追いながら自分のことを気付いてほしいと願う「静」の部分の対比がとてもよくできていました。はまり役と言ったら石田君の兵十でしょう。小学生の頃からひたむきな歌いっぷりを注目してきましたが、何をやるにも一生懸命という姿が、存在感のある大きな体格とあいまってときにはユーモラスにも感じられることもあり、それだけにごんを撃ち殺してしまった後の悲しみを大きくしてくれました。幕間のインタビューでは、前日眠れなかったとか。名演でしたよ。加助役の浜田君も、役に共感して演じており、脇から舞台を引き締めていました。
さて、このオペレッタでは、平田先生が日曜大工で作った大道具、栗、芋、松茸、唐辛子などの小道具が色彩感もよく活かされていました。また、合唱の中に赤系の着物を着た4名の女の子役を入れたりするなど、妖しい魅力を採り入れたりしていました。これがまたよく似合っているんですね。ただ、微細なことですが、主演級は素足で演じたのに、村の子どもたち(合唱)の衣装が和服なのに、白いハイソックスとローファというのがミスマッチでした。しかし、全体としてはたいへん楽しめる舞台で再演されることが期待されます。
大人の声は深い
3年目になる指導の先生方によるステージは「すべての人に花を」と「ふるさと」の2曲。ここでは大人の声の深さを味わうことができました。「すべての人に花を」の中国語は、興味深く聴くことができました。しかも、いつももう少し聴きたいなあというところでやめるところがステージ全体からしていいです。
盛り上がった「ぼくたちのレパートリー」
第7ステージは、昨年同様愛唱歌のステージでしたが、「若い翼」「白い船のように」「Hymn
to
Freedom」と最後の3曲は、隊員が歌詞に共感して歌っていることが伝わってきて特に聴き応えがありました。力強い「若い翼」、うねるような旋律美と絶妙なハーモニーの「白い船のように」もよかったのですが、この日の圧巻はオスカー・ピーターソンの「Hymn
to
Freedom」。静かで敬虔な祈りから始まり、次第に壮大なドラマへと発展します。この曲では合唱による表現がどのような可能性をもつかということを味わうことができました。林先生の雄渾な指揮は、大きなドラマを創り上げていました。
また、新しい広島少年合唱隊の魅力を発見した今回の定期演奏会でした。
| 多様な合唱音楽で魅せるステージ 広島少年合唱隊 第46回定期演奏会平成17年10月22日 アステールプラザホール |
これまで、広島少年合唱隊のコンサート評は、ステージごとにコメントを書いてきましたが、今回はむしろ新たな取り組みを中心に書いてみました。
まず、少年合唱としてのメインは「チコタン」。昭和44年にこの合唱組曲が芸術祭優秀賞を獲得したとき、大阪弁丸出しの庶民性と素朴な恋心がマッチした歌と、「あほ!」で終わるドラマの衝撃が、大きなセンセーションを呼びました。初演は大阪の合唱団ではなく、東京の西六郷少年少女合唱団。東京の子どもにできることですから、距離的により近い広島の子どもに大阪弁の歌がどこまで歌いこなせるかなどという心配は全くありませんでした。むしろ、広島少年合唱隊の元気よさが、この合唱組曲の生命をよくつかんで表現していました。冒頭の「なんでかな」と終曲の「だれや」は、対比的に歌われ、「プロポーズ」「ほっといてんか」「こんやく」が、有機的なつながりをもっていました。広島少年合唱隊は、毎回合唱組曲を採り上げていますが、今回は、歌の有機的なつながりという点で最もよい仕上がりになっていました。
合唱とミュージカルは両立するのか。この課題は、今年の夏 京都市少年合唱団の「サウンド・オブ・ミュージック」を鑑賞したときから私の頭を悩ませてきました。清澄な響きの修道女の合唱を聴かせてくれた京都市少年合唱団が、代表的ナンバーの「ドレミの歌」や「さようなら ごきげんよう」になると、ソリストの声が非力のために盛り上がらなかった舞台を見たからです。
広島少年合唱隊は、昨年の定期演奏会でオペレッタ「ごんぎつね」を上演しましたが、これは、演劇と合唱の組み合わせといったもので、ミュージカルにまではなっていませんでした。今回はさらに新たな挑戦としてミュージカル「獅子の笛」に挑みました。結果はまず成功と言えましょう。ストーリーは、日照り続きで雨乞いをして神に祈る動物たちに、神より「彼方の国にある黄金の稲穂」を持ち帰るようお告げがあり、3匹のキツネが申し出、困難を乗り切って持ち帰るというものです。ストーリー的には単純でありながら、キツネをはじめとする動物たちを「善」、黄金の稲穂を守る獅子夫妻を「悪」とするのではなく、それぞれが自分の使命に忠実であったとする「人間観」が、この物語を奥行きのあるものにしています。ここでも指導者(林先生の神、平田先生の雄獅子、昆野先生の雌獅子)が内面的な歌声の演技で劇の骨格をつくり、そこを隊員たちが歌い踊って肉付けをしていくという舞台づくりでした。とりわけ、平田先生の内省的な歌は心に残りました。藤本君たち3匹のキツネのソロも周囲から浮かび上がる歌声で、盛り上げてくれました。しかし何と言っても、色とりどりの衣装を身につけた隊員たちの踊りや動きが、舞台上で統一性をもっていたことが、ミュージカルとしての成功要因であったように思います。
OBステージは、今回の新しい試みです。運営委員で指導者でもある袋町小学校教頭の宮下先生の指揮でOB(男声)と保護者(女声)の混声合唱で、代表的な平和の歌(「ひろしま平和の歌」「平和を我らに」「青い空は」)が歌われました。20人ほどのOBは親子ほど年齢幅が広かったのですが、平和への想いという共通のものをもっていることがすぐに伝わってきました。さらに、この合唱が加わることで、広島少年合唱隊 第46回定期演奏会は、あらゆる形態の合唱音楽を聴くことができました。
フィナーレは、来年のアメリカ公演を想定した日本古謡やわらべ唄、民謡でした。アメリカ人に日本の文化をわかりやすく伝えるという点で見せる要素を多く採り入れた楽しいステージで、大漁旗を振った行進や船漕ぎの動作、またいろいろな遊び歌にも工夫の跡が感じられました。また、和太鼓との共演では、歌と太鼓を同時に演奏することで、ボーイ・ソプラノを消さずに両方を活かすことができていました。これは、昨年度のフレーベル少年合唱団の定期演奏会で課題になったことです。広島少年合唱隊は、この課題も見事にクリアーしていました。ただ、昨年の「ごんぎつね」でもそうでしたが、浴衣の下に白いハイソックスと黒いローファは不自然です。日本の衣文化が間違って伝わる可能性もあります。足袋か素足に草履か下駄を履くべきだと思います。それでは、まりつきが難しいでしょうか。白いハイソックスと黒いローファは、上がベスト制服と半ズボンだからこそ美しく映えるのです。
| 広島少年合唱隊 第47回定期演奏会 平成18年10月28日 アステールプラザ大ホール |
「出会い」と「再会」
5時半頃並んでいると、OBの西川君と前後になりました。覚えているかなあ、5年前の広島で行われた第3回全国少年合唱祭の終了後の交歓パーティで名刺交換したのは、まだ6年生の時だったのにと思いながら声をかけてみました。そのとき、私はまだこのホームページを立ち上げていませんでした。
「もし、間違っていたら失礼ですが、OBの西川君ですか?」
「はい。」
「5年前の広島で行われた全国少年合唱祭で名刺交換しました。」
もう、そうなったら、覚えている限りのことを思い出して話しました。研究科にいたときの舞台のこと。年賀状だけは細々と続けていること。・・・少しずつ過去と現在がつながってきました。
「研究科の時の男声合唱で一人だけ、楽譜なしの暗譜で歌ってたでしょう。」
「実は、あの日楽譜を忘れたんです。」
「これは、裏話になってしまったね。一人だけ暗譜ですごいなあと思っていたよ。」
やっぱり、広島少年合唱隊はいい少年を育てている。そう感じさせる再会でした。
エンターテインメント本場の国で
広島少年合唱隊は、今年の春休みに9日間のアメリカ演奏旅行を行いました。その成果の発表は、ミニコンサートのような形で4月29日に行われましたが、これは、関係者中心のもので、今回の定期演奏会の第1ステージと第2ステージでは、より多くの人にその姿を公開することになりました。
一言で言えば、エンターテインメント本場アメリカの国民性を考えた演出であったと言えましょう。これまでも、広島少年合唱隊は視覚に訴える演出をかなり行ってきましたが、私は、ステージによってはこういう演出があってもよい、いや、むしろあるべきと考えます。宗教音楽を源流とする少年合唱は、ともすれば生真面目で退屈な音楽というイメージで見られており、それが、日本においてファンの広がりを妨げているのではないでしょうか。例えば、日本の少年合唱団が「マタイ受難曲」のすばらしい演奏しても、少年合唱ファンが大幅に増えるとは考えにくいです。
大漁旗を振り回す「ソーラン節」、剣舞を伴った「荒城の月」、着ぐるみの怪獣の戦いと仲直りのストーリーを背景に歌われる「怪獣のバラード」このあたりは、日本人でも理屈抜きに楽しめます。ところが、背負った赤ちゃんを背景に歌われる「ゆりかごのうた」や、狸の腹鼓を背景に歌われる「証城寺の狸囃子」となると、その曲を初めて聴くアメリカ人には曲の理解を助ける演出であっても、その曲を熟知している日本人にとっては、むしろ笑いを誘う演出になっているかもしれません。特に、「ごんぎつね」の名演で注目を集めた森内君の狸は、狐と狸の動きの違いを感じさせる入神の域に達する演技でしたが、合唱そのものの印象は希薄になっていました。「わらべ歌」や「童謡」は、素朴さがその魅力の一つです。そういう意味では、アメリカ演奏旅行用の演出と日本人向きの演出は区別した方がよいのではないでしょうか。演劇出身の私は、喜劇でない限り演出におけるリアリズムは大切にしたいと考えます。また、今回、和服に合わせて白足袋を履かせるなど自然な感じが出ていた点は、よくなっていました。
この日の白眉は、アンコールでも再演された「カンタール」。これこそ、歌唱と自然な演出が一体となって止揚された広島少年合唱隊のよさを最大に発揮した1曲ではなかったでしょうか。
私のお墓の前で
「知らない名曲ってまだいっぱいあるんだなあ。」
そう思わせたのが、ティーチャーズステージで歌われた「千の風になって」。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
愛する人を亡くした人にとっては、心にしみる名曲です。平田玉代先生のきらきらした声が天上から降り注ぎ、男声がそれを受け止めるという合唱だからこそ表現できる演奏を聴くことができました。
メッセージソングこそ
広島少年合唱隊の定期演奏会では、ここ数年「とどけ、愛と平和のメッセージ」という副題が必ず添えられています。広島少年合唱隊の歌の本質は、この副題に凝縮されています。第4ステージ以降歌われた歌の多くには、かなりはっきりしたメッセージが込められていました。特に、興味深かったのは、「一本の樹」。暁星小学校聖歌隊によって初演されたステージに接していましたので、聴き比べることができました。さわやかで禁欲的な暁星小学校聖歌隊の少年合唱と、明るい声質の混声合唱の広島少年合唱隊は、違った味わいの曲になっていました。前者は、在校生が樹を頌える歌になっており、後者は卒業生も交えて学校生活を懐かしみつつ未来を見つめる歌になっていました。
OBとお母さんの歌は、今回で2回目です。「遥かな友に」は、このように混声合唱で歌う場合と、男声合唱、少年合唱それぞれの違いを味わってみたいと思わせる演奏でした。
さて、やはり心に残る曲と言えば、「折鶴の飛ぶ日」・・・2年おきぐらいに定期演奏会で採り上げられる名曲です。この日も私は、「原爆の子の像」の前を通って会場に来ました。折鶴が千羽になったらきっと治ることを信じて折り続けた禎子のことを想うとき、「これは、ぼくらの叫びです。これはぼくらの祈りです。世界に平和を築くための。」と繰り返される歌が心に迫ってきます。この歌は毎回聴いても決して飽きないだけでなく、聴くたびに新しい発見がある歌です。また、この日は、フォーレ作曲『レクイエム』より「ピエ イエズ」と、「インパラディズム」が歌われました。「ピエ イエズ」は、同じような繊細な声質の隊員を3人(檜垣君、福田君、山本君)集めたSoliによって歌われましたが、部分的にでもSoloがあるといいなと感じました。これだけ多様な演奏形態を見せる広島少年合唱隊なのですから、定期演奏会には必ずソロを採り入れることもあってよいのではないでしょうか。2時間近いステージの最後を飾る第8ステージでも、ボルテージは下がることなく歌われました。特に、「地球の詩」と「Let's search for tomorrow」は、最後を飾るにふさわしい大きな構想の歌で盛り上がりをつくっていました。やはり、全体として広島少年合唱隊が歌ってこそという歌を聴くことができたという感じのコンサートでした。
| 広島少年合唱隊 第48回定期演奏会 平成19年10月21日 広島県民文化センター |
声と歌の関係
・・・声というものは一人ひとりに与えられた世界で唯一のすばらしい楽器です。声には持主の性格や考え方、生き方があらわれてきます。歌に込められたメッセージを表現するためには、声楽的な技術だけではなく隊員自身の精神的な成長が大切だと考えています。・・・
広島少年合唱隊第48回定期演奏会のプログラムの冒頭を飾る平田新隊長のごあいさつの言葉に、私は目を奪われました。それは、これまで、私がおぼろげながら感じていた声と歌との関係を実に的確に現していたからです。また、広島少年合唱隊がこのような指導理念で隊員を育てて来られたということに対して、改めて感動を覚えました。そのようなことを押さえた上で、広島少年合唱隊の歌を聴くと、また新たな発見があるのではないかと思います。
あっと驚くステージ
客席の後ろから、キャンドルをもって現れた隊員たちが最初に歌ったのは、文字通り「キャンドルを灯そう」。登場したときはブリテンの「キャロルの祭典」の雰囲気でしたが、曲想は、もっと華やかなものでした。次は、おなじみの「カンタール」ですが、今回はどうしてこんな位置づけなんだろう。誰でも、ステージ開始直後は緊張があるので、それが解けた頃か、アンコールにふさわしい曲なのですが、プログラムを見ると、ここしか持って行きどころがない。よもや敬虔な平和の歌や祈りの歌の後には持っていけないでしょう。そんなこともあって、これまでに見たできばえと比べるとやや完成度は低く感じました。しかし、それを取り戻すかのように、「クルルインバダダー」というアフリカの曲は、躍動のリズムと、最後には、脱いだ靴を叩くというあっと驚くインパクトのある展開で、それでいて、決して下品にならない。合唱曲でも「そこまでやるか!」という思いがしました。
合唱の醍醐味を聴かせる
第1ステージの「広島ユネスコ活動奨励賞」が、身体全体で表す曲を集めたステージならば、それ以降のステージは合唱の醍醐味をじっくりと味わわせるようなものでした。同声合唱の「ぼくだけの歌」は、3年前に聴いた時は、振り付けの方にかなりのエネルギーが注がれて、歌の盛り上がりに課題が残りましたが、今回は振り付けは、最初の最小限にとどめ、「ぼく」の感情の起伏を歌で表現することに徹していました。全身を投げうって歌を捧げていると感じさせる隊員さえいました。そのためもあってか、最終曲「一千億の夢」の後半部分は大きな盛り上がりを見せました。
OBとお母さんの歌のステージも、これまでと比べ、より本格的な混声合唱曲「土の歌」を選曲し、「大地讃頌」では、重厚な演奏を聴かせてくれました。
合唱の醍醐味を聴かせようという今回の選曲のよさは、「平和の歌」や「ぼくたちのレパートリー」でも、遺憾なく発揮されていました。とりわけ、「折り鶴のとぶ日」や「With You Smile」「昴」のような曲想に大きな変化のある曲のできばえがよかったように思います。「折り鶴のとぶ日」は、何度聴いても、そのたびに新たな感動があります。それは、人間にとって根源的なものを歌っているからでしょう。冒頭にご紹介した平田隊長の言葉は、この歌に見事に体現されていました。「With You Smile」を最初に聴いたのは、今年2月の全国少年合唱大会の合同演奏でしたが、出会いの喜びをこんな大きなスケールで表現できるということに心惹かれました。「昴」は、何と言っても混声合唱だから表現できる壮麗な仕上がりになっていました。
さて、2年後は、定期演奏会は第50回を迎えます。それを飾るのは、第40回の定期演奏会に続き、フォーレの「レクイエム」であることがはっきりしてきました。今回は、その7曲のうち3曲が広島ジュニアオーケストラとの共演で歌われました。ここでは、これまでのステージとは違って楚々とした清澄な響きを聴くことができました。
さようなら、美しい制服よ
この定期演奏会から、広島少年合唱隊の制服が変わりました。このことは、合唱隊のホームページで知ったのですが、実際の舞台姿を見て、感じたことを書いてみましょう。予科・本科・研究科の色調が、シックな色で統一されるというのはよいと思います。上は、水色のシャツに緑のネクタイ、下は、予科は黒の半ズボン、本科以上は黒の長ズボンです。ダボダボのハーフパンツでなくてよかったとほっとしました。ステージが終わった後、ロビーで林先生と立ち話をする機会がありました。お話によると、ベレー帽と短い半ズボンが最近の隊員に好まれないようなので、30年以上にわたって使ってきた制服を、隊長が交代したのを機に変えたということです。
広島少年合唱隊の旧制服を初めて見たとき、気品のある美しい制服だと思いました。昭和の少年なら、きっとみんなあこがれたことでしょう。日本においてベレー帽が少年服の一部として普及したことは一度もありません。しかし、舞台衣装は日常生活から離れた夢の衣装であり、舞台の少年たちは観客にとって憧れの王子様であってよいはずです。また、短い半ズボンは、脚が長く見えるということもあって、日本が豊かになり、スタイルがよくなってきた元気な少年の象徴のように1960年〜80年代にかけて少年服の定番として全国的に普及していきました。それが、この10年あまり急速に衰退して、その代わり、キッズファッションの美名のもと、8分丈のハーフパンツや破れたジーンズといった俗悪な服装が広がってきました。私は、これらがどうしても好きになりません。子供服の劣化とさえ思っています。時代の流れでやむを得ないのでしょうが、美しいものが、またひとつなくなってしまったように感じます。さようなら、美しい制服よ。私の瞼からその美しい思い出は消えることがないでしょう。
| 広島少年合唱隊 第49回定期演奏会 平成20(2008)年11月15日 広島県民文化センター |
広島少年合唱隊と桃太郎少年合唱団を聴き比べる
私は、桃太郎少年合唱団のコンサートには、「声の響き」を、広島少年合唱隊のコンサートには「歌」を聴きに行っています。これは、岡山で最初に両合唱団(隊)の歌声を聴いたときの初発の素朴な感想ですが、10年近くたった今も全く変わっていません。桃太郎少年合唱団が、日本の少年でもウィーンやレーゲンスブルグの響きを出すことができるという目標・理念のもとで指導されてきたのに対し、広島少年合唱隊は、「とどけ、愛と平和のメッセージ」という副題のもと、歌のもつメッセージをいかに観客に伝えるかを目標・理念として指導されてきたという違いが、そこには見られます。だから、歌声をヨーロッパの聖歌隊に近づけることよりも、日本の少年が本来持っている歌声の明るさを育むことが広島少年合唱隊の歌声の理想なのではないでしょうか。
祈りで始まる第1ステージ
パニス・アンジェリクスで始まる第1ステージは、まだのどが暖まりきっていないと感じましたが、2曲目のLaudate
Dominumに入ると、好調な3人のSoliにひきづられるように全体が高まってきました。3人の声質が揃っていたこともよかったのですが、将来トップソリストになる予感をさせる3年生の予科生が見事な響きを聴かせてくれました。「折り鶴のとぶ日」は、何度聴いても感動を新たにすることができます。
歌詞をじっくり読みたい
第2ステージの「あしたのうた」は、抒情的な佳曲が並んでいますが、少年合唱の響きともよくマッチして清楚な雰囲気を創り上げていました。ところが、4曲の中で異質な3曲目の「悩みの種」は、「清潔なゴキブリ」などの意外性のある単語だけが耳に残って、全体として何を伝えようとしているのかが最後までわからずじまいでした。プログラムに歌詞が載っていたらよかったのにと思わずにはいられませんでした。
視聴者参加は
第3ステージは、海外演奏で学んだ歌という曲で、観客にも参加することで楽しんでもらおうという企画でした。特にナイジェリア民謡の「エクイアオー」は、観客も3つに分かれて歌ったり、手を叩いたりというものでしたが、歌はともかく、手を叩くのは、リズムを間違ってはいけないと思って必死になっていたため、舞台に目が行きませんでした。歌っている少年たちの表情を見ることもまた少年合唱の楽しみです。歌っているときよい表情になる少年がいるんですよね。ステージの最後で「さようなら」や「世界に一つだけの花」を客席と一緒に歌うのとは違う何かがそこにあります。これまで楽しい振付けでおなじみになってきた「カンタール」は、舞台が左右に広いことが振付けを生かす上で大切かと感じました。奥行きが広くても左右に狭い広島県民文化センターのステージは、この曲のダイナミックな振付けには、不向きかなあとも感じました。
合唱の醍醐味を聴かせる
後半は、来年度の第50回記念演奏会を視野に入れ、合唱の醍醐味をじっくりと味わわせるような充実したものでした。フォーレの「レクイエム」や「土の歌」といったホンモノ志向の混声合唱の名曲が並びます。この二つの重厚な演奏のため、その間に入った若者らしいはつらつとした合唱曲の「新しい世界へ」や「Let's
Search for
Tomorrow」がかすんでしまうほどでした。プログラムの4と5を入れ替えた方が、よかったのではないかと思わせるほどでした。そして、来年フォーレの「レクイエム」のソロを歌うのは誰だろうという新たな興味も湧いてきました。帰って「土の歌」のCDを買いました。聴き込んで来年に臨みたいと思います。
| 広島少年合唱隊 創立50周年定期演奏会 平成21(2009)年10月17日 広島ALSOKホール |
理念重視の広島少年合唱隊
広島少年合唱隊が創立50周年の記念定期演奏会を開きました。会場は、広島ALSOKホールという大人数を収容するホールが選ばれました。会場のロビーには、プログラムにも掲載されている写真集と年表、50年間のプログラムなどの資料、新旧の制服などが展示され、半世紀の歴史を伝えていました。50年の間には、隊員はもちろんのこと、指導者も変わり、制服のように時代とともに変わってきたものもありましょう。しかし、いつ創られた言葉かは知りませんが、「とどけ、愛と平和のメッセージ」という副題と、その理念に基づく歌は不変でした。この日の6つのステージは、広島少年合唱隊のもつ6つの側面と言ってもよいでしょう。
鎮魂の祈りで始まる第1ステージ
「この合唱団、この一曲」を挙げるとすれば、私は、広島少年合唱隊にとっては、「折り鶴のとぶ日」を第一に挙げたいと思います。原爆投下から10年以上過ぎてから原爆症を発症し、折り鶴が千羽になったらきっと治ることを信じてだんだん冷たく動かなくなる手で鶴を折り続けた禎子のことを想うとき、「これは、ぼくらの叫びです。これはぼくらの祈りです。世界に平和を築くための。」と繰り返される歌に胸が張り裂けそうになります。この歌は毎回聴いても決して飽きないだけでなく、聴くたびに新しい発見がある歌です。佐村河内守の「レクイエム・ヒロシマ」も、すべての虚飾を排した鎮魂の歌で、心にしみるものでした。
委嘱作品の種々相
第2ステージの広島少年合唱隊の委嘱作品では、隊歌にもなっていた組曲「ひろしま」より「平和」。第1ステージの2曲のインパクトが強くて、やや印象が希薄でしたが、卒隊生にとっては忘れられない一曲です。組曲「春の知らせ」より「おばすて山」は、印象的な曲ではあるのですが、荒涼とした精神風景を感じさせるので、選曲としてはもっと温かい曲目がほしかったと感じました。少年期の精神の美を現した「君がいるから」がこのステージの最後に登場したのは、このステージ全体を盛り上げるうえからもよかったと思います。ただ、このステージは、ボーイ・ソプラノによるステージであったために、人数的に30人を切ったことが、ボリューム感と音楽的な不安定さにつながっていたことは否めません。少子化の今、かつての200人のステージは求めるべくもないでしょうが、小学生は各学年10人以上の隊員がほしいと願ったものです。
なお、歌そのものではないのですが、第1と第2ステージでは小学生は旧制服で歌われていました。白と灰色を基調とし、緑をアクセントにする少年の清純さを象徴したこの美しい制服をもう見ることができないとさびしく思っていたので、そういう意味では満足度の高いステージでした。これからも、ステージによってはこの制服を着てほしいと思わずにはいられませんでした。
もう一つの持ち味
第3ステージは、「僕たちのレパートリー」と題して、選ばれた4曲は振り付けに特色のあるものや、歌い上げる合唱曲が選ばれました。この日特にできばえがよかったのは、「With
You
Smire」で、起伏に満ちた曲想をダイナミックに表現して、感動的に歌い上げていました。振り付けの妙が楽しめる「カンタール」は、舞台が左右に広かったので伸び伸びと動きながら演奏していましたが、初演の頃小学生だった隊員が研究科に移ると年齢的に恥ずかしさが出てきたのか、動きが小さくなっていることに一抹の寂しさを感じたりしました。
天国的な響きを
後半は、フォーレの「レクイエム」でスタートしました。30周年以来、10年ごとの記念演奏会にオーケストラの伴奏で演奏されるこの曲のために、広島少年合唱隊は、数年前から取り組んできました。この日は、バリトン・ソロに今田陽次を迎えて、研究科やOBの男声に支えられながら、少年合唱の清澄な響きを味わうことができました。特に、「サンクトゥス」「イン・パラディズム」における天国的な響きは格別でした。今田陽次のバリトンは誇張のない真摯な歌声で、この曲に求められるものを過不足なく伝えていました。この企画では、ソロを歌える少年が成長して変声期を迎えると、それまでの構想を変えなければいけないことも出てくるでしょう。今回は、ソロではなく3人のSoliで行われましたが、声質がそろっていたので、異和感はありませんでした。しかし、やはりここでは、10年前の延原俊介君のようにボーイ・ソプラノのソロがほしいと思ったものです。
理念のわかるコンサート
最後のステージでは、「感謝と未来への希望」と題して、OB・保護者も総出演で日本の合唱曲を代表する「大地讃頌」が歌われました。7曲からなるカンタータ「土の歌」の最後を飾るこの曲には、合唱曲だからこそ表現できる壮麗さがあります。中・高校生の合唱の場合、しばしば背伸びしているとか、最後は息切れしていると感じることもあるのですが、OB・保護者も加わった広島少年合唱隊は、この曲をスケールの大きさを感じさせる演奏に止揚させていきました。最後に歌われた「広島平和の歌」は、最初に歌われた「折り鶴のとぶ日」と対になっていました。
そのような意味で、この合唱隊が、何を追求し、どのような理念をもって半世紀を過ごしてきたのかが克明にわかる演奏会でした。
| 広島少年合唱隊 第51回定期演奏会 平成22(2010)年10月9日 広島県民文化センター |
広島少年合唱隊の定期演奏会に10年連続行くことができました。秋のこの時期公務や準公務と重ならずに行くことができたのはまさに奇跡としか言いようがありません。来年度はどうなるかわかりませんが、この記録は続けたいと思います。広島少年合唱隊の歌にはそれだけの魅力があります。
持ち味を生かして
「僕たちのレパートリー」と題したステージは、これまでにも毎年のようにありましたが、今回選ばれた4曲は広島少年合唱隊の声質の明るさを生かしたものが中心でした。「オリバーのマーチ」を定期演奏会で聞くのは初めてだと思いますが、のどが温まっていない時にこの曲でテンションを上げていく効果もあったことでしょう。将来的にミュージカル「オリバー!」からの抜粋で1ステージを構成してもよいのではないかと思いました。「ビリーブ」「千の風になって」「昴」と次第に歌い上げる要素の強い曲が並び、盛り上がってきましたが、いい気持になって聴いている「昴」の演奏中に、舞台の前の最前列を横断するマナーの悪い青年がいて、雰囲気を壊したのが残念です。
成長を見る
第2ステージは、予科・本科・研究科と各クラスのステージでした。予科の日本古謡メドレーは、放置すると失われていく歌という印象を強くもちました。「まりつき」が危うかったから言うのではありません。「まりつき」は、もともと男の子の遊びではありません。こういう遊びが子どもの世界から消えつつあるから言うのです。本科の「ほたるこい」は、合唱らしいアレンジを楽しむ曲。求められるものを過不足なく表現していました。研究科の「荒城の月」は、この10年間で何度も聴いていますが、今回は「歌」そのものに集中させるというステージでした。この少年たちのボーイ・ソプラノの時代を知っているだけに感慨深いものがありました。
「い」が生きていた
第3ステージは、平和の歌。佐村河内守の「レクイエム・ヒロシマ」を聴くのは2回目ですが、声の重なりがある時は悲痛に聞こえたり、安らぎに聞こえたりしました。「世界の命=広島の心」は、これまで何度か聞いたことがありますが、今回は「命」の「い」に強いアクセントをもって演奏されることで、この曲が伝えようとするものが明確になってきて、心が震えました。それがなければ、意外と平板に聞こえることもあるのです。
合唱だからこそ表現できること
第4ステージは、童謡のメドレーですが、特に「証城寺の狸囃子」は、木魚やお経の擬音を交えた合唱だからこそできる表現を面白く感じました。ゆっくりした歌で始まり、だんだん加速して最後にはおだやかな歌に戻っていくという曲の構成も楽しむことができました。それは、源田俊一郎の編曲の力に負うところも大きいと思います。HBCファミリーの演奏でも源田俊一郎が編曲した「ふるさとの四季」が歌われていましたが、これは、流麗な編曲で4つの季節をつなぐところによさがあります。卒業生やその保護者が、いつまでもつながりを大切にしていることは素晴らしいことです。
「37匹のネコ」
後半は、ミュージカル「11匹のネコ」でした。私はこの曲をTOKYO FM 少年合唱団の演奏で2回視聴しています。原曲は同じでも、演出によってずいぶん違うものになるということを実感しました。結論的に言えば、広島少年合唱隊の舞台は合唱曲としてとても楽しめるステージでしたし、いろいろなところに魅力的な声のソリストを配置していたこともよかったと思います。また、異年齢の隊員が一つになって肩を組み身体を寄せ合い揺さぶって歌う姿に心を動かされましたし、腹ペコのネコたちが「ベートーベン=弁当」「シューマン=焼売」「ショパン=食パン」などと食べ物とを連想するところなどは脚色の面白さを感じました。
さて、このミュージカルは11人以上の人数がいれば上演可能です。私には、TOKYO FM 少年合唱団の演奏は、「ニャン太郎と10匹とその他大勢のネコ」、広島少年合唱隊の演奏は、「37匹のネコ」という違いを感じました。このお芝居の台本では、「ニャン太郎」という傑出したネコが全体をリードするのですが、広島少年合唱隊のステージでは最後まで「ニャン太郎」は誰だったのかわからずに終わりました。あえて、「ニャン太郎」を決めないという演出だったのかもしれませんが、ここだけははっきりさせておいたほうがよかったのではないでしょうか。