「夢(ゆめいろ)コンサート
            ~市場誠一 ピアノの調べ~

              平成18(2006)年11月23日     太子町立文化会館 あすかホール

   3つのキーワードから

 このホームページを運営していますと、各地の知らない方からお便りやお問い合わせをいただくことがあります。ところが、3年近く前にいただいたこのお便りは、もっと驚きを伴うものでした。そのお便りの最後には3つの言葉が書かれていました。

   市場誠一(29歳、兵庫県)

 私の記憶は、日本の児童合唱に興味をもちはじめたころのNHK全国音楽コンクールのことにさかのぼっていきました。その名前は、昭和61年度NHK全国音楽コンクール近畿地区代表で出場した兵庫県太子町立石海小学校のピアノ伴奏をした少年の名前(テロップが数秒流れてアナウンスの紹介がありました)ではないだろうか、きっと年齢的にも間違いない。毎年NHK全国音楽コンクールを見ていると、数校は児童が伴奏しています。その9割は女子児童で、必死になって鍵盤と楽譜とにらめっこしながら演奏している姿が画面に映されます。しかし、この少年だけは違っていました。楽しんでやっている雰囲気が感じられ、それが、演奏にゆとりをもたらしていました。その演奏ぶりは、
「そこにいるだけで大きな人に 明日の明日なれたらすてきだね。」
という課題曲「山があって海がいて」の歌詞とも結びついていました。
「詳しいことは、文にすれば長くなるのでお電話ください。」
同じ兵庫県だから、電話のほうが話が早くすむだろうと思ってお返事を書いたら数日後、電話がかかってきました。
(変だなあ。この電話、エコーがかかったような電話だ。)
しかし、話が進むにつれ、この電話は、兵庫県からではなく留学先のウィーンからかかって来たことがわかりました。
「本当は、歌を歌いたくて合唱部に入ったのに、ピアノ伴奏やることになりました。」
「でも、伴奏やったから、あなたの名前を覚えられたのですよ。」
こうして、交流が始まりました。マルシェ(フランス語で「市場」を表す言葉で、今ではカレーの名前にもなって、そちらの方が有名です。)のハンドルネームで送られてくるヨーロッパ少年合唱レポートは、ドイツ・オーストリアの聖歌隊の現状を伝える価値あるものでした。

   開館記念公演は郷土の音楽家で

 そうなったら、帰国凱旋公演でもあるこのコンサートには、どんなことをしても行かなければならない。20年間の成長をこの目と耳で・・・そんな想いで、兵庫県の東から西へと会場に向かいました。会場の太子町立文化会館「あすかホール」の開館13周年記念を飾るのは、郷土が生んだ音楽家でという想いが伝わってきました。「夢彩コンサート 市場誠一ピアノの調べ」は、これまでに経験したことのないコンサートでした。副題は、「Grüss Gott(やあ、こんにちは)」。この言葉は、ウィーン留学に行って間もない失意の頃、ある老人からかけられた言葉だそうです。文化、風習、価値観等々何もかも日本とは違う中で苦悩の日々。きっと大きな試練であったことと推察しますが、その中で人のつながりを大切にしてきたからこそ得られたものがあり、それが、このコンサートにも反映されていました。
 このコンサート一言で言えば、地域や人のつながりを大切にしたコンサートでした。観客の年齢層の幅広さもありますが、隣に座っている知らない高齢者のご婦人から親しく声をかけられるのも初めての経験でした。ポスター、チラシに演奏曲名がないのが最初は不思議でしたが、もし、ポスター、チラシに「炭坑節」と書かれていたら、お高くとまったいわゆる「クラシックファン」は引いたかもしれません。しかし、会場に入り、ウィーン留学中の出会いをピアノ伴奏付きの朗読で描いたコンサート前半の最後を飾る「オレンジ色の幸せの種」を聴けば、それは当然のこととして受け容れられるでしょう。

   ドイツ古典派の歴史を

 ピアノ・ソロ演奏については、前半は典雅な音色の美しさを、後半は濃密な情念の世界を味わうことができました。プログラムには書かれていない冒頭のバッハのプレリュードは、グノーの「アヴェ・マリア」にも編曲されていますが、粒の美しい音色を味わうことができました。モーツァルトの「きらきら星変奏曲」は、チェンバロ風の音色を追求した演奏で、時々見せるトリルの技巧が自然に曲全体の中にとけ込んでいました。また、ピアノソナタ「月光」は、第3楽章の激情が、1・2楽章で押さえていたぶんだけ大きく発露されたようで、クラウディオ・アラウの演奏を想起しました。最後に演奏されたブラームスは、気難しい音楽家のように思われがちですが、「7つの幻想曲集」で内面のほの暗い情熱が形を変えて複雑に現れるのが興味深かったです。そこには、ドイツ古典派からロマン派に移っていくドイツ音楽の歴史を感じることができました。

   伴奏者として

 20年ぶりに聞く伴奏者としての市場誠一は、脇役に徹する演奏でした。開發邦子のソプラノは、ややくすんだ音色でしたが、曲の山場をつくることにおいて優れていました。吉田信行のクラリネットは、誠実な情緒のある演奏ですが、いつも曲の間に不安そうな表情で楽器を触るので、クラリネットの調子が悪いのではないかと思わせてしまうところが課題です。決して「はったり」はいりませんが、観客をリラックスさせることは必要だと思います。やまもも会の三味線との共演は、異質なもののぶつかり合いが大きなエネルギーを生むという演奏でしたが、「トルコ行進曲」や「ラデツキー行進曲」では三味線がピアノに合わせ、「炭坑節」では、ピアノが三味線に合わせるというところもありました。この二つが対等にぶつかり合う曲はないのだろうかという想いは今でもあります。しかし、このコンサートの主題は、「ふれあい」や「人と人とのつながり」。そういう意味で、このコンサートは演奏者と会場の観客とが一体になって創る主題に合致したコンサートでした。

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