第51回演奏会 大垣少年少女合唱団
平成29(2017)年4月9日
(日) 大垣市スイトピアセンター音楽堂

   団員数が約1.5倍になると

 案内状を見ると27名、プログラムを見ると31名と昨年と比べて、団員数が約1.5倍となり、よりボリュームのある歌声が期待されます。また、男子が4人と増えていることも、歌声に何か変化があるのではないかという期待させられます。今年のステージ1の第1曲目「ゆかいに歩けば」は、中央横の出入り口からから2手に分かれて歩きながら歌い、3番で舞台上の定位置に立つという演出で始まりました。この歌を初めて「みんなの歌」で東京放送児童合唱団の合唱で聴いたときのインパクトの大きさは、今でも覚えています。それは、「ヴァルデリー ヴァルデラー」という意味不明でも何となく楽しそうな掛け声のような部分と、3番の小鳥のさえずりのような高音のオブリガードで、合唱とはこんなこともできるのかという驚きです。それが、このような演出によってより明確に表現されていました。それに続く団歌も指揮者が変わると、強調点が少し違うように感じましたが、最後の音の重なりはたいへん美しく感じました。「未来へのレシピ」「Hello! My Best Friend」「Unlimited」「地球を散歩」と私にとって初めて聴く曲が続きますが、数名の女子団員のよく響く声が全体をリードしているという感じを受けました。また、団員数の増加によって、全体的にボリュームのある歌になっていました。

   いろいろなタイプの歌を

 ステージ2は、新入団員による「ハバネラッコ・ハバネラ」で始まりました。明るく元気な歌声の中にも、響きをそろえようとしていることが伺えました。続くボーイ・ソプラノの独唱は、今春中学生になった松野孝昌君によるシューベルトの「アヴェ マリア」。バッハ=グノーの「アヴェ マリア」を日本のボーイ・ソプラノで聴くことは何度かありましたが、シューベルト作曲のものは初めて聴きます。日本語訳のものでしたが、よく響くゆったりした歌唱で、このようなリリックな声質としてはたっぷりとした声量もあり、昨年よりもさらに磨きがかかったように感じました。その後は、女子のグループによる「どじよっこふなっこ」「はくさいぎしぎし」「からすかねもん勘三郎」とわらべうたを合唱曲に編曲した曲が続きますが、ここでは、統一感の見られる精緻な合唱を楽しむことができました。
 このステージの後半は、童声のための組曲「西風来来」より「西風未来」「ほろ馬車でいこう」「氷のカリンカ」の3曲が抜粋して歌われました。最初この合唱組曲は、いろいろな国の民族音楽をベースにした作品かと思っていましたが、必ずしもそうではないようです。「西風未来」では、中国風の旋律が面白く、「ほろ馬車でいこう」は、明るい弾むような歌に仕上がっており、「氷のカリンカ」は、だんだんアップテンポになって盛り上がっていく舞曲のようなところが聴きどころの演奏になっていました。また、振り付けも自然なもので、歌に集中できました。

   オペラやミュージカルは予習が必要

 ステージ3は、モンゴル民話 オペラ・ミュージカル「スーフと馬頭琴」(短縮版)で、小学2年生の国語の教材になっている「スーホの白い馬」と同じ原作なのかなあと思いながら聴いていました。結局、それは抜粋のためか、原作をもとにして演出されているためか、はっきりわかりませんでした。このステージは、モンゴルの民族衣装を着た蒔田義信さんの馬頭琴の演奏で、始まりました。心をかきむしられるような音色の演奏でした。ストーリーは、羊飼いの少年スーフと白い馬ツァスとの強い心の絆から楽器「馬頭琴」が生まれたことを描いた作品でした。ストーリーを追うことを中心に鑑賞していると、歌そのものの印象はやや薄くなります。オペラやミュージカルでは、ストーリーやアリアの位置を予習をしてから鑑賞しないと、聴きどころがわからないことを痛感しました。なお、この作品全編は、9月3日に上演される予定です。

 ウィーン少年合唱団 2017 日本公演
平成29(2017)年5月27日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール

      カぺルマイスターの違いで

 ウィーン少年合唱団の来日が、東日本大震災の年を除いて毎年になり、各コアが4年ごとに来ると、団員は総入れ替えになっているというルールが確立しつつあります。ですから、来日時にトップソリストであった団員の印象が強く残ります。また、4年前のモーツァルトコアのカぺルマイスターは、キム・ポミという韓国の先生で、熱情が前面に出る指導が心に残っていますが、今年は、ルイス・ディ・ゴドイというブラジルの先生でした。挨拶も誇張したところがなくゆったりと滑らかな日本語で、ピアノも上手です。それよりも心に残ったのは、ゴドイ先生は、指揮が流麗でまるで舞踏のような動きをされるときもあったことです。もちろん、演出は団長で音楽監督のゲラルト・ヴィルトはじめ、指導者の先生方がかかわっておられるとは思いますが、団員の少年の素質は、指導者の指導によって磨かれていくことを痛感しました。そして、2日間とも今年のモーツァルトコアの歌唱水準は、最近の中で最も高かったように思います。

   ザ・シンフォニーホールの構造を生かして

 プログラムAは、宗教曲をメインにしたものでしたが、第1部のスタートは、パイプオルガンの前にメンバー数人が並び、残りの団員は上手と下手から舞台に現れ、グレゴリオ聖歌「あなたに向けてわが魂を」を歌いながら舞台を降りて、真ん中の通路で交差して、1周して反対の側の舞台に上がって中央の雛壇に並んで歌うという演出は、このザ・シンフォニーホールの構造を生かした見事な演出で、どの会場でもできないようなものを見ることができました。このステージでは、来日以来ファンの間で評判になっていたイェトミール君がモーツァルトのカンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」とハイドンのミサ曲第5番「神なる聖ヨハネのミサ・ブレヴィス」より「ベネディクトゥス」で、重要なソリストを演じましたが、その歌声は輝きと陰影の両方を兼ね備えており、その歌声どこまでも伸びるのではないかと思わせるほどの表現力の高い少年で、おそらく今ボーイ・ソプラノの頂点に向かっていると思われるその歌声は気品があって陶酔的でした。その間に歌われたシューベルトの「詩篇 第23篇」は、かえって温和なハーモニーが心にしみました。また、スルツァー「精霊よ来たりたまえ」は、初めて聴く曲ですが、団員がステージ全体に等間隔で散らばって歌い、他の曲と聴こえ方が違っていました。その他、このステージで心に残ったのは、ウェッバーの「ピエ・イエズ」で、デュエットした二人の声質の違いがよい組み合わせになっていました。宗教曲は、聴き慣れものもありますが、数多く聴くことで聴きどころが少しずつ分かってくるよう思います。このステージの最後は、ヴィルトによる日本初演の「カルミナ・アウストリアカ」より抜粋でしたが、「カルミナ』という言葉から見られるように、「カルミナ・ブラーナ」と重なって聞こえるところもありましたが、楽器の音色も加わって生命力を感じる演奏でこのステージを締めくくりました。

   観客を楽しませるツボを心得た選曲と演出

 第2部は、北海道民謡の「ソーラン節」で始まりました。以前にもこの歌は採り上げられましたが、その時はピアノとジャンベの伴奏だけで振り付けはそれほど派手ではなかったように記憶しています。それが今回は、最近日本の学校で運動会でも採り上げられることが多い「よさこいソーラン」の振り付けで、特にセンターの3人は歌よりも踊りが中心であるかのようで、しかもその踊りがどこかテクノダンスを思わせるところもありました。いずれにせよたいへん迫力のある演奏に仕上がっていました。運動会と違うのは、法被姿がセーラー服というところでしょうか。掛け声役のサッシャー君は、アルトの声質であるだけでなく、他の場面でも歌全体を支えていることが伺えました。続く、コジャットの「ひとりぼっち」は、初めて聴く曲ですが佳曲という言葉がぴったりする上品な仕上がりになっていました。モーツァルトの「春のはじめに」は、日本人のシュンタロウ君とキイ君の東洋コンビ。歌声は、やさしいがやや速めの仕上がりで、年齢的にもこれからの成長株で、次世代のソリストを育てるということも考えての起用だと思います。「ふるさと」やウェルナーの「野ばら」のような定番曲は安心して聴くことができます。今回は、最後にシュトラウス一家の2つのポルカと1つのワルツを採り上げましたが、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「休暇旅行で」と J・シュトラウスⅡ世のポルカ・シュネル「観光列車」は、速くにぎにぎしく、一方、J・シュトラウスⅡ世の「皇帝円舞曲」は、前奏をピアノで長く弾くことによって、優雅さを前面に立ててあえてポルカとワルツを区別した演奏であると思いました。それは、アンコールのヨーゼフ・シュトラウスの速い速い「水兵のポルカ」でも感じることができました。アンコールのもう1曲は、「ビューティフル・ネーム」で、日本ではもう40年近く前の懐かしい曲の一つになってきていましたが、編曲によって新たな元気な生命を与えられたように感じました。

 ウィーン少年合唱団 2017 日本公演
平成29(2017)年5月28日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール

   演出の妙

 昨日のプログラムAの水準がたいへん高かったので、この日のプログラムBにも期待が高まります。冒頭のヴィヴァルディの「グローリア」ニ長調より、冒頭の合唱は、ステージの上手と下手から登場しながら歌うのですが、神の栄光を讃える「グローリア」であることもあってか最初からかなり華やかで力強さを感じるものでした。その他心に残っている曲としては、フォーレの「レクイエム」より「ピエ・イエズ」のソロが、レーニ君の透明度の高い天国へ誘うような歌声で、心に安らぎを与えてくれました。モーツァルトのカンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」は、昨日も聴いたので、多少聴きどころもわかって聴くので新たな発見もできました。それは、イェトミール君は、高揚したところから、意図的にすうっと声を弱めていき消えなんとする響きの美しさを聴かせてくれました。ヘンデルの歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」より「この胸に息のある限り」においても、クレオパトラの複雑な心境をよく歌いこんでいました。ビゼーの歌劇「カルメン」より子どもたちの合唱と行進曲 「兵隊さんといっしょに」は、オペラの演出とは全く違うウィーン少年合唱団のステージのための演出で、フローリアン君が隊長役となって、観客に敬礼して握手する振り付けで、ほかの子どもたちは舞台上で隊形変換しながら行進して歌います。その間、子どもたちは見られていないだろうと思っていたずらしたり、ふざけたり。このような演出の妙が面白かったです。また、第1部最後のブラジルの歌は、「クラホ族の3つの歌」は、カぺルマイスターのゴドイ先生にちなんでか、民族音楽にはこんなものもありますよといった、演出の妙を楽しませる曲を持ってきました。もう、ここでは誰の歌がどうだではなく、舞台そのものを楽しもうと思って見ていました。

   世界の旅

 プログラムBのテーマは、「ウィーン少年合唱団とつなぐ世界の旅」ですが、第1部を鑑賞していると、宗教曲もたくさんあり、このテーマを忘れていました。第2部は、最初から民族衣装を着てステージに現れる団員もいたので、改めてこのプログラムのテーマを思い出したような次第です。このステージでは、ケルンテン地方の民謡「ふるさとの谷の小さなベル」から始まりましたが、前で帽子とりゲームをする演出が面白く、村祭りの雰囲気が伝わってきました。また、昨日も歌われたシュタイアーマルクの牛追い歌「再び雪解けになり始めるころ」では、レーダーホーゼンと呼ばれる半ズボンの民族衣装を身につけた4人の少年が踊りながら歌うという本来の演出で楽しませてくれました。シャーマンの映画『メリー・ポピンズ』より「チム・チム・チェリー」は、サッシャー君がスケートをするような振り付けで歌い、広いステージ全体を使ったダイナミックな歌が楽しめました。だから、その後に聴く「アメイジング・グレイス」がより真摯な曲に聞こえるのです。日本の歌「花は咲く」「ビューティフルネーム」も、おなじみの演出と聞き取りやすくなってきた日本語が心に残ります。最後は、ヨーゼフ・シュトラウスの「水兵のポルカ」とJ. シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」は、ポルカとワルツの組み合わせ。「美しく青きドナウ」では、デュエットもたっぷり聞かせてくれました。そして、アンコールは、昨日のステージでも聴いた「ふるさと」「ソーラン節」華やかに締めくくりました。

   進化するウィーン少年合唱団

 このような副題が適当なのかどうかはわかりませんが、ウィーン少年合唱団も進化し続けています。それは、むしろ歌そのものよりも演出に見られます。それは、伝統文化を維持するだけでなく、エンターテイメントの文化が発達した現代を生き抜くため、あるいは国際化を意識したものです。その方向性は、正しいと思います。あらゆるものは進化を怠れば衰退につながっていきます。それと同時に、日本の少年合唱の振興や少年少女を含む若い世代の観客を獲得するためには、来日中のテレビ出演もNHKの「うたコン」で「ビューティフルネーム」を歌うだけであってほしくないと思います。オファーがかからないというなら、それは招聘した日本のスタッフがテレビ局に対して働きかける努力すべきです。そういう戦略的な発想をもって対応しないと、少年合唱を日本に根付かせることは難しいと思います。

 バーンスタイン作曲 ミサ上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
平成29(2017)年 7月15日(土) 大阪 フェスティバルホール

 予備知識をほとんど持たずに鑑賞した「バーンスタインのミサ」は、キリスト教の典礼のミサというよりは、反ミサのオペラのような仕立てで、司祭役はバーンスタイン自身であるようなつくりになっていました。この作品の背景には、ベトナム戦争で疲弊した当時のアメリカ社会の混迷やヒッピー文化真っ盛りの時代的なものがあります。音楽的には、ラテン語・英語・日本語等が入り混じっただけでなく、バレエや児童合唱と共に、ロックやブルースなどがあちこちに登場します。演劇的には最後には、司祭自身が儀式用の杯を床に投げつけ、祭壇の飾られた布もはがしてしまい、床に転がって神への不信を訴えるというミサという名の反ミサに唖然としてしまいました。

 司祭役の大山大輔は、最初から最後までほぼ出ずっぱりで、このミサの骨格をつくっていましたが、次々と登場する日本ではかなり高名な声楽家たちもストリート・コーラスの一員という扱いで、贅沢な配置でした。また、児童合唱やボーイ・ソプラノソロの部分だけ取り出して聴けば、なかなか素晴らしい出来で、男子率7割超という日本では珍しいキッズコール OSAKA による児童合唱もよい響きを出していました。児童合唱やボーイ・ソプラノソロの部分は4か所出てきます。第2曲の第一入祭文では、マーチング・バンドに率いられストリートコーラスが上手下手の花道から登場して、ボーイ・ソプラノが中央で歌います。この動きがなかなかよくできていました。第6曲のグローリア 栄光あれは、独得のリズム型が面白く、神への感謝が過去のものになったと歌うところが神の栄光を讃えるのとは真逆になっていました。第12曲のオッフェルトリウムでは、司祭の語りの後、少年合唱・聖歌隊の交唱に手拍子が加わり、高揚感を伴って踊り出すところが動きとして面白かったです。第17曲の平和・聖餐式「シークレット・ソング」では、ボーイ・ソプラノの込山直樹は、透明度の高い声質を生かして、天上よりすべり台を使って下界に下りてきて、白いピアノの上に立って歌うという演出は魅せてくれました。少年は 歌いながら、倒れていたストリートコーラスを一人一人起こしていくところが、この世の崩壊後の救済や復活を表現していたのでしょう。また、たとえミサに描かれたようなキリスト教的世界は否定しても、未来は子ども達に託すしかないということでしょうか。井上道義の指揮はダイナミックで、その身体能力の高さは、指揮だけでなく舞台によじ登るところにまで随所に感じられました。

 このように、視点をもたずにこの作品に接すると、断片的な印象だけが残ってしまいます。一度観ただけでは、全貌を深く理解することはできませんが、バーンスタインが「宗教」「政治」「音楽」を一体として考え、このような破天荒な作品に仕上げたということはできるでしょう。

 京都市少年合唱団 創立60周年記念演奏会
平成29(2017)年 8月20日
(日) 京都コンサートホール

 今回は、創立60周年ということもあって、久しぶりに門川大作市長のご挨拶を聴くことができました。第1部は、いつもは、現役団員の全員合唱で始まるのですが、今年度は創立60周年の記念記念演奏会ということで、OB約80名がOBメモリアル合唱団として特別参加し、総勢約300人がステージに立ち、重厚ななハーモニーを響かせてくれました。注目してみると、男子の制服のネクタイがストライブに、女子のネクタイがリボンに変わっていました。これが小さな変化か大きな変化かはわかりませんが、舞台衣装は見た目も大切です。「京都古今東西わらべ歌」は、いかにも京都らしい「丸竹夷」と「京都市歌」をアレンジした作品でした。また、「ハレルヤコーラス」こそは、約300人のボリュームある歌声が堪能できました。

 続いて聴いた新団員のステージは、「カエルのポルカ」「地球をつつむ歌声」「地球星歌~笑顔のために~」は、入団以後5か月という時間を感じさせないきれいなハーモニーを聴くことができました。特に、「地球星歌~笑顔のために~」は、音楽的に聴き応えのある合唱曲に仕上がっていました。ところが、このステージで気づいたことは、小さなことかもしれませんが、男子団員が全員新団員であるにもかかわらず、半ズボンと長ズボンと混在していたことです。このあたりの不揃い感・バラバラ感が、とても気になりました。小学生は半ズボン、あるいは小学生でも変声したら長ズボンとか一定のルールをつくらないと、せっかくの新たな制服が意味をなさなくなります。

 今年の都紅葉の選曲は、ソリをメインにした曲でした。また、それが生きるような選曲であったと思います。さらに、今年の特色の一つは、選抜組「響」を登場させたことです。これは、音楽の質を高めるためには、必要なことだと思います。事実、演奏を聴いてもその質の高さや群像劇のようなステージも見て楽しめるステージと言えるでしょう。

 今年も、1部と2部の間には、京都市少年合唱団OB会合唱団によるロビーコンサートありました。しかし、人数も例年の1.5~2倍ぐらいで、選曲も「美しく青きドナウ」や「大地讃頌」という合唱曲の王道を行くものであったため、これまで以上に力強さと感動のあるステージでした。また、女声の中にカウンターテナーの方もいるところが、この合唱団の質の高さの表れでもありましょう。

 みやこ光は、大谷圭介先生の指導によって、さらに一段高い段階に立つことができました。それは、「地平線のかなたへ」の「サッカーによせて」の群像劇のような演出だけでなく、それぞれの歌がもっている面白さをどう伝えるかということが見えてきたからです。また、京桜の女声合唱組曲「海鳥の詩」は、厳しい寒さの中に生きる鳥たちの姿が浮かび上がるような演奏でした。

 この日のために千原英喜によって作曲され、初演された児童合唱とピアノのための組曲「銀河鉄道の夜」は、必ずしも、宮沢賢治作の「銀河鉄道の夜」だけではなく、賢治の残した短歌や童謡、手紙文から抜粋されたもの、作曲者本人の創作詞を交えて構成された詞に作曲されたもののため、「銀河鉄道の夜」そのものの音楽というわけではないようです。当初ジョバンニやカンパネルラのテーマ旋律があって、それが銀河鉄道の旅の中で交錯していくのかなと思っていましたが、そうではありませんでした。もう30年も前のこと、映画「銀河鉄道の夜」の登場人物がネコなのに違和感を感じたのとはまた違った違和感がありました。2回、3回と聴くことで、この曲のよさがわかってくるようになるのかもしれませんが、私は、加藤完二先生の指揮をしても、一度だけでそれを感じることができなかったというのが、正直な感想です。

 フレーベル少年合唱団第57回定期演奏会
平成29(2017)年8月23日(水) 文京シビック大ホール

   今年の可能性は何だろう?

 昨年度、フレーベル少年合唱団の定期演奏会は、「子どもの可能性を限定してはいけない。」という野本監督の理念によって、「沖縄」の音楽という形で体現されましたが、今年度は、むしろ正統派の合唱音楽という形で結実しました。それは、オープニングのS組・A組による団歌ではまだわかりませんでしたが、Part1のS組の「ボヘミア民謡とドイツ・オーストリアの調べ」によって、はっきりとしてきました。佐藤洋人先生の流麗な指揮に導かれて、「Abschied ~別れの歌~」が始まると、指導者の指導理念が次第に浸透して少年合唱団員の声の透明度が増してきたことが伝わってきました。「おお牧場はみどり」は、長年TOKYO FM 少年合唱団のオープニングで聴く歌声とはまた違ったものでした。TOKYO FM 少年合唱団の歌は活力を感じ、フレーベル少年合唱団の歌は柔らかな表現力を感じるので、その違いを面白く感じました。だから、そのような質の歌声は、「歌の翼に」のような流麗な曲でこそ最大限に生かされてくるのです。「流浪の民」では、ソロやデュエットにおいては、個性的な歌声が聞こえるのに、全体として統一のとれた歌声になっているところが魅力的でした。

   A組の実力向上が全体の向上に
   
 Part2は、「ぼくらのともだちアンパンマン」で、幼稚園年長と小学1年生のB組が「ドレミファアンパンマン」と「アンパンマンたいそう」の2曲を歌いましたが、去年までと違って、歌に集中したステージでした。
 Part3は、A組が昨年度と同じ「楽しい童謡を集めて」と題したステージでしたが、曲目は昨年とは全く別で、いわゆる昭和(戦後)の子どものための歌を集めたステージとなりました。「犬のおまわりさん」は、鳴き声を前面に立てたユニークな編曲で面白かったです。「さっちゃん」は、友竹正則さんの歌は覚えていますが、少年合唱で聴くのは初めてです。こういう本来独唱曲や斉唱曲として創られた曲は、合唱曲にする場合、このステージで歌われた歌は、必ずしも「童謡」というジャンルに入らないものもありますが、「みんなのうた」や「歌のメリーゴーランド」等で歌われた歌です。最近の「みんなのうた」は、昭和の頃のジュニア・ソングとは違った路線を走っているように感じますが、このステージで歌われた歌が、子ども達に歌い継がれることを願っています。このステージでは、A組の実力向上が、全体の質的向上を支えていること感じました。それは、特に「小さい秋みつけた」の中間部分でソロを歌った団員の歌声を聴くことでより確かなものとなりました。このステージの終了後、プログラムにはありませんが、私服に着替えたS組の団員たちによって、最近録音した「PRIDE」の歌声に合わせてダンスが披露されました。こういう企画も「子どもの可能性を限定してはいけない。」という野本監督の理念につながるのでしょう。

   少年たちの歌声の延長線上にOB会の合唱が

 Part4は、「ありがとう、先生」と題して、初代指揮者磯部俶生誕100年記念というステージでした。このステージの主役は、OB会でしたが、歌の合間に野本監督と太原OB会長の会話から、磯部先生の合宿時のかくし芸大会のエピソードを通して、そのお人柄の一端にふれることができました。また、夏期休業中の合宿が、当時の少年合唱団の団結を強める上で大きな働きをしていたことを改めて感じます。
 「風になりたい」は、最初同名の違う曲を想像していましたが、磯部俶先生が作曲された作品はワルツ風の曲で、爽やかで躍動感のある部分と、陰影のある部分の対比が面白い三部形式の歌が流れるように表現されて、最後には大きな高みへと導かれていました。「ふるさと」は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」という室生犀星の格調の高い詩の心を丁寧に伝えようとしていることを感じました。この曲は、少年合唱には向いていませんが、人生経験を積んだ男声合唱にこそふさわしい曲です。ここで、A組が登場して、童謡「びわ」がゆったりとした柔らかい声で歌われました。さらにS組23名とOB会の混声合唱で「遥かな友に」が歌われたとき、この2年余りの間の指導によって透明度が高くなってきた少年たちの歌声の延長線上にOB会の合唱があることを強く感じました。2年前にはそれぞれが同人数で歌いましたが、声量のバランス的には、これぐらいの人数比の方が、よいと感じました。少年たちの声はあくまでも素材であって、それをどういう理念で指導して理想の歌声に高めてくかということが大事であり、変声期以後も歌い続けることによって、OB会のような歌声につながっていくということを感じさせるステージとなりました。

   信長貴富の曲は引き出しが多い

 Part5は、「みんなでうたう ぼくらのみらい」と題して、今いろいろな合唱団が好んで採り上げている信長貴富の作品が演奏されました。しかも、信長貴富ご本人が会場に来ておられ、ステージに上がって野本監督と対談するという企画もありました。どちらかというと、演奏する曲の説明はほとんどなく、むしろ合唱の周辺の話が多かったのですが、この日聴いた曲は皆初めて聴く曲ばかりなのに、いろいろな色に染め上げられていて、これまで知っていた信長貴富の曲が、中高生によって歌われることの多いごく一部分でしかなかったことを痛感させられました。何よりも信長貴富の曲は引き出しが多いというのがこの日の感想です。特にS組が挑んだ「群青」は、信長貴富作曲ではなく編曲でしたが、編曲によってどれほど合唱曲は質的に高められるかを感じさせる曲でした。「ゆずり葉の木」に寄せるバラードは、詩「ゆずり葉」の朗読に始まり、それが壮大な物語詩に発展していく展開に心を揺さぶられました。

 このコンサートにおける課題は、むしろ観客の方です。保護者は幼児をもう少しきちんと指導してほしいとです。少なくとも演奏中に走る子どもは、保護者の責任です。こういう幼児がそのまま育てば、日本の未来を託する気になれないのです。「ゆずり葉」は、日本の未来を託したい子どもに捧げる詩です。


その他のコンサート


ミュージカル(「葉っぱのフレディ」)

少年少女合唱団(横須賀少年少女合唱団・守口市少年少女合唱団・大垣少年少女合唱団・全日本少年少女合唱祭全国大会


市場誠一ピアノコンサート

秋山直輝ソロコンサート

貞松響ソロコンサート


栗原一朗ソロコンサート

小川歩夢ソロコンサート

ウィーン少年合唱団

マイキー・ロビンソン ソロコンサート

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