未来和樹 SINGS HEART LIVE 2019
令和元(2019)年5月11日(土)大阪京橋「BERONICA」

 この日は、楽しい春宵を過ごすことができました。TwitterやSNSを見ても、この会場に来て鑑賞した人たちの「ああ、楽しかった。」という声が溢れています。「いいじゃないの、楽しければ。」そのとおりです。楽しいひとときを過ごしたいという想いが、ライブコンサートに足を運ぶ人々の動機かもしれませんが、コンサートが終わった後、このコンサートの楽しさの本質は何だろうかと改めて考えてみました。この辺りに私の「こだわり」があります。

   企画と選曲から

 今回のライブコンサートの企画が表に出たのは約半年前の昨年の11月でした。昨年2月に熊本シティFMの『ゆるるアフタヌーン』に出演した未来和樹は、将来の夢として、「大きなミュージカルにも出てみたいと思うんですけど、今の一番の夢としては小さな劇場でもいいので、もっとお客さんと近い状態で僕が作った台本で作詞作曲をしたミュージカルをしてみたい。」と、語っています。それを聴いたとき、この発言のキーワードは、「お客さんと近い状態で」という距離感だと感じました。今回の会場が約100席あまりの「BERONICA」という総合エンターテインメントダイニングであったことは、そのような夢を満たすことにもつながっていました。また、あえて『ビリー・エリオット』の出演が叶わなかった大阪の地を最初の会場に選んだということは、「リベンジ」といった言葉で表現できるような軽いものではなく、この地で逢えなかった人と逢える夢を実現しようという強い意志さえ感じました。また、当然のことながら、選曲は、自分の現時点での声の状態やゲスト出演者のよさ・持ち味をどう生かすかということを考えて企画されたことでしょう。
 未来和樹の歌声は、1年前と比べて低音から高音までどの音域でも響きが豊かになっており、ファルセットも含め、変声期が終わりに近づきつつあることや、低音ほど安定し、さらに高音では、まだ伸びしろのあることを感じさせました。選曲は、大別するとミュージカルのナンバーと昭和歌謡・J・POPSで、好みも様々であろう幅広い年齢層の観客を意識したものになっており、初めて聴く曲でも、その曲のもっている雰囲気を俯瞰することができ、知っている曲では、その歌(曲)の背景にあるストーリー性を浮き彫りにしていることが伝わってきました。それは、「ヨイトマケの唄」や「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」「木蘭の涙」のような曲で顕著でした。それは、「SINGS HEART LIVE」というこのコンサートのテーマとも直結していました。また、ミュージカル『モーツァルト!』からヴォルフガングの二つのナンバーが歌われましたが、「残酷な人生」では、母の死による慟哭が伝わり、「僕こそ音楽」では、湧き上がってくる抑えきれない情熱が高揚して次第にファルセットに移っていくところを楽しむことができました。「僕こそ音楽」を聴くのは、昨年に続き2回目ですが、声による表現力が確実に高まっていました。ピアノの弾き語りも、視覚的にはダイナミックでありながら、内面的にはとても繊細で、この矛盾する二つを両立させるのは何だろうと思っているうちに歌は終わりました。『今の僕の集大成』いい言葉だなあ。この言葉によって表されるものがこのコンサートの楽しさの核になるものです。

   ゲストとのつながりから

 この日は、吉岡花絵、城野立樹(しろのりつき)、Theater Dance Unit COCO、岡井麻理子(ピアノ)という未来和樹のこれまでの人間関係の中から選ばれた人がゲスト出演しましたが、それぞれのゲストの持ち味がどう生かされていたかを述べていきましょう。
 吉岡花絵は、2013年のミュージカル『アニー』の主役を演じたことがあり、現在も大学で本格的に声楽を学んでいる人です。未来和樹とは、全国各地にある児童劇団「大きな夢」のつながりで以前CD録音で知り合ったとのことですが、その会話からもお互いがリスペクトしあえる人間関係であることが伝わってきました。ミュージカル『ミス・サイゴン』の「命をあげよう」では、重い内容の歌を母性的なやさしさをもって表現し、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の「夢やぶれて」では、絶望の中においてかすかな希望の光を感じるような歌唱でした。それよりも、未来和樹とのデュエット曲では、透明感のある声でありながら、コーダのお互いの声の重なりが巨大なマグマのように伝わってきました。
 城野立樹は、『ビリー・エリオット』のビリーとマイケルとして共演したつながりが、この日につながりました。城野立樹は、このステージでは「大阪のおもろい子」の雰囲気を前面に出して、このステージの中でのいわゆる「笑い」の部分を担当していました。とりわけ、『ミー&マイガール』では、ビリーとマイケルを逆転させたような女装シーンのコントで服を脱がせる場面で、急いでマイクまで一緒に落ちてしまったのも台本に書かれた芝居の1シーンとしてしまう機転や『十二番目の天使』に出演した城野立樹が、主演の井上芳雄にごちそうになった場面の会話をギャグにして笑わせてくれました。(このギャグは、東京では見ることができないはずです。)また、タップダンスの共演も楽しめました。
 Theater Dance Unit COCOは、現在は東京の大学に進学して活躍しているダンスユニットで、未来和樹とは、熊本におけるダンスの同門生。彼女たちにとって、この会場のステージは広さの面でその持ち味を出し切れる空間だったのかどうかはわかりませんが、6人の出演者が踊るオープニングでは、6人の動きがみんな違っていながら、全体として一つのものを創り上げているところを楽しく観ていました。与えられた空間でできる限りの華やかさを感じさせるステージでした。
 岡井麻理子は、熊本在住時の未来和樹のピアノの師と言うことで、伴奏者としては、未来和樹のこだわりの強い注文に応え、独奏では、ビリーが夢の中でオールダービリーと踊る「ドリームバレエ」を意識してか、「白鳥の湖」の「情景」を演奏しました。オーケストラで聴くことしかなかった繊細なだけと思っていたこの曲をピアノ独奏すると、繊細さも生かしながら、このようにドラマティックな曲になるのかというのは驚きでもありました。
 このようにして、ゲスト出演者のよさ・持ち味を引き出し、ステージ全体を構成する未来和樹の演出家としての才能は、昨年のステージ以上に発揮されていました。これも、楽しさの大きな要因です。

   語りで伝えたかったこと

 未来和樹が会話において当意即妙の受け答えができることは、これまでにも感じていましたが、それは、共感性の高さともつながっています。このステージの中では、出演者との会話以外に大きく2つの語りがありました。一つは、「こだわり」という言葉で表現できる自らの成育歴の中で培われてきた特性であり、もう一つは「変声期」との対峙でした。
 「小学生の頃、図工の粘土で何かを創るとき、放課後まで残って納得できるものを創っていました。(大意)」そのようなこだわりが、このステージにもいかんなく発揮されていました。そのような語りの直後に歌われたのが、「ヨイトマケの唄」。まさか、このコンサートにこの歌が登場するとは思ってもみませんでした。この歌、美輪明弘(当時は本名の丸山明弘)によって創唱され、テレビを見て(いい歌だなぁ)と思っていたら、次第に聞くことがなくなり、(どうせ、流行歌はみんなそんなものさ。)と思っていたら、それどころか、この歌はある期間「放送禁止歌」になっていました。その理由は、「土方」という言葉が、差別用語だからということです。「何と愚かな!それって、木を見て森を見ないことじゃないのか。この歌は、差別を助長する歌ではなく、差別に負けずに力強く立派に生きた人の生きざまを表した歌じゃないか。」と、思いました。ところが、それから約四半世紀、夜遅く仕事から帰ってテレビのスイッチを入れたら、「そして歌は誕生した」というNHKの番組で、「ヨイトマケの唄」を採り上げているではありませんか。その番組の中で、作詞家のなかにし礼は、「この歌は明治以後の流行歌の中で最高の歌だ。」と絶賛しました。その少し前頃から、桑田佳祐、泉谷しげる、槇原敬之、米良美一・・・ジャンルを問わず、多くの歌い手がこの歌を積極的にコンサートで採り上げて歌い始めました。ついに、平成24(2012)年の紅白歌合戦では、最高齢の77歳での初出場の創唱者 美輪明弘がこの歌を歌って、その感動は全国的に甦り、新たな命を得ました。そして、この日、未来和樹がこの歌を採り上げました。この歌を採り上げた理由等は、ご本人しかわからないことであると同時に、聴き手の想像力の問題でもあります。
 変声期への対峙は、ツイッタ―情報だけを読んでいた私にとっては、想像以上のものでした。「朝起きたら、昨日出た高さの声が出ない。歌える歌がだんだん少なくなってくる。1オクターブぐらいしか声が出ない時もありました。ツイッタ―には、神様が・・・等と書きましたが、本当は、泣いていました。」こんな本心からの言葉を会場の観客は、頷きながら受け容れて聴いていました。もう、それ以上言わなくてもいいんです。もしも、思うように声が出ないという辛い想いをツイッタ―でつぶやいていたら、心配や慰めと励ましの言葉は返ってくるでしょうが、それ以上のものは返ってきません。自らの成長を受け容れて、その時々でできることをしていくしかないんです。むしろ、昨年5月のコンサートは、企画段階も含めて、そのような苦悩の中でやり抜いたということがわかってきたら、そこから、新たな感動が生まれます。今は、「朝起きたら、昨日出なかった高さの声が出る。歌える歌がだんだん増えてくる。」ときでしょう。ところで、全国にいるであろう変声期を迎えた歌の好きな少年との大きな違いは、日本を代表するミュージシャン(井上芳雄、山崎育三郎、中川晃教、槇原敬之)が、楽屋を訪問した時に、自分の体験をもとに、変声期への対応をアドバイスしてくれたことです。それは、歌声を仕事にする道において、その将来を期待し、後に続く人材を育てたいという気持ちがあったからではないでしょうか。そのような意味では、何と幸せな少年でしょう。このような曲と曲をつなぐ語りの中に表れる人間的魅力もこのコンサートの楽しさに直結していました。

 そのような意味で、このコンサートは単にステージと客席の距離が短かったと言うよりも、距離を近づけるために自ら客席を回って歌い、ステージと客席が一体になったコンサートでした。また、何よりも未来和樹にとって、大阪の地が楽しい思い出の場所へと変わってよかったなと嬉しく思っています。

ウィーン少年合唱団 2019 日本公演
令和元(2019)年5月25日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール

    身長170cmぐらいのボーイ・ソプラノに驚き

 毎年、大阪では1日目がAプロ、2日目がBプロなのですが、今年は逆でBプロから始まりました。オープニングはステージ上手と下手に分かれた26名の団員が、太鼓とタンバリンの音に合わせて『ピエ・カンツィオーネス』より「喜びたまえ」を歌い入場し、ピアノを挟んで2列に並ぶと、ピアノの両横の4人は身長170cmぐらい、アルト側の最前列は、マノロ先生とほぼ同じぐらいの身長で180cm近くあるのではないかと感じました。日本人の少年なら身長150cmを超えると変声期が始まる比率が急に高くなるので、今年の団員たち変声期は大丈夫だろうかと思いながら聴いていましたが、その心配は杞憂に終わりました。変声期に入った団員はファルセットを駆使して歌っているのでしょうが、むしろ、全体的には明るめの可憐な声が基調でそこに力強いハーモニーが加わった合唱でした。日本人と外国人(今では、ウィーン少年合唱団員もインターナショナル化して、プログラムの名簿を見ても、オーストリア出身は少なそうですが)の子どもの成長の違いも痛感しました。マノロ先生は、「みなさ~ん、こんにちは!」で始まるくせの強い日本語での挨拶でしたが、令和が始まったことを祝うというメッセージはきちんと伝わっていました。今年が日墺国交150周年ということは、明治2(1869)年に明治新政府とオーストリア=ハンガリー帝国の間に結ばれたことになりますが、その間両国とも政体は変わり、オーストリアは最近政権が不安定化していますが、ウィーン少年合唱団の公演はつつがなく進行しています。2曲目はパーセルの「来たれ、汝ら芸術の子らよ」は、ソリのユニゾンとコーラスが混じり合って曲を創り上げていきました。3曲目のアイブラーの「サバの人々は来たる」は、170cmぐらいのソプラノのソリスト達が、競うように高い声のロングトーンを響かせてくれました。シューマンの3曲は、どれも初めて耳にする合唱曲でしたが、思ったよりも親しみやすく、アンサンブルとして楽しめました。また、おなじみのウェルナーの「野ばら」や、ジルヒャーの「ローレライ」のような曲をプログラムに入れることで、クラシック音楽になじんでいない観客も安心して聴けたことでしょう。第1ステージ最後のビーブルの「アヴェ・マリア」は、団員ががステージ全体を取り囲んで広がって歌うので、ホール全体が聖堂になって、声の響きに包み込まれるような雰囲気になりました。

   マノロ先生の表面だけを見ていたら見落としてしまうもの
 
 第2部前半はミュージカルから生まれたスタンダード曲で。楽しさを前面に出したステージです。2人のトランペット演奏の後、全員が「ア・ワンダフル・デイ」を歌いながら舞台に登場してきました。『ライオン・キング』より「愛を感じて」は、たっぷりと聞かせるように歌いというふうに、曲ごとにかなり歌い方を変えてその曲想を浮き彫りにしていました。初めて聴く「アシカの子守唄」は、心にしみるようなたいへん美しい曲で、やがてウィーン少年合唱団の定番曲にさえなるのではないかと思いました。第2部の後半は、いきものがかりの「YELL」。これは4年前にも聴きましたが、歌の方は外国語なまりを感じることなく、毎年来日することで日本語の発音が確実に上達していることを感じます。続いて、令和へのお祝いか平成への感謝かはわかりませんが、上皇陛下作詞・上皇后陛下作曲の「歌声の響」が披露されました。この曲は、今年2月に上皇陛下の「天皇在位30年記念式典」で三浦大知が歌ったので、そのとき初めて知りましたが、ウィーン少年合唱団は、また違った清澄な味わいのする歌を聴かせてくれました。岡野貞一の「ふるさと」のア・カペラを挟んで、日本人団員のケントによるMCは、落ち着いたアルトの知性的な声で、ソロも聴きたかったなと思いました。その後は、おなじみのヨハン・シュトラウスⅡの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」「ハンガリー万歳」「美しく青きドナウ」と続きましたが、マノロ先生は、ポルカは軽やかに、ワルツはたっぷりと歌わせてとはっきりと分けていました。アンコールは、「ねむの木の子守歌」と「花は咲く」という日本へのエールで終わりました。アンコールの間、遠い位置から団員に拍手を送ったり、時計を見たり、ピアノの蓋を閉めて「これですべておしまい。」を示すところなど、マノロ先生らしい脚色でした。ところで、マノロ先生は、指揮だけでなくすべての動作が大きいので、どうしても、そこに目がいってしまいます。ところが、このステージでは、マノロ先生が舞台上で独唱した団員の肩を叩いたり、アイコンタクトを送ったりして、団員を励ましていることがより強く伝わってきました。4年前は、面白い演劇的な部分しか見えてきませんでしたが、それは、私の観方が浅かったのです。この辺りが、マノロ先生の教育者としての美質ではないでしょうか。

ウィーン少年合唱団 2019 日本公演
令和元(2019)年5月26日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール

   対立する要素を組み合わせた構成

  第1部の1曲目は、オルフの『カルミナ・ブラーナ』より「おお、運命の女神よ」で始まりました。この日も、ステージ上手と下手に分かれた26名の団員が、太鼓とゴングを鳴らしながら登場し、野性的でドラマティックな旋律を歌い上げました。この曲を聴くと、どうしても格闘競技の入場シーンを思い出してしまいます。この日も、マノロ先生が「みなさ~ん、こんにちは!」で始まる挨拶で、令和が始まったことを祝いました。第1部前半は、宗教曲で、ヴィアダーナの「正しき者よ、主によって喜べ」は、第1曲目とは打って変って透明度の高い聖なる世界へと誘ってくれました。メンデルスゾーンの「羊飼いはよみがえられた」は、ボーイ・ソプラノの繊細さを生かした優美な曲。それに対してハイドンの「天地創造」は、壮麗さが際立ち、ミケランジェロなどによって描かれた聖堂の壁画の世界を想像しながら聴いていました。続いて、ブラームスの宗教曲が2曲続きます。どうしても、ソリストの歌に目が向きがちになりますが、ブルックナー組のハーモニーの豊かさは、中・低音部がしっかりしているからということが次第に分かってきました。マノロ先生と団員たち、あるいは団員同士がアイ・コンタクトを取りながら歌っていることが伝わってきました。ゲーリンガーがブルックナー組のために作曲したという「死と愛」は、初めて聴く曲ですが、愛は死を超えるというメッセージのある曲です。第1部の最後は、バンキエーリによる「動物たちの対位法」。題名は難解ですが、団員たちが犬、猫、カッコウといった動物や鳥の鳴き声を声帯模写的な要素も持たせながら再現したので、その可愛い雰囲気に会場からほほえみに近い笑いも出ていました。日本人のケントもこの歌では犬の声で大活躍でした。こうやって、第1部の曲の構成を振り返ると、動と静・聖と俗・重と軽など対立する要素をうまく交えながら組み立て、なじみの薄い宗教曲でも決して飽きさせないで聴かせる工夫がなされていました。
   
   多様な曲で楽しませる

 第2部の1曲目はピアソラの「リベルタンゴ」。ピアソラはタンゴの中興の祖と言われる存在になってきましたが、この曲は歌詞がなく、声によってリズムやメロディを創り上げてくところが面白く感じました。続いて、マノロ先生の祖国イタリアのカンツォーネ・ナポレターナ「オー・ソレ・ミオ」。しかし、テノール独唱で聴くことの多いこの歌は、合唱にすると、主旋律が引っ込んで聴こえることもありましたが、最後のロングトーンは、いったいどこまで続くのだろうというスリリングな面白さを感じました。映画『サウンド・オブ・ミュージック』からは、ヨーデルの掛け合いが楽しい「ひとりぼっちの羊飼い」と、ア・カペラでじっくり聴かせる「エーデルワイス」と対比的な2曲が歌われました。今回、マノロ先生は、かなりの曲をピアノ伴奏ではなくア・カペラにしていましたが、それは、団員たちの声に耳を傾けてほしいというメッセージだったのかもしれません。 続いて日本の歌からは、滝廉太郎の「荒城の月」、昨日もアンコールで歌われた上皇后陛下が高校生時代に作詞された「ねむの木の子守歌」、岡野貞一の「ふるさと」の3曲が歌われましたが、日本語の美しさは、昨日のステージでも感じたことです。さらに、その後には、ウィーン少年合唱団の芸術監督であるゲラルト・ヴィルトが、「令和」という新しい時代を迎える日本ツアーのために書き下ろした新曲「Peace within(内なる平和)」が歌われました。これは、かなり神秘に満ちた曲で、日本の歴史を音楽で表現するとこのような感じになるのかと思いながら聴いていました。そこからは、オーストリアに戻って、民謡の「納屋の大戸」。今年は、民族衣装のレーダーホーゼンを着た踊りはありませんでしたが、手拍子、足拍子で酒場の華やいだ雰囲気を演出していました。続いて、ヨーゼフ・シュトラウスの「水兵のポルカ」は、最近のウィーン少年合唱団の定番曲になってきました。映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見た少年時代に、海のないオーストリアにどうして海軍があるんだろうと思っていましたが、アドリア海に面する地域は、以前オーストリア=ハンガリー帝国領であったことを後に知りました。ヨハン・シュトラウスⅡの「雷鳴と稲妻」と共に、快活なポルカが流れた後は、流麗な「美しく青きドナウ」でプログラムを終了しました。この日のアンコールは、「ドレミの歌」と「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」というふうに、いろいろなタイプの曲で楽しませてくれました。
 
 さて、この2日間の観客は、高齢者層が多かったのはいつもどおりでしたが、若い世代の人や家族連れもこれまでよりも多く見られました。東京のステージでは5~20歳の観客の入場料を安くしているという情報も入っています。このような工夫をすることが、ウィーン少年合唱団の観客はもとより、クラシックファンの拡大にもつながるのではないでしょうか。

 京都市少年合唱団 第70回定期演奏会
令和元(2019)年 8月18日
(日) 京都コンサートホール

 この日も、昨年同様、新団員によるウェルカムロビーコンサートから始まりました。現在歌われている「京都市歌」は4代目だそうですが、2部合唱曲であることで、この曲が奥行きのある歌になることを感じました。市歌については、京都市のホームページで京都市少年合唱団の歌付きで詳しく知ることができることを発見しました。https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000015589.html

 第70回定期演奏会だからという特別な企画はありませんでしたが、パイプオルガンの側の席まで埋まる観客の多さは感じました。第1部の全員合唱は、ア・カペラで「夏の思い出」「小さい秋見つけた」「ふるさと」の3曲がア・カペラで歌われましたが、特に最初2曲は、前奏部分から全曲が歌で表現されており、伴奏という発想のないユニークさを感じました。それだけでなく、混声合唱ならではの各声部が浮かび上がる面白さが曲に盛り込まれており、よく知られている曲であるのにもかかわらず、新鮮な感じがしました。もちろん、これらの曲を選んだ理由には、令和の時代になっても日本の歌を歌い継いでいきたいというメッセージも込められてると思います。

 その後聴いた新団員のステージは、児童合唱組曲「きのう・きょう・あした」でした。登場したとき、段差のあるステージにいくつかの円が描かれたので、「変形のかごめかごめ」をやるのだろうか?と思っていたら、すぐに隊形移動によって3列の普通の合唱の隊形で歌が始まりました。合唱組曲にあった曲も変化を楽しむことができました。また、振り付けも最初を除いては比較的自然なものでした。
 「京桜」は、ミュージカルキャッツメドレーという合唱ミュージカルのような組み立てのステージで、歌そのものを味わうというより、振り付けの面白さや一瞬真っ暗になって再び照明がつくと、みんなしっぽを握っているという意外性のある演出も交えてチャーミングなステージを楽しむことができました。
 一方、「都紅葉」は、本格的な合唱組曲「まりになれ 心」で、心がいろいろと動くさまを描いて「京桜」と全く違う合唱を味わうことができました。それぞれのメンバーが卒団まで固定しているならば、年度によって本格的な合唱曲と、振り付けを入れた曲の両方を味わえるようにすればいいと思いながら聴いていました。

 恒例となった幕間のOB会合唱団によるロビーコンサートは、「ローレライ」「ハナミズキ」の2曲でしたが、どちらも歌詞の内容が男声と女声のどちらを前面に浮かび上がらせるとよいかを考えた編曲になっており、歌詞をじっくりと味わえるという意味でよい選曲になっていました。このようなことを言うのも、主旋律がしぼんで聞こえる編曲や、日本語の歌詞でありながら、声の重なりのために何を歌っているのか全く聞き取れないような合唱曲があるからです。合唱曲における編曲の大切さを感じました。

 「みやこ光」の今年の選曲は、J-POPS系でした。繊細な美しさを楽しむというよりは、力強さやエネルギッシュな動きを楽しむというものでした。「みやこ光」のメンバーが普段どのような音楽的嗜好を持っているのかは一人一人違うでしょうし、年齢・学年によって変化することもあると思います。しかし、十年に一度ぐらいは、こういう企画もあっていのではないでしょうか。ただし、今回は振り付けが歌を消してしまうことも同時に感じました。フィンガー5は玉元晃のボーイ・ソプラノと共に人気が出、変声と共に人気が衰退したグループです。そういう曲を選んだならば、ボーイ・ソプラノをもっと生かす道もあったのではないでしょうか。ただ、大谷先生が、マイクを手に『「学年天国」は、会場のみなさんも「ヘイヘイヘイ、ヘイヘイ」と応えてください。』と会場を巻き込んで演奏しようとしたところは、ある種の本気を感じました。「みやこ光」のメンバーもそれぞれの学校に帰れば、ほとんどがJ-POPSが主流の世界の中で生きていかねばならないのですから、それぞれの場に応じた歌が歌えることも大切だと思いました。

 この日の最後の全員合唱は、ジョン・ラターの「MAGNIFICAT」より5曲ということですから、全曲ではありませんが、ほぼ全貌はつかむことができます。明るくリズミカルで現代的な宗教曲で、ソプラノ独唱との掛け合いを楽しむことができました。ただ、聴き終わった後、意外と印象に残っていないのです。その理由はこの曲が全体として、旋律中心の曲ではないからなのかもしれません。

 フレーベル少年合唱団第59回定期演奏会 
      ~フレーベル少年合唱団 創立60周年記念~
令和元(2019)年8月23日(金) 文京シビック大ホール

   演奏を支える観客の鑑賞態度

 「野本先生のめざす理念が一年ごとに実現してきている。」というのが、コンサート全体から感じたことです。さて、今年度もオープニング前は、9人の団員による「魔笛」の三童子の三重唱の節で歌われる「これからの合唱を鑑賞するにあたってのお願い」によって始まりました。2年連続のこのようなお願いが、どれほど効果をもたらしたのかは不明ですが、今年度、乳幼児を含む観客の鑑賞のマナーは、過去数年間で一番良かったように思います。歌唱が始まってから乳幼児の声がしてもそれをすぐに止めようとする保護者の躾の姿が見え、それは目に見えないところではもっとあったのではないかと思います。

  「歌の宝石箱」のような選曲

 S組の質が高まるということは、全体の質が高まるということでもあります。そのような意味で、今回のPart1は、統一テーマはなかったものの、全体として「歌の宝石箱」のような選曲になっていました。幕開けの第1曲目はエミリー・クロッカーの「Gloria Festiva」という各声部が次第に広がって華やかで盛り上がる現代的なリズムの曲でした。続く「グリーンスリーブス」は、1番と2番で主旋律を歌うパートを変えながらも、全体的にほの暗い独特の雰囲気を醸し出していました。「Amazing Grace」は、中1の団員の透明度が高い歌声の独唱で始まり、合唱へとつながっていきました。最後の「ふるさとの空は」は、ハンガリー民謡として紹介されましたが、ブラームスの「ハンガリア舞曲第6番」にも使われている旋律です。ゆるやかなラッサン調の前半と情熱的でアップテンポのフリスカ調の後半の対比が聴かせどころですが、むしろ、後半部分は、歌そのものよりもステージの上での動きを楽しむことができました。このように違ったタイプの4曲を一つの箱に詰め込んだステージという感じがしました。

   3代にわたって歌える歌を 
   
 Part2は、5~7歳(幼稚園年長と小学1年生)のB組が、今回はカウボーイハットをかぶって登場しました。曲想に合った帽子をかぶることで、B組のメンバーもやる気が高まるでしょう。曲は、「ちびっこカウボーイ」と「にんげんっていいな」の2曲でしたが、このような選曲は、親子孫と3代にわたって歌える歌を採り上げたと言えるかもしれません。こういう歌がなくなってきたことが「世代間の断絶」にもつながっているのかもしれません。フレーベル少年合唱団は、初期の指導者(磯部俶先生や山本健二先生)が、家族みんなで合唱できるような家庭を日本に育て根付かせようという高邁な生涯学習の夢をもって指導されました。そういうこともあって、どちらも歌詞を大切にした歌が歌われていました。もちろん、2曲目はカウボーイハットを脱いで歌いました。B組は、前半終了で解散という最近の方針も、この年齢の子どもが緊張に耐えられる時間を考えると適切です。無理をしてアンコールに「アンパンマンマーチ」を歌わせなくても、後半は親子で座席に座って先輩の歌を鑑賞したほうがよいという方針に賛成です。

    学校に戻すことのできる歌を

 Part3は、7~9歳(小学2・3年生)のA組は、「会いたいけど会えない生き物」という珍しいテーマで5曲歌いました。「会いたいけど会えない生き物」とは、おばけ、宇宙人、鬼、ドラゴン、怪獣で、こういう子どもらしい視点で選曲するところを面白く感じました。どの曲も、合唱団の内部で歌うだけでなく、それぞれの団員が通っている学校に戻すことのできる歌ばかりです。「怪獣のバラード」は、これまで広島少年合唱隊の怪獣の着ぐるみを着た見た目に楽しい演出を私は見慣れてきました。今回のフレーベル少年合唱団A組は、「歌」そのものを聴こうという気持ちで聴きましたが、後になって読んだプログラムに書いてある改変されたところを発見することはできませんでした。また、この5曲という曲数も、集中力を考えるとこの年齢の子どもには適当だと思います。その後、S組とA組合同のプログラムにはない「パブリカ」の歌と踊りがありました。この曲、2020年とその先の未来に向かって頑張っているすべての人を応援する応援歌ということで、商店街やスーパーマーケットでもこの曲のいろいろなバージョンが流れています。昨年の「プライド」同様、団員の現代的なセンスの感じられる歌と踊りを楽しむことができました。この曲は、きっと今年の秋の運動会において多くの学校で採り上げられるのではないでしょうか。

   父性愛を感じる合唱 

  Part4は、「合唱団創立60周年を祝って」というテーマでOB会のステージでした。「花の街」は、団伊玖磨作曲の作品で私はステージで初めて聴きますが、聴いているうちに歌詞が違うのではないかと感じました。これはコンサート終了後で太原会長から伺ったことですが、この歌は、OB会のメンバーが少年であった頃からよくステージで歌われていた曲だそうです。ところが、この歌は、間違った歌詞が広がっていたので、江間章子が本来作詞した歌詞に戻して歌ったとのことです。(※ 日本音楽著作権協会(JASRAC)参照)2曲目の「びわ」は、独唱でも合唱でも女声で歌われることが多い曲です。OB会の合唱でも何度か聴いていたのですが、この日の演奏では初めてこの歌の底流に流れる父性愛を感じました。「風になりたい」は、曲想の変化を楽しむことができました。そして、今年度の「はるかな友に」は、ユースクラス(中学2年~高校2年)を交えた混声合唱でした。ユースクラスも、ボーイ・ソプラノ(アルト)の時代にOB会と共にこの歌を歌っていますが、この日の演奏は、男声として声がよく溶け合った合唱でした。
※ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E3%81%AE%E8%A1%97

  やなせたかしが遺した歌に添えられたメッセージ

 Part5は、「つながるいのち うけつぐこころ ~生誕100周年 やなせたかしさんの言葉~」というメッセージ性を前面に出したステージでした。やなせたかしさんの詩やエッセイを丘野けいこさんがナレーション構成し、アルトの深い声で朗読することで歌の紹介をすると共に、歌に添えられたメッセージが伝わってくるというステージで、それぞれの歌にあったグループが歌を歌うという構成でした。「手のひらを太陽に」(S組・A組)、「夕やけに拍手」(S組)、「雪の街」(ユースクラス)、「老眼のおたまじゃくし」(A組)、「ひばり」(S組)、「ジグザグな屋根の下で」(S組・A組・ユースクラス・OB)と、曲ごとにグループは変わりますが、それぞれの年齢グループに合った歌が選曲されていました。特に、「ジグザグな屋根の下で」は、曲想が新鮮でした。また、ステージの入退場がスムースで、この会場で練習する機会はほとんどないのに、よく統制されていることを感じました。また、アンコールとしてOBは退場してS組とA組で「アンパンマン体操」と「アンパンマンのマーチ」が歌われましたが、アンパンマン以外の登場人物のセリフを採り入れたりして楽しめるものになっていました。

 オペラ「トゥーランドット」
令和元(2019)年7月12日 東京文化会館
  (テレビ鑑賞 同年9月9日)

 TOKYO FM少年合唱団が登場するからこのオペラのレポートを書こうとしたのですが、定期演奏会で「おぺら・オペラ・OPERA」ので赤い衣装を着て宮廷の子ども役の合唱を舞台で演じていたものとは違う想像を超えたものを観ることができました。特にオペラの場合、舞台の鑑賞とテレビでの鑑賞では見えてくるものは違ってきますが、見えてきたものを書こうと思います。
 
 先ず、舞台装置そのものが「高さ」を活かして、エッシャーの無限階段のようなものを上手と下手の両方に配置し、広い空間の各所より歌声が客席に届くような構図ができており、舞台中央の高い位置にある玉座が上がったり降りたりすることで、王の「権威」というよりも「権力」を象徴しているかのようでした。また、求婚をしてもトゥーランドット姫の質問に答えられず首を取られた無念の王子たちの首が並んでいるおどろおどろした大道具か小道具かわからない装置は、このオペラが本来もっている悲劇性を象徴していました。
 
 主役級の4人の歌唱表現力は、いずれも高い水準にあり、素晴らしい演奏であっただけでなく、宦官の三大臣ピン(桝貴志)、パン(与儀巧)、ポン(村上敏明)は、国内では主役級の実力者であり、歌のアンサンブルだけでなく、踊りながら歌う演技もあり、幕ごとに衣装を変え、コミカルさだけでなく、シリアスさも表現していました。さて、トゥーランドット役のイレーネ・テオリンは、澄んだ声質でありながら鋭い刃物のように鋭角的な歌で、姫の冷徹さを表現していました。カラフ役のテオドール・イリンカイの声質は、高音は輝かしく中低音は太目でたくましく響きそこから強い意志を感じさせました。リュー役の中村恵理は、リューがただ可愛いやさしさだけでなく、むしろ強い意志をもって行動していることを感じさせる歌唱であり、この歌声は、第1幕よりも第3幕のアリアこそがふさわしいと思います。ティムール役のリッカルド・ザネッラートは、落ちぶれて、ボロは着てても心の錦の凛とした気品を感じさせ、とりわけ、リューの死の場面の悲しみの表現には心惹かれました。
 
 このオペラにおいては、合唱の位置づけが大きいと思いますが、ただ人数が多いというだけでなく、よく揃った力強い声が印象的でした。テレビでさえそう感じたのですから、実際の舞台ならなおさらそう感じたでしょう。また、宮廷の子ども役のTOKYO FM少年合唱団団員は、白い衣装で上手と下手の階段にⅩ字を描いて歌っていました。第1幕は、特に暗い舞台なので、この白さがとても清純に見え、また歌の雰囲気にも似合っていました。

 ここまでは、このオペラ公演のよいところを書いてきましたが、最後にトゥーランドットが自責の念にかられて?自刃する演出は、トゥーランドットがカラフの名を「愛」と呼び、ハッピーエンドになるオリジナルの台本からしても意外なだけでなく、個人的にはあまり納得のいかないところです。確かにプッチーニは、この作品の完成・上演を観ることなく亡くなりました。リューの死以後の部分は、友人のアルファーノの手によるものですから、プッチーニはこういう結末を考えていたのではないかという想像の余地が残ります。このオペラの練習風景を描いた動画の中では、指揮者・演出家より、これは、トゥーランドットがトラウマから解放された結果行った行為という風に説明されていましたが、それならば、リューがしたことはトゥーランドットの死への誘いを示唆し、カラフがこれまでにしてきたあらゆる努力は無に帰してしまって何だったの?と言いたくなります。このステージに実際に接していたら、帰りの新幹線では、音楽的には満足しながらも、演出的には東京駅弁名物の「賛否両論弁当」を食べながらこんなことを考えていたでしょう。

 ミュージカル「オリヴァー・ツイスト」
令和元(2019)年9月16日
(月・祝)
兵庫県芸術文化センター阪急 中ホール
 

 ディケンズの作品は、少年時代からいくつか読んでいました。「クリスマスキャロル」「オリヴァー・ツイスト」「デイヴィッド・コパフィールド」「二都物語」。ただし、その中には、翻訳というよりも、子ども向けの翻案に近いものがあったかもしれません。従って、ここでディケンズの作風云々を語ることは控えますが、読んでいた頃、当時の産業革命によって貧富の差が大きくなるという社会的背景はあるにせよ、貧=善、富=悪という単純な描き方がされていると感じたことはあります。「オリヴァー・ツイスト」は、何度も映画化されたものがあり、そのうちの2つと、ライオネル・バートが制作したミュージカル「オリバー!」も見たことがありますが、当然のことながら時間の関係もあって、どれも原作を忠実に描いたものではなく、原作を下敷きにした自由な取捨選択が行われています。

 岸本功喜が創った脚本は、「善の中にある悪・悪の中にある善」、オリヴァー・ツイストに接することでよい感化を受けて変容する人間像を描いた作品になっていました。救貧院の教区委員をしている社会の上流階級の人々の善を行っていると意識の底に潜む貧しい者を蔑む「善の中にある悪」と、子どもを使ってスリをさせ、その上前をはねる悪事で生活しながらも、子どもたちを愛していて少なくとも決して児童虐待に手を染めることのないフェイギンに代表される「悪の中にある善」が対照的に描かれていました。生まれたときに母親と死別し、親の愛を受けることもなく救貧院で育ったオリヴァーがどのようにして人を愛する心を身に着けたのかは、宗教的に見れば亡くなった母の祈りが通じたとも言えるでしょうし、想像の域を出ませんが、救貧院の中にも愛の心をもって子どもたちに接した人はいたのではないでしょうか。小島良太の作曲は、日本語の歌詞のイントネーションを踏まえて作られているので、たいへん聞き取りやすく、それは、「サイクスの想い ジャックの想い」の二重唱で、二人の言葉に添えられた想いを聞き取れたところに強く感じました。ただ、初めて聴くミュージカルで、ナンバーを予習してから行くこともできませんので、それぞれの曲を深く味わうところまでには至りませんでした。舞台は、基本的に上手側と下手側で交互に照明が当てられて劇が演じられ、舞台が一つになっているときは、オリヴァーが警官に追いかけられているようなスケールの大きい動きがある場面で、ただ舞台を裏側も使って左右に走り抜けるだけでなくバレエやアクロバットの要素を取り入れながら構成されていましたが、歌が中心に展開するこのミュージカルの中では、このような動きは視覚的に面白く感じました。  

 これまで、オリヴァー役は、原作では救貧院を出たときは9歳と描かれているので、映画でも舞台でも変声前の少年が演じていましたが、この「オリヴァー・ツイスト」では、原作よりも年上の変声後の声域に設定されていました。未来和樹が演じた主役のオリヴァーは、歌に華やかで大きく盛り上がる旋律が与えられていたわけではないのですが、表面的にはむしろ控えめで繊細な歌唱で歌にその時々の感情を盛り込んで、5月のライブとはまた違った歌声を聴くことができました。また、演技においては、いわゆる「子役」の演技ではなく、芯の強さを感じさせました。また、この作品では、オリヴァーは決して不幸なだけの子どもとして描かれておらず、オリヴァーの生き方が周囲の大人たちの生き方に徐々に感化を与えるという描き方がされていました。ドジャー役は、本来は少年から青年に移るぐらいの年齢の役かと思いますが、神田恭平は、安定したよく通る歌声で心の葛藤を抱えながら生きている姿を浮き彫りにしていました。悪役のビル・サイクス役の川原一馬の死は、警察に追い詰められての死というよりも自責の死という印象を受けました。ナンシー役の瑞希もまた、心の奥に眠っていた良心が触発されるところが伝わってきました。また、演技としては何といっても福井貴一のフェイギンが、ずるさとやさしさ等人間のいろいろな側面を併せ持った魅力的な人物像を演じていました。「子どもたちは何も知らなかったんだ。」と言って子どもたちを庇って逮捕されるフェイギンを見ると、できるだけ軽い罰で社会復帰させてやりたくなります。歌として印象に残ったのは、オリヴァーの母役の吉田萌美の母性愛を感じさせる歌唱力と、姜暢雄のノーブルな表現力です。この日のカーテンコールは、大千穐楽ということもあって、観客のスタンディングオベーションの中、何度も幕が上がったり降りたりして行われましたが、オリヴァー役の未来和樹が、「Yes! フェイギン。」と言ってフェイギン役の福井貴一にハグするところが、印象的でした。

 名作オペラを鑑賞する場合、事前にあらすじを本かCD等の解説を読んで、代表的なアリアを聴いてから行くことが多いのですが、このような初めて観るミュージカルでは、それができません。また、再演する機会があれば、ぜひ、もっと深いものを観たいと思いました。

 北九州少年合唱隊第33回定期演奏会
令和元(2019)年10月27日
(日) 北九州芸術劇場中劇場

 2年ぶりに行く北九州少年合唱隊の定期演奏会。行く前から心配していたことは、やはり団員数のことでした。会場に入ってプログラムを手にした時、最初に開けたのは団員の写真入りのページでした。13人か・・・しかも、そのうち中学生・高校生が8人ということは、小学生は5人。ボーイ・ソプラノで歌える団員は何人いるのだろう・・・少なくとも北九州少年合唱隊は、混声合唱がメインの少年合唱隊ではなかったはず。そのような期待と共に不安を抱えながら幕が開くと、マイクの力も借りながらも、力強い「北九州市歌」の響きが聞こえてきました。それは、第1部の、少年隊の宗教曲へと続いていきました。ここで演奏されたヴェルディの歌劇「運命の力」より「アヴェ・マリア」とメンデルスゾーンの「ヴェニ・ドミネ」は、必ずしも宗教曲としても有名なものではありません。歌劇「運命の力」で有名なのは「序曲」とレオノーラのアリア「神よ、平和を与えたまえ」ぐらいで、ステージを鑑賞したこともなく、CDで全曲通して聴いたことはあっても、「アヴェ・マリア」がどこにあったかも覚えていませんでした。帰宅してCDを調べると、第2幕第2場「聖母さま、憐み深き聖母さま」ではないかと確認しました。これは、メロディラインの美しい曲だと思いました。メンデルスゾーンの「ヴェニ・ドミネ」は、ソプラノとアルトのソロ(ソリ)が浮かび上がるような構成の美しい曲に仕上がっていました。

 第2部で驚いたのは、何よりも合唱隊の人数的危機を感じてかOBが20人も集まってくれて、合計30人を超える合唱を聴くことができたことです。現役をOBが必死で支えようとしている姿にまた違った感動を覚えました。かつて、ボーイ・ソプラノの時代にそのステージに接したことのあるOBもいます。プログラムにも「OB会は北九州少年合唱隊をいつも応援しています」という広告も掲載されていました。少年隊と一緒に歌われるステージとOB会単独で歌われるステージに分かれていましたが、常に練習に参加できる人ばかりではないので、毎年おなじみの曲もありましたが、かえっていつでも歌える愛唱歌としての水準を保っていました。また、今年のラグビーのワールドカップを意識してか日本代表のチームソング「ビクトリー・ロード」の原曲「カントリーロード」が選曲されたり、OB独自のステージは、「春よこい」「異邦人」といった初めて聴く曲が選ばれており、新鮮さを感じました。

  第3部は、北九州小倉少年少女合唱団の友情出演です。10年前は、少年もごく少数いたのですが、このところすっかり少女合唱団になってしまいました。一旦男子が0になると、もうなかなか入ってこないのは全国的な傾向です。さて、AKB48には、福岡市・博多を拠点とするHKT48という支部があるそうですが、この日選ばれたPOPS系の4曲は、歌そのものを聴くよりも振り付けや舞台上の演出を楽しむ構成でした。もしかしたら、団員の中にもHKT48志向の少女もいるかもしれません。

 第4部の「ヘンゼルとグレーテル」は、私が最初に北九州少年合唱隊のステージに接した曲です。プログラムを見ると、10年ぶり3度目の上演になります。その時のステージを覚えているところもありますが、忘れてしまったところもあります。もちろん現役隊員にとっては初めての舞台と役柄であったことでしょう。原曲はエンゲルベルト・フンパーディンクの歌劇ですが、ここでは、合唱ミュージカルとして全曲ではなく代表曲をナンバーとしてつないで北九州少年合唱隊おなじみのナレーターが「狂言回し」で進行係をしていました。今回のナレーターの新本君はかなり低音が安定しており、声は聞き取りやすかったです。また、劇全体における役の比重と今の声の状態を考慮して配役がされていました。本当は変声前の団員がもっと多ければまた違った配役になったのでしょうが、現状のメンバーではこれがベストなのでしょう。そのような意味で、視覚的・聴覚的に楽しむことができました。また、軽やかにステップを踏む美しさは、決してにわか作りではありません。グレーテルの下津君の女装はよく似合っており、少女になりきろうとしていましたが、時々少年の声がのぞくところが面白かったです。砂男(眠りの精)は、以前は女装した役でしたが、今回は男役の上杉君。森の動物たちの数の差が以前と配役・演出の違うところでした。魔女役は芸達者な門谷君が配置されており、舞台を引き締めていました。

 今年度は卒団者が抜けるとわずか8名。しかし、来年も定期演奏会は続けるそうです。これは朗報です。カーテンコールで、いつも卒隊生を最高の誉め言葉で送られる隊長の高山保材先生が「今年で90歳 卒寿になりました。・・・」と、卒団をにおわせるようなご挨拶をされたので、その辺りは気がかりです。ところで、関東の3団体と広島少年合唱隊を除けば、地方の少年合唱団(隊)は、人数的には厳しい状況が続いております。街には児童合唱を含むいろいろな歌い手による「パブリカ」が流れてはいますが、これが少年合唱復興の灯にならないものでしょうか。最近は、児童合唱よりもミュージカルの方に子どもの関心は向いているのではないかと思うこともあります。いずれにしても、テレビを中心とするマスコミが児童合唱・少年合唱を大きく採り上げない限り、この分野はいばらの道が続くでしょう。いばらの道を踏み越える心のたくましい少年出でよと思いながら会場を出ました。

 第58回呉少年合唱団定期演奏会
令和元(2019)年11月23日(土・祝) 
呉信用金庫ホール(呉市文化ホール)

   この定期演奏会の背景

  呉少年合唱団の定期演奏会場の愛称が、呉市文化ホールから呉信用金庫ホールに変わりました。その理由は、箱モノの維持のための行財政改革ではなく、昨年の豪雨災害の復興支援のためのネーミングライツパートナーが呉信用金庫に決定し、その愛称が「呉信用金庫ホール」となったということです。それだけ、昨年の豪雨災害の被害は大きく、呉線の車両から山側を見ても未だ復興は道半ばです。そのような背景の中でも、呉少年合唱団は、自らできることで地域に根差した活動を続けてきました。木村茂緒団長先生が作製された「げんこつ募金箱」も復興支援への一環です。
 さて、呉少年合唱団の定期演奏会のプログラムを手にした時、私が一番先に目が行ったのは団員の人数でした。・・・29人か。かつて15年間にわたり200人を擁した昭和後期とは単純比較できませんが、昨年の22人と比べると、1.3倍。高校生までを研究生として残したこともあるでしょうが、関係者の努力を感じました。
 さらに、今回のテーマは~君に伝えたい~という歌の根源につながるテーマでした。日本の民俗学者、国文学者で、詩人・歌人の折口信夫(しのぶ)によれば「うた・歌う」の語源は「うった(訴)ふ」であり、「歌う」という行為には、どうしても相手に伝えたい内容(歌詞)があるということを意味しています。この日歌を通して伝える相手は、会場に来た観客だけではなく、今年2月にご逝去された石原達雄元団長先生であり、歌を教えてもらった先生、歌う仲間、家族や友達などすべての人たちであります。
 前置きが長くなってきましたが、このような背景を知ってこそ、今回の定期演奏会のもつ意義や関係者の意気込みのようなものを感じることができるでしょう。

   少年合唱の王道をめざした選曲   

 ある時期、呉少年合唱団は、変声期に入った団員(主として研究科生)をどう扱うか模索していた時期がありました。あるステージではファルセットで、あるステージでは男声でという使い分けをしていました。しかし、最近変声後はファルセットで通しているようです。しかし、ソロやソリは、ボーイ・ソプラノ(アルト)を起用して筋を通しているところは、共感できます。この日も、幕開きと同時に団歌で始まり、「音頭の船頭歌」へと続いていきました。最初の頃は、波と櫓の音響効果に目が向きがちでしたが、それがこの曲の本質ではありません。掛け声と本歌を歌う少年は、その年のトップ・ソリストとも言え、そのバランスのよさや伸びやかでよく通る声が前面に出ていました。ある意味では、毎年冒頭の直後歌われるこの歌こそ、呉少年合唱団のその年の指標となる歌かもしれません。そして、この年のテーマでもある「きみに伝えたい」が、オープニングの3曲目として歌われました。初めて聴く歌ですが、いろいろな人やものとの出会いを感謝して助け合いながら生きていこうという想いが込められた柔らかな歌で、この定期演奏会全体を象徴する歌と言えましょう。
 低学年は、最近2部合唱に力を入れているようです。この日選ばれた工藤直子作詞・新実徳英作曲の合唱組曲「のはらうた」からの6曲は、野原の仲間である小動物や花たちが、みんなひらがなのやわらかい名前で登場します。そのあたりにこの歌の本質がありますし、低学年グループはその曲想の違いを出そうと努めていました。幼稚園年長から3年生では、4学年の差があり、この学年差の大きさを感じることもありましたが、同時に、この合唱組曲の中でも一番かっこいい「かまきりりゅうじ」の決めポーズにその思いを込めていることも感じました。
 少年合唱のメインとしての高学年のステージは、ボーイ・ソプラノの響きに焦点を当てた歌を集めたステージでした。今回の高学年の選曲を見て、蓮沼勇一先生が指導されていた頃の暁星小学校聖歌隊の選曲と共通するものを感じました。それは、言い換えれば、ボーイ・ソプラノの美しさを最大限に生かす曲、あるいは、それはイギリスの聖歌隊の響きにも通じるものです。リベラが創唱した「彼方の光」をはじめスタジオ・ジブリのアニメのテーマ曲集のようなこのステージは、ソロやソリを生かしながら、清冽な世界を体現していました。それは、少年合唱の王道をめざす選曲と言い換えることもできるでしょう。頂上が高くなると裾野も広くなります。この合唱を給食時の校内放送でもいいから、呉市内のすべての小学校で聴かせたいと思いました。
  
   「~君に伝えたい~」の理念を感じたOB会の歌

 呉少年合唱団は、最近音楽関係の個人・団体のゲストを呼ぶのではなく、呉市内の子どもたちをある期間訓練して共演するという方針に切り替えました。それは、団員獲得にもつながります。この日は、「となりのトトロ」「美しいチロル」というかなり違ったタイプの2曲を選んで、「となりのトトロ」は明るく、「美しいチロル」は壮大にとその違いを浮き彫りにするような演奏をしていました。ただ、後半になると、低学年の団員の集中力がやや弱まるようです。 
 この日出演したOB合唱団の人数は、現役とほぼ同じ。年齢的な差はあるでしょうが、石原達雄元団長先生のご指導を直接受けた世代が、かなりの比率を占めていると思います。だから、「~石原先生に伝えたい~」を強く意識して「箱根八里」「鷗」「セロ弾きのゴーシュ」を歌ったことでしょう。定番曲になりつつある「箱根八里」では勇壮さを表現していました。「鷗」は、男声合唱で聴くのは初めてです。「ついに自由は彼らのものだ」という象徴的な言葉が何度もしつこいぐらいに繰り返されて耳に焼き付きます。第二次世界大戦が終わった直後に書かれたこの詩の意味はいろいろな解釈があるようですが、私は鎮魂歌(レクイエム)説で聴くと納得できます。「セロ弾きのゴーシュ」は、さだまさしの20代の頃の歌で、未亡人がセロ好きの亡夫を偲んで歌う歌という発想に驚いた記憶があります。当時のさだまさしは現在よりもかなり繊細な声をしていましたが、サン・サーンスの「白鳥」をモチーフとしたこの歌をOB合唱団は、原曲のイメージと比べるとかなりドラマティックに演奏していました。
 OBとともにのステージでは「時の彼方へ」を歌いましたが、もうこの曲は「第二の団歌」と言えるほどになってきました。エンディングステージ(全団員・呉の子どもたち・OB会・育成会)は、いつものように「ハレルヤ」を歌いましたが、以前は、男声はステージの後ろから聞こえてきたのに比べ、ステージ上手に立つようになってから声部による響きの違いが明確になってきました。この日は特にそれを感じました。これで終わったら、「ブラボー!」という感じで帰る気になりません。「さようなら」があるので、やっとその気になります。
 この演奏会は、2年後に来る「第60回」を視野において行われ、充実した演奏を聴くことができましたが、「第60回」は、団員数が「第50回(46人)」ぐらいになることを願って会場を後にしました。

 広島少年合唱隊創立60周年記念定期演奏会
令和元(2019)年11月30日(土) 広島県民文化センターホール

   この10年間に取り組んできたことを

 広島少年合唱隊創立60周年記念定期演奏会のプログラムは演目の解説やこの1年間の活動報告だけでなく、創立以来60年の歩みを綴った写真入りの歴史年表を含む豪華な内容で、しかも、布の袋に「Hiroshima Boys Chorus The 60th Anniversary Concert」と、今回が60周年の定期演奏会であることがデザインしてあることから、関係者のこの演奏会に対する意気込みのようなものが伝わってきました。また、この布の袋というところが大きな工夫点なのです。今プラスチックごみで問題になっているような原料の袋は、触るとガサガサ音がしてコンサートの音響効果を妨げます。小さなことかもしれませんが、こういう配慮が嬉しいのです。受付の両サイドには、1~60回のプログラムの表紙の縮小版と、歴代の制服を着た隊員の写真が飾られていました。昭和35(1960)年の誕生時は、92名であったそうですから、現在は人数的には約半分になります。また、当時の隊員は小学生だけですから、同声合唱であり、演目も現在とはかなり違っているのではないかと考えられます。
 会場に入ると、舞台正面中央にこの日のために作られた「祝 広島少年合唱隊創立60周年記念定期演奏会」の看板がひときわ目につきます。また、プログラムの演目を見ると、第1部は「ぼくたちのレパートリー」として、特にこの10年間によく採り上げられてきた曲が並んでおり、しかも、「とどけ愛と平和のメッセージ」という広島少年合唱隊の歌の理念を表す副題にあった選曲がされていました。第2部は、特にこの10年間、特によく取り組んできたミュージカルの分野から、第46回定期演奏会で初演されて以来4回目の上演になるミュージカル「獅子の笛」、第3部は第30回定期演奏会以来10年ごとの節目の年に演奏される創立60周年記念室内オーケストラをバックにOBも男声で参加するフォーレの「レクイエム」全曲演奏と、内容的にも時間的にもかなり盛り沢山な内容構成になっていました。
 さらに、広島少年合唱隊が組織として優れているところは、運営上の問題も含め、前回課題になったことを確実に改善する努力をし続けていることです。それは、赤ちゃんはじめ乳幼児への対応のための座席の設定や、フロントにおけるモニター映像の準備なども含まれます。

   広島少年合唱隊らしさはメッセージソングの中に

 第1部は、創立以来60年間のあゆみの概要が舞台下手のスクリーンに映され、それが終わると、一人の隊員のセリフで始まり、隊員が次々とステージの定位置に並ぶというこれまでにない演出で、広島少年合唱隊らしさを最もよく表している「折り鶴のとぶ日」~原爆の子の像によせて~から始まりました。「これは、ぼくらの叫びです。これは私らの祈りです。世界に平和を築くための」という歌詞が繰り返される中で、禎子の悲痛な想いが浮かび上がってきます。この曲は、第3部のフォーレの「レクイエム」と係り結びの関係になっています。続いて、舞台の下に並んで観客を包むような響きで出会いへの感謝が歌われる「あなたに会えて」。「シーラカンスをとりにいこう」は、曲想の変化を巧みに歌い分けているからこそ、ありえないような歌詞が元気よく歌われるだけでないものが伝わってきました。
 予科生には、今年の大ヒット曲で、定期演奏会では初演のダンス付きの「パプリカ」が披露されました。これは、いわゆる「キレのいいダンス」ではないのですが、こういう歌と踊りを視聴すると、歌わされたり、踊らされたりしているという感じが全くしません。だから、観ていて楽しく微笑ましいし、観客もそこから元気がもらえるのです。「COSMOS」は、観客がサイリウムの棒を振ることでライブ演奏感を高めてくれました。東日本大震災に伴う原子力発電所の事故のため、故郷の地から離れ離れになってしまった相馬市立小高中学校の生徒の言葉を綴った「群青」は、感情移入がよくされており、合唱だからこそ表現できる歌になっていました。こういう曲になると広島少年合唱隊の持ち味が際立ちます。第1部の最後は、これまでも、何度かOBやHBCふぁみりい参加の下で歌われてきた「大地讃頌」が歌われました。この日は、10数人のOBの賛助出演によってさらに重厚な合唱となり、合唱ならではの醍醐味を感じさせてくれました。
 
   動きのある舞台からミュージカルへと発展

 広島少年合唱隊は、これまでも長年にわたって舞台における「動き」の要素(振付)を大切にしてきました。例えば、「怪獣のバラード」における着ぐるみを着た怪獣たちのけんかと仲直りや、声部ごとに隊員が違った動きをしながら一つのものを創り上げていく「カンタール」などは、その好例として挙げられるでしょう。しかし、この10年間特に積極的に取り組んできたのは、それらを超えた総合芸術のミュージカルの分野であり、歌って踊れる少年合唱隊をめざしてきました。それは、隊員の持ち味を生かした演目づくりでもあり、今の時代が求めているものの流れを読んだ演目の変化ともいえるでしょう。事実、隊員の中には、歌心だけでなく、芝居心をもっている隊員もいることでしょう。
 創作ミュージカル「獅子の笛」が上演されるのはこれで4回目。初演の時は平田先生が雄獅子、毘野先生が雌獅子という指導者が主役で、きつねたちの動物を隊員が演じていましたが、7年前のステージでは今田先生が雄獅子役、保本祐希君が雌獅子役となり、隊員に主役級の役を譲っていくという大きな方向性が見えてきました。なお、保本君の雌獅子は、爛熟した色っぽいボーイ・ソプラノであったことが記憶に残っています。ところが4年前の3回目からは舞台裏から声だけ聞こえる神様役以外の配役は、全員隊員で、この日もそれを踏襲していました。もしも、TOKYO FM 少年合唱団の「アマールと夜の訪問者」のように2日間にわたって同じ演目を上演するならば、一人で通して演じてほしいのですが、1日の場合それは難しいかもしれません。今回も主要な役はダブルキャストで、途中入れ替わります。これはできるだけ多くの隊員に主要な役をさせようという教育的配慮だけでなく、当日急病等の不測の事態を考えた場合妥当なことと言えましょう。今年の雌獅子役は、二人ともまだ色気までは感じさせませんが清純なボーイ・ソプラノの声質でした。また、雄獅子役の二人は男声(バリトン)として、高校生という年齢的なものを感じさせない充実した歌声で、深い悔悟の心情を表現していました。さらに、数年おきにこの演目を上演することで、隊員たちも成長に応じて、声と共に演じる役が変わることを学んでいったことでしょう。

   「ヒロシマのレクイエム」

 これまで、広島少年合唱隊が周年行事のようにフォーレの「レクイエム」を採り上げ、その2年ぐらい前からその一部の曲を歌うことや、毎年「ピェ・イエズ」のソロをプログラムに採り入れていることは気づいていましたが、今年のプログラムを読んで、初めてこの曲は、「ヒロシマのレクイエム」として歌われているという重みを知りました。「広島」が「ヒロシマ」とカタカナで表記されるとき、また違った意味が生まれます。フォーレがこの曲を作曲した19世紀末には、まだ核兵器はこの世に登場していませんが、歌はそこに現代的な意味を加味して歌ってもよいはずです。20万人の御霊への鎮魂曲としてこの曲は歌われました。また、それは、冒頭に歌われた「折り鶴のとぶ日」とも対応していました。また、この日のために、隊員の侍者服が新調されました。この演奏会の6日前、ローマ教皇フランシスコ聖下は、広島で平和を願うメッセージを述べられましたが、私は、この日の演奏を、7曲の特色やつながりを中心に鑑賞しました。これまで、どうしても、ソプラノとバリトンの独唱(ソプラノ:津波ダニエル バリトン:今田陽次)のある曲に目が向きがちでしたが、この日は、第7曲の「イン・パラディスム」の天国的な響きがとりわけ心に沁みました。

 TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
令和元(2019)年12月22日
(日) TOKYO FM ホール

   前半と後半で交代するアマール     

 今年のTOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートでは、歌劇「アマールと夜の訪問者」が再上演されました。多くの団員がこの舞台に下学年の時に村人役等で参加していることもあって、役づくりや舞台上でのそれぞれの人物の動きに自然さが感じられました。ところが、どのような理由があったのかはわかりませんが、今年のアマール役は、前半(尾島怜君)と、後半(堺究武君)で交代するところがこれまで鑑賞したものとと違うところです。21日の1日目も前半(尾島怜君)と、後半(前川陽光君)と、前半と後半で交代しています。記録によると、20年近く前にもそのようなケースはあったようですが、私はそのステージには接していません。交代は、アマールが村人を呼びに行くところで行われたこともあって、それほど不自然さを感じませんでした。さて、尾島君のアマールは、次第に調子を上げてきて、母との二重唱はなかなか聴かせる歌を歌っていました。また、堺究武君のアマールは、声の響きそのものがたいへん美しく、足が治った喜びをよく演じていました。さて、この日の3人の王様の中では、メルヒオール王を歌った東航平君が、よく聴き取れる明瞭な歌声で非常に存在感のある演技をしていました。また、カスパール王(山田知寛君)バルタザール王(寺島昇君)を含む3人の王様のアンサンブルもなかなかよくできていました。村人役のダンスも、よく見ると男役と女役では違いがあり、その違いも観ていて面白いものです。ところで、この日何よりも心に残ったのは、アマールの母役の伊藤邦恵先生の演技で、虚言癖のあるアマールに対して屈折した感情をもったり、貧しさに負けて王様の宝に目がくらんでしまうような人間の弱さを演じていたところです。この歌劇を何度も観ることによって、これまで見逃していた細かいところを観ることができたように思います。
  
   今年の新曲は?という楽しみ   

 第2部の指揮は、引き続き佐藤宏先生で、クリスマスキャロルやクリスマスソングが、ミュージックベルや鈴などの楽器も加え計12曲(プログラムに書かれているのは11曲)歌われました。最近の傾向としてソロではなく6人~8人のソリで歌われることが多かったのですが、今年は、アマールの後半を演じた堺究武君が、「ママがサンタにキッスした」でソロを歌いました。この歌は、北村協一先生が指揮をされていたころは、どちらかというと気の弱そうな感じのソロで始まっていたのですが、堺究武君は、むしろしっかりした感じの美声を聞かせてくれました。毎年おなじみの曲に加え、今年は、モーツァルトの「ラウダーテ ドミヌム(主をほめたたえよ)」がソリと合唱で歌われました。これは、陰影のあるよい演奏でした。このように毎年1曲ずつでもこのような新曲があると、それが期待感につながります。毎年同じ編曲の歌ではあるのですが、同じような声質の少年を常に育てて後継者を育成しているというシステムができているという印象を強く持ちました。

 今年も、TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートのプログラム上の最後の曲は、「きよしこの夜」でしたが、某新聞によると、カトリックとプロテスタントで同じ曲の歌詞が違うことや、古い訳詞のため、意味がわからない人が多くなってきたことから、新しい訳詞にする動きもあるとか。それなら、聖歌・讃美歌だけでなく歌曲や合唱曲でも文語体の歌詞はいよいよ追い込まれていくのではないでしょうか。これは、国語の破壊・世代の断絶につながるのではないかと思います。(TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートとは、直接関係ありませんが、気になることです。) 


 京都市少年合唱団 第60回修了演奏会
令和2(2020)1月5日
(日) 京都市コンサートホール

   修了生を前面に立てた演出

 この定期演奏会は、白いスーツの上着を着た修了生が主人公であることはまちがいありませんが、この日は、修了生とテナー・バスのウェルカムロビーコンサートに始まり、ステージ鑑賞のお願い、メイン曲である混声合唱組曲「筑後川」、全員合唱後の「お別れの歌」から退場まで修了生を前面に立てた演出が目につきました。この日はウェルカムロビーコンサートから重量級の「Time to Say Goodby」で始まり、この演奏会に向けた意気込みを感じました。さて、第1部開演前のステージに修了生が体育会系のノリで掛け声をかけながら、駆け足で下手から上手に向かって一列に並んで舞台の前に並びましたが、その並び方が、全体的には上手側が男子、下手側が女子なのに中央の2人だけが男子という並び方で、一瞬これは何だろうと思わせました。それは、真ん中の2人の男子が、女声を意識したファルセットの声で笑いの要素を入れながら、鑑賞についてのお願いをするもので、これは、どこの音楽会場でもやっている、スタッフが携帯やカメラに×を付けたプラカードを持って通路を回るよりもよほど効果的ではないかと思わせる演出でした。もちろん、メインの混声合唱組曲「筑後川」は、4曲の抜粋でありながら、残りの1曲を含め全曲を聴いてみたいと感じるほどの変化に富んだ川の種々相を表現していました。

   この合唱団は、合唱の声を育てている

 この日の全員合唱は、フォーレの「レクイエム」抜粋(第3曲以後)でした。確かに、津幡泰子先生のソプラノソロ、大谷圭介先生のバリトンソロは安定感のあるものでした。あえて、団員からソリストを選ばなかったのは、1800人は入れる会場の広さのせいもあるでしょうが、京都市少年合唱団は、周りと声の響きを合わせたハーモニーを大切にする合唱の声を育てることが主で、ソリストを育てるというという考えで団員を育てていないこともあるでしょう。(混声合唱組曲「筑後川」に部分ソロはありましたが)しかし、加藤先生が音楽監督になられた最初の全員合唱の演目でフォーレの「レクイエム」を選ばれた時と比べると、特に男声のボリュームが、人数的にも比率的にもそれほど大きく増えたわけではないのに、圧倒的に分厚くなったように感じました。約10年前の演奏が、京都市少年合唱団にとっての「レクイエムの1丁目1番地」ならば、今年は、「レクイエムの3丁目3番地」ぐらいには進んでいると感じました。なお、高音部が天国的な響きを奏でるSanctusやIn Paradisumの完成度はたいへん高かったように思います。

   7年たった「チコタン」 

 お目当ての変声前のボーイ・ソプラノによる「みやこ光」の演目は、7年ぶりに合唱組曲「チコタン」。よく考えてみれば、現在の団員は、7年前には誰一人入団していなかったことになります。花を使った7年前と多少演出は違いますが、首を同じ方向に同じ角度で揃えて振ったり、「こんやく」における楽しそうな舞台上での隊形移動も夢の中の世界であることを感じさせました。それが、終曲の「だれや!」の大きな怒りと嘆きにもつながります。団員が入れ替われば、このように前回名演と言われた演目を再上演することに意義があると感じました。

   歌が主で振り付けは従

 この日の京桜は、「春」をテーマに女声ならではの優美さと華やいだ感じの歌で統一感がありました。一方、都紅葉は、前の2曲「Clap Yo' Hands」と「世界はあなたに笑いかけている」は、振り付けの方が目につきすぎて歌詞がよく聞き取れず、後の2曲「にじのうた」「せかいのなかで」が真摯な内面的に豊かな合唱であったので、改めて合唱においては、歌が主で振り付けは従であるべきだと感じました。なお、この間の休憩時間には、ロビーでOB合唱団が若者グループの<VIVACE>が「サッカーに寄せて」を歌って、その後、年配のOBも加わった全員が「空も飛べるはず」「風が吹いている」と、このような場の雰囲気にふさわしい肩の凝らない曲を演奏してくれました。そこには、指揮者の村上英明さんの洒脱な話芸がもたらす力もあると思いました。

   合唱組曲の面白さ

 全員合唱の「ダッタン人の踊り」も、京都市少年合唱団の持ち歌として定着してきましたが、ステージ全体としての音楽としての質の高さは、誇るべきものがあります。それは、指導者のチームワークや指導力にもよりますが、小学4年生以上中学3年生までという学年の制限がありながら、常に200人以上の大所帯の団員を擁していることにもあります。「心ひとつ~」と踊りながら歌って、送られていくというスタイルももうかなり定着しました。そのような意味で、様式になっている部分とその年ごとに変わる部分の組み合わせも、毎年鑑賞する者にとっては楽しみの一つになってきました。今回は、特に合唱組曲というジャンルの面白さを感じるステージであったと思います。 

 ソプラノ♪7ボーイズ 1st はっぴょう会
令和2(2020)年1月13日
(月・祝) 溝の口劇場

   「プラチナ・チケット現象」の理由

 ソプラノ♪7ボーイズ 1st はっぴょう会のチケットは、まさに「プラチナ・チケット」になったようです。1回目の申し込みの約1時間後にネットアクセスした私の友人は、入手することができず、結局あきらめざるを得ませんでした。実のところ、主催者・関係者の方でも、どれだけの申し込みがあるかを想定できなかったのではないでしょうか。ある保護者の方の言葉によると、溝の口劇場は、当初、『20人くらいお客様が来て下さればありがたいね』という想定の会場だったようです。それでは、どうしてこのような「プラチナ・チケット現象」が起きたのかその理由を考えてみました。確かにこれまで実際にステージを鑑賞してファンになった人もいるでしょうが、最大の理由は、ホームページやツイッターの公式の動画だけでなく、昨年10~11月に横浜・東京で行われた3回のイベント出演は、野外コンサートであったためか、ハンドルネーム「氷板」さんが撮影した4Kの美しいYouTube映像によってそのステージの魅力が伝わってきたことの効果がかなり大きかったのではないでしょうか。演目は、童謡・唱歌ですが、一人一人にしっかりとした歌唱力がついているだけでなく、振り付けが入ることによって、聴覚だけでなく視覚からも楽しめる演奏になっています。また、歌が主でダンスは従でありながら、その振り付けは、かっこよさよりもむしろかわいらしさを強調することで、その歌の新たな魅力を伝えています。そのような意味では、時流に乗ってうわべのかっこよさを求めるあまり、現代の日本人が見失ってきたものを再発見するようなコンサートでもありました。ところで、これまで日本の少年合唱・独唱のCDは、商品になりにくいことから、私家盤等を除けばほとんど市販されていませんでした。従って、YouTube等の映像によって匿名の少年の独唱を鑑賞することぐらいしかできませんでした。肖像権あるいは個人情報保護に対する法的な規制が厳しくなってきた現代において、直接演奏会場に行かなければ、その魅力を知ることはほとんどできませんでした。そのような意味で、この野外コンサートのYouTube映像の放映を許諾したソプラノ♪7ボーイズの指導者の先見性や度量の大きさに敬意を表したいと思います。現在、この野外コンサートののべアクセス数だけでも、この約3か月で9000回を超えています。そのような意味でも、このYouTube映像の宣伝効果は大きかったと思います。
 初めての試みでは、当初から想定された座席数の問題だけでなく、販売するグッズの数やドリンクの容器の回収などでは、想定外のことも起こります。保護者を含むスタッフの方々もその対応が大変だったと思います。ただ、観客がソプラノ♪7ボーイズの少年たちを応援しようという意識が非常に高かったので会場の雰囲気も温かく、いろいろな意味で良識的・協力的な対応をしたこともあり、また、小さい子どもたちの鑑賞態度もよく、そのような意味で、よいコンサートになったと思います。

   コンサートの構成と工夫点

  さて、このコンサートは、スタンドマイクが7本並んでいるだけで、伴奏の楽器がないステージで行われました。また、指導者がステージに上がることもなく、スタンドマイクの出し入れをする劇場の係の人以外は、すべてソプラノ♪7ボーイズの少年たちによって進められました。先ずステージ後ろの暗幕が開いてスクリーンにメンバー11人の自己紹介がビデオ紹介されました。これは、演出というだけでなく、当日ミュージカル『フランケンシュタイン』出演のため、欠席せざるを得なかった小林佑玖君への配慮とも言えます。伴奏はすべてカラオケで、童謡・唱歌にも現代的なアレンジがされています、最初と最後に7人~9・10人の振り付けの入った童謡・唱歌、年齢ごとに3つに分けた10人全員の得意ジャンルの曲(この日は、ついにミュージカルのナンバーが解禁)のソロ、風邪が流行する季節、のどの健康を守るためにしていることを題材にしたトーク、観客も交えたハンカチ落としや球拾いゲームという休憩時間のない1時間半を飽きさせない構成になっていました。このユニットが7人という人数にこだわったのも、メンバーがミュージカルに出演した場合等のことを考えて人数を絞ったものと考えられます。そこで、人数が9~10人の場合の決めポーズはどうなるのかと注視していましたが、いわゆる「基本型」の応用になっていました。振り付けの入った歌は、パソコンの画面で見るのと、かぶりつきの座席から5~6メートルぐらいまでの近距離で鑑賞するのでは迫力がまるで違うし、その全体像が見えるので、練習によって動きがよく統制されていることも伝わってきます。なお、司会・進行役は、年長で中学生の岡村要君(ときによっては、山口れん君)で、ただメンバーにマイクを向けて質問するだけでなく、ときには、発言に切り返しを入れたりして、わりと自由度が高めのメンバーをうまくコントロールしながら、ステージを盛り上げていました。また、のどの健康を守るためにしていることを題材にしたトークでは、うがいやマスクといった常識的に考えられることはもちろんのこと、マスクを裏返しにして使う工夫が出てきたり、「マヌカハニー」など聞いたことのない健康食品の名前がごく自然に飛び出してきて、この少年たちがプロ意識をもってステージに臨んでいることが伝わってきました。なお、昨年秋ごろから誰の耳にも変声期に入っていることがわかる山口れん君は、この日でこのユニットを卒業することになりましたが、この日は、次の階段を昇っていくことが伝わるようなよい歌を卒業記念に歌ってくれました。ソロで歌ったミュージカル『モーツァルト』より「僕こそ音楽」もよかったですが、 とりわけ、ミュージカル『ライオンキング』の4人のヤング・シンバ役に対応するシンバの教育係のサイチョウ ザズー役は、脇役ながら、表情も豊か、動きも俊敏で、「これは、うまい!」と、感心させる出来栄えでした。今後は、OBとしての特別出演を期待しています。

   全員がソロという快挙   

 このコンサートでは、出演した10人全員がソロを歌いましたが、全員がかなりの実力者であり、このような企画は、どこの少年(児童)合唱団のコンサートにもないので、それが、大きな特色であり、見応え・聴き応えがありました。(ソロのステージを採り入れているところもありますが、人数はせいぜい1~4人ぐらいです。)年齢層ごとに3つに分けた10人の独唱について、司会の岡村要君は、
「最初は高い声が出るというところから、だんだん歌声がまろやかになってきて、やがて変声期を迎えます。(大意)」
という、年齢によるボーイ・ソプラノの鑑賞の仕方まで紹介してくれました。このセリフが自然に出てきた自分の言葉であったならば、これは、まさにボーイ・ソプラノの本質を突いた言葉であり、このような言葉を語れることを激賞したいと思います。それでは、10人の演奏を記憶をたどりながら、歌った順番にそのよかったところを一口感想的に。

 名 前  演 奏 曲  一 口 感 想
平賀  晴 ミュージカル『オリバー!』より「オリバーのマーチ」  明るい声質とそれに似つかわしい選曲で、歌うことが楽しくてたまらないという雰囲気が客席に伝わってきました。 
大橋 冬惟 「あめふりくまのこ」 透明度の高い声で1番ごとに違う歌い方をして、雨が降ってできた小川を、魚を探してずっと眺め続けるこぐまのドラマとして描いていました。 
矢野 新太 「小犬のプルー」  ひとりぼっちの「ボク」と小犬のプルーとの出会いと別れを、哀愁漂う雰囲気のある歌に仕上げていました。 
吉浦  陽   映画『天空の城ラピュタ』より「君をのせて」 メゾ・ソプラノの声質を生かして、静かな歌い出しから始まって、秘めた情熱を感じさせる歌になっていました。
深澤 幸也 「待ちぼうけ」 一人芝居をしながら歌うことで、人の「愚かさ」を視覚的にも描いていましたが、歌唱そのものはたいへん気品のあるものでした。 
中村 海琉 「大きな古時計」  ややハスキーな声質を生かして、おじいさんの人生に寄り添いながら、その喜びや悲しみを表現していました。 
竹内 彰良 ミュージカル『ピーター・パン』より「アイム・フライング」  ステージを一杯に使って、明るくリズミカルな歌声で、爽快な興奮が伝わってくる歌芝居を演じていました。 
中館 翔一 「赤とんぼ」  やさしくしっとりとした雰囲気で、この曲に添えられた叙情性がよく生かされていると感じました。
岡村  要 「四季の歌」  声域的には狭い歌でありながら、一つ一つの詩の言葉に込められた意味を伝えようとする表現力豊かな歌唱でした。 
山口 れん  ミュージカル『モーツァルト』より「僕こそ音楽」  この曲に挑めるほど声が安定してきたという喜びを感じると同時に、表情の変化において、丁寧で誠実な歌づくりが心に残りました。

   異質なものから学ぶことの大切さ   

 これまで、少年合唱団(児童合唱団を含む)のコンサートをはじめ、クラシック系のコンサートでは、プログラムが先に配られ、あるいはポスターやチラシに演目の概要が記載されていて、演奏開始前や休憩時間にプログラムを見ながら鑑賞し、アンコール曲だけが、その日のお楽しみで、帰りに入り口付近に演目が掲示されるというスタイルでしたが、ソプラノ♪7ボーイズ 1st はっぴょう会では、プログラムは配られず、少なくとも独唱において、誰が何を歌うかは、本人が直前に自分の口から発表するという観客にとってスリリングなやり方でした。ステージの次第を記したセットリストは、当然あったと思いますが、こういうコンサートの在り方は、観客の期待感を高める上では効果的です。 
  少年合唱(児童合唱を含む)には、その年頃の少年(児童)の声だけがもっている清純な魅力があって、それは他に代えがたいものであります。しかし、何よりも周りと合わせハーモニーを大事にするよい合唱団員を育成することと、その個性的な声質を生かした優れたソリストを育てることは同じではありません。また、合唱中心の合唱団とミュージカル中心の合唱団でも、当然のことながら、団員の育成方法は違ってきます。このコンサートに少年合唱団(児童合唱を含む)の指導者が来られていたかどうかは、私にはわかりませんが、「○○少年少女合唱連盟○○大会」のような同質な団体が集う大会に参加して、演奏を交流するだけでなく、このような異質なものから学ぶということは、とても大切だと感じました。
 さて、クラシックのコンサートでは、その日の演奏曲の予習をして行かないと、心から楽しめないこともあります。それが、クラシック音楽そのものを絶滅危惧種に追い込んでいるという側面もあります。また、クラシックのコンサートでは、「今日は、立派な演奏でした。」という言葉が、最高のほめ言葉になるのかもしれませんが、ソプラノ♪7ボーイズのコンサートでは、いわゆる「予習」はいりませんし、「今日は、心から楽しめました。」という言葉こそが、最高のほめ言葉になるのではないでしょうか。そのような意味で、この日のコンサートは、心から楽しめました。 



その他のコンサート


ミュージカル(「葉っぱのフレディ」「ビリー・エリオット」)

バーンスタイン ミサ

少年少女合唱団(横須賀少年少女合唱団・守口市少年少女合唱団・大垣少年少女合唱団・全日本少年少女合唱連盟○○大会

市場誠一ピアノコンサート

秋山直輝ソロコンサート

貞松響ソロコンサート


栗原一朗ソロコンサート

小川歩夢ソロコンサート

未来和樹ライブコンサート

ウィーン少年合唱団

パリ木の十字架少年合唱団

マイキー・ロビンソン ソロコンサート

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