第51回演奏会 大垣少年少女合唱団
平成29(2017)年4月9日
(日) 大垣市スイトピアセンター音楽堂

   団員数が約1.5倍になると

 案内状を見ると27名、プログラムを見ると31名と昨年と比べて、団員数が約1.5倍となり、よりボリュームのある歌声が期待されます。また、男子が4人と増えていることも、歌声に何か変化があるのではないかという期待させられます。今年のステージ1の第1曲目「ゆかいに歩けば」は、中央横の出入り口からから2手に分かれて歩きながら歌い、3番で舞台上の定位置に立つという演出で始まりました。この歌を初めて「みんなの歌」で東京放送児童合唱団の合唱で聴いたときのインパクトの大きさは、今でも覚えています。それは、「ヴァルデリー ヴァルデラー」という意味不明でも何となく楽しそうな掛け声のような部分と、3番の小鳥のさえずりのような高音のオブリガードで、合唱とはこんなこともできるのかという驚きです。それが、このような演出によってより明確に表現されていました。それに続く団歌も指揮者が変わると、強調点が少し違うように感じましたが、最後の音の重なりはたいへん美しく感じました。「未来へのレシピ」「Hello! My Best Friend」「Unlimited」「地球を散歩」と私にとって初めて聴く曲が続きますが、数名の女子団員のよく響く声が全体をリードしているという感じを受けました。また、団員数の増加によって、全体的にボリュームのある歌になっていました。

   いろいろなタイプの歌を

 ステージ2は、新入団員による「ハバネラッコ・ハバネラ」で始まりました。明るく元気な歌声の中にも、響きをそろえようとしていることが伺えました。続くボーイ・ソプラノの独唱は、今春中学生になった松野孝昌君によるシューベルトの「アヴェ マリア」。バッハ=グノーの「アヴェ マリア」を日本のボーイ・ソプラノで聴くことは何度かありましたが、シューベルト作曲のものは初めて聴きます。日本語訳のものでしたが、よく響くゆったりした歌唱で、このようなリリックな声質としてはたっぷりとした声量もあり、昨年よりもさらに磨きがかかったように感じました。その後は、女子のグループによる「どじよっこふなっこ」「はくさいぎしぎし」「からすかねもん勘三郎」とわらべうたを合唱曲に編曲した曲が続きますが、ここでは、統一感の見られる精緻な合唱を楽しむことができました。
 このステージの後半は、童声のための組曲「西風来来」より「西風未来」「ほろ馬車でいこう」「氷のカリンカ」の3曲が抜粋して歌われました。最初この合唱組曲は、いろいろな国の民族音楽をベースにした作品かと思っていましたが、必ずしもそうではないようです。「西風未来」では、中国風の旋律が面白く、「ほろ馬車でいこう」は、明るい弾むような歌に仕上がっており、「氷のカリンカ」は、だんだんアップテンポになって盛り上がっていく舞曲のようなところが聴きどころの演奏になっていました。また、振り付けも自然なもので、歌に集中できました。

   オペラやミュージカルは予習が必要

 ステージ3は、モンゴル民話 オペラ・ミュージカル「スーフと馬頭琴」(短縮版)で、小学2年生の国語の教材になっている「スーホの白い馬」と同じ原作なのかなあと思いながら聴いていました。結局、それは抜粋のためか、原作をもとにして演出されているためか、はっきりわかりませんでした。このステージは、モンゴルの民族衣装を着た蒔田義信さんの馬頭琴の演奏で、始まりました。心をかきむしられるような音色の演奏でした。ストーリーは、羊飼いの少年スーフと白い馬ツァスとの強い心の絆から楽器「馬頭琴」が生まれたことを描いた作品でした。ストーリーを追うことを中心に鑑賞していると、歌そのものの印象はやや薄くなります。オペラやミュージカルでは、ストーリーやアリアの位置を予習をしてから鑑賞しないと、聴きどころがわからないことを痛感しました。なお、この作品全編は、9月3日に上演される予定です。

 ウィーン少年合唱団 2017 日本公演
平成29(2017)年5月27日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール

      カぺルマイスターの違いで

 ウィーン少年合唱団の来日が、東日本大震災の年を除いて毎年になり、各コアが4年ごとに来ると、団員は総入れ替えになっているというルールが確立しつつあります。ですから、来日時にトップソリストであった団員の印象が強く残ります。また、4年前のモーツァルトコアのカぺルマイスターは、キム・ポミという韓国の先生で、熱情が前面に出る指導が心に残っていますが、今年は、ルイス・ディ・ゴドイというブラジルの先生でした。挨拶も誇張したところがなくゆったりと滑らかな日本語で、ピアノも上手です。それよりも心に残ったのは、ゴドイ先生は、指揮が流麗でまるで舞踏のような動きをされるときもあったことです。もちろん、演出は団長で音楽監督のゲラルト・ヴィルトはじめ、指導者の先生方がかかわっておられるとは思いますが、団員の少年の素質は、指導者の指導によって磨かれていくことを痛感しました。そして、2日間とも今年のモーツァルトコアの歌唱水準は、最近の中で最も高かったように思います。

   ザ・シンフォニーホールの構造を生かして

 プログラムAは、宗教曲をメインにしたものでしたが、第1部のスタートは、パイプオルガンの前にメンバー数人が並び、残りの団員は上手と下手から舞台に現れ、グレゴリオ聖歌「あなたに向けてわが魂を」を歌いながら舞台を降りて、真ん中の通路で交差して、1周して反対の側の舞台に上がって中央の雛壇に並んで歌うという演出は、このザ・シンフォニーホールの構造を生かした見事な演出で、どの会場でもできないようなものを見ることができました。このステージでは、来日以来ファンの間で評判になっていたイェトミール君がモーツァルトのカンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」とハイドンのミサ曲第5番「神なる聖ヨハネのミサ・ブレヴィス」より「ベネディクトゥス」で、重要なソリストを演じましたが、その歌声は輝きと陰影の両方を兼ね備えており、その歌声どこまでも伸びるのではないかと思わせるほどの表現力の高い少年で、おそらく今ボーイ・ソプラノの頂点に向かっていると思われるその歌声は気品があって陶酔的でした。その間に歌われたシューベルトの「詩篇 第23篇」は、かえって温和なハーモニーが心にしみました。また、スルツァー「精霊よ来たりたまえ」は、初めて聴く曲ですが、団員がステージ全体に等間隔で散らばって歌い、他の曲と聴こえ方が違っていました。その他、このステージで心に残ったのは、ウェッバーの「ピエ・イエズ」で、デュエットした二人の声質の違いがよい組み合わせになっていました。宗教曲は、聴き慣れものもありますが、数多く聴くことで聴きどころが少しずつ分かってくるよう思います。このステージの最後は、ヴィルトによる日本初演の「カルミナ・アウストリアカ」より抜粋でしたが、「カルミナ』という言葉から見られるように、「カルミナ・ブラーナ」と重なって聞こえるところもありましたが、楽器の音色も加わって生命力を感じる演奏でこのステージを締めくくりました。

   観客を楽しませるツボを心得た選曲と演出

 第2部は、北海道民謡の「ソーラン節」で始まりました。以前にもこの歌は採り上げられましたが、その時はピアノとジャンベの伴奏だけで振り付けはそれほど派手ではなかったように記憶しています。それが今回は、最近日本の学校で運動会でも採り上げられることが多い「よさこいソーラン」の振り付けで、特にセンターの3人は歌よりも踊りが中心であるかのようで、しかもその踊りがどこかテクノダンスを思わせるところもありました。いずれにせよたいへん迫力のある演奏に仕上がっていました。運動会と違うのは、法被姿がセーラー服というところでしょうか。掛け声役のサッシャー君は、アルトの声質であるだけでなく、他の場面でも歌全体を支えていることが伺えました。続く、コジャットの「ひとりぼっち」は、初めて聴く曲ですが佳曲という言葉がぴったりする上品な仕上がりになっていました。モーツァルトの「春のはじめに」は、日本人のシュンタロウ君とキイ君の東洋コンビ。歌声は、やさしいがやや速めの仕上がりで、年齢的にもこれからの成長株で、次世代のソリストを育てるということも考えての起用だと思います。「ふるさと」やウェルナーの「野ばら」のような定番曲は安心して聴くことができます。今回は、最後にシュトラウス一家の2つのポルカと1つのワルツを採り上げましたが、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「休暇旅行で」と J・シュトラウスⅡ世のポルカ・シュネル「観光列車」は、速くにぎにぎしく、一方、J・シュトラウスⅡ世の「皇帝円舞曲」は、前奏をピアノで長く弾くことによって、優雅さを前面に立ててあえてポルカとワルツを区別した演奏であると思いました。それは、アンコールのヨーゼフ・シュトラウスの速い速い「水兵のポルカ」でも感じることができました。アンコールのもう1曲は、「ビューティフル・ネーム」で、日本ではもう40年近く前の懐かしい曲の一つになってきていましたが、編曲によって新たな元気な生命を与えられたように感じました。

 ウィーン少年合唱団 2017 日本公演
平成29(2017)年5月28日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール

   演出の妙

 昨日のプログラムAの水準がたいへん高かったので、この日のプログラムBにも期待が高まります。冒頭のヴィヴァルディの「グローリア」ニ長調より、冒頭の合唱は、ステージの上手と下手から登場しながら歌うのですが、神の栄光を讃える「グローリア」であることもあってか最初からかなり華やかで力強さを感じるものでした。その他心に残っている曲としては、フォーレの「レクイエム」より「ピエ・イエズ」のソロが、レーニ君の透明度の高い天国へ誘うような歌声で、心に安らぎを与えてくれました。モーツァルトのカンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」は、昨日も聴いたので、多少聴きどころもわかって聴くので新たな発見もできました。それは、イェトミール君は、高揚したところから、意図的にすうっと声を弱めていき消えなんとする響きの美しさを聴かせてくれました。ヘンデルの歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」より「この胸に息のある限り」においても、クレオパトラの複雑な心境をよく歌いこんでいました。ビゼーの歌劇「カルメン」より子どもたちの合唱と行進曲 「兵隊さんといっしょに」は、オペラの演出とは全く違うウィーン少年合唱団のステージのための演出で、フローリアン君が隊長役となって、観客に敬礼して握手する振り付けで、ほかの子どもたちは舞台上で隊形変換しながら行進して歌います。その間、子どもたちは見られていないだろうと思っていたずらしたり、ふざけたり。このような演出の妙が面白かったです。また、第1部最後のブラジルの歌は、「クラホ族の3つの歌」は、カぺルマイスターのゴドイ先生にちなんでか、民族音楽にはこんなものもありますよといった、演出の妙を楽しませる曲を持ってきました。もう、ここでは誰の歌がどうだではなく、舞台そのものを楽しもうと思って見ていました。

   世界の旅

 プログラムBのテーマは、「ウィーン少年合唱団とつなぐ世界の旅」ですが、第1部を鑑賞していると、宗教曲もたくさんあり、このテーマを忘れていました。第2部は、最初から民族衣装を着てステージに現れる団員もいたので、改めてこのプログラムのテーマを思い出したような次第です。このステージでは、ケルンテン地方の民謡「ふるさとの谷の小さなベル」から始まりましたが、前で帽子とりゲームをする演出が面白く、村祭りの雰囲気が伝わってきました。また、昨日も歌われたシュタイアーマルクの牛追い歌「再び雪解けになり始めるころ」では、レーダーホーゼンと呼ばれる半ズボンの民族衣装を身につけた4人の少年が踊りながら歌うという本来の演出で楽しませてくれました。シャーマンの映画『メリー・ポピンズ』より「チム・チム・チェリー」は、サッシャー君がスケートをするような振り付けで歌い、広いステージ全体を使ったダイナミックな歌が楽しめました。だから、その後に聴く「アメイジング・グレイス」がより真摯な曲に聞こえるのです。日本の歌「花は咲く」「ビューティフルネーム」も、おなじみの演出と聞き取りやすくなってきた日本語が心に残ります。最後は、ヨーゼフ・シュトラウスの「水兵のポルカ」とJ. シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」は、ポルカとワルツの組み合わせ。「美しく青きドナウ」では、デュエットもたっぷり聞かせてくれました。そして、アンコールは、昨日のステージでも聴いた「ふるさと」「ソーラン節」華やかに締めくくりました。

   進化するウィーン少年合唱団

 このような副題が適当なのかどうかはわかりませんが、ウィーン少年合唱団も進化し続けています。それは、むしろ歌そのものよりも演出に見られます。それは、伝統文化を維持するだけでなく、エンターテイメントの文化が発達した現代を生き抜くため、あるいは国際化を意識したものです。その方向性は、正しいと思います。あらゆるものは進化を怠れば衰退につながっていきます。それと同時に、日本の少年合唱の振興や少年少女を含む若い世代の観客を獲得するためには、来日中のテレビ出演もNHKの「うたコン」で「ビューティフルネーム」を歌うだけであってほしくないと思います。オファーがかからないというなら、それは招聘した日本のスタッフがテレビ局に対して働きかける努力すべきです。そういう戦略的な発想をもって対応しないと、少年合唱を日本に根付かせることは難しいと思います。

 バーンスタイン作曲 ミサ上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
平成29(2017)年 7月15日(土) 大阪 フェスティバルホール

 予備知識をほとんど持たずに鑑賞した「バーンスタインのミサ」は、キリスト教の典礼のミサというよりは、反ミサのオペラのような仕立てで、司祭役はバーンスタイン自身であるようなつくりになっていました。この作品の背景には、ベトナム戦争で疲弊した当時のアメリカ社会の混迷やヒッピー文化真っ盛りの時代的なものがあります。音楽的には、ラテン語・英語・日本語等が入り混じっただけでなく、バレエや児童合唱と共に、ロックやブルースなどがあちこちに登場します。演劇的には最後には、司祭自身が儀式用の杯を床に投げつけ、祭壇の飾られた布もはがしてしまい、床に転がって神への不信を訴えるというミサという名の反ミサに唖然としてしまいました。

 司祭役の大山大輔は、最初から最後までほぼ出ずっぱりで、このミサの骨格をつくっていましたが、次々と登場する日本ではかなり高名な声楽家たちもストリート・コーラスの一員という扱いで、贅沢な配置でした。また、児童合唱やボーイ・ソプラノソロの部分だけ取り出して聴けば、なかなか素晴らしい出来で、男子率7割超という日本では珍しいキッズコール OSAKA による児童合唱もよい響きを出していました。児童合唱やボーイ・ソプラノソロの部分は4か所出てきます。第2曲の第一入祭文では、マーチング・バンドに率いられストリートコーラスが上手下手の花道から登場して、ボーイ・ソプラノが中央で歌います。この動きがなかなかよくできていました。第6曲のグローリア 栄光あれは、独得のリズム型が面白く、神への感謝が過去のものになったと歌うところが神の栄光を讃えるのとは真逆になっていました。第12曲のオッフェルトリウムでは、司祭の語りの後、少年合唱・聖歌隊の交唱に手拍子が加わり、高揚感を伴って踊り出すところが動きとして面白かったです。第17曲の平和・聖餐式「シークレット・ソング」では、ボーイ・ソプラノの込山直樹は、透明度の高い声質を生かして、天上よりすべり台を使って下界に下りてきて、白いピアノの上に立って歌うという演出は魅せてくれました。少年は 歌いながら、倒れていたストリートコーラスを一人一人起こしていくところが、この世の崩壊後の救済や復活を表現していたのでしょう。また、たとえミサに描かれたようなキリスト教的世界は否定しても、未来は子ども達に託すしかないということでしょうか。井上道義の指揮はダイナミックで、その身体能力の高さは、指揮だけでなく舞台によじ登るところにまで随所に感じられました。

 このように、視点をもたずにこの作品に接すると、断片的な印象だけが残ってしまいます。一度観ただけでは、全貌を深く理解することはできませんが、バーンスタインが「宗教」「政治」「音楽」を一体として考え、このような破天荒な作品に仕上げたということはできるでしょう。

 京都市少年合唱団 創立60周年記念演奏会
平成29(2017)年 8月20日
(日) 京都コンサートホール

 今回は、創立60周年ということもあって、久しぶりに門川大作市長のご挨拶を聴くことができました。第1部は、いつもは、現役団員の全員合唱で始まるのですが、今年度は創立60周年の記念記念演奏会ということで、OB約80名がOBメモリアル合唱団として特別参加し、総勢約300人がステージに立ち、重厚ななハーモニーを響かせてくれました。注目してみると、男子の制服のネクタイがストライブに、女子のネクタイがリボンに変わっていました。これが小さな変化か大きな変化かはわかりませんが、舞台衣装は見た目も大切です。「京都古今東西わらべ歌」は、いかにも京都らしい「丸竹夷」と「京都市歌」をアレンジした作品でした。また、「ハレルヤコーラス」こそは、約300人のボリュームある歌声が堪能できました。

 続いて聴いた新団員のステージは、「カエルのポルカ」「地球をつつむ歌声」「地球星歌~笑顔のために~」は、入団以後5か月という時間を感じさせないきれいなハーモニーを聴くことができました。特に、「地球星歌~笑顔のために~」は、音楽的に聴き応えのある合唱曲に仕上がっていました。ところが、このステージで気づいたことは、小さなことかもしれませんが、男子団員が全員新団員であるにもかかわらず、半ズボンと長ズボンと混在していたことです。このあたりの不揃い感・バラバラ感が、とても気になりました。小学生は半ズボン、あるいは小学生でも変声したら長ズボンとか一定のルールをつくらないと、せっかくの新たな制服が意味をなさなくなります。

 今年の都紅葉の選曲は、ソリをメインにした曲でした。また、それが生きるような選曲であったと思います。さらに、今年の特色の一つは、選抜組「響」を登場させたことです。これは、音楽の質を高めるためには、必要なことだと思います。事実、演奏を聴いてもその質の高さや群像劇のようなステージも見て楽しめるステージと言えるでしょう。

 今年も、1部と2部の間には、京都市少年合唱団OB会合唱団によるロビーコンサートありました。しかし、人数も例年の1.5~2倍ぐらいで、選曲も「美しく青きドナウ」や「大地讃頌」という合唱曲の王道を行くものであったため、これまで以上に力強さと感動のあるステージでした。また、女声の中にカウンターテナーの方もいるところが、この合唱団の質の高さの表れでもありましょう。

 みやこ光は、大谷圭介先生の指導によって、さらに一段高い段階に立つことができました。それは、「地平線のかなたへ」の「サッカーによせて」の群像劇のような演出だけでなく、それぞれの歌がもっている面白さをどう伝えるかということが見えてきたからです。また、京桜の女声合唱組曲「海鳥の詩」は、厳しい寒さの中に生きる鳥たちの姿が浮かび上がるような演奏でした。

 この日のために千原英喜によって作曲され、初演された児童合唱とピアノのための組曲「銀河鉄道の夜」は、必ずしも、宮沢賢治作の「銀河鉄道の夜」だけではなく、賢治の残した短歌や童謡、手紙文から抜粋されたもの、作曲者本人の創作詞を交えて構成された詞に作曲されたもののため、「銀河鉄道の夜」そのものの音楽というわけではないようです。当初ジョバンニやカンパネルラのテーマ旋律があって、それが銀河鉄道の旅の中で交錯していくのかなと思っていましたが、そうではありませんでした。もう30年も前のこと、映画「銀河鉄道の夜」の登場人物がネコなのに違和感を感じたのとはまた違った違和感がありました。2回、3回と聴くことで、この曲のよさがわかってくるようになるのかもしれませんが、私は、加藤完二先生の指揮をしても、一度だけでそれを感じることができなかったというのが、正直な感想です。

 フレーベル少年合唱団第57回定期演奏会
平成29(2017)年8月23日(水) 文京シビック大ホール

   今年の可能性は何だろう?

 昨年度、フレーベル少年合唱団の定期演奏会は、「子どもの可能性を限定してはいけない。」という野本監督の理念によって、「沖縄」の音楽という形で体現されましたが、今年度は、むしろ正統派の合唱音楽という形で結実しました。それは、オープニングのS組・A組による団歌ではまだわかりませんでしたが、Part1のS組の「ボヘミア民謡とドイツ・オーストリアの調べ」によって、はっきりとしてきました。佐藤洋人先生の流麗な指揮に導かれて、「Abschied ~別れの歌~」が始まると、指導者の指導理念が次第に浸透して少年合唱団員の声の透明度が増してきたことが伝わってきました。「おお牧場はみどり」は、長年TOKYO FM 少年合唱団のオープニングで聴く歌声とはまた違ったものでした。TOKYO FM 少年合唱団の歌は活力を感じ、フレーベル少年合唱団の歌は柔らかな表現力を感じるので、その違いを面白く感じました。だから、そのような質の歌声は、「歌の翼に」のような流麗な曲でこそ最大限に生かされてくるのです。「流浪の民」では、ソロやデュエットにおいては、個性的な歌声が聞こえるのに、全体として統一のとれた歌声になっているところが魅力的でした。

   A組の実力向上が全体の向上に
   
 Part2は、「ぼくらのともだちアンパンマン」で、幼稚園年長と小学1年生のB組が「ドレミファアンパンマン」と「アンパンマンたいそう」の2曲を歌いましたが、去年までと違って、歌に集中したステージでした。
 Part3は、A組が昨年度と同じ「楽しい童謡を集めて」と題したステージでしたが、曲目は昨年とは全く別で、いわゆる昭和(戦後)の子どものための歌を集めたステージとなりました。「犬のおまわりさん」は、鳴き声を前面に立てたユニークな編曲で面白かったです。「さっちゃん」は、友竹正則さんの歌は覚えていますが、少年合唱で聴くのは初めてです。こういう本来独唱曲や斉唱曲として創られた曲は、合唱曲にする場合、このステージで歌われた歌は、必ずしも「童謡」というジャンルに入らないものもありますが、「みんなのうた」や「歌のメリーゴーランド」等で歌われた歌です。最近の「みんなのうた」は、昭和の頃のジュニア・ソングとは違った路線を走っているように感じますが、このステージで歌われた歌が、子ども達に歌い継がれることを願っています。このステージでは、A組の実力向上が、全体の質的向上を支えていること感じました。それは、特に「小さい秋みつけた」の中間部分でソロを歌った団員の歌声を聴くことでより確かなものとなりました。このステージの終了後、プログラムにはありませんが、私服に着替えたS組の団員たちによって、最近録音した「PRIDE」の歌声に合わせてダンスが披露されました。こういう企画も「子どもの可能性を限定してはいけない。」という野本監督の理念につながるのでしょう。

   少年たちの歌声の延長線上にOB会の合唱が

 Part4は、「ありがとう、先生」と題して、初代指揮者磯部俶生誕100年記念というステージでした。このステージの主役は、OB会でしたが、歌の合間に野本監督と太原OB会長の会話から、磯部先生の合宿時のかくし芸大会のエピソードを通して、そのお人柄の一端にふれることができました。また、夏期休業中の合宿が、当時の少年合唱団の団結を強める上で大きな働きをしていたことを改めて感じます。
 「風になりたい」は、最初同名の違う曲を想像していましたが、磯部俶先生が作曲された作品はワルツ風の曲で、爽やかで躍動感のある部分と、陰影のある部分の対比が面白い三部形式の歌が流れるように表現されて、最後には大きな高みへと導かれていました。「ふるさと」は、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」という室生犀星の格調の高い詩の心を丁寧に伝えようとしていることを感じました。この曲は、少年合唱には向いていませんが、人生経験を積んだ男声合唱にこそふさわしい曲です。ここで、A組が登場して、童謡「びわ」がゆったりとした柔らかい声で歌われました。さらにS組23名とOB会の混声合唱で「遥かな友に」が歌われたとき、この2年余りの間の指導によって透明度が高くなってきた少年たちの歌声の延長線上にOB会の合唱があることを強く感じました。2年前にはそれぞれが同人数で歌いましたが、声量のバランス的には、これぐらいの人数比の方が、よいと感じました。少年たちの声はあくまでも素材であって、それをどういう理念で指導して理想の歌声に高めてくかということが大事であり、変声期以後も歌い続けることによって、OB会のような歌声につながっていくということを感じさせるステージとなりました。

   信長貴富の曲は引き出しが多い

 Part5は、「みんなでうたう ぼくらのみらい」と題して、今いろいろな合唱団が好んで採り上げている信長貴富の作品が演奏されました。しかも、信長貴富ご本人が会場に来ておられ、ステージに上がって野本監督と対談するという企画もありました。どちらかというと、演奏する曲の説明はほとんどなく、むしろ合唱の周辺の話が多かったのですが、この日聴いた曲は皆初めて聴く曲ばかりなのに、いろいろな色に染め上げられていて、これまで知っていた信長貴富の曲が、中高生によって歌われることの多いごく一部分でしかなかったことを痛感させられました。何よりも信長貴富の曲は引き出しが多いというのがこの日の感想です。特にS組が挑んだ「群青」は、信長貴富作曲ではなく編曲でしたが、編曲によってどれほど合唱曲は質的に高められるかを感じさせる曲でした。「ゆずり葉の木」に寄せるバラードは、詩「ゆずり葉」の朗読に始まり、それが壮大な物語詩に発展していく展開に心を揺さぶられました。

 このコンサートにおける課題は、むしろ観客の方です。保護者は、幼児をもう少しきちんと指導してほしいです。少なくとも演奏中に走る子どもは、保護者の責任です。こういう幼児がそのまま育てば、日本の未来を託する気になれないのです。「ゆずり葉」は、日本の未来を託したい子どもに捧げる詩です。

 ビリー・エリオットと山城力とを重ねながら
ミュージカル「ビリー・エリオット」
平成29(2017)年10月20日(金) 梅田芸術劇場
  
  「一通の手紙が人生を左右することがある。」という言葉は、まるで小説の一節のようですが、今回ミュージカル「ビリー・エリオット」を鑑賞するきっかけとなったのは、まさに一通のメールでした。今回上演するのを見逃したら、次のチャンスはいつになるかわかりません。

 ミュージカル「ビリー・エリオット」は、2000年に公開されたイギリス映画「リトル・ダンサー」をもとに作られたミュージカルです。ミュージカルとなった「ビリー・エリオット」は、演劇・ミュージカルの世界における世界最高峰のトニー賞をはじめとする多くの演劇賞を受賞し、既に世界中で1200万人が観劇してきた名作です。この作品の舞台は、1980年代のイングランド。主人公の少年ビリー・エリオットは、とある炭鉱町の父子家庭で育ちます。かつては基幹産業として栄えていた炭鉱も採算の取れない斜陽産業となり、当時のサッチャー政権は、炭鉱の閉鎖を決定。それに対して炭鉱労働者が立ち上がり、大規模なストが起こります。この話に深入りすると、サッチャー政権の功罪という政治問題になりますので、音楽サイトとしてはこれ以上ふれませんが、そのような社会的背景を押さえておかないと、このミュージカルの理解も浅くなります。数年前にやさしかった母を亡くし、頑固者の炭鉱夫の父と兄、認知症が始まっている祖母と暮らすビリーの家は貧しく、炭鉱ストの影響は家庭生活にも影を落とします。そのような中で、父は、ビリーに強い男になるようにボクシングを習わせようとしますが、ビリーが関心を示したのは、同じ会場を借りてレッスンしていたバレエ。父は「バレエなど男のするものではない。」と激怒しますが、やがて、バレエの才能を見出されたビリーは、名門ロイヤル・バレエ・スクールの受験を目指すうちに、反対していた父や周囲の人々の心にも変化をもたらしていくというストーリーです。
 
 「ビリー・エリオット」は長期公演で、しかも約2時間半の上演中ほぼ出ずっぱりなので、主役は5人で交互に出演しています。当初は4人だったのですが、5人目のビリーとして山城力が選ばれ、私の観劇した10月20日は、山城力がビリー役でした。オーディションは1346名から約1年間に及ぶトレーニングを経て4人が選ばれました。一度は不合格となっても、諦めずにがんばり、ビリー役を手に入れた山城力は、ダンスや演技経験がなかったそうですから、相当な努力をしてこの役を射止めたと言えるでしょう。逆境の中から努力によって栄光を勝ち得たビリー・エリオットと山城力とを重ねて鑑賞することができました。さて、このミュージカルは、ダンスの比重が8割ぐらいあり、しかも、バレエだけでなく、タップダンスや、ジャズダンス、フライング、器械体操の要素まであり、ただ美声で歌がうまければつとまるという役ではありません。未来の自分と「白鳥の湖」を舞うところなど、舞台芸術の粋と言えましょう。このミュージカルにはビリーが歌う「「エレクトリシティ」という魅力的な独唱曲もあり、山城力は明るめの声を前に出すような歌いぶりでしたが、それがかすんでしまうほど、何よりもダンスが魅力的でした。

 日本語上演として面白かったのは、炭鉱夫たちの言葉が福岡弁で、昭和30年代の三井三池炭鉱を連想させるところです。また、脇役としてのマイケル役の古賀瑠が芝居もダンスもなかなか達者でしたが、翻訳上仕方がないのでしょうが、「オカマ」という言葉は、何とかならないものでしょうか。

 この日は、しかも100回達成を記念したスペシャルカーテンコールがあり、ビリー役の山城力、お父さん役の益岡徹、ウィルキンソン先生役の島田歌穂の3人が、スピーチをし、MBSの情報番組「せやねん!」の司会のトミーズ雅がお祝いにかけつけ、山城力に花束を贈呈というおまけつきでした。

 北九州少年合唱隊第31回定期演奏会
平成29(2017)年10月29日(日) 北九州芸術劇場中劇場

   成長の痛み

 北九州少年合唱隊の定期演奏会とは、直接かかわりのないことですが、10月23日の「ビリー・エリオット」の公式ホームページに次のような記事が掲載されました。

本公演に出演予定の未来和樹ですが、成長に伴う痛みのため、本公演をやむなく降板させていただくこととなりました。
お客様には、ご心配、ご迷惑をお掛けいたしまして、誠に申し訳ございません。
なお、この度の代役につきましては、前田晴翔と山城力が務めさせていただきます。
 何卒ご了承いただき、変わらぬご声援を賜りますようお願い申し上げます。

 「成長に伴う痛み」とは、具体的にどのようなものかは想像の域を出ませんが、選ばれた5人のビリーの中で、15歳と最年長で変声期が心配された柔らかい歌声の美しい未来和樹が、大阪公演を降板するというニュースが入ってきました。1年半前から上演時期の成長を見越したオーディションを行ってビリー役を勝ち得ても、こういうこともあるのかと、「成長」は、喜びだけでなく過酷なこともあると痛感しました。

   人数の厳しさを工夫で乗り越える

 2年ぶりに行った北九州少年合唱隊の定期演奏会は、隊員の顔写真を見ると、人数はほぼ同じ14人でも、かなり隊員の入れ替わりがあります。今年も、「北九州市歌」でオープニングした合唱は、「宗教曲」へとつながっていきましたが、フォーレの「レクイエム」より「ピエ・イエズ」は、ほぼ合唱で、部分的にでもソロを歌い切るソプラノがまだ育っていないのかなと感じました。ところが、モーツァルトの「子守歌」では、オブリガードに5年生のアルトの門谷君を配置したことで、かなり聴かせる曲に仕上がっていました。続く「流浪の民」では、ソプラノ・アルトをソリにして声のボリュームを確保するなど、人数的な厳しさを乗り越えるための工夫も垣間見ることができました。普段練習に参加していないと考えられるOBとの合同ステージは、「夢の世界を」と「With you smile」という定番曲でしたが、必ずしも新曲に挑むことがよいのではなく、この歌を聴きたいという歌を聴かせてくれるならば、それでよいのではないかと思いました。友情出演の北九州小倉少年少女合唱団は、最近ではすっかり少女合唱団になりましたが、この日選んだポップス系の選曲のよさを含め、歌と踊りが一致して舞台いっぱいに展開するそのステージは、楽しませてくれました。

 グリム童話を下敷きにしたオーベルキルヒェン児童合唱団創立者のメラー兄妹の作品を北九州少年合唱隊が採り上げるのは4回目で、私が鑑賞するのは2回目です。役を決定するのは、おそらく半年以上前、もしかしたら前年の定期演奏会終了後の1年前かと思われますが、そのときにベストフォームであったとしても、練習をする間に身体が成長して変声期に突入することもあるでしょう。2年前タイガー・リリー役で可憐さを精一杯表現していた丸下君は、まさにそのような時期にぶつかっていたようです。また、狩人と王子、大臣と鏡の精が一人二役というのも人数的な課題を乗り越えようとしただけでなく、変声後の隊員が脇役、とりわけ悪役で役者魂を発揮してくれました。さらに、狂言回しでナレーターの門谷君がかなり重要な役をはつらつと演じていました。北九州少年合唱隊のミュージカルには、これまでより、狂言回しに力量のある隊員をあてる傾向があります。終了後、高山隊長先生より来年の定期演奏会の日も発表されましたので、それに向けた新たな出発に期待しましょう。

 広島少年合唱隊第58回定期演奏会
平成29(2017)年11月4日(土) 広島県民文化センターホール

  平和を願って

 今年も隊員は50人確保されていました。第1ステージにおける隊員が並んだ隊形を見て、期待感が高まりました。その隊形からソロを前面に立てるという理念が一層はっきりしてきました。「Bless the Lord」と、フォーレの「レクイエム」より「Pie Jesu」において、それは効果的でした。ただ、ボ-イ・ソプラノはガラス細工のように繊細なものなので、定期演奏会のときにその頂点に立てるかどうかはわかりません。もう少し時が緩やかに過ぎたならと思わせることもあります。今年の「Pie Jesu」のソリストの門田怜大君は、明るいくっきりした声質ですが、ロングトーンになるとかすれるところが惜しまれます。また、「折り鶴」は、これまでにも他の少年合唱団でも聴くことがありましたが、今回広島少年合唱隊は、「おりづる」というご当地の製菓会社 バッケンモーツァルトのクッキーのテレビコマーシャルにこの歌を歌って出演したこともあって、15秒バージョンと30秒バージョンではない、全曲を聴かせてくれました。「折り鶴が飛ぶ日」のようなドラマ性のある曲ではなく、むしろ素朴な歌ですが、それだけに、誰にでも歌える親しみのある曲と言えます。
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   混声合唱で聴く「ふるさとの四季」

 広島少年合唱隊は、5年に1回ぐらいの割合で「ふるさとの四季」を採り上げていますが、この時間は、隊員の歌の意味の理解度にも関わっています。予科の頃に理解できなかった詩の意味がだんだん理解できるようになることもあるでしょう。また、ボ-イ・ソプラノで歌った歌を、次回は男声として歌うこともありでしょう。そのような意味で、同じ曲でありながら、隊員にとっては違った学びのできる歌ではないかと思います。さて、こういう曲は、みんなが知っている曲だけに、一つ一つの歌を浮き上がらせながらも全体としてまとまったものとして歌うことが難しいとも言えます。この日の演奏は、一つ一つの歌から抒情性をうまく引き出して、歌全体として日本の原風景の季節による移り変わりを克明に描きあげていました。

   少し背伸びした予科

 この日予科(小学3年生以下)は「ゆかいに歩けば」「ドレミの歌」というこの学年としては少し背伸びした歌を採り上げました。「ドレミの歌」では、振り付けもあり、まだ舞台慣れしていないことを感じるところもありましたが、このようにして隊員を育てていくという理念を感じました。
 
   歌い続けること

 「私には夢がある」で始まる「ここから始まる」は、陰と陽との対比が面白く、また音の重なりが美しく、合唱曲だからこそできる表現を楽しむことができました。ソロを歌った保本祐希君は、ソプラノの時代からその歌声を追いかけてきましたが、こういう柔らかい温かみのある歌声に成長するのならば、変声期は怖くないと感じさせるような歌声でした。研究科として歌い続けることの意味を改めて考えました。

   ぼくらのレパートリーを広げること

 今年は、「ぼくらのレパートリー」として、「あなたに会えて」と「群青」の2曲が選ばれました。ラララ~とア・カペラで始まり、次第に高揚していく「あなたに会えて」と、津波で同級生を亡くし、遠い疎開先から今もなお戻ってこない同級生に想いを馳せる相馬市立小高中学校の生徒の言葉や日記をもとに創られた「群青」は、歌のメッセージを伝えることを理念にしている広島少年合唱隊にふさわしい選曲です。きっと後世に残る合唱曲になることでしょう。そして、OBと共に歌う「大地讃頌」も広島少年合唱隊の定期演奏会で歌われる歌として定着してきました。

   HBCふぁみりいの夢

 OB、保護者OB、元指導者から構成される「HBCふぁみりいステージ」は、2年後の第60回定期演奏会の現役隊員との共演を目標にして活動しているようです。その夢は近づきつつあります。この日歌われた「涙そうそう」では、前隊長の林先生の三味線伴奏という特別出演もあり、合唱隊の定番曲の「昴」と共に楽しめるステージになっていました。

  全員にソロ体験をさせる「ミュージカル 11ぴきのネコ」

 3年ぶりに3度目の上演になる「ミュージカル 11ぴきのネコ」は、すっかり持ちネタとして定着してきました。大道具・小道具もだんだん整備され、全員にソロ体験をさせるという理念でこのミュージカルを上演していることが伝わってきました。隊員の人数が何人になってもその理念は変わらないでしょう。このステージでも、ソロを前面に立てるために、真ん中を三角形に空けて、ソリストが歌うという舞台構成が生きていました。それは、観客の立場からしても、観やすいステージと言えましょう。

 第56回 呉少年合唱団定期演奏会
平成29(2017)年11月23日
(木・祝)呉市文化ホール

   オープニングにふさわしい選曲

 3年ぶりに鑑賞する呉少年合唱団。人数的には28人と昭和の終わりごろは200人を超える団員のいた合唱団としては厳しい状況になってきましたが、歌そのものは、満足度の高い出来栄えでした。「団歌」「音戸の船頭歌」とお馴染みの曲でスタートしましたが、頭声の清澄な声にしっかりとした芯が入ってきたという印象を強く感じました。「さあはじめよう音楽会」は、ワルツのリズムに乗って軽やかな歌声が流れてくるという感じの曲で、オープニングにふさわしい選曲であったように思います。

   背伸び感のしなかった低学年

 1年2名、2年2名、3年3名の7名からなる低学年ステージは、「大きな古時計」「だれも知らない」「ありがとうの花」「いのちの歌」の曲想の違う4曲に挑みました。「大きな古時計」では、1番ごとに歌い方を少し変え、「だれも知らない」では、「シュビズババ」というおまじないの言葉よりも、むしろ旋律の抒情性が心に残りました。特に、「いのちの歌」は、「生きていくことの意味」や「絶望に嘆く日も」といった歌詞の深い意味は、この年齢ではまだ理解できないだろうとは思いながらも、それを感じさせない歌に仕上がっていました。

   本格的な少年合唱を聴いた満足感

 高学年のステージは、壮大なバラード「花になれ」で始まりました。この曲どこかで聴いたことがあるなと思ったら、羽生結弦選手がエキシビションの演目として使っている曲であることに気が付きました。人生の応援歌であり、説教臭くない歌詞が次々と展開していく中で、大きな盛り上がりを創っていました。続く「動物のカーニバル」より抜粋の「王様ライオン」「ピアノのおけいこ」「化石の森」「旅の白鳥」「フィナーレ」と曲想の違う曲を集めていましたが、振り付けも面白く、楽しめるステージを構成していました。全体として、調和のとれた柔らかな演奏でした。

   呉の子どもたちと共に

 こういうステージが設けられてから、4年目になります。私の記憶に間違いがなければ、最初は、ウィーン少年合唱団との合同演奏に団員以外からも募集したところから始まったと思います。女子が多いとはいえ、これに参加することがきっかけで入団する男子がいればいいなと思いながら聴いていました。「グッデーグッバイ」と「旅立ち」の2曲が歌われました。とりわけ「旅立ち」は、流麗であるだけでなく、この曲のもつ構成美が見事に表現されていました。

   ついにOBが本格参加

 これまでも、OBは、陰になり日向になり現役を支えてきましたが、今回はついに現役とほぼ同人数の男声合唱団を結成して、ワンステージ披露しました。選曲も勇壮な「箱根八里」、大河のうねりのような「川の流れのように」童心に戻った「夕焼け小焼け」と男声合唱の違った側面を聴くことができました。これらの曲は、現役の頃歌っていたということですから、歌詞の意味がより深くわかり、そこに人生経験を加えたものが演奏されていました。さらに、「時の彼方へ」が、合同演奏で歌われましたが、人数の関係もあって、男声は抑え気味の声で現役を盛り立てるように歌われました。この日もエンディングは、全員合唱による「ハレルヤ」へとなだれ込んでいきます。木村団長の指揮も力強く心に残りました。今回のテーマである「歌おう未来へ」は、この歌声を未来につなごうというメッセージでもあったように思います。

 ただ、今回残念だったことは、私の後部座席のおばあちゃんたちが、演奏中もよくしゃべったことです。音楽は、よい曲と、よい演奏と、よい聴き手によって成り立つものですが、そのことがわかっていないのですね。前方の座席で母の胸で赤ちゃんも静かに聴いているのに。



その他のコンサート


ミュージカル(「葉っぱのフレディ」)

少年少女合唱団(横須賀少年少女合唱団・守口市少年少女合唱団・大垣少年少女合唱団・全日本少年少女合唱祭全国大会


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秋山直輝ソロコンサート

貞松響ソロコンサート


栗原一朗ソロコンサート

小川歩夢ソロコンサート

ウィーン少年合唱団

マイキー・ロビンソン ソロコンサート

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