ウィーン少年合唱団 2023 日本公演
令和5(2023)年6月3日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール

 オリンピックなら、4年に1度あるというのが通例ですが、ウィーン少年合唱団の日本公演は、コロナ前は毎年になってきていたので、4年で4つの違ったコアの演奏を鑑賞するという鑑賞の仕方が定着してきました。しかし、世界を襲ったコロナ禍は、来日がどうなるか以前に、ウィーン少年合唱団を存亡の危機に陥れました。幸い、日本では感染症の2類から5類になるのに合わせたように、25回目の来日が実現しました。なお、今年は、ウィーン少年合唱団の創立525年目に当たります。プログラムを見ると、ロシアの侵略によりウクライナから避難してきたゲオルギ君は、オデーサで合唱団に入っていたことが書かれており、日本人団員も3人ということで、インターナショナル化した中で、どれだけウィーン少年合唱団らしさを発揮するのかも聴きどころです、

 Aプロ
 第1部

 モーツァルトのカンタータ「汝、宇宙の魂に」の合唱が始まって、まず感じたのは、合唱とはこんなに立体的なものだったのかということでした。この4年間、フレーベル少年合唱団の定期演奏会以外は、マスクをした演奏か、テレビやパソコンを通して視聴する平面的な演奏だったので、それが当たり前のようになってしまっていました。CDを音量を上げてヘッドホンで聴いても、それが、本当の肉声とは言えない面もあります。続く、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、原曲が器楽曲のア・カペラによるスキャットの合唱でした。創立525年とK(ケッフェル)525を掛けているそうです。このスキャットは、半世紀以上前に、ボニー・ジャックスがNHK『歌はともだち』の中で、スキャットの男声四部合唱をしたのを聴いたことを思い出しましたが、1960年代後半からジャズやポップスの影響を受けたスキャットの曲が流行りましたが、舞台全面に広がって歌う歌は、ますます、合唱のもつ立体感を強く感じさせてくれました。

 クープランの「歓喜せよ」は、印象が薄かったですが、ミヒャエル・ハイドンの「アニマ・ノストラ」の三重唱は、声の高さや質の違いがよくわかる演奏でした。シューベルトの「反抗」は、その正体はわかりませんでしたが、いかにも対立するものを感じさせる演奏でした。ロッシーニの「ラ・カリータ 愛」は、合唱にエレンとアルタイアの独唱が加わるという構成で、歌劇とは違うロッシーニの側面を知りました。

 ビーブルの「アベ・マリア」は、初めて聴く音楽史的には新しい曲ですが、合唱だからこそ表現できる重層的な曲という感じがするロングトーンの歌声が美しい曲でした。本日のソロ曲は、エレンによるミヒャエル・ハイドンの「ベネディクトス」。全く知らない曲ですが、このステージでは、エレンがソロを受け持つ比重が高かったです。声は、典型的なボーイ・ソプラノらしい華やかな甲高さがなく、むしろ落ち着いた感じがしました。オーストリア民謡の「森のハンス」は、素朴でありながらも民謡ならではのリズムに特徴のある曲でした。ヨハン・シュトラウスの「ウィーンの森の物語」は、ジミー・チャン先生の手にかかると、ウィーン情緒といった優雅なのどかさよりも、いくつかのドラマがつながってやがてコーダに向かって大きく盛り上げる活力のある演奏になります。この辺りを、かつては疑問に感じたのですが、むしろ、ポルカにこそジミー・チャン先生の持ち味がよく現れるのではないかと感じました。時の流れは、次第に速くなり、クラシックの演奏も、少しずつ速くなっているのではないかと思います。

 第2部

 ニュージーランドの労働歌「ウェラーマン」は、CD「Together」で初めて聴いた曲ですが、次々とソリストが変わって歌うことで、「ボーイ・ソプラノの図鑑」を見るようでした。「ラ・パロマ」は、もともとはスペイン語圏の歌で独唱曲だったのでしょうが、合唱曲に編曲することで、また違った味わいの曲になっていました。オードウェイ作曲の国によって歌詞が違う「家と母を夢見て」「旅愁」「送別」をプログラムに入れたことで、観客としてこの会場に来るような日本人の好みをよく知っていると感じました。ウィーン少年合唱団の人気が日本で一番高かった1955~70年代頃、小学校の音楽の教科書には犬童球渓が明治40年に詞を訳した翻訳唱歌「旅愁」が載っていました。その歌詞のもつ深い意味は分からなくても、その雰囲気だけは共感するところが大きかったように感じます。エレンが英語で、ノブタカとローレンツが日本語で、アルタイアが中国語で歌い、それぞれ意味は違うのでしょうが、よい雰囲気を出していました。「荒城の月」が、ソロで聴けるとは思っていませんでした。ウィーン少年合唱団の伝統的なソプラノソリストの系譜にある歌声のローレンツ、安定感のあるアルタイアの歌声は、日本語の発声も見事でした。「ふるさと」も、おなじみのレパートリーですか、「またか」という気持ちを起こさせるどころか、かえって、小学校の必修教材として、みんな歌っているはずのこの歌を、声楽家はともかく、日本の子どもたちがここまで堀り下げて歌っているかということを考えたとき、この歌の神髄に迫ることができました。

 「ユー・レイズ・ミー・アップ」は、ボーイ・ソプラノのソロで聴くことはあっても、ソロを交えた合唱曲として聴くことはあまりありません。根源的な元気がもらえる曲と感じました。インドの献身歌「ラーマ卿よ、ラグーの子孫よ」は、耳慣れない曲ですが、ソロが次々と変わる点で、「ウェラーマン」とも共通しています。

 ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ「上機嫌」「永遠に」を聴いて、ジミー・チャン先生率いるハイドンコアは、ポルカが向いていると改めて感じました。プログラム最後の「美しく青きドナウ」は、盛り上げ方が「ウィーンの森の物語」と共通のエネルギッシュさを感じました。これが、ハイドンコアの特徴ともいえるのでしょう。チャン先生の指揮を観るのも、3年で合計6回目。そこで、だんだんこういう見方をするようになってきました。

 アンコールは、映画『天使にラブソングを』より 「ヘイル・ホーリー・クイーン」と「ラデツキー行進曲」。最後は、こういう舞台の上と下が一体になれる曲がいいなと改めて感じました。

ウィーン少年合唱団 2023 日本公演
令和5(2023)年6月4日(土) フェニーチェ堺 大ホール

  Bプロ
  第1部

 AプログラムとBプログラムの回数の違いは、毎回あることですが、今年の演奏ツアーにおいては、Aプログラム8回に対してBプログラムは19回と約2:5の比率になります。しかも、Aプログラムの公演は東京とその周辺がほとんどです。これは、両方のプログラムを見ればある程度わかることでしたが、実際に演奏に接して、AプログラムよりもBプログラムの方が、選曲においてよし親しまれている曲が多いということに帰結するでしょう。地方へ行くほど、人口の関係からも、クラシックファンは少ないこともあります。この日の会場となったフェニーチェ堺 大ホールは、ミラノスカラ座を思わせるような構造の2000人入れる建物でしたが、後ろの方に空席も見られました。京都・神戸方面からの客は大阪・梅田に近い福島区のザ・シンフォニーホールに行っても、大和川を越える堺市までは行かないのではないかと思いました。なお、街を歩いてこの日は、堺市長選挙の投票日であることを知りました。
 この日も、モーツァルトの曲からスタートしました。レジナ・チェリK108より「アレルヤ」は、初めて聴く曲ですが、有名なモテット「踊れ喜べ、幸いなる魂よ」の「アレルヤ」と比べると華やかさを感じない1曲でした。続く、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」は昨日に続き、2回目の鑑賞になりますが、舞台全体に広がった団員の顔を見ると普段、2段目のソロのないメンバーが前面に出るような工夫・配慮も感じました。パーセルの「きたれ、汝ら芸術の子らよ」より「トランペットを鳴らせ」、ハイドンのオラトリオ「四季」より「来たれ、のどかな春よ」と、古典派の比較的地味でのどかな曲が続きますが、ソロと合唱が混じりあって曲が構成されています。目を覚まされたのは、古くからのレパートリーでもあるメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」より「妖精の歌」のデュエット。ローレンツとエレンが、その歌声の持ち味を生かした歌を歌ってきました。
 昨日は、アンコール曲で歌われたシャイマンの「天使にラブソング」をより、「ハイル・ホーリー・クィーン」は、太鼓をノブタカが、タンバリンをアヴィが叩いてリズムをとりながら、進められていきます。よく考えてみれば、ノブタカは歌よりも打楽器演奏の方が印象に残ります。昨日も演奏されたビーブルの「アベ・マリア」は、昨日に続いて聴くことで、声の伸びに改めて感心しました。この日のソロは、ローレンツによるシューベルトの「鱒」。耳の底に残っているウィーン少年合唱団のソプラノの伝統の歌声を引き継いだローレンツはまだ11歳でも将来190cmぐらいになるのではと感じさせる立派な体格。ピアノ伴奏は、アヴィ。団員にピアノ伴奏をさせることがこれまでにあったかどうか記憶にありませんが、演奏中、鍵盤を覗き込むようなチャン先生の姿勢も珍しかったです。続く、ブンシュの「今日天使たちがウィーンにやってくる」は、明るい曲そうで、数人によるアンサンブルを楽しめました。第1部の最後は、ヨハン・シュトラウスの「皇帝円舞曲」。昨日の「ウィーンの森の物語」同様、ソロや、オブリガードも加え、活力のある歌に仕上がっていました。

  第2部

 第2部は、オペラからのハイライトで始まりました。ビゼーのオペラ『カルメン』より「兵隊さんと一緒に」は、入場曲を兼ねてステージ左右の扉を開けて、歌いながら行進する形で登場しました。モーツァルトのオペラ『魔笛』より、3童子の歌は、記憶をたどれば、エレン、ノブタカ、アルタイアではなかったかと。おなじみの曲ではありますが、アンサンブルを楽しむことができました。ヴェルディのオペラ『マクベス』より魔女たちの合唱は、本来女声合唱なのでしょうが、少年合唱にすればこうなるというむしろ、迫力ある合唱でした。この2曲前にノブタカ君が袖に引っ込みましたが、それは扉の向こうの舞台裏でドラムを叩くためで、このドラムの音は、戦慄を感じる響きでした。オフェンバックのオペラ『ホフマン物語』より「舟歌」は、本来女声二重唱ですが、ゲオルギとアルタイアがフランス語で歌っていました。ゲオルギは、明瞭な歌声で、後ろ髪を束ねてちょんまげ風でしたが、反田恭平のショパンコンクールを思い出させました。また、今回のアルトの中心となっていたアルタイアの歌声は、ソロの時よりも穏やかな響きで、ソプラノを引き立たせていました。
 この日の日本の歌は、久石譲の「となりのトトロ」。おなじみの編曲でしたが、合唱だからこそできる表現を味わいました。「ふるさと」は昨日と同じ印象です。映画「魔法の剣キャメロット」より「ザ・プレイアー(祈り)」。いろいろな歌手によって歌われ、少年合唱としては、リベラが歌っていた曲をハイドンコアの持ち味で歌っていました。ウィーン少年合唱団は、初来日から30年ぐらいは、日本人の少年少女や若い世代をクラシック音楽へと導く働きをしていましたが、特に21世紀になってからは、ポップスや映画音楽を積極的にレパートリーに取り込むことで、時代にあった変容を遂げているのですが、それが、日本の若い世代にまだ十分浸透しているとは言えないところが残念です。
 ヨーゼフ・シュトラウスの「上機嫌」ヨハン・シュトラウスⅡの「山賊のギャロップ」は、快活さが命の曲。ジミー・チャン先生率いるハイドンコアのよさが前面に出る演奏でした。プログラムの最後を飾るヨハン・シュトラウスⅡの「美しく青きドナウ」は、もう、完全にハイドンコアの世界になっていました。

 アンコール1曲目は、「ウェラーマン」。太鼓と缶のふたをスプーンで叩く伴奏に乗って、いろいろなメンバーが交代で1番ずつ歌ってリレーをする感じがしました。昨日に続いて、「ラデツキー行進曲」が歌われましたが、いつも「美しく青きドナウ」を紹介するとき、あまり表情豊かとはいえないMCを務めるレンタロウが、指揮者としては、表情豊かな拍手の指揮をしていたのは、新たな発見でした。

  2日間鑑賞して、コアごとの楽しみ方をすることが大切であることが新しい発見でした。一方、観客を見ると、コロナ前と比べて高齢化が一層進み、杖をついておられる方も目につきました。若い世代にとって関心のある音楽は、ダンスの入ったものに移ってきているのではないかと危惧します。5~20歳あるいは、30歳以下の入場料を割引するような試みも地域によってはされていましたが、小手先の対応ではないかと思っています。本質的な問題は、マスコミが、少年合唱の魅力を伝えるような取組をどれほどしているかということかと思います。ウィーン少年合唱団の4年ぶりの来日を紹介したテレビや新聞はありましたが、このようなオールドメディアは、若い世代にはあまり接されていないというのが実状です。平成生まれの世代は、生まれたときから動きのある音楽にふれて育っています。ウィーン少年合唱団は、かつては、日本の青少年にクラシック音楽や合唱音楽の魅力を広めてきたという大きな功績があり、20世紀末まではその来日のたびに、千趣会が提供する一時間番組がテレビ朝日系列で放映されましたが、日本では、これらの音楽の人気にかげりが見えて久しくなっています。私のレポートは、「蟷螂(とうろう)の斧(おの)」《カマキリが前あしを上げて、大きな車の進行を止めようとする意から》「弱小のものが、自分の力量もわきまえず、強敵に向かうことのたとえ。」かもしれませんが、それは、これまでの人生の中で行ってきたことすべてに通じることです。

 ソプラノ♪7ボーイズ3rd はっぴょう会
令和5(2023)年8月4日(金) 相模女子大学グリーンホール多目的ホール

   3年ぶりの有観客LIVE開催

 ソプラノ♪7ボーイズにとって、この日は、コロナ直前の令和2(2020)年1月13日に行った1stはっぴょう会以来、3年半ぶりの有観客のLIVE開催ということになります。ソプラノ♪7ボーイズは、コロナ禍の間も、ネット動画を使って色々と工夫したイベントを行ってきましたが、やはり、パソコンの画面で視聴する演奏には、たとえ、大きなテレビとつないで観たとしても視覚的には限界もあります。なお、この日は平日のマチネーなので、観客動員数も心配されましたが、1stはっぴょう会よりも空間的にゆったりした会場だったので、約200人~250人ぐらいの観客は入っていたのではないでしょうか。

 今回は、ソプラノ♪7ボーイズの愛好者にとっては、おなじみのオリジナルアレンジされた童謡・唱歌が中心でしたが、新たに採り入れた曲やOBの特別参加等もあり、楽しめるひとときでした。ただ、パソコンの画面を見るときは、名前と顔と曲を一致させるためにメモを取ったりしていましたが、ライブ会場においては、それは禁止事項でしょう。今回は、レッスン生8名を加え17名という大所帯になったため、7人で歌うという基本に加えて3人のグループで歌う中に、ソロを交えるという構成が中心になっていました。また、OBの特別参加やゲームなども加えたいろんな角度から楽しめるステージになっていました。

   入団の感想は?

 おなじみの「きしゃぽっぽ」と「ふじの山」で始まったステージは、1stはっぴょう会のときに着用していた赤と水色のベスト(つい「チョッキ」と言ってしまいそうになる。年ですなあ。)を着たメンバーと、着ていないレッスン生の7人の出場メンバーは変わっても、伝統芸は引き継がれることを感じると同時に、MC(司会・進行)を1期生最年長でこの日で卒業する中館翔一と1stはっぴょう会のときは最年少だった現在中学1年生となった平賀晴が務めたのは、時代の流れというより、少年の成長は早いという当たり前の事実でした。二人は、これまでの5年間のキャリアを生かしてそつのないMCを務めました。中館翔一は、同世代のメンバーが次々卒団・退団した関係もあって、クラシックの素養があり、わちゃわちゃ感を感じさせないために全体のまとめ役として変声後もチームリーダーとして残った面もあるのではないでしょうか。しかし、中学生メンバーが育ってきました。曲は、おなじみの動物メドレー(「子鹿のバンビ」「うさぎのダンス」「お猿のかごや」)へと続き、メンバーとベストを着ていないレッスン生の合同で7人を構成して、次々と人が入れ替わるという流れが途切れないステージが続きます。「お猿のかごや」の後半は、全員が舞台狭しと籠を担いで回るという迫力のある舞台づくりでした。

 続いて、8人のメンバーに対して、MCより、「ソプラノ♪7ボーイズに入っての感想」が問われましたが、大きく分けると、声の高さや呼吸に関するような歌唱の向上に関することと、男子だけで歌えることのよさが心に残りました。また、一人一人の話し声を聴くと、歌を歌ってもよい声が出そうな感じがしたことは事実です。話すように歌い、歌うように話すことは、とても大切なことです。また、年齢的にも7歳から11歳と幅広く、将来を見据えた入団計画であると感じました。この大舞台を経て、正式なメンバーとなっていくのでしょう。 

   本日の新曲

 舞台は途切れなく進みますが、先ずは、レッスン生8名による「おばけなんかないさ」と「ゲゲゲの鬼太郎」。これらは、おばけや妖怪の歌ですが、声が汚くなりがちな「ガ行」で始まる「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ」の歌声を汚く感じさせない指導に感心しました。また歌が終わった後の気味の悪い踊りのしぐさも、この歌ならではと感じました。「宇宙戦艦ヤマト」は、松浦歩夢、土岐田育、植木壱太という高音に張りのある活力のある声の持ち主たちの「美しく元気な」がキーワードになります。日本の少年合唱団の多くは、発声においてヨーロッパの聖歌隊や少年合唱団の清澄な響きを模倣しようとする傾向がありますが、ソプラノ♪7ボーイズは、子役として舞台出演中の子達も在籍していることもあって、練習場面ではともかく、本番で楽譜をもって歌うものはおらず、また、振り付けもあり、歌声的にはむしろ、今はなき上高田少年合唱団の系譜を現代的に引き継ぐような要素を持った張りのある元気な声の歌を歌います。しかも、重唱部分もしっかりと聴かせてくれます。「大きな古時計」は、むしろ、しっとりと歌を聴かせてくれるメンバー、宮澤伶輔、小暮航ノ介、涌澤昊生が、歌詞の聞かせどころを押さえたくっきりした独唱と重唱で、有節歌曲でありながら、物語歌を味わわせてくれました。宮澤伶輔と涌澤昊生のソロを聴く機会はこれまであまりなかったので、嬉しい驚きでした。

 続いて、平賀晴、平賀照兄弟による「小さな星の歌」。ここでは、平賀晴によるギター伴奏も聴けそうだと思っていたら、マイク係の黒子のスタッフがもたもたした行動、あるいは、演奏者をおちょくったようなマイクを向けるしぐさ。変だなあと思っていたら、OBが三枚目役としてこの係をやっていたんですね。平賀晴、照兄弟による「小さな星の歌」は、平賀晴によるギター伴奏が抒情的な音色を奏で、歌声もしっとりとした感じの歌になって、4~5年間の成長を感じました。ふと、このとき私の頭に甦ったのは、1stはっぴょう会で、MCを務めた岡村要の口から出た言葉でした。
「最初は高い声が出るというところから、だんだん歌声がまろやかになってきて、やがて変声期を迎えます。(大意)」
二人で歌う時は、照はいつも控えめで兄を立てる姿勢も好感が持てました。続いてチェロを持った中館翔一が登場し、この日の曲は、歌唱付きの「グリーン・スリーブス」。伝統的なイングランドの民謡を万感の思いを込めて抒情的に演奏されました。歌声は、既にバリトンで、ソプラノではないのですが、新たな旅立ちの歌として、ソプラノ♪7ボーイズの卒業演奏にふさわしい選曲であったと思います。

   OBの出番からラストへ向かって

 OBは、マイク係の黒子のスタッフとしてだけ、この会場に来ていたわけではありません。会場には、客席にも何人かのOBが来ていましたが、竹内彰良、吉浦陽、深澤幸也の3人は、コロナ禍の中で、お客様の前で歌うことなく卒業をしたことにもの足りなさを感じており、この日改めて竹内彰良は、「9月の庭」を、吉浦陽、深澤幸也は、「You Can't Stop The Beat」という卒業演奏で歌った歌を歌いました。あえて歌うことで、この1年余りの成長を感じることもできました。竹内彰良の歌は、ややビブラート気味ではあっても、ファルセット気味だった高音が美しいテナーになって1年前と比べて声が安定していました。また、吉浦陽、深澤幸也の「You Can't Stop The Beat」は、何よりも息の合った歌を楽しませてくれました。

   ここで、気分を変えて、1stはっぴょう会でも行われたゲームコーナー。現役は、中村海琉デザインの7人の姿を胸に描いた黄色いTシャツの新制服に着替え、ハンカチ落としと、画用紙に書かれたことば当てを、OBが答えるという15~20分程度のお遊びタイムが設けられました。どちらも一見他愛もないゲームでありながら、奥の深い部分があって、現メンバーの表情や、質問への答えによって意外と難しいものだなあと感じました。また、歌ばかりが切れ間なく続くよりも、こういうお遊びの部分があることも緩急をつけるという意味では、いいもんだと思いました。

 再び7人のメンバーの歌唱に戻って、「村祭り」「かわいい魚屋さん」とダンスの比重が高い歌が続きますが、前者は既に都会では見られなくなった風景であり、後者は今では行われなくなった「魚の行商」という放っておけば消えゆく運命にある唱歌・童謡に現代的なアレンジを加えて、令和によみがえらせた歌とも言えます。「村祭り」のダンスは、これまでにソプラノ♪7ボーイズが取り組んできたダンスの中では最も難易度の高いものであり、歌そのものよりもそちらが興味深いものでした。「かわいい魚屋さん」は、広い舞台の使い方が際立つ作品に仕上がっていました。最後は、全員で「われは海の子」が歌われましたが、17人の出演者の出番をどう作っていくかという点でも面白い構成になっていました。

 今は、ネットにある映像を見ることしかできませんが、今後、ソプラノ♪7ボーイズの演奏が全国的に放映されるようなテレビ出演があれば、かつてビッグマンモスがそうであったように、これまでとは違った少年合唱のよさが日本中に伝わってくるのではないでしょうか。それは、ひいては、日本の少年合唱の発展にも寄与すると思っています。
フレーベル少年合唱団第61回定期演奏会
令和5(2023)年8月23日(水) 文京シビックホール大ホール

   組を変えることによる効果

 第61回定期演奏会では、これ(第59回定期演奏会)まで、B組(幼~小学1・2年生)・A組(小学3・4年生)・S組(小学5・6年~変声まで)と3グループに分けていたものを、(B組:幼稚園年長・小1 A組:小2 S組:小3・小4 SS組:小5~中学生)と4グループに編成し直しました。鑑賞する側としては、これまでは、「組」という学年による発達がもたらす歌声の変化(かわいらしい→地声に力強さが現れる→ボーイ・ソプラノ特有の響きが出てくる)を聴こうと思って鑑賞していましたが、これからは、組と組の間の歌声の変化と共に「継続性」を聴こうと思うようになりました。言い換えれば、下の組は、隣接する上の組と響きが似てくることから、その音色を学んで採り入れているように感じました。

 最初にSS組による魔笛の3童子の歌の節で「鑑賞時のお願い」のような歌は、SS組の3グループの人数がなぜか1人、5人、2人と不思議な分かれ方をしていましたが、最近は、この歌も恒例化すると同時に、4歳以下の入場をお断りすることで、音楽の鑑賞環境としては、よく整備されてきました。続く「団歌 ぼくらの歌」は、S組とSS組によって歌われましたが、着替えする時間がなく服装がまちまちにもかかわらず、歌そのものは、最初から声がよく出て力強さを感じました。これは、このコンサート全体を貫いていて、コロナ禍で練習が思うようにできなかった期間と比べて、しっかり練習を積んできた成果が現れたと言うことができます。また、3組から4組にした組の間にある声質のつながりのようなものが見えてきました。今回のテーマは、「ぼくらはうたってかんがえる あいとゆうきとへいわのことを」ということで、アンパンマンのテーマだなと思いながらも、これは、ただ「アンパンマン」の歌を歌えばよいというものではなく、とてつもなく大きいテーマであり、それを歌で表現できるのかとも思いました。

 S組の「ほほう!」には、「ほほう!」と感心しました。この曲は、この日の「アンパンマン」関連の曲を編曲された横山潤子先生の作曲であり、平成11年度NHK全国学校音楽コンクール小学校の部の課題曲で、イギリスの聖歌隊の発声方法を採り入れた蓮沼勇一先生率いる暁星小学校聖歌隊(おそらく5・6年生)が金賞を獲得した曲です。そのようなことから、フレーベル少年合唱団A組(小学3・4年生)が、「遠い昔と遥か未来の狭間に僕は生きている」という時間の感覚をつかんでどこまで歌えるかなと思って聴いていたら、この学年としてはかなりいい線に達するボーイ・ソプラノ特有の響きが現れはじめた歌になっているではありませんか。一方、「Jack En Poy(ジャック・エン・ポイ)」は、日本の「じゃんけんぽん」にあたる遊び歌で、世界各国にもよく似た遊び歌があるようですが、年齢的にはこちらの方が身近な歌だと思いつつ、歌の部分と、動きを伴う部分をうまくつないで歌っていました。このS組がこれだけ歌ってくれたらと・・・期待が高まりました。

 「緑のしま馬」は、小学1・2年生が幼稚園児をリードして歌い、これまで幼さが目に付くこともあった幼稚園児がとてもしっかりと歌っていると感じました。A組だけになって歌う、「おとなマーチ」は、おとなになったら、こんなことをしたいと成長への欲求のようなものがエネルギーになって感じられる歌に仕上がっていました。それと比べると、「合唱とピアノ連弾のためのともだちシンフォニー」は、長大な曲で、ボーイ・ソプラノ特有の歌声の響きは美しくても、声の重なりによって歌詞が聴き取れない部分もあったため、「ともだちになろうよ きみとぼく。」といった断片的な言葉だけが強く伝わってくるところもあって、平和を願う歌があえて11分を超える長大なこの曲でなければいけなかったのだろうか、という想いも残りました。確かに、子どもにとって一番身近な「平和」は、けんかやいじめをなくすることでしょうが、この歌は、子どもにどこまでのことを求めているのでしょう。現実に、SS組の子どもたちの年齢になると、ウクライナ戦争関連のニュースを毎日のようにテレビや新聞で見聞きしているので、おとぎ話のような反戦・平和の歌に取り組むのは難しいと改めて考えました。

 絵本『あんぱんまん』誕生50周年記念「アンパンマンの歌」特集は、横山潤子先生の編曲で、「アンパンマンたいそう」はA組・S組、「勇気の花がひらくとき」はSS組、「アンパンマンのマーチ」は、B組からSS組までの幅広い年齢層の団員によって歌われましたが、そこに、発達による歌声の変化よりも、上の組の歌声を聴いて育っていると感じさせる歌声の継続性が心に残りました。

   合唱における「動き」

 後半は、SS組・ユースクラスによるスメタナの交響詩「我が祖国」より交響詩「我が祖国」よリ「モルダウ」が歌われましたが、これは、ボヘミア(チェコ)から観たオーストリアに対する想いがあり、国民楽派が生まれた背景には、当時、世界的なナショナリズムの高まりや国民国家意識があり、反対に音楽的に主流派であったオーストリアの側から観たら、「ラデツキー行進曲」や「美しく青きドナウ」こそが国民の精神を鼓舞してくれる名曲になったのではないでしょうか。これは、現在のウクライナとロシアの関係にも言えます。こういう選曲は、指導者が行うことになるのでしょうが、反戦・平和の歌である「ともだちシンフォニー」の扱い同様難しいと思います。なお、岩河三郎の流麗な編曲の曲を聴くのは久しぶりで、その合唱曲が歌われることが少なくなった今こそ、もっと見直されてもよい作曲家だと思います。

 OB会による「じんちょうげ」は、初めて聴く曲ですが、幼くして母を亡くした古田幸さんの詩に、磯部俶先生と中田喜直先生半分ずつ作曲し、ダーク・ダックスによって歌われた組曲「おかあさんのばか」の一曲で、初めて耳にした私には、じんちょうげに託してお母さんへの想いを歌っている歌であることは伝わってきましたが、それ以上のことはわかりませんでした。「びわ」は、OB会の定番曲になっているゆったりした佳曲で、びわの実を抱っこしているとか、びわの葉をろばさんの耳にたとえているところなど、独特なやさしさに包まれた歌になっていると感じました。

 ここからは、野本立人監督の指揮によるSS組の「島唄」、S組の「ユイユイ」、ユースクラスの「島人ぬ宝」、S組・SS組・ユースクラスによる「沖縄わらべ歌・民謡メドレー」と続き、7年前にはかなり異質に聞こえた沖縄の民謡が、この日は、どこかなつかしく、また、親しみを持って聴けるようになってきました。沖縄独特の踊りのエイサーの手の振りもまた自然に踊りだしたくなるように感じました。アンコールの「童神」は、本来組曲の中にある1曲なのでしょうが、曲の順序が変わることで、また違った味わいがある曲になるのでしょうね。この定期演奏会は、合唱における動きは、どのようなときに効果的であるかを考えるヒントも与えくれたように思います。

   将来を見据えた人の育成を

   ここからは、音楽から少し離れてと言うべきか、逆に密接につながっていると言うべきか迷いますが、「少年合唱団」という組織のことについて述べます。ユースクラスが誕生したときは、将来OB会と一つになることが期待されましたが、その当時のユースクラスに在籍していた「団員」は、現在は、大学生の年齢に達しており、紹介のアナウンスでもユースクラスは、中学生・高校生に限定されているようで、この辺りも、団全体の将来を見据えた人材育成が課題となってきます。現在のOB会は、かつて合宿等の諸行事があったときのお手伝いをすることで人のつながりができ、現在も年齢を超えたつながりを作っていると伺っています。少子化が進む社会情勢の中、東京のような国・私立中学校への受験が盛んな地域で、かつて行われていたような夏期の宿泊行事を復活することは難しいでしょうが、ユースコースや若い世代のOBが、出演のないときに現役のお手伝いなどを自主的に行い、それが、合唱団の指導者や団長を代表取締役社長が兼任するフレーベル館からも請われる形で協力して現役を支えていくことが、団の継続・発展という点で望ましいのではないかと考えます。かつては、初代指導者の磯部俶先生が、家族みんなで合唱できるような家庭を日本に育て根付かせようという理念をもって、合唱という音楽教育だけでなく、人間教育という面からも団員の育成に当たられたことの価値を改めて感じます。

 北九州少年合唱隊第34回定期演奏会
令和5(2023)年10月9日(月・祝) 北九州芸術劇場 中劇場

   10年の年齢差をどう克服するか      

 今年も北九州市歌でスタートした北九州少年合唱隊第34回定期演奏会でした。来賓席には、永世名誉団長の髙山保材先生の遺影が飾られ、演奏を見守っているという雰囲気の下、4年ぶりの定期演奏会ということで、会場で待っている間どんな演奏をしてくれるかという期待と、プログラムに載っている隊員の学年(年齢)の開きのあまりの大きさや、コロナ禍のために2年間新入隊員が入らなかったことに、一抹の不安と同時に指導者のご労苦に思いをはせながら待っていました。しかし、オープニングの「北九州市歌」を聴くと、隊員の約10年の年齢差を感じながらも、先輩に追いつこうと真剣に取り組むセーラー服の隊員たちと、それを包み込むように歌う高校生以上の隊員たちが、他の団体では聴くことのできない独特のハーモニーを聴かせてくれました。これまで、「みんなで歌いましょう」の指導係で、客席に向かって緊張感を解くような指揮をする皿本先生の本格的な指揮もこれまでに感じなかった真剣さが伝わってきて、よいスタートとなりました。第1部は、「歌い継ぎたい少年隊の合唱曲」と題して、「花のまわりで」「流浪の民」「証」と幼稚園の園児隊員がいても大丈夫かと思う曲が並んでいましたが、「花のまわりで」は小学2年生の阿部君のソロで始まり、「流浪の民」にも、ソロやデュエットに2人変声前の隊員が入るなど、未完成ながらも、現時点でできそうなことをやって披露するという姿勢が感じられました。あえて、この時期のこの選曲に、指導者の井上先生の心意気を感じました。

 昨年、第46回北九州少年少女合唱祭や北九州空港で中島みゆきの「時代」をシニアグループの男声隊員がマスクをしながら歌っている演奏をYouTubeで聴いて、その柔らかく美しい響きに感銘を受けましたが、コロナ禍の中でも高校生隊員たちは、変声期を克服して新しい世界に進んでいること実感しました。以前の北九州少年合唱隊の変声後の男声合唱は、かなり力強い硬質な感じのする演奏であったように思います。この日の男声合唱は、「証」の1曲だけでしたが、もう1曲あってもよいと思うほど、男声合唱は充実した歌に仕上がっていました。

   はつらつとした男声合唱

 第2部の「OBのステージ」は、「少年時代」と「見上げてごらん夜の星を」は、この日のために遠方より集まってきたOBもいるでしょうが、よく歌い込まれており、現在の高校生隊員とつながっている連続性と抒情性を感じることができました。第3部は、北九州小倉少年少女合唱隊の友情出演でしたが、今年は指揮者が坂場一夫先生で、練習会場が同じというだけでなく、指導者も兼任されていることがわかりました。さて、KJCポピュラー「メリーポピンズ」より4曲が演奏されましたが、今回は選曲が比較的耳になじんだ曲であるだけでなく、振り付けが「動」と「静」をうまく組み合わせた緩急のあるもので、これまでに観た同団のステージの中でも傑出した出来栄えだったように思います。

   期待を大きく上回る『星の王子さま』

 ミュージカル『星の王子さま』は、10年前に北九州少年合唱隊による初演を見ていますが、それから3回目の上演ということです。ただ、初演の印象は、スクリーンに「象を飲み込んだうわばみ」や「薔薇の花畑」などを写したことなどは記憶していますが、中心的な出演者の出番(特にセリフ)が多かったことで、童話が原作であるような作品と違って、この作品の哲学的なテーマが、これから入隊してほしい年頃の少年にどれほど理解できるだろうかということがちょっと心配でした。プログラムを見ると、シニアグループが台本や構成にもかかわっているとのことですが、今回鑑賞した第一印象は、作品の骨格は変わらなくても、演出上の工夫はかなり以前よりも手を入れて、一人一人の演者がそれぞれの個性的な役作りの工夫をかなりしているため、演劇として非常に楽しめたということです。おそらく、かなり年少の観客の子どもたちも、セリフとしては出て来ていましたが、この作品の主題である「大切なものは、目に見えない」ことをどれほどつかめたかどうかはともかく、登場人物のセリフや歌・動き・表情などの工夫を楽しめたのではないでしょうか。そこには、井上先生の構成力を感じました。また、健康のことを配慮したり、できるだけ多くの隊(団)員によい役をという教育的配慮あるいはスタミナを考慮してダブルキャストや前半と後半で重要な役を交代させたりするところもありますが、鑑賞する立場からすると、役を固定している方が「劇」に没入できます。

 ナビゲーター(地理学者)役の新本君は、問いかけに対する観客の声に適当に対応しながらも(これがなかなか難しい)、本筋をずらさないように狂言回し役に徹していました。飛行士役の門谷君は真面目な人柄でありながらも不器用さを、ヘビ役の白井晶君は性格というよりも全身からぬるぬるした爬虫類的な感じのする動きを、王様役の上杉君は自分の体面を保つことに必死な部分を、キツネ役の下津君は一見疑い深そうに見えながら、同時に「仲良くなる」の本質を王子様に伝えることができ、自惚れ男役の綱脇君は都合のいいことだけが耳に入る役柄を演じ、それぞれのキャラクターがはっきりと見えてきました。そのような個性的な役柄の演技のできる上級生たちが骨格を作り、それによって、王子さま役の河野君はどことなく世間離れした雰囲気が感じられ、6歳の飛行士役の吉田君は、将来の飛行士の性格と結びついた純朴な人柄に見え、薔薇の花役の白井杜弥君はわがままで小悪魔的でありながらも、憎めないキャラクターで北九州少年合唱隊伝統の女装役の美を表現していました。このミュージカルで、渡り鳥役は、まだ経験の浅い隊員に与えられる役でしょうが、たとえ客席に保護者等の姿を見つけても決して手を振ったりすることなく、与えられた役を演じきることに徹していました。次にこの作品が上演されるときには、渡り鳥役の少年たちは、きっと重要な役で登場することでしょう。

   高校2年生のメンバーは、北九州少年合唱隊の卒隊は3月末となっており、3月までは活動し、「合唱組曲北九州」や「全日本少年少女合唱祭全国大会四国中央大会」にも出演予定です。人数的には厳しい日々が続きますが、日本の平均的なその学年の児童よりも心の年齢の高い現役メンバーは、きっと、この困難を克服してくれると思っています。なお、「星の王子さま」を上演する年は、第1部でアニメ「星の王子様」のテーマ曲を歌ってもいいのではないかなと思いながら、帰途につきました。

 広島少年合唱隊第64回定期演奏会
令和5(2023)年11月5日(日) 広島県民文化センターホール

 今年こそ、マスクなしのステージを観ることができそうだという期待感と、OBで声楽家の三木貴徳先生が隊長に就任されたことで、歌声がどう変わるかを期待して、会場に着きました。受付には、広島少年合唱隊の制服を着た動物(ライオンかピューマの子?)と人の子の人形が飾られており、これは、きっとお人形さんが大好きだった故 道楽さんが欲しがるのではないかと想像しながら、会場に入りました。ふと、ウィーン少年合唱団やシェーネベルグ少年合唱団のマスコット人形は「熊」だったことを思い出し、少年合唱団(隊)とマスコット人形の関係も面白いと感じました。

   Stage.1 混声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」

 この曲は、広島少年合唱隊の持ち歌として、これまでにも何度か聴いております。ところが、今回印象深かったのは、各パートの声の違いや声が重なったときの歌声のボリュームが浮き彫りにされたことです。4部合唱では外声(ソプラノ・バス)が強く聞こえ、内声(アルト・テノール)が押される傾向があるのですが、この日の演奏は、内声が充実していたため、全体として豊麗な歌声になっていました。それは、マスクがとれた開放感がもたらしたものだけではなかったと思います。現在も教科書にも掲載されているよく知られた唱歌をつないだ曲だけに、歌詞を追いかけるよりも、パートごとの歌声そのものを味わうこともでき、広島少年合唱隊の現在を知ることのできるステージとなりました。三木隊長の指揮は、流麗さと雄渾さが交互に感じられ、この辺りに、その指導力の片鱗を感じることができました。

   Stage.2 予科ステージ

 今年も、合計10人の予科生を確保でき、しかも、Stage.1で歌ったメンバーも4人ぐらいいたことから、本来幼児向きの歌でありながら、出雲朝子先生の指揮によるかなりしっかりした歌を聴くことができました。「とり」は、初めて聴く歌ですが、たとえ空を飛べなくても出来ることはあるという、「私と小鳥と鈴と」を違った角度から歌ったメッセージソングだと思いました。「じゃくじゃくあまのじゃく」は、この日のオペレッタ『津久根島のあまんじゃく』の予告的前歌として歌われたのではないかと思います。言葉の面白さを覚え始めた頃の子どもが、あらゆる言葉に反対言葉があると思っていることもあることでしょう。

   Stage.3 予科・本科ステージ

 私が広島少年合唱隊の定期演奏会に通い始めた頃は、必ず中学生も含む変声前の隊員のステージがあり、ボーイ・ソプラノ(アルトを含む)による合唱を楽しむことができましたが、最近は、中・高校生の隊員人数が多かった関係もあったと思いますが、混声合唱主体のプログラム構成になっていました。そのような意味で、このステージの復活は嬉しいことです。この日は、平田玉代先生の指揮による「U&1」「歌よありがとう」の2曲でしたが、どちらも、旋律が美しく、少年合唱だからこそ美しく輝く曲ではないでしょうか。とりわけ、「歌よありがとう」は、年を重ねるごとにそのよさがわかってきて、シューベルトの「音楽に寄せて」につながってくる歌ではないかと思います。
 
   Stage.4 研究科・OBステージ

 歌う前に、OBで指揮者の石井翔太郎先生より、歌の簡単な解説がありましたが、これを知って聴くのと、知らずに聴くのでは大きな違いが出てくると思いました。繰り返される「ボクはウタ」という表題ともなっている歌詞が、コロナ禍という歌いたくても歌えない背景の下で作られたことを知ってこそ、この歌の本質に迫れるでしょう。また、「時代」は、あまりにも有名であるために、編曲によってどう違ってくるかを楽しむことができました。私は信長貴富の作曲した作品には、かなり好き嫌いがありますが、編曲した作品は「群青」をはじめ、ほぼ好きです。広島少年合唱隊OB会は、年齢層に約半世紀ぐらいの幅があり、しかも現役の研究科ともつながっているところが素晴らしいことだと思います。

   Stage.5 オペレッタ『津久根島のあまんじゃく』

 このオペレッタは、三木隊長先生が小学5年生のときに、道斉(あまんじゃく)役を演じたことがあるという作品で、33年ぶりの復活公演だそうです。さて、聴き終わって感じたことですが、初めて鑑賞するオペラや歌舞伎を鑑賞する前に、あらすじや、聴きどころのアリアの予習をした方がよいということです。このオペレッタのおよその筋は、観ていたら、広島の方言も含めほぼわかるのですが、教育的な配慮もあってか、キャストが途中で交代した時、着物が違うと、一瞬これは同一人物なのだろうかとわからなくなったというのも事実です。さて、オペレッタは、ウィーン少年合唱団が初来日してから昭和~平成の初め頃までは、3部構成の第2部でオペレッタをプログラムに採り上げていましたが、21世紀になったころから2部構成になって全く採り上げなくなりました。その理由は、諸説ありますが、本当のところは不明です。日本の少年合唱団でも、最近はミュージカルは採り上げても、オペレッタや音楽劇はあまり採り上げない傾向があります。そういう意味で、地域の民話をテーマにした音楽劇を復興させることには意義がありますが、演出によって観客によりわかりやすく伝えられるところと、音楽そのもののように変えられないところがあるというのも事実だと思いました。

 「お色直し」という言葉は、これまで結婚式後の披露宴の衣装替えのときに使われる言葉だと思っていましたが、隊員の舞台衣装の着替えにも使われる言葉なんですね。この日は、そのような「お色直し」の間に、予想していなかった新隊長の三木貴徳先生の特別ステージがあり、プッチーニのオペラ『トゥーランドット』より「誰も寝てはならぬ」とナポリ民謡の系列にあるディ・カプア作曲「オー・ソレ・ミオ」の2曲の歌唱が曲の解説付きであり、発声練習もなしでいきなり本番でしたが、その豊麗なリリコ・スピント(ロブスト)のテノールの輝かしい歌声に会場は圧倒されました。たとえ歌詞の言葉の意味はわからなくても、この歌声を聴いて、「僕も、三木先生に教えてもらったら、将来こんな歌が歌えるのかな。」と、会場に来た男子児童が感じて入隊してほしいなあと思いながら、この歌を聴いていました。

   Stage.6 ぼくらのレパートリー「とどけ、愛と平和のメッセージ」

 このような歌のステージがあってこそ、広島少年合唱隊です。指揮は、再び平田玉代先生に代わります。1曲目の「ヒカリ」とは広島に落とされた原爆のことを表していると思われますが、かなり抽象度の高い歌詞で、特に小学生に対する指導は、かなり難しかったのではなかったかと思いますが、そのようなことを感じさせないほど、歌のメッセージが伝わってくる歌に仕上がっていました。「Orizuru」は、最近よく採り上げられている弓削田健介の作品ですが、平和への祈りの歌として穏やかに歌われましたが、そこに羽ばたきを感じることもありました。「地球星歌~笑顔のために~」は、何よりも壮大なドラマを感じる歌です。曲想の変化を楽しみながら、聴いていました。最後は、おなじみ「カンタール!」この歌を視聴するために来ている観客もいるんです。今時、日本の子どもは、生まれたときから動きのある歌を聴いて育っています。しかも、合唱曲に、パートごとの違った動きがあるドラマを見たならば、それは、たいへん魅力的に感じられるのではないでしょうか。

   アンコール曲 「大地讃頌」

 「大地讃頌」は、日本を代表する合唱曲の一つですが、当日の観客の中にいるOBで、この歌の自分がかつて歌ったことのあるパートならすぐにでも歌えるという人がかなりおいでになるということは、嬉しいことです。また、2年前にアンコール曲としてこの曲が歌われたときに新入隊した隊員たちは、きっとその日は後ろからこれまでに聴いたことのないような巨大な歌声の塊を聴いて圧倒されただけかもしれませんが、この日は、それぞれのパートで歌っているということに大きな感動を受けました。そのようにして、人は育っていくのだということを再確認しました。

 第62回 呉少年合唱団定期演奏会
11月23日(木・祝)呉信用金庫ホール(呉市文化ホール)

   不思議な感覚に襲われた「うたおうこのうたを」

 幕が上がってオープニングステージは、いつものように団歌から始まりましたが、2曲目の「うたおうこのうたを」は、古楽と現代的な詩が不思議な調和をするこれまでに聴いたことのない雰囲気の曲で、聴きながら頭だけが宇宙旅行をしているような感じがしました。帰宅して作曲者を調べてみると、オランダの作曲家 スウェーリンクの曲(器楽曲か声楽曲かはわかりませんが)に、日本語の歌詞をつけたものということがわかりましたが、聴きながら感じたあの不思議な気分は、実は、この日の~空へ、宇宙へ、未来へ~というテーマと、どこかでつながっていたのではないかと感じるようになってきました。その余波のためか、いつもは音響効果や民謡独特の歌声の響きを楽しめる「音戸の船頭歌」が、あっという間に終わってしまったように感じました。

   穏やかな低学年ステージ

 今年の低学年は4人。しかし、一人一人が自分の役割を意識しながら歌っていることが伝わってきました。「誰かが星をみていた」は、呉少年合唱団の定期演奏会に通い始めた頃、3年生の独唱で聴いて以来です。この歌の1番を突き抜けるような声で歌った少年も今は、20代後半ぐらいになっているのかと思いながら聴いていましたが、この日の低学年4人の歌声は穏やかな雰囲気で、続く「僕にできること」は、歌詞に共感した歌を歌いました。「銀河鉄道999」は、この日2曲ありましたが、ゴダイゴによって歌われたこの歌は、活力はあっても英語の歌詞もあり、このグループにはちょっと背伸びかなと思いましたが、旗を振ったりして、見せるステージを目ざしたのかなと思いました。しかし、呉少年合唱団の定期演奏会の選曲は、その年のテーマに沿っていることを再確認しましたが、プログラムに、松本零士の作品関係の歌(『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』)が多い理由は、今年亡くなられたから追悼だろうというぐらいにしか考えていませんでした。

   はっきりと混声合唱に切り替えた高学年ステージ

 30年の長きにわたって指導されていた副団長の松原里香先生が,昨年度末で退任されることになり、今年度から、OBの大迫和磨先生が指導陣に加わり、高学年ステージの指導を担当されることになりました。年齢的にも団員と近いこともあり、今後その活躍が期待されるところですが、この日は、伴奏にピアノだけでなく、フルートやパーカッションもあって、華やかな感じがしたと同時に、これまで10数年間にわたって、変声後の団員をファルセットで歌わせるか、男声で歌わせるかという課題に男声で歌わせることで、この問題に決着がついたことを感じました。この問題は、創立時より混声合唱をめざしていた少年合唱団はともかく、純然たる少年合唱でスタートしてきた少年合唱団にとっては、その後、団員の学年を上下に広げても、団員数との関係からも難しい判断をしなければならない問題であったと思います。
 この日の曲は、活力のある「宇宙戦艦ヤマト」で始まり、自然や地球という大きなものがテーマになっていながらも、その壮大さ・雄大さよりも、むしろもの悲しさだけが心に残る「地球の詩」、60年以上にわたっていろいろな歌手によって歌い継がれ、旋律の美しさを聴かせる「見上げてごらん夜の星を」、曲想の変化を楽しみながらも、壮大なドラマを感じさせる「地球星歌」、ディズニーのアニメ映画『ライオン・キング』より「サークル・オブ・ライフ」と聴きどころが多様な歌がちりばめられていました。とりわけ、「サークル・オブ・ライフ」では、約10年前は、団員だけの演奏でしたが、この日は指揮者でもある大迫和磨先生の大地から湧き上がってくるような活力のあるソロも入り、前半の最後を盛り上げました。また、5曲それぞれの曲想の違いを楽しむことができました。呉少年合唱団は、この10数年間、変声後の団員をファルセットで歌わせるか男声で歌わせるかで試行錯誤してきましたが、この日、はっきりと「混声合唱」にするという判断をされたと感じました。さて、呉少年合唱団における「高学年ステージ」に当たる年齢層のグループのステージは、どの少年合唱団においても全体のメインステージでもあります。それは、創立当初の少年合唱からたとえ混声合唱になっても変わらないはずです。ところが、現在の呉少年合唱団の団員数からすると、大きな声量の出る変声後の団員の比率が高いために、ソプラノ・アルトの変声前のパートがどうしても押され気味に感じることもありました。これは、小学生の団員数という根本的な課題ともつながっており、この課題について全く力の及ばない一観客の私は、外野席からこれ以上語ってはいけないと思います。

   呉の子どもたち9人も加わって

 今年は、全団員に9人(男子2名女子7名)の呉の子どもたちも加わって、「ほしぞら」とささきいさおと杉並児童合唱団によって歌われた方の「銀河鉄道999」が選ばれました。「ほしぞら」は、夏と冬のそれぞれの夕暮れを描いた景色が浮かび上がってくるような歌に仕上がっていました。この「銀河鉄道999」は、明るい未来を感じさせるゴダイゴの歌よりもむしろ、そこはかとない悲哀を含んでいるところが魅力的であることをこの合唱でも改めて感じることができました。

   人生のいろいろな時期を歌ったOBステージ

  呉少年合唱団のOB会は、おそらく日本の少年合唱団のOB会としては、一番積極的に活動して現役を支えているのではないでしょうか。夏の合宿練習中にOB有志が応援に来て「時の彼方へ」や「ハレルヤ」を一緒に歌ったということが、ホームページに掲載されています。ここまで積極的にかかわっていくことそのものが素晴らしいことだと思います。
 さて、この日は、指揮者を含め21人が参加し、おなじみの「箱根八里」のほかに、かつて定期演奏会で採り上げたことのあるという谷川俊太郎 作詞・三善晃 作曲の童声合唱とピアノのための組曲「わらべうた」より「うそつき」「あきかんうた」の2曲が歌われました。三善晃の作品は、変拍子等の前衛的な作風のため、人によって好き嫌いはあるでしょうが、この日歌われた「うそつき」の最後には、仏具の鐘「鈴(リン)」まで登場し、「あきかんうた」は、ことば遊びのリズムが面白く、遊び心満載の合唱になっていました。だからこそ、その後に聴く同じ作詞者で、木下牧子作曲の「春に」は、「この気持ちは何だろう?」が繰り返される中で若者独特のもどかしい心情を歌っており、約10分の間にいろいろな世代の歌を聴いたという想いが残りました。そして、歌は、現役団員も交えて「時の彼方へ」とつながっていきます。世代を超えてみんなで歌える歌を持っていることは素晴らしいことです。

   松本零士の作品が採り上げられた理由

 このステージの「ハレルヤ」の大合唱を聴いてこそ、呉少年合唱団の定期演奏会に行ったという気持ちにさせられます。その後で、司会の岡千恵さんが、木村茂緒団長先生にインタビューする場がありましたが、出てくる言葉は、感謝の言葉ばかりでした。そして、その話の中で松本零士の作品が多く採り上げられた理由もわかってきました。初めて呉少年合唱団の定期演奏会に行った頃は、映画『男たちの大和』が上映されたころで、大和ミュージアムには大勢の観光客が来ていましたが、3階に「未来へ」というコーナーがあり、名誉館長であった松本零士の代表作である『宇宙戦艦ヤマト』関連の展示品があったことを思い出しました。そこからは、戦艦大和を造った技術の平和活用というメッセージを感じました。この日も「さようなら」で静かに閉幕しました。

 チェコ少年合唱団“ボニ・プエリ” 天使の降りるクリスマス
12月10日(日)  兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール

 初めて、舞台に接するチェコ少年合唱団“ボニ・プエリ”ですが、チェコ語の耳慣れない曲もありますので、プログラム順に曲の感想を述べるのではなく、ステージ全体を通して感じたことを書いてみました。

   日本を意識したプログラム構成

 プログラムは、第一部 ヨーロッパのクラシック音楽、第二部 チェコ民謡と日本の歌、 第三部 世界のクリスマスソングという構成でしたが、どのステージも約30分のステージで、2回の休憩を挟み、鑑賞しやすい時間でした。 
 しかも、どのステージも、日本でもよく歌われ親しみやすい曲とチェコの民族性を表す曲とが適当にちりばめられており、日本を意識したプログラム構成をしていることを感じました。これは、とても大事なことで、プログラムに聴き慣れない曲ばかりが並んでいると、それだけで鑑賞意欲を失う人も出てきそうです。
 日本人にとって、「クラシックファン」と呼ばれる人にとっては、スメタナ、ヤナーチェク、ドヴォルザークといったいわゆる国民楽派に分類されるような作曲家が著名ですが、一般的な音楽愛好者には、「おお、牧場はみどり」や「ビア樽ポルカ」といった「みんなのうた」で採り上げられた曲の方が親しみを感じる人が多いでしょう。「ビア樽ポルカ」に至っては、題名は知らなくても、どこかで耳にしたことがある曲だと思う人が多いでしょう。この日の観客も1960年代の「みんなのうた」を聴いたり歌ったりして育った高齢者の比率が高く、指揮者のパヴェル・ホラーク先生の言葉に応えて、「おお、牧場はみどり」を一緒に歌う人がかなりいました。ただ、プログラム最後の「きよしこの夜」には、会場のみんなで歌うにしても、日本語に讃美歌だけでも一部分二通りの歌詞(みははのむねに または まぶねの中に)があり、その混在もちょっと気になりました。
 また、変声前と変声後の2人の団員による日本語のMCは、最初の「こんにちは。」という挨拶以外は、たとえ台本を読む拙いものであっても、伝えようという一生懸命さが感じられ、第1部では、スメタナ作曲の「モルダウ」をあえて岩河三郎編曲の日本語で歌い、第2部では「いつも何度でも」「君をのせて」「となりのトトロ」と、ジブリ・メドレー。第3部では、クリスマスソングとは思えない日本の合唱曲の「ビリーブ」が、二人のボーイ・ソプラノソロで最初の部分を歌わせるなど、日本の観客を意識しているだけでなく、観客の心を動かすことができる指導者たちによって指導されていることを強く感じました。

   音楽と舞踊は共に発展した

 ボニ・プエリは、1982年に誕生してからまだ40年ぐらいの比較的歴史の浅い合唱団です。当然のことながら、キリスト教会の聖歌隊から発展した少年合唱団と、最初から特定の宗教と関係なく少年合唱団としてスタートした合唱団では、理念も違えば、発声も違うかもしれません。
 この日のステージは、第一部は黄色いローブという名の聖衣、第二部はチェコの民族衣装、第三部は、白いカッターシャツにライトブルーのネクタイに黒ズボンとステージごとに衣装が変わり、それを見ているだけでも楽しめましたが、特に、第二部は振り付けも大胆で、舞台上で大きく動き回り、チェコとモラビアの民謡と踊りが楽しめるステージでした。ときには、指揮者なしでロバート・フックス先生のピアノ伴奏だけで団員がパフォーマンスする曲もあり、このようなところに見えない指導力を感じると共に、民謡と踊りのつながりということについても考えさせられました。
 ウィーン少年合唱団も、オーストリア西部のチロル地方の民謡を演奏するときは、団員の何人かがレーダーホーゼンに着替えて踊る姿も見ておりますが、そこには、何となくのどかさを感じました。ところが、ボニ・プエリのの民謡と踊りは、曲との関係もあってもっとダイナミックです。古代より、踊りと音楽は互いに結びついて発展してきました。人々は、神に祈ったり、戦に勝ったりする時に歌い踊ってきました。ヴェルディの歌劇『アイーダ」の第2幕は、その典型的な例です。そして、国や民族が違うと、踊りや音楽に違いがあることをこの日、強く感じました。
 同時に、生まれたときから動きのある音楽を視聴して育っている現代の子どもは、直立不動でひたすら歌うだけの合唱、練習ではあって当然ですが、発表の場で楽譜を見ながら視線を落として歌う合唱に魅力を感じるだろうかということも感じました。また、会場の観客の全体的な高齢化を見て、それならば、それを覆すようなボニ・プエリの演奏を、子どもが見ることのできるような時間帯にテレビ放映してほしいと思ったものです。

   指揮者もパフォーマー

 指揮者のパヴェル・ホラーク先生には、少年合唱の指揮者としてのあるべき姿を学んだような気がしました。「指揮の微妙な手や指の動きを見て歌いなさい。」と指導するのは、練習のときならよいのですが、本番の舞台でそれが見えてしまうと、観客にとっては、かえって興ざめになってしまします。真面目であることは人間にとって美点なのですが、そこに「くそ」が着くと、それは、かえって欠点につながってしまいます。
 たとえ、パヴェル・ホラーク先生はステージに登場しなくても、団員は舞台狭しと歌い踊っています。もしも、こんなステージのど真ん中に指揮者がいたら、かえって観客にとっては視覚的に邪魔になるかもしれません。また、指揮者の位置はいつも舞台のど真ん中ではなく、曲によって適当な位置に動いていても全体を見渡しており、曲によっては団員と共に演じるというよりも、おなかの出た体型を活かして喜劇役者としてその役を演じる。こんなことのできる少年合唱の指揮者は見たことがありません。そんなことで指導者としての権威は失墜しません。それは、音楽そのものとはまた違った感動につながりました。
 こういうものを見てしまうと、カッチーニ作曲ではなく、ヴァヴィロフ作曲の「カッチーニのアヴェ・マリア」の登場が、照明を落とした会場の後ろから、変声前と変声後の団員がそれぞれ一列になって、LEDのキャンドルを持って歌いながら入場することは、この合唱団にとっては、むしろ当たり前のことに思えてしまいます。鈴を鳴らしたり、LEDのキャンドルをつけたり消したり、サンタクロースの帽子をかぶったりするような演出も、極めて自然に感じられました。
 ボニ・プエリを紹介する言葉に、「洗練されたショーアップされたステージ」というものがありますが、これは一歩間違うと、喜劇につながるもので、「洗練された表現」ができるということが、この少年合唱団を偉大ならしめていると感じます。日本で、これに近いことができる指揮者は、呉少年合唱団の木村茂緒先生ぐらいかもしれません。木村先生は、昨年の定期演奏会で、その日突然会場に現れたことになっている呉市のゆるキャラ「呉氏」と手をつないでダンスを踊ったりして、観客を驚かせました。日本の少年合唱指揮者にもこのようなエンターテインメントのセンスが必要ではないかと改めて感じました。

      合唱としてどうだったのか
 
 ところで、このような視点だけで書くと、ボニ・プエリの演奏は、合唱としてどうだったのかということが欠落するかもしれませんが、31人の混声合唱としては、変声後のパートの比重の高い歌声でしたが、声質が柔らかくてソフトでやさしく、やや細めの変声前の声を消すことはありませんでした。また、変声前のパートやソロを活かした編曲も見られました。また、ところどころで見られるソロは、会場が2000席あるためもあって、やや声が小さく感じられるところもありましたが、これは会場の広さのせいではないかと思います。観客は、音楽的にもステージ全体としても大いに楽しめたと思います。

京都市少年合唱団第129回定期演奏会
令和6(2024)年1月6日(土) 京都市コンサートホール大ホール

   会場に到着すると

 会場に到着すると、OB会がウェルカムのロビー演奏をしていました。こういう企画があると思わなかったので、途中から聞いたのですが、年齢グループで二つに分かれていましたが、合唱を生涯にわたって楽しもうという心が伝わってくる演奏でした。着席して、プログラムを見ると、男子部が、「みやこ光」改め「輝(ひかり)」として復活しているようです。稲田新吾教育長のあいさつ文を読むと、「男子部」復活への期待も高かったとか。去年夏の定期演奏会に遠方より期待して行って、男子部(「都ひかり」)の演奏がなくて、がっかりして帰ったという少年合唱ファンの声も聞いていましたので、これは、大変うれしいことです。それだけでなく、今、平均1割しか男子がいない日本の児童(少年少女)合唱団で、男子部を独立させることのできる合唱団が他にあるでしょうか?フォーリーブス程度のグループならば可能なところはあるでしょうが、2桁の男子団員のいるところは、極めて限られています。
 最近では、定番化してきた中学生団員の合唱による鑑賞の諸注意は、何となく体育会系の雰囲気がして、「合唱は文化系の活動でありながら、組織的には体育会系の体質があります。」という道楽さんの言葉を思い出しながら、その入退場の掛け声を見守っていました。

   これって、J-POPS?

 第1部の全員合唱は、「混声合唱とピアノのためのメドレー思い出のJ-POP」と題して、加藤完二監督の指揮で、団員が生まれる前の半世紀~四半世紀前ぐらいの曲が次々と流れてきました。ある意味、合唱ファンだけでなく、あまり合唱に親しんでいない人も、「Believe」「いい日旅立ち」「翼をください」「虹と雪のバラード」と、並んでいましたが、「J-POP」という言葉自体、昭和の終わりから平成の初め頃生まれた言葉で、「Believe」は合唱曲で、後の3曲は高齢者が青春を思い出して喜ぶフォークソングではないかななどと思いながら、結構楽しんでいました。家に帰って調べてみたら、「J-POP」の定義も拡大しているようで、今、朝ドラでやっている「東京ブギウギ」なんかもそのジャンルに入るのかもしれません。

 ところが、それ以後はほとんど知らない曲のオンパレード。「雅(みやび)」と「和(なごみ)」というコロナ中に命名した女子2チームが、どういう基準で分けられたのかは知りませんが、おそらく、どちらも、男子が抜けて、新入生の女子を入れたチームになったのでしょう。この日「雅」によって歌われた曲は、「小猫のピッチ」「一ピアノのための無窮連祷による一生きる」「あい」という谷川俊太郎が作詞をした曲か、三善晃が作曲した曲のどちらかという構成でした。これは谷川俊太郎の詩だろうなと感じるところや、これは三善晃の作曲だろうなと感じるところがありました。

 続く「輝(ひかり)」は、右手に白い手袋をはめて登場。それが動きにおけるアクセントになって、「ワンルーム・オール・ザット・ジャズ」に挑戦。変声前のグループと変声後のグループが雌猫と雄猫になってかどうかは知りませんが、時には向かい合って歌いながら対峙する姿は、声や動きの面白さに引きずられて楽しめる1曲になっていました。なお、ボーイ・ソプラノの練習に猫のものまねをすることが有効ということを唱える人もいますが、この日は、そういうことを感じる1曲になっていました。「虹」は、映画『STAND BY ME ドラえもん 2』の主題歌にも使われたようですが、石崎ひゅ一いが描く歌詞に若い世代は、人生の節目で歌い、聴くことで共感するだろうなと思いながら聴いていました。「ミックスナッツ」は、Official髭男dismの曲なんですね。昨年の第90回 NHK全国合唱コンクール 中学校の部の課題曲にOfficial髭男dismの「Chessboard」が選ばれたように、中学生に共感されやすい曲を今年は選んでいるように感じました。やはり、京都市少年合唱団は中学生がチームリーダーである以上、こういった選曲は、これからもあるだろうなと感じました。少年合唱と言えば、混声も含め、ボーイ・ソプラノを活かす曲しか考えていなかった私にとっては、ちょっと視点を変える必要があるのかなと思いました。

   この日は、休憩時間の幕間に選抜組「響」によるロビーコンサートが行われ、“Cantate Domino”と『天使にラブソングを』から“Hail Holy Queen" の2曲が歌われましたが、雑踏の中、スマホをかざして録画する人の影から鑑賞したので、曲もよかったし、大谷圭介先生の後ろ頭は見えても、指揮する姿が観たかったので、休憩時間を5分短くしてもいいから、舞台で演奏してほしいと思いました。

       必然性のある動き

 第2部は、「和」による“Gloria Festiva”“Sing Gently”“Everyone Sang”“Song of hope”の4曲は、歌そのものよりも、その大胆な振り付けに必然性を感じる曲で、直立不動の合唱曲と言うイメージを大きく変えて観ていて面白かったのですが、意外に終わった後、英語の歌詞だったこともあって、1曲1曲の印象が心に残っていません。きっと、私にとっては、「目で見る音楽」だったのでしょうね。

 最後の全員合唱は、鈴木憲夫作詞・作曲の「混声合唱とピアノのための民話」でした。これは、幼いころ祖父母や父母に聞かされてきたり、自分で読んだりした民話の世界のある要素を再構成した作品で、初めて聴く曲であっても、自然に耳に入ってきました。団員の5曲の解説のセリフや1曲ずつの歌詞が聴き取りやすく、「1.若返りの水」「2.動物たち」「3.でんせつ」「4.鬼とおじいさん」「5.雪の降る夜」という1曲ずつの面白さや、5曲の構成を楽しむことができました。アンコールで歌われた「動物たち」は、「やあやあやあやあ」という繰り返しが、動物たちもみんな仲間という感じがして印象的でした。しかし、声楽・器楽を問わず、新曲発表会でない限り、知っている曲と、初めて聴く曲の比率は1:1~1:2ぐらいがよいことも感じました。

 歌劇『アマールと夜の訪問者』  (Blu-ray鑑賞)

2022年12月17日、18日 ミュージアム・クォーター ムジークテアター・アン・デア・ウィーン
アマール……………………石嶋天風(ボーイ・ソプラノ)
アマールの母………………シャミリア・カイザー(メゾ・ソプラノ)
カスパール…………………パウル・シュヴァイネスター(テノール)
メルキオール ………………ニコライ・ボルシェフ(バス・バリトン)
バルタザール………………ヴィルヘルム・シュヴィングハマー(バス)
リージング音楽学校生徒 ダンス・チーム
アルノルト・シェーンベルク合唱団(合唱指揮:エルヴィン・オルトナー)
ウィーン交響楽団 指揮:マグヌス・ロドガール
演出:ステファン・ヘアハイム

 メノッティの歌劇『アマールと夜の訪問者』は、1951年のクリスマス・イヴに、NBCのテレビ全米ネットワークでライヴ放送され、それ以後も何度か映像化されていますが、本作は、2022/23のシーズンにムジークテアター・アン・デア・ウィーン劇場の芸術監督に就任したステファン・ヘアハイムの演出により、2022年12月17日、18日に同劇場で上演されたステージの収録映像で、言語はドイツ語です。(最近は原語上演と字幕が主流ですが、特に、観客に子どもが多ければ、ウィーンの観客にとってわかりやすいドイツ語で上演するのもよいことだと思います。)

 私は、これまでにいくつかの『アマールと夜の訪問者』の映像を見てきていましたが、1978年のアマールにロバート・サポルスキ 母をテレサ・ストラータスが演じたベツレヘム・ロケを交えた約2000年前の時代を忠実に再現したバージョンを先に見てしまうと、『アマールと夜の訪問者』は、こんなオペラかい?という気になってしまいます。このオペラの冒頭、アマールは笛を吹かず、アマールの虚言癖の物語を舞台の後ろで3人の人物がパントマイムで演じるような演出で(これは、視覚的効果を狙ったのならよいと思いますが)、後になって笛が出てくるので、笛があまり生きていないのではないかと感じます。また、アマールは時々杖をつきながらも、杖がなくても敏捷な動きをするときもあり、脚が不自由という前提が崩れてしまうのではないかと思いながら見ていました。

 最近のオペラは、原典や時代を無視した演出家の解釈によるものが一般化してきており、この演出も、砂漠地帯のベツレヘムにある貧しい家とその周辺が舞台ではなく、小児病棟のような病室が舞台で、服装は、アマールは白い病衣で母親はセーターにブルージーンズのズボンをはくなど現代的なものであり、アマールはじめ、出演する子どもたちは、マルコメみそのCMのように、坊主頭に剃ったりしませんが、丸刈りのかつらをかぶって白いパジャマの衣装を着て登場します。村の子どもたちも、同じような衣装で背中に天使の羽のようなものが生え、アマールも最後には天使の羽が生えて、天国への?階段を昇って行くような舞台の構造は、アマールは、これから、いったいどこへ行くのだろうと思ってしまいます。

 アマール役の石嶋天風(ウィーン少年合唱団員)は、清純な声で、けなげな感じを出そうとしていますが、このような演出のため、解説書を読まないと不治の病に侵された少年であることが伝わらず、脚が悪い悩みをあまり感じさせません。母役のシャミリア・カイザーは、母性を感じさせるものの、舞台全体が3人の王ではない白と緑と黒の衣装を着た訪問者や村人を含め、ダンスチームの来訪のように感じてしまい、母が盗みを働いて、3人の訪問者からとがめられる場面では、アマールがベッドに倒れ伏してしまったので、訪問者たちがそれを気遣って母を許すような話に感じてしまいます。そのような意味では、原作とは全く違う物語を演じているのではないかと感じてしまいました。

 現代的な演出はこれからますます増えていくでしょうし、それは止められない流れになっています。しかし、そのような現代的な演出のために、一般的な観客、あるいは古くからのオペラファンががどんどんオペラから離れていき、原作者の意図から遊離していったのでは、意味がなくなってしまいます。現代的な演出が一人よがりになっている限り、オペラは次第に、あるいは急激に衰退していくのではないかと感じてしまいました。

 桃太郎少年合唱団第61回定期演奏会
  令和5(2023)年11月23日(木・祝) ルネスホール(YouTube映像視聴)

   困難の中で

 いつもは、正月にアップされるその年度の定期演奏会の動画が3月23日にアップされました。今年度も OBの四宮貴久さんによるミュージカルのステージ(第3ステージ)があり、公募した団員以外の小学生男子が出演したようですが、諸般の事情でYouTubeにはアップされていません。従って、それ以外のステージについて、鑑賞したレポートを記載します。

 昨年7月に、ネットで日本の少年合唱団の様子を探索していたら、桃太郎少年合唱団のX(旧Twitter)等に、これまで好意的に取材していた地元の山陽新聞に、団員減少のため、存続の危機になっていることが掲載されました。こういう見出しで公開されることは、関係者の方々にとって嬉しかったか不本意だったかはわかりません。私はかつて70人台で、ウィーン少年合唱団と合同合宿をしたころの演奏を鑑賞していますので、長いコロナ禍があったとはいえ、記事に掲載された練習風景の写真を見ると、確かにその人数的な厳しさが伝わってきます。

 みんな何もしていないのではなく、日本において純然たる合唱という文化が、学校では音楽の時間に教材として採り上げているものの、一部のクラブ活動の盛んな学校を除いては校門を出ないことが多く、また、マスコミに取り上げられないこともあって衰退していき、テレビでは、ダンスを伴う音楽しか放映しないことが、少年合唱の厳しさの最大の要因だと思います。その中で、みんな創意工夫と努力をして、団(隊)員を集めています。この日、ステージに上がった団員は、小学生6人、中学・高校生5人の計11人でした。

   できることからこつこつと
  
 この人数では、過去がどうであったかというよりも、団員の実態に合わせて身の丈に合ったこと(選曲・指導・演出)をしなければ、努力のわりに効果は薄いと思います。
 この日の第1ステージは、「歌い継ぎたい愛唱歌」 第2ステージは、松下耕作曲の「合唱のためのエチュード」 第3ステージは、OBの四宮貴久さんによるミュージカルのステージ(ディズニーの曲)、第4ステージは、中田喜直の曲という構成で、今回は、第2ステージを除いて、選曲はかなり良かったのではないでしょうか。第2ステージの前には、高野先生より「合唱のためのエチュード」を選んだ理由の説明がありましたが、確かに、この曲集には、初級から上級までいろいろな曲があって、ショパンのエチュードのように芸術性があるということですが、曲の背景の説明や面白いエピソードの紹介と違って、この選曲は、指導者側の論理が先行しているのではないかと感じました。今、実験的なことよりも、団員にとっても観客にとっても親しみのある曲を歌って、ボーイ・ソプラノや少年合唱の魅力に気付かせ、団員と観客の増加を図ることこそが大切ではないでしょうか。

 むしろ、根本的な問題は、練習では当然楽譜を見ても、本番では暗譜させるなどの指導が求められます。第1ステージの「小さな世界」「さんぽ」「森へ行きましょう」「富士の山」「里の秋」「花」「おお牧場はみどり」が愛唱歌ならば、楽譜はいるでしょうか。特に、「富士の山」は、誰もが知っている唱歌であり、せっかく独唱なのですから、楽譜なしで胸を張って歌ってほしいものです。非常に難しい外国語の宗教曲を歌うのならともかく、愛唱歌でもいつも楽譜を見て歌っている団員の姿に、保護者等はともかく、一般的な観客はあまり魅力を感じないのではないかと思います。むしろ、指導者陣が、このあたりについて、自らの指導の在り方を工夫・改善すべきではないかと思います。そのような意味で、できることからこつこつとしていくことが大切だと思いました。

 第4ステージの「夏の思い出」「ちいさい秋みつけた」「わたしと ことりと すずと」「もんしろ蝶々のゆうびんやさん」「お月さんと坊や」「たいりょう」「桃太郎少年合唱団団歌」という曲の並べ方の中に、いつも最初に歌う団歌が最後になっているところに、工夫の跡を感じました。また、この曲が中田喜直の作品だったのかと改めて気付くというところもあったと思います。やはり、桃太郎少年合唱団の現時点では、実験的なステージはふさわしくなく、親しみのある曲をきれいに歌って、その魅力を伝えるという原点に戻ることが必要だと思います。それが新たな団員確保にもつながるとと思います。 
 
 新潟少年合唱団 第21回定期演奏会より
令和5(2023)年11月25日(土) だいしほくえつホール(YouTube映像視聴)

 これは、新潟少年合唱団 第21回定期演奏会の一部分であるので、その全体像ではありません。チラシには11名の団員の写真と名前が記載されていますが、当日ステージに上がったのは10名です。人数的には、厳しい状況が続きますが、そのことを感じさせないような工夫されたステージを鑑賞することができました。新潟少年合唱団は、団員数5人でスタートしたのですから、むしろ人数的には倍増していると考えたほうがよいかもしれません。

 また、YouTubeに公開されたのは、「さくら」「お江戸日本橋」「まちぼうけ」「山寺のおしょうさん」「Far Away (彼方の光)」「きんいろの太陽がもえる朝に」「少年の日は いま」の7曲で、定期演奏会で演奏した曲の一部であり、どの部分であるかはわかりません。しかし、いつものことですが、新潟少年合唱団のプログラムは予習をして来なければいけないような曲が並んでいるわけではなく、むしろ、誰にも親しまれている曲を美しく歌うという理念で選曲されています。また、団員にかなり年齢差はあるのですが、「さくら」など、部分的にソロを採り入れたりして、一人一人の団員の声の持ち味を前面に立てると共に合唱でなければ表現できないような編曲もまた魅力的です。それは、「山寺のおしょうさん」のような曲ではっきりわかります。

 ちらしの写真を見ると、この日のステージは2部で、翌年2月の「にいがたジュニアコーラス・フェスティバル 2024」に演奏された曲があるので、定期演奏会は、それらを交えた曲が採り上げられていたものと考えられます。そこで、「にいがたジュニアコーラス・フェスティバル 2024」のレポートを併せてアップします。

 にいがたジュニアコーラス・フェスティバル 2024
令和6(2024)年2月12日(月 振替休日) 
りゅ~とぴあ新潟市民芸術文化会館 コンサートホール(YouTube映像視聴)

 第21回定期演奏会から3か月経って行われたにいがたジュニアコーラス・フェスティバルは、新潟市とその近郊の少年少女合唱の輪を広げ、ジュニアコーラスの美しさ、楽しさを届けるべく、平成26(2014)年にスタートしました。この日参加した団体は、6団体です。

 そのうち、新潟少年合唱団のステージが、YouTubeに公開されましたので、それをもとにレポートします。この日は、11人の団員が全員参加で、プログラムは、「夢をかなえてドラえもん」「あらののはてに」「かねになれたら」「ビザンチン頌歌」「地球星歌~笑顔のために~」と、アニメのテーマ曲から、親しみやすい宗教曲、本格的な児童合唱曲を集めたもので、この並び方を見ただけで選曲の構成のうまさを感じます。

 「夢をかなえてドラえもん」では、歌の部分がソフトであるために、セリフがくっきりと浮かび上がっていました。続く「あらののはてに」は、透明度の高い歌声による演奏で、「かねになれたら」は、さらに鐘の音が聞こえてきそうな編曲で少年合唱だからこそ表現できる曲を味わうことができました。「ビザンチン頌歌」は、さらに声に集中させ、最後の「地球星歌~笑顔のために~」は、曲想の変化が魅力的で、次第に大きな盛り上がりを見せてくれました。11人という人数は決して多いとは言えないのですが、演奏の質は高く、観客も満足して帰途についたのではないかと想像されます。



その他のコンサート

オペラ(歌劇)『魔笛』『トゥーランドット』『ミランガ』

ミュージカル(『葉っぱのフレディ』『ビリー・エリオット』『オリヴァー・ツイスト』『オリバー!』)

バーンスタイン ミサ

全国少年合唱祭(大会)(「日本の少年合唱の灯を守れ!」という人々の熱い想いで約10年間行われた全国少年合唱祭(大会)の記録)

少年少女合唱団(横須賀少年少女合唱団・守口市少年少女合唱団・大垣少年少女合唱団・全日本少年少女合唱連盟○○大会

市場誠一ピアノコンサート

秋山直輝ソロコンサート

貞松響ソロコンサート


栗原一朗ソロコンサート

小川歩夢ソロコンサート

未来和樹ライブコンサート

久保陽貴ライブコンサート

童謡コンサート
(まえだえいこと子供たちが歌う童謡の世界・平賀晴・平賀照 フリバLIVEコンサート)

ウィーン少年合唱団

パリ木の十字架少年合唱団

マイキー・ロビンソン ソロコンサート

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