B×b LIVE MIRAI
平成30(2018)年5月31日(木) 四谷区民ホール |
もしも、未来和樹がミュージカル「ビリー・エリオット ~リトルダンサー~」大阪公演の大千穐楽を立派に飾っていたならば、おそらく、私の心はプログラムに掲載されたビリー役を演じた少年の一人として、この少年歌手・俳優を素通りしていき、やがて記憶の彼方に去って行ったかもしれません。ところが、突然の降板という苦悩の中でも、twitterやブログに刻まれた自責感が強く人間的な豊かさを感じさせる文章は、私の心を動かし、ネット上に残された映像を追いかけ始めました。そのような事情を知っていながら、見て見ぬふりをすることはできませんでした。ところが、少年が再び船出をするときは、意外に早く訪れました。しかも、幸いに、毎週月曜日は仕事があっても、5月31日(木)には、仕事が入っていません。もし入ってきても、断ればいいや!新幹線に乗って日帰りで東京の古本屋街を巡りながら、午後3時前に会場に着くと、昼の部という時間帯の関係もあったでしょうが、母親世代を中心とする女性が95%ぐらい。こんな男女比に差のあるコンサートは、生まれて初めてでした。しかし、恥ずかしいという気持ちは全く起きず、むしろ誇りをもって入場しました。きっと、仕事や学校が終わってから開かれる夜の部の男女比や、年齢層は、もっと違うものになっていたことでしょう。
オープニングの「アメイジンググレイス」で始まる第1部は、この歌にまつわる誕生秘話のように、人の精神的な転機を象徴していました。続く「ぼく」のピアノの弾き語りは、小学生の頃、未来和樹が作詞・作曲した歌であるだけでなく、この少年の人間としての原点を現すものでした。さて、この第1部のストーリーは、たとえ知らない歌はあっても、「僕の東京物語」を下敷きにしていることが次第にわかってきました。また、幕間のインタビューでわかったことですが、第1部は第2部よりも創るのが難しかったそうです。それは、当然でしょう。第1部のドラマでは、苦難にぶつかった時の人間の心の葛藤が描かれており、それはきわどく人間が陥りがちな負の側面と境を接するものだからからです。それよりも驚いたのは、変声期中という未来和樹の声が意外に低いことで(あえて、今きれいに出せる音域に設定したのかもしれませんが)、ときには美輪明弘を思わせる凄みさえ感じました。また、ときにファルセットを駆使しても、決してファルセットに逃れない正攻法の歌は、直接心に響いてきます。2月頃のラジオで聴いた話し声から、私はリリコ・レジェーロのテノールを予想していたのですが、これは見事に外れました。しかし、このドラマを表現するためには、ただ甘くきれいな歌声が響いているだけでは、歌に添えられた想いを伝え切れません。そのような意味で、変声期であることを感じさせないほどの熱演でした。童謡で精神のデッサンをした少年は、様々な葛藤を伴う心の遍歴を経て、「ぼく」に描かれた花園に戻っただけではなく、本来もっていた常に前を向いて進もうとするさらにたくましい「ぼく」へと高まっていきました。さらに、キレのよいダンスは指先から足先までが一本の直線・曲線のように流麗に動き、そこはかとない色気さえも感じさせました。また、何よりも出演者一人一人がステージ全体の中における自分の役割をきちんと自覚して、誠実に演じていたことが心に残りました。
幕間の司会者とのインタビューを挟んで、第2部は昭和歌謡やミュージカルナンバーからなる楽しさを前面に打ち出したショーで、それは、未来和樹がもっている別の明朗な側面を見せてくれるものでした。それは、ダンスの動きによってかっこいい二枚目とずっこけの三枚目を使い分けたり、笑いの要素と採り入れたり、意外なところから登場して客席と一体化する工夫等を採り入れてステージを構成していました。また、それらを可能にするためには、「早替え」という要素も見逃すことができません。歌・ダンス・芝居という演者としてだけでなく構成・演出・振り付けを考案するという才能が、さらにこれからどのように発展・開花していくのでしょうか。そんなことを想いながら観ていました。そして、フィナーレ直前の演目は、「Electricity」。これは、ぜひやってほしく、また観たかった演目ですが、同時に、大阪公演から約半年遅れではありましたが、ビリー役卒業というメッセージでもありました。これからも人生の節目において、自らの原型を探し求めるために演じることにも意義を感じますが、先ずは、ビリー役ご卒業おめでとうございます。一節目の「うまく言えません」は、製作発表会のような憂愁に満ちた歌ではなく、むしろふてくされた歌で、それが次第に高揚して「電気!」で大きく目覚めたように変貌を遂げ、「胸でスパークして」が「胸ではじけて」と日本語訳にすることで、より日本の観客に身近に感じるようになってきました。心は「もう自由!」と束縛から解放され、表現の手法は、語りから歌へ、歌からダンスへとつながっていき、多様な動きを伴った舞踏やアクロバットを経てステージ中央のピルエットに帰結したとき、観客の拍手は壮大な嵐のように聞こえました。未来和樹は、「僕の東京物語 第五章」の冒頭で、“拍手には、壮大な力がある。”ことを発見したと述べています。そうでしょうね。それは、ステージ上の俳優たちと観客たち、あるいは見知らぬ観客同士をつなぐ目に見えない力(千穐楽終演まで演目内容についてSNS等でネタバレする人がいなかった連帯感を含む)になっていました。
未来和樹 SINGS HEART LIVE 2019
令和元(2019)年5月11日(土)大阪京橋「BERONICA」 |
この日は、楽しい春宵を過ごすことができました。TwitterやSNSを見ても、この会場に来て鑑賞した人たちの「ああ、楽しかった。」という声が溢れています。「いいじゃないの、楽しければ。」そのとおりです。楽しいひとときを過ごしたいという想いが、ライブコンサートに足を運ぶ人々の動機かもしれませんが、コンサートが終わった後、このコンサートの楽しさの本質は何だろうかと改めて考えてみました。この辺りに私の「こだわり」があります。
企画と選曲から
今回のライブコンサートの企画が表に出たのは約半年前の昨年の11月でした。昨年2月に熊本シティFMの『ゆるるアフタヌーン』に出演した未来和樹は、将来の夢として、「大きなミュージカルにも出てみたいと思うんですけど、今の一番の夢としては小さな劇場でもいいので、もっとお客さんと近い状態で僕が作った台本で作詞作曲をしたミュージカルをしてみたい。」と、語っています。それを聴いたとき、この発言のキーワードは、「お客さんと近い状態で」という距離感だと感じました。今回の会場が約100席あまりの「BERONICA」という総合エンターテインメントダイニングであったことは、そのような夢を満たすことにもつながっていました。また、あえて『ビリー・エリオット』の出演が叶わなかった大阪の地を最初の会場に選んだということは、「リベンジ」といった言葉で表現できるような軽いものではなく、この地で逢えなかった人と逢える夢を実現しようという強い意志さえ感じました。また、当然のことながら、選曲は、自分の現時点での声の状態やゲスト出演者のよさ・持ち味をどう生かすかということを考えて企画されたことでしょう。
未来和樹の歌声は、1年前と比べて低音から高音までどの音域でも響きが豊かになっており、ファルセットも含め、変声期が終わりに近づきつつあることや、低音ほど安定し、さらに高音では、まだ伸びしろのあることを感じさせました。選曲は、大別するとミュージカルのナンバーと昭和歌謡・J・POPSで、好みも様々であろう幅広い年齢層の観客を意識したものになっており、初めて聴く曲でも、その曲のもっている雰囲気を俯瞰することができ、知っている曲では、その歌(曲)の背景にあるストーリー性を浮き彫りにしていることが伝わってきました。それは、「ヨイトマケの唄」や「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」「木蘭の涙」のような曲で顕著でした。それは、「SINGS HEART LIVE」というこのコンサートのテーマとも直結していました。また、ミュージカル『モーツァルト!』からヴォルフガングの二つのナンバーが歌われましたが、「残酷な人生」では、母の死による慟哭が伝わり、「僕こそ音楽」では、湧き上がってくる抑えきれない情熱が高揚して次第にファルセットに移っていくところを楽しむことができました。「僕こそ音楽」を聴くのは、昨年に続き2回目ですが、声による表現力が確実に高まっていました。ピアノの弾き語りも、視覚的にはダイナミックでありながら、内面的にはとても繊細で、この矛盾する二つを両立させるのは何だろうと思っているうちに歌は終わりました。『今の僕の集大成』いい言葉だなあ。この言葉によって表されるものがこのコンサートの楽しさの核になるものです。
ゲストとのつながりから
この日は、吉岡花絵、城野立樹(しろのりつき)、Theater Dance Unit COCO、岡井麻理子(ピアノ)という未来和樹のこれまでの人間関係の中から選ばれた人がゲスト出演しましたが、それぞれのゲストの持ち味がどう生かされていたかを述べていきましょう。
吉岡花絵は、2013年のミュージカル『アニー』の主役を演じたことがあり、現在も大学で本格的に声楽を学んでいる人です。未来和樹とは、全国各地にある児童劇団「大きな夢」のつながりで以前CD録音で知り合ったとのことですが、その会話からもお互いがリスペクトしあえる人間関係であることが伝わってきました。ミュージカル『ミス・サイゴン』の「命をあげよう」では、重い内容の歌を母性的なやさしさをもって表現し、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の「夢やぶれて」では、絶望の中においてかすかな希望の光を感じるような歌唱でした。それよりも、未来和樹とのデュエット曲では、透明感のある声でありながら、コーダのお互いの声の重なりが巨大なマグマのように伝わってきました。
城野立樹は、『ビリー・エリオット』のビリーとマイケルとして共演したつながりが、この日につながりました。城野立樹は、このステージでは「大阪のおもろい子」の雰囲気を前面に出して、このステージの中でのいわゆる「笑い」の部分を担当していました。とりわけ、『ミー&マイガール』では、ビリーとマイケルを逆転させたような女装シーンのコントで服を脱がせる場面で、急いでマイクまで一緒に落ちてしまったのも台本に書かれた芝居の1シーンとしてしまう機転や『十二番目の天使』に出演した城野立樹が、主演の井上芳雄にごちそうになった場面の会話をギャグにして笑わせてくれました。(このギャグは、東京では見ることができないはずです。)また、タップダンスの共演も楽しめました。
Theater Dance Unit COCOは、現在は東京の大学に進学して活躍しているダンスユニットで、未来和樹とは、熊本におけるダンスの同門生。彼女たちにとって、この会場のステージは広さの面でその持ち味を出し切れる空間だったのかどうかはわかりませんが、6人の出演者が踊るオープニングでは、6人の動きがみんな違っていながら、全体として一つのものを創り上げているところを楽しく観ていました。与えられた空間でできる限りの華やかさを感じさせるステージでした。
岡井麻理子は、熊本在住時の未来和樹のピアノの師と言うことで、伴奏者としては、未来和樹のこだわりの強い注文に応え、独奏では、ビリーが夢の中でオールダービリーと踊る「ドリームバレエ」を意識してか、「白鳥の湖」の「情景」を演奏しました。オーケストラで聴くことしかなかった繊細なだけと思っていたこの曲をピアノ独奏すると、繊細さも生かしながら、このようにドラマティックな曲になるのかというのは驚きでもありました。
このようにして、ゲスト出演者のよさ・持ち味を引き出し、ステージ全体を構成する未来和樹の演出家としての才能は、昨年のステージ以上に発揮されていました。これも、楽しさの大きな要因です。
語りで伝えたかったこと
未来和樹が会話において当意即妙の受け答えができることは、これまでにも感じていましたが、それは、共感性の高さともつながっています。このステージの中では、出演者との会話以外に大きく2つの語りがありました。一つは、「こだわり」という言葉で表現できる自らの成育歴の中で培われてきた特性であり、もう一つは「変声期」との対峙でした。
「小学生の頃、図工の粘土で何かを創るとき、放課後まで残って納得できるものを創っていました。(大意)」そのようなこだわりが、このステージにもいかんなく発揮されていました。そのような語りの直後に歌われたのが、「ヨイトマケの唄」。まさか、このコンサートにこの歌が登場するとは思ってもみませんでした。この歌、美輪明弘(当時は本名の丸山明弘)によって創唱され、テレビを見て(いい歌だなぁ)と思っていたら、次第に聞くことがなくなり、(どうせ、流行歌はみんなそんなものさ。)と思っていたら、それどころか、この歌はある期間「放送禁止歌」になっていました。その理由は、「土方」という言葉が、差別用語だからということです。「何と愚かな!それって、木を見て森を見ないことじゃないのか。この歌は、差別を助長する歌ではなく、差別に負けずに力強く立派に生きた人の生きざまを表した歌じゃないか。」と、思いました。ところが、それから約四半世紀、夜遅く仕事から帰ってテレビのスイッチを入れたら、「そして歌は誕生した」というNHKの番組で、「ヨイトマケの唄」を採り上げているではありませんか。その番組の中で、作詞家のなかにし礼は、「この歌は明治以後の流行歌の中で最高の歌だ。」と絶賛しました。その少し前頃から、桑田佳祐、泉谷しげる、槇原敬之、米良美一・・・ジャンルを問わず、多くの歌い手がこの歌を積極的にコンサートで採り上げて歌い始めました。ついに、平成24(2012)年の紅白歌合戦では、最高齢の77歳での初出場の創唱者 美輪明弘がこの歌を歌って、その感動は全国的に甦り、新たな命を得ました。そして、この日、未来和樹がこの歌を採り上げました。この歌を採り上げた理由等は、ご本人しかわからないことであると同時に、聴き手の想像力の問題でもあります。
変声期への対峙は、ツイッタ―情報だけを読んでいた私にとっては、想像以上のものでした。「朝起きたら、昨日出た高さの声が出ない。歌える歌がだんだん少なくなってくる。1オクターブぐらいしか声が出ない時もありました。ツイッタ―には、神様が・・・等と書きましたが、本当は、泣いていました。」こんな本心からの言葉を会場の観客は、頷きながら受け容れて聴いていました。もう、それ以上言わなくてもいいんです。もしも、思うように声が出ないという辛い想いをツイッタ―でつぶやいていたら、心配や慰めと励ましの言葉は返ってくるでしょうが、それ以上のものは返ってきません。自らの成長を受け容れて、その時々でできることをしていくしかないんです。むしろ、昨年5月のコンサートは、企画段階も含めて、そのような苦悩の中でやり抜いたということがわかってきたら、そこから、新たな感動が生まれます。今は、「朝起きたら、昨日出なかった高さの声が出る。歌える歌がだんだん増えてくる。」ときでしょう。ところで、全国にいるであろう変声期を迎えた歌の好きな少年との大きな違いは、日本を代表するミュージシャン(井上芳雄、山崎育三郎、中川晃教、槇原敬之)が、楽屋を訪問した時に、自分の体験をもとに、変声期への対応をアドバイスしてくれたことです。それは、歌声を仕事にする道において、その将来を期待し、後に続く人材を育てたいという気持ちがあったからではないでしょうか。そのような意味では、何と幸せな少年でしょう。このような曲と曲をつなぐ語りの中に表れる人間的魅力もこのコンサートの楽しさに直結していました。
そのような意味で、このコンサートは単にステージと客席の距離が短かったと言うよりも、距離を近づけるために自ら客席を回って歌い、ステージと客席が一体になったコンサートでした。また、何よりも未来和樹にとって、大阪の地が楽しい思い出の場所へと変わってよかったなと嬉しく思っています。
未来和樹 LIVE 2022 『伝苑』
令和4(2022)年9月10日(土) 市川市文化会館小ホール |
未来和樹のステージに接するのは、3年ぶりです。この間、東京大学受験という大きな山を越えての出演です。今回のステージは、その間に蓄積したものや、ゲストとの共演が楽しみです。客員レポーターの道楽さんは、2日目の生演奏に接していますが、私は10月にネット配信された初日の舞台をパソコンからテレビにつないで何度か鑑賞してのレポートになります。
未来和樹が、5年前にビリー・エリオット役を演じているとき、どの範囲でそのように呼ばれていたのかは不明ですが、『座長』という敬称に近いニックネームが付けられていたようです。このステージでは、ピアノの弾き語りを含む歌、ダンス、演劇、語りという舞台上に現れるものだけでなく、選曲、演出、振り付け、構成までしていたということですから、20歳の今、『舞台芸術の巨匠』の片鱗を感じさせました。
そこで、今回は、① 未来和樹の演奏 ② ゲストの持ち味をどう生かすか ③ 演出・構成の3点からアプローチしてみましょう。
① 未来和樹の演奏
未来和樹が少年時代、美しいボーイ・ソプラノであったことは知られており、その歌声もCDやネットに残されていますが、変声期によってそれを失う苦しみや葛藤は、Twitterに書かれた美しい言葉とは逆の人知れぬ涙の苦しい日々であったということがその語りから推察できます。しかし、新たに与えられた歌声は、東京・大阪・西宮と追いかける中で、次第に成熟し、ハイ・バリトンを基調としながらも、かなり幅広い声域と、幅広い年齢の「人生の歌」を表現できるものになっていました。この日の選曲も、いろいろな年齢の人が生きていく中でぶつかり感じる「人生」というテーマで一貫していました。
第1部では、「メモリー」をかつて録音したボーイ・ソプラノと今の声で歌い比べるという企画を最初にもってきて、中島みゆきの「倒木の敗者復活戦」「ファイト!」は、まさに生きることは戦いであり、その葛藤と克服を歌い、「老女優は去り行く」では、16歳の娘の半世紀以上にわたる努力・栄光・挫折・復活・引退までを歌と語りによって表現するという一人芝居的な離れ業まで演じました。なお、この曲は、フランスのシャンソンの翻訳かと思っていましたが、美輪明宏の作詞・作曲です。第2部は、ミュージカルナンバーが中心ですので、その役にあった歌声を駆使しながらも、槇原敬之の「わさび」では、長い人生を経たばあちゃんから観た人生の真理を歌い、小椋佳作詞で美空ひばりが創唱した「愛燦燦」で、それでも人生は素晴らしいことを歌い上げるという歌の構成は見事であると同時に、「成人式を何回迎えるとそのような境地が理解できるのですか?」と聞きたくなってきました。
② ゲストの持ち味をどう生かすか
変声直後、熊本・札幌・東京と3公演をしたときの舞台『B×b LIVE MIRAI』は、主役 未来和樹とその他大勢の人々の歌と踊りというステージでした。だから、主役の未来和樹が大活躍し、ゲストは自分に与えられた役割をしっかりと果たしたという印象が残っています。翌年の「未来和樹 SINGS HEART LIVE 2019」大阪公演は、大阪京橋「BERONICA」というレストランとライブハウスを一体化させたダイニングでしたが、ここでは、吉岡花絵、城野立樹、Theater Dance Unit COCO、岡井麻理子(ピアノ)という未来和樹のこれまでの人間関係の中から選ばれた人々がゲスト出演しましたが、吉岡花絵は基本的にソリストと、デュエットでは恋人役、城野立樹はお笑い担当、ダンサーとピアニストは、それぞれの持ち味を生かす場が与えられるという構成でした。
しかし、今回は、かつて(2017年と2020年)ビリー・エリオット役を演じた木村咲哉、川口調、その最終選考に残ったダンスの名手 廣瀬喜一、ミュージカル歌手志向の吉岡花絵、ダンサーたちとゲストが増え、それぞれをどう生かすかということが見どころとなりました。吉岡花絵の位置づけは前回とほぼ同じでしたが、歌は役作りと共に確かな実力を感じました。また、身体能力が高くやんちゃな三枚目もできる木村咲哉、バトントワーリングの技が傑出している川口調、ダンスの名手廣瀬喜一のそれぞれを生かす場を作れば、全体を通してのテーマ性が薄れる面もできます。しかし、「仮面舞踏会」「め組の人」「キャッツメドレー」で、4人が揃って踊る場を作ることで、ステージに一貫性を持たせていたように思います。
川口調は、出演者の中では一番年下ということで、インタビューの場面では先輩方に対して遠慮気味にも感じられましたが、演技では集中した姿を見ることができました。一幕の終わりごろ演じたバトントワーリングの「へイ、パチューコ」は、本来は、競技場となる体育館のような広い場所で演じるものですが、舞台は左右に幅はあっても、前後に広さがなく、思い切り高くバトンを投げ上げることができない中で、演技がこじんまりすることなくできたのは、事前に調整したと同時に、世界選手権で優勝した実力の片鱗といえるでしょう。また、「スキンブルシャンクス」でバトンを取り入れたダンスも楽しめました。変声期のため歌声が心配でしたが、それを感じさせることがなく、演じ切りました。
③ 演出・構成
実際の舞台を観ていたら、指定された座席によっては、見えやすいところと見えにくいところができるでしょうが、ネット配信では、ダンスナンバーの映像はほぼ全て、舞台全体が映るように編集してあり、それそれのダンスの魅力や一人一人の動きのよさや面白さを感じました。小学生の時に運動会の盆踊りのような集団演技をいやいややらされるという感覚しかなかった私が、もしも、少年時代にこういうダンスを観ていたら、人生が変わったかもしれないなと感じました。また、ダンサーの核にベテランの青井智佳子を据えたことが、舞台全体の動きの統一感につながったと思います。また第1部と第2部で採り上げられた歌の違いも面白く、最後に「ぼよよん行進曲」という意外性のある曲をもって全員が舞台に登場するという構成は、最後まで期待感をもって鑑賞することができました。
未来和樹の解説で、この『伝苑』には、「芸術家たちの集まり(苑)が芸術を伝える」という深遠な意味があることがわかってきましたが、このステージを通して、これからも、舞台作家 未来和樹にそのよさを引き出してもらいたいと感じる若い芸術家が出てくるのではないかと感じました。それと同時に、一つのミュージカルや芝居のようにストーリーが決まっている中での演出と違って、このようなタイプのステージの場合、ゲストが増えるごとにその持ち味と魅力を最大限に引き出す演出や振付け、楽曲も多様になるので、逆に全体のテーマ性が薄まるのではないかという相克も感じました。未来和樹は、人との出会いを大切にしてステージを構成する舞台芸術作家ですので、その課題を次回以後のステージで発展的に解決してくれるものと期待しています。
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