横須賀芸術劇場合唱団 少年少女合唱隊 ステージ\
                スプリングコンサート
                                 よこすか芸術劇場     平成18年3月25日

  「ボーイ・ソプラノの館」は、少年合唱団のコンサートを中心に紹介していますが、日本において少年合唱団が存在する地域は極めて限られています。だから、歌が好きで少年合唱団に入りたくても遠すぎて入れない少年がほとんどです。一方、少年少女合唱団は全国に約1000ありますから、入る意志があれば、入ることができる確率はかなり高いと考えられます。さて、児童合唱が盛んだった1960〜70年代頃は、児童合唱団に入りたければ試験があるところがかなりたくさんありましたが、現在では実質的な試験を行っているのは、いくつかの実力最重視の合唱団だけになってきました。その一つに、横須賀芸術劇場合唱団 少年少女合唱隊があります。
 横須賀芸術劇場合唱団 少年少女合唱隊は、歴史的にはまだ10年ほどですが、武田雅博先生・淵上千里先生に率いられた小学3年から高校3年生までの約100名のメンバーで、プロとの共演やオペラ出演もしている実力派の合唱団です。男子の比率は、1割ほどで、変声後の男子はファルセットで歌うため、全員合唱の響きは中学生から高校生女子の合唱に近いのですが、これまでにも優れたボーイ・ソプラノのソリストを輩出してきました。この日は、当初行く予定はしていなかったのですが、時間ができたので、急遽行くことにしました。

   
本邦初演の作品が中心
 この日のステージは、同声(女声)合唱曲集「あそぶ神々」と横山潤子合唱曲集という本邦初演の作品を中心にしたもので、第一印象を大事にした聴き方を心がけました。「あそぶ神々」は、日本のわらべ唄とオーソドックスな合唱曲をミックスしたような作品でした。「泥んこ遊び」「鬼ごっこ」「かくれんぼ」「あらそい」の4曲から受ける印象は、聖なる神と言うよりも、むしろやんちゃな神という雰囲気でした。音楽的にはわらべ唄の部分が突出しているところで、好きかどうか意見が分かれるのはないでしょうか。私は、その二つの要素がうまくつながっている曲を好ましく思いました。
 また、横山潤子合唱曲集は、従来の合唱曲の概念を崩すような試みがいくつもありました。ケラケラした笑い声を大胆に採り入れた不思議な感覚の「みどりのろうそく」、おばちゃん声のインパクトが強烈な「こぶたのフーガ」、猫の鳴き声がアクセントとなる「満月の夜の猫の歌」は、1曲ずつ違った楽しみ方ができる作品です。 なお、横山潤子合唱曲集は演劇的な要素もあり、音楽最重視で声の高さによっていつも同じ立ち位置に同じ隊員がいるというこの合唱団(オペラではそうではないでしょうが)にとっては、変化をもたせるという副次的な効果もあったのではないでしょうか。

   
正統派の合唱曲を
 横須賀芸術劇場合唱団 少年少女合唱隊は、上と下では10年の年齢差のある合唱団です。だから、小学生のJクラスと、中・高校生のSクラスに分かれて演奏することもあります。この日はJクラスがまどみちおの詩による女声と子どものための合唱組曲「うたをうたうとき」、Sクラスが女声合唱のための組曲「あいたくて」と分かれて歌ったので、歌声や歌唱表現力のの成長のようなものまでを聴くことができました。
 6曲からなる合唱組曲「うたをうたうとき」は、爽快な「あさやけゆうやけ」に始まり、曲想の変化による盛り上がりが面白い「木」、変則的なリズムに特色のある「あしよりズムで」、哲学的な歌詞をじっくり味わいたい「うたをうたうとき」、流麗な「どうしてだろうと」と続き、雄大なスケールの成長讃歌「おおきい木」で結ぶという構成なので、その歌い分けを楽しむことができました。また、歌詞の理解がこの合唱組曲では大切な要素になるので、3曲ずつ朗読によって紹介してから歌うという手法も生きていました。柔らかい少女の声と、凛とした少年(秋山直輝)の声の違いを味わうこともできました。なお、秋山直輝の朗読は、あえて自分のもっているふだんの話し声や歌声よりも低い音域を使って、しっとりした感じを出していました。
 「あいたくて」は、純粋で感性豊かな詩を活かす曲が魅力的で、NHKの学校音楽コンクールでも中学校の女声合唱クラブによってよく採り上げられていますが、Sクラスはそれよりもさらに成熟した歌声で歌っていました。

   
宮崎駿の世界
 最後のステージは、宮崎駿のアニメ映画のおなじみの主題歌集で、これはリラックスして聴くことができました。富澤裕の編曲は、聴かせどころを押さえながらもいかにも児童合唱らしい曲に仕上げていました。また、隊員はそれに応えるように、それぞれの曲を歌い分けていました。特に、「もののけ姫」「いつも何度でも」「君をのせて」は、よい仕上がりでした。
 また、オープニングの「元気に笑え」の発声の美しさで一気に観客を惹きつけ、エンディングの「さよならのうた」では、100人が同時に整然と動くマスゲームのような振り付けが、楽しめました。



横須賀芸術劇場少年少女合唱団ステージ11
親と子のためのクリスマスコンサート

 
                   よこすか芸術劇場  平成19年12月9日


   キーワードは「親と子」
 この日の武田先生は、いつもになくハイテンションでお茶目でした。と言うよりも、そういう演出をしていたと言うべきでしょう。舞台が始まる前、この「親と子」の「子」が3歳以上であることがわかりました。音楽の底辺を広げようという企画なのでしょう。オイオイ、3歳の子どもが1時間半もつのかなという想いもありましたが、とにかく、3歳から90歳を対象とするこのコンサートは始まりました。
 
   
歌を聴かせる部分は最初に
 キャンドルを両そでのクリスマスツリーの横に置いて並んだ団員を入れても、舞台に上がっている団員の人数が、いつもよりずいぶん少ないじゃないか。という第一印象をもって第1部は始まりました。それもそのはず、登場したのはSクラス(中学生・高校生)の団員だったのです。ブリテンの「キャロルの祭典」の「入堂行列聖歌」で始まった3曲「マリア・マーテル・グラツィエ」「パニス・アンジェリクス」「グノーのアヴェ・マリア」は、むしろしっとりした女声合唱を聴かせるという感じでした。普通なら一番最後にもっていっていく音楽的には一番高度な歌を冒頭に聴かせ、だんだん親しみ深い曲にしていくという曲の構成は、3歳の子どももいるということを意識してのものでしょう。
 その後、Jクラス(小学生)が入ると歌声は、かなり幼く感じられます。また、この合唱団の男子率は1割未満なので、その響きはピーンと張った金属的な少年合唱の声ではなく、少女合唱団の声に近い歌声です。しかし、歌そのものは基本に忠実でした。 

   
客を飽きさせない工夫が
 第2部は、武田先生が大きなクリスマスプレゼントの箱をよたよたしながら運んで、団員から拒否されるという、幼児受けをねらった演技でスタートしました。芸術至上主義・権威主義の指揮者なら絶対やらない演出です。でも、このコンサートにはこういう要素が必要なんですよね。横山潤子編曲の10曲からなるおなじみのクリスマスソングのメドレーは、速度の速い曲と緩やかな曲をつなぎながら、独唱を入れたりして、曲の変化をつけ、十字架型に隊形変換をしたり、照明を変化させることで彩りを添えました。このステージにおいては、照明が大きい効果をもたらすことがわかりました。こういう観客を飽きさせない工夫がコンサートの随所に見られました。このようなコンサートにおいては、高度な音楽を聴かせるせるだけが大切なのではありません。観客を楽しませるエンターテインメントの要素も大切です。児童合唱においては、どうしてもその面が一歩遅れていました。また、コンサートを通じて、観客の幼児が、立ち歩いたり大声を出したりせず、比較的よく躾けられていたことが特筆できます。このコンサートは、横須賀芸術劇場少年少女合唱団がエンターテインメント分野に進出したコンサートと言えるのではないでしょうか。


横須賀芸術劇場合唱団 少年少女合唱隊 ステージ12
                 結団10周年記念 スプリングコンサート
                                 
よこすか芸術劇場     平成20年3月29日


   日本の春の抒情を歌う

 この日の第1ステージは、飯沼信義と平吉穀州編曲による女声合唱曲による日本の四季「早春賦」で始まりました。男子率1割未満(最近は以前よりさらに減少気味)の少年少女合唱団では、音色は女声合唱といっても間違いないでしょう。タイトルでもある中田章の「早春賦」の始まりの旋律は、モーツァルトの「春へのあこがれ」や森繁久弥の「知床旅情」と曲想が似ているのは、偶然とは言い切れないのではないでしょうか。春を待ちわびる気持ちは、世界共通ではないかと思います。小学生の頃「若葉」や「どこかで春が」のように小学校の教科書で斉唱曲として習い、その頃は平板に感じていた曲が、編曲によってこのようにふくらみをもつ合唱曲になるというのも嬉しい驚きでしたが、「さくら貝の歌」や「宵待草」といった抒情歌曲がSクラスだけによって歌われるというのも、この曲を歌うためには、声だけでなく人間的な成長が必要という指導者陣の想いがあったからではないでしょうか。このステージは、私にとっては、一番心を動かされるものでした。

   
歌による抒情小曲集

 昨年は、グリーグの没後100周年ということで、第2ステージは、グリーグの歌曲を合唱用に編曲した同声合唱「子どものうた」〜ノルウェーからのおくりものが、Jクラス(小学生)によって歌われました。よく練習してこの日に臨んだということは伝わってきました。しかし、グリーグの曲はダイナミックな面もあるのですが、この7曲は、穏やかな小曲が7つ集まっているという感じで、合唱組曲に見られるような大きな山場もなく、国民楽派のグリーグの曲としては、「美しきわが祖国」でさえ当時スェーデンから支配されていたことに対する独立への強い想いも感じられませんでした。つい、シベリウスの「フィンランディア」と重ねてしまうのですね。だから、あまり印象に残りませんでした。

   
ヨーロッパの響きをたずねて 

 この小見出しは、この日客演指揮された横須賀芸術劇場少年少女合唱団のアドバイサーである東京少年少女合唱隊の指導者である長谷川冴子先生が指導されている合唱隊が数年にわたって発売してきたCDシリーズの題名です。この日の第3ステージの選曲といい、その響きといいまさに、「ヨーロッパの響きをたずねて」の世界なんです。仰ぎ見る目標としてのヨーロッパの聖歌隊にいかに近づけるかという挑戦を色濃く感じました。団員の音楽水準を上げるためにも、合唱ファンの耳を肥やすためにもぜひこういうステージがあってよいと思います。団員も、この曲の練習はたいへんだったことと思います。高い水準の演奏を聴くことができました。しかし、それだけでは、日本の子どもたちが合唱に目を向けようとしないという現実もあります。その間でどう折り合いをつけるかということは、日本の児童合唱関係者が本気で向き合わなければならない問題だと思います。
 なお、この日は、「越天楽」も長谷川冴子先生で上演されました。この曲は、3年前に京都で行われた第7回世界合唱シンポジウムで演奏されたものですが、横須賀では初演ということです。これは、外国の方に古典邦楽を合唱で表現したらこうなるというという結団10周年記念の祝典曲として聴くべき曲だと思います。

   
10年の成果がスタンダード曲に

 最後のステージは、これまでにレコーディングした曲の集大成といったステージでした。冒頭を飾る「With You Smile」や「Smile Agein」は、歌っている団員の世代の感性に最も共感的に受け止められる曲ではないでしょうか。スケールの大きな歌で歌いあげる合唱の醍醐味を感じることができました。しかし、「BELIEVE」では。編曲が凝りすぎて、低音部が突出してしまい、この歌本来がもっている感動が薄れていたように感じました。合唱は編曲次第であるということも痛感しました。
 このコンサートの位置づけは、プログラムに掲載されている武田先生の言葉に収斂されると思います。次の10年に向かって、団員の組織も変わると聞いています。どのような飛躍が見られるか期待されるところです。

横須賀芸術劇場少年少女合唱団 結団15周年記念 スプリングコンサート’13
平成25(2013)年3月30日(土)
 よこすか芸術劇場


   統一感のある歌声

 6年ぶりに鑑賞する横須賀芸術劇場少年少女合唱団は、小学校2年生から高校3年生まで130名を擁するまでに学年も人数も拡大していました。しかし、変わらないのは、歌唱訓練がしっかりできていて、歌声に統一感があることでしょう。このような学年と人数で、しかも男女比が約1:9という偏りがある合唱団では、歌詞の理解力や演奏力によって、グループを学年によって分けるのが順当と考えられます。
 前半の小学2年生〜4年生のジュニアクラス(J)が、歌ったのは、工藤直子作詞 新実徳英作曲の 二声でうたう「のはらうた」より4曲。小学2年の国語の教科書にも「ふきのとう」が採り上げられていますが、この詩の面白さは、作詞者が「あげはゆりこ」や「かたつむりでんきち」となっていることで、このあたりのそこはかとないユーモアのセンスと、その生き物の目から見た世界が詩のリズムを刻んでいます。「のはらうた」そのものは53篇からできているそうですが、そのうち新実徳英によって合唱曲化されたのは何曲でしょう。ジュニアクラスの演奏からは、明るく楽しい雰囲気がよく伝わってきました。
 小学5年生〜中学2年生のミドルクラス(M)が歌ったのは、みなづきみのり作詞 松下 耕作曲の 同声3部合唱とピアノのための「ユウキノウタ」「あ〜」「お〜」「は〜」の壮大なプロローグで始まる「僕のドラゴン」は、外にではなく「僕」の中に住んでいることがわかるところが面白かったように、この3曲は、すべて自分の中にあったり、自分に返ってくるところに特色があります。ミドルクラスは、「ユウキノウタ」と名付けられたような内的な力を引き出していました。
 中学3年生〜高校3年生のシニアクラス(S)が歌ったのは、オーストリアの作曲家 ヴァルデマール・ブロッホの「ミサ・ブレヴィス」。この作曲家については全く予備知識がありませんでしたが、キリエで始まり グローリア サンクトゥスと続くミサ曲の緩急・高揚と安らぎの差は楽しむことができました。むしろ、この学年になると、ファルセット歌唱の男性を含め、女声としてかなり出来上がってきていると同時に、透明度の高い演奏を聴かせてくれました。

   この花は何のために生まれて

 後半では、卒団生有志によるメンデルスゾーンの「3つのモテットより」カプレの「三声のミサ曲」オルバンの「ミサ曲第6番」によって始まりましたが、ファルセット歌唱の男声も含め、卒団後もどこかの合唱団で歌い続けているという感じを受けるふくよかで成熟した歌声を聴くことができました。また、ミドルクラスとシニアクラス約80名による星野富広作氏 新実徳英作曲の女声合唱とピアノのための「花に寄せて」は、それぞれの花がこの世に生きる価値のようなものを感じさせる歌で、「てっせん・どくだみ」からは、「こいぬのうんち」と同質のものを感じることができました。さらに、フィナーレでは、お楽しみの要素も入れて、あまり合唱曲という音楽になじんでいない観客も飽きさせない演出をしていたことも、心に残りました。 

第50回 守口市少年少女合唱団 定期演奏会
平成25年3月31日(日) 守口文化センター


 当時私が勤務していた職場に一番近い守口市少年少女合唱団の名前と、年に1回の定期演奏会や年数回のコンサートが開かれていることは知っていましたが、これまでコンサートに足を運ぶことはありませんでした。(おそらく、男子率1割未満のいわゆる「少年少女合唱団」だろうという勝手な思い込みもありました。)しかし、第50回という記念コンサートということで、初めて行くことにしました。今回は、創設50周年という記念定期演奏会ということで、守口文化センター地下1階には、展示室が設けられ、半世紀にわたる写真やパンフレッドが飾られていました。これらは、関係者にしてはたいへん思い入れのあるものだろうと思います。

 プログラムは、前半の第1部と第2部が「ディズニー・メドレー」と「ディズニー・ステージへ」ということで、この合唱団のメイン曲なんだろうなと思いながら鑑賞していますと、阪口春彦先生指揮の第1部は、「ディズニー・ソング」を聴かせるというステージ、小浜真由美先生指揮の第2部は、「ディズニー・ソング」に合わせて振り付けを見るステージという感じがしました。ただ、第1部の「ディズニー・ソング」は、ディズニーアニメの中でも古典的な主題歌として名作と呼ばれる1曲1曲に個性のあるもので、「星に願いを」のように歌わせる歌が採り上げられていました。阪口春彦先生も風格のある指揮で、ステージを引き締めました。しかし、第2部の「ディズニー・ソング」は、この20年ぐらいの作品で、しかも、アラン・メンケン作曲の同じような曲想の歌が続くため、歌として1曲1曲を味わうというところには至らず、よく統制された振り付けの方に目が向くといった感じは否めませんでした。

 第3部は、前半が現在の団員が選んだお気に入りのレパートリー、後半がー団員OB・OGでもある私たち指導者が選んだ思い出の曲という構成でした。ステージとしての統一性はないものの、多様なレパートリーの曲を聴くことができました。ただ、今回が第50回という記念コンサートならば、「ぼくたち・わたしたちの愛唱歌」として時系列で1ステージを構成してもよかったのではないかと思います。この合唱団は全体としては明るい声質で、まとまりもよく、活力のあるステージを創りあげていましたが、座席数が400席ぐらいの会場なら、子どもの喉にとってもやさしい広さであり、会場も歌を聴くために来ている観客ばかりなので、ソロもマイクなして歌ってもよいのではないかと感じました。そうすることで、ソリストの歌唱力を高めることもできましょう。また、現在35人の団員で男子率2割以上というのは、日本の少年少女合唱団としては価値あることです。現在、日本の児童の合唱人口は、決して多くありませんし、守口市というまちではスポーツ以外の児童文化が弱いと感じることもあります。それだけに、大阪府で最も長い歴史をもつ守口市少年少女合唱団に、守口市の子どもたちがもっと目を向ける機会がもっとあってもよいのではないかと思いながら、会場を後にしました。


第50回演奏会 大垣少年少女合唱団〜世界を歌でつなごう〜
平成28(2016)年4月10日
(日) 大垣市スイトピアセンター音楽堂


   鑑賞のきっかけは意外なことから

 私が少年少女合唱団の演奏会に行くことは稀なことで、ボーイ・ソプラノの名手がいるとか、出演者と何らかの人間関係があるとか限られた場合だけです。今回大垣少年少女合唱団に行くきっかけは、呉少年合唱団のOBで、作曲家の中島(なかしま)満久先生から「近年稀に見る美声のボーイ・ソプラノがいる。」という噂を聞きつけたからです。ボーイ・ソプラノは期間限定の声ですから、聴く機会を失ってはいけません。また、大垣少年少女合唱団が少年合唱団であったころのOBのmiyaさんが、5年ぐらい前にホームページの掲示板に当時の記録や想い出をていねいに書き綴り、後輩の「大垣少年少女合唱団をよろしく。」と書いてくださったことを思い出したからです。さて、まち探検をしながら着いた会場の大垣市スイトピアセンター音楽堂は、予想した以上に音響の優れ立派なホールでした。(最初コンサートのチラシを見たときには、“音楽室”と間違って読んでしまい、学校の音楽室レベルのものを想像していました。)文教都市を誇る大垣市は、まちを歩いても各所に文化や教育に力を入れていることが伝わってきます。

   清楚な声質の少年少女合唱団

 団員がステージに並ぶと16名と予想していたより少ない人数です。しかし、ステージ1のディズニー名曲集より「小さな世界」が始まると、自然で上品な発声と清楚な歌声でハーモニーも美しいです。「夢はひそかに」「サークル・オブ・ライフ」では、ダンスを伴った振り付けもありましたが、これは歌に楽しさや変化をもたせるためで、あくまでも合唱を聴かせるステージ創りでした。続く、こわせ・たまみの詩による児童合唱曲集「夏の日のうた」より「夏!太陽の中へ」「夏!っていう感じ」「さよなら ぼくの夏」の3曲が歌われました。こわせたまみの詩には、どこなかつかしい風景が浮かんでくる特徴があります。歌はその部分を浮かび上がらせるように歌われていました。

   なぜ、この3か国が?
 
 ステージ2は、団員の「アメリカ・日本・韓国の歌が歌われます。」という紹介で始まりました。なぜ、この時期にこの3か国が選ばれたのでしょう。しかし、それは、安全保障をめぐる同盟とは全く関係ありませんでした。最初は、フォスター晩年の遺作「夢路より」。歌うは、今では団で一人だけの男子でボーイ・ソプラノの松野孝昌君。今年小学6年生の松野君の歌声は、日本では珍しいヨーロッパ系の歌声で、1番は英語で2番は日本語で歌われました。特に英語の歌は、繊細で透明度の高い歌声が活かされていました。続く、「どじょっこ ふなっこ」と「からすかねもん勘三郎」は、9人のアンサンブルで、誰か一人でも崩れると全体が崩れるような精緻なつくりになっていましたが、安心して聴くことのできる演奏で、合唱だからこそ表現できる曲の面白さを味わうことができました。
 ここで、プログラムの順番では第2ステージの最後になっている「大垣少年少女合唱団 団歌」が披露されました。この曲の作詞家は、プログラムに掲載されていませんでしたが、団員の共作であり、その詩に中島満久先生が作曲したもので、初演は第47回演奏会であったそうです。日本のど真ん中に位置するという大垣市の特色が、早崎桂子先生の腕を大きく回す指揮で雄大に表現され、最後の音の重なりが陶酔的で、この合唱団の響きにふさわしい作品です。
 続く「アプロ」は、“前進”を表わす元気のよい歌であったように記憶していますが、意外にもしっとりと言葉をかみしめるように歌われました。「AGAIN〜出会いの町〜」は、初めて聴く曲ですが、「朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会」のテーマ曲として創られた新しい曲です。大垣市は、江戸時代、朝鮮通信使が宿泊したまちであることもわかりました。歌は、日本語と韓国語で歌われましたが、当時「礼の国・敬の国」として交流したことを意識した上品な仕上がりになっていました。おなじみの「故郷の春」も懐かしい響きで歌われていました。大垣少年少女合唱団は、毎年のように韓国慶尚南道・昌原市の少年少女合唱団との相互交流をしていることが、この選曲にもつながったと思います。「大切なもの」でも、この詩の深い心を伝えようとするこの合唱団の歌声の美質を感じることができました。このステージの最後では、みんなで歌いましょうということで「花は咲く」を会場のみんなと歌いましたが、歌う観客が多いことに驚きました。それは、歌がこのまちに浸透していることの一つの現れということもできましょう。文化は一日にしては創り上げることはできません。

   歌そのものを聴かせる

 ステージ3は、合唱組曲「くるみ割り人形」〜チャイコフスキーのバレー音楽から〜です。「くるみ割り人形」は、踊りの部分だけを採り上げた管弦楽曲として聴いたことはありましたが、中山知子・増本伎共子による台本と音楽のものを鑑賞するのは初めてです。島田恵先生の振り付けも舞台芸術としてオーソドックスでわかりやすいものでしたが、団員もよく自分の役割を自覚して細部まで無駄のないよい動きをしていました。しかし、同時にこのステージは、ミュージカルではなく、合唱組曲であることを外さない演出であったように感じました。特に、女子団員2人によるデュエットの部分など「ホフマンの舟歌」の雰囲気で、しっかりと音の重なりを聴かせてくれました。

 コンサートを聴きながら、人口的にも約16万人とそれほど多いとは言えない大垣市の文化度の高さがこの合唱団を育んでいると感じました。願わくば、団員の増加、とりわけ男子率が2割になるとまた、歌声も変わるのではないかと感じる演奏会でした。

 第51回演奏会 大垣少年少女合唱団
平成29(2017)年4月9日
(日) 大垣市スイトピアセンター音楽堂


   団員数が約1.5倍になると

 案内状を見ると27名、プログラムを見ると31名と昨年と比べて、団員数が約1.5倍となり、よりボリュームのある歌声が期待されます。また、男子が4人と増えていることも、歌声に何か変化があるのではないかという期待させられます。今年のステージ1の第1曲目「ゆかいに歩けば」は、中央横の出入り口からから2手に分かれて歩きながら歌い、3番で舞台上の定位置に立つという演出で始まりました。この歌を初めて「みんなの歌」で東京放送児童合唱団の合唱で聴いたときのインパクトの大きさは、今でも覚えています。それは、「ヴァルデリー ヴァルデラー」という意味不明でも何となく楽しそうな掛け声のような部分と、3番の小鳥のさえずりのような高音のオブリガードで、合唱とはこんなこともできるのかという驚きです。それが、このような演出によってより明確に表現されていました。それに続く団歌も指揮者が変わると、強調点が少し違うように感じましたが、最後の音の重なりはたいへん美しく感じました。「未来へのレシピ」「Hello! My Best Friend」「Unlimited」「地球を散歩」と私にとって初めて聴く曲が続きますが、数名の女子団員のよく響く声が全体をリードしているという感じを受けました。また、団員数の増加によって、全体的にボリュームのある歌になっていました。

   いろいろなタイプの歌を

 ステージ2は、新入団員による「ハバネラッコ・ハバネラ」で始まりました。明るく元気な歌声の中にも、響きをそろえようとしていることが伺えました。続くボーイ・ソプラノの独唱は、今春中学生になった松野孝昌君によるシューベルトの「アヴェ マリア」。バッハ=グノーの「アヴェ マリア」を日本のボーイ・ソプラノで聴くことは何度かありましたが、シューベルト作曲のものは初めて聴きます。日本語訳のものでしたが、よく響くゆったりした歌唱で、このようなリリックな声質としてはたっぷりとした声量もあり、昨年よりもさらに磨きがかかったように感じました。その後は、女子のグループによる「どじよっこふなっこ」「はくさいぎしぎし」「からすかねもん勘三郎」とわらべうたを合唱曲に編曲した曲が続きますが、ここでは、統一感の見られる精緻な合唱を楽しむことができました。
 このステージの後半は、童声のための組曲「西風来来」より「西風未来」「ほろ馬車でいこう」「氷のカリンカ」の3曲が抜粋して歌われました。最初この合唱組曲は、いろいろな国の民族音楽をベースにした作品かと思っていましたが、必ずしもそうではないようです。「西風未来」では、中国風の旋律が面白く、「ほろ馬車でいこう」は、明るい弾むような歌に仕上がっており、「氷のカリンカ」は、だんだんアップテンポになって盛り上がっていく舞曲のようなところが聴きどころの演奏になっていました。また、振り付けも自然なもので、歌に集中できました。

   オペラやミュージカルは予習が必要

 ステージ3は、モンゴル民話 オペラ・ミュージカル「スーフと馬頭琴」(短縮版)で、小学2年生の国語の教材になっている「スーホの白い馬」と同じ原作なのかなあと思いながら聴いていました。結局、それは抜粋のためか、原作をもとにして演出されているためか、はっきりわかりませんでした。このステージは、モンゴルの民族衣装を着た蒔田義信さんの馬頭琴の演奏で、始まりました。心をかきむしられるような音色の演奏でした。ストーリーは、羊飼いの少年スーフと白い馬ツァスとの強い心の絆から楽器「馬頭琴」が生まれたことを描いた作品でした。ストーリーを追うことを中心に鑑賞していると、歌そのものの印象はやや薄くなります。オペラやミュージカルでは、ストーリーやアリアの位置を予習をしてから鑑賞しないと、聴きどころがわからないことを痛感しました。なお、この作品全編は、9月3日に上演される予定です。

第52回演奏会 大垣少年少女合唱団
平成30(2018)年4月8日
(日) 大垣市スイトピアセンター音楽堂


   見せ方・立ち位置を変えることによって   

 団員数は、昨年度とほぼ同じで、オープニングが「ゆかいに歩けば」であることも同じですが、中央横の出入り口からから2手に分かれて歩きながら歌って舞台に上がるところは昨年と同じですが、2番が群像劇のようになっており、3番の途中から舞台上の定位置に立つという演出は、同じ曲でも見せ方を変えることによって違う味わいをもたせることを面白く感じました。今回のコンサートでは、全体を通して一人一人の団員の定位置というものがなく、曲によって意図的に移動することを面白く感じました。2時間近いコンサートを通していつも同じ位置に同じ団員がいて、振り付けどころか動きがないという合唱団のステージも見たこともありますので、大垣少年少女合唱団の今回の試みは、実験的な意味を超えて、立ち位置によって響きは違って聞こえることや、一人一人の団員を生かすという意味で共感を覚えました。また、入団期・学年ごとのステージもありましたが、これは、この合唱団に入団すれば、みんなここまではできるようになると感じさせることがよいと思いました。

   選曲とその順列・組み合わせ

 今回のコンサートは、オープニングを除いて3ステージ約20曲が歌われましたが、ステージ1では新しい曲を中心に、ステージ2ではわらべ歌を合唱曲にして聞かせ、ステージ3では音楽劇、ソロ、アンサンブル、愛唱歌という選曲と順列・組み合わせで行われましたが、この選曲とその順列・組み合わせは絶妙でした。ステージ1では、「青い地球は誰のもの」以外は比較的新しい合唱曲でしょうが、この中からきっとこの合唱団だけでなく、日本の児童合唱団の定番曲が生まれることでしょう。ステージ2は、幼い頃耳にしたことのある単純な旋律のわらべ歌を合唱曲に編曲することで、面白く聴かせることができるというステージで、ステージ3で歌われたこの合唱団のアンサンブル定番曲「はくさいぎしぎし」「からすかねもん勘三郎」「一番はじめは」につながっています。ステージ3は、「ないた赤おに」の音楽劇で始まりました。これは、2人ずつの赤鬼と青鬼の衣装を着けた団員の歌を中心にした視覚的にも楽しめるものです。これは、この合唱団がただ合唱曲だけでなく、ミュージカルや音楽劇を通して、合唱曲にふさわしい振り付けを研究してきた成果と言えます。合唱曲における身体表現は自然さが何よりです。また、この合唱団の特色の一つは、ソロを採り入れることです。カッチーニの「アヴェ・マリア」と呼ばれている曲は 、最近ではソ連のウラディーミル・ヴァヴィロフの作曲であることが明らかになってきましたが、ソリストの少女は、曲の山場づくりを工夫して情感豊かに歌い上げました。これまで、トップソリストとして活躍してきた松野孝昌君は、曲の紹介の声から既に変声期に入っていることがわかりましたが、この日は、ロイド・ウェッパーの「ピエ・イエズ」を歌いました。約2年間、松野君のボーイ・ソプラノの一番きれいな時期にその歌声に接することができたことは幸福でした。
 多くの人にとって親しみのある、「気球にのってどこまでも」「線路は続くよどこまでも」「さんぽ」「野に咲く花のように」が連続してステージの最後に続くことは、聞き手に合唱に対する親しみと充実感を感じます。この日の大垣少年少女合唱団のコンサートからは、選曲とその順列・組み合わせがいかに大切かを痛感しました。

全日本少年少女合唱祭全国大会 守口門真大会
平成
17(2005)年3月26(土)〜27(日)門真市民文化会館ルミエールホール

 全日本少年少女合唱祭全国大会 守口門真大会が、ルミエールホールという近くで開催されたので行ってきました。鑑賞したのは桃太郎少年合唱団が出演する3月27日の第4ステージだけでしたが、桃太郎少年合唱団のご厚意で、棚田団長先生、浦池副団長先生と一緒に鑑賞できました。それに、OBのSatoruさんとも、出会うことができました。

   日本の児童合唱界の縮図
 第4ステージは、12団体が出場しましたが、いろんな意味で日本の児童合唱の縮図を見るような気がしました。人数の面から見ると、次の3点が目に付きました。
@ 20人クラスのところと、50人クラスのところに分かれること。
A 男子の比率は、せいぜい1割が相場で、少年少女合唱団と名乗りながら、全く男子がいないところがかなりあること。たった1人でがんばっている羽曳野少年少女合唱団員には、音楽とは別の感動がありました。
B 予想以上に男子は中学生・高校生まで残っているが、全般に小学校低学年が多く、ボーイ・ソプラノとして一番輝く小学校高学年の少年が少ないこと。
 次に、選曲という点から見ると、与えられた時間の中での2〜3曲で、団の持ち味を生かすことができたところと、印象が希薄なところがありました。また、いくつかの団が行っていた振り付けは、視覚的に面白いものと、やや嫌味と境を接するものに分かれました。さらに、制服の衣装は、そのまま街に出てもよいような気品のあるものに好感を持ちました。いかに舞台衣装とはいえ、多数派の女子の衣装に合わせて男子の衣装を定めたようなものは、男子の入団を阻害している要因の一つであると感じました。そういうことを指導者の先生は考えているでしょうか。やはり、制服はかっこいいと思わせるようなものであってほしいものです。これらは、日本の児童合唱界全体の課題でもあります。

   強烈なインパクト
 この日一番強烈なインパクトを受けたのは、まるで仙人のような容貌の坪口純朗先生に率いられた福井ソアーベ児童合唱団。坪口先生の名前は、かつてHP「児童合唱頁」の山本哲さんとチャットで話し合う中で出てきたので注目していましたが、いやはや聞きしに勝る強靭な統率力でした。アナウンスが「遅刻、早退、欠席自由・・・」などと甘いことばかり紹介するものですから、額面通り受け取った子どももいたりして、「いいなあ〜」なんて思ったかもしれませんが、これは、練習を休む気にならないほどの魅力を持っているからこそ豪語できる言葉でしょう。
 演奏されたのは、フリースの「子守唄」と、「サラスポンダ」の2曲。「子守唄」は、オブリガートソロのマイクの音量が大きすぎて、バランス的にどうかなと不安に思いましたが、一度聴いたらいつまでも耳に残るその印象は、2〜3年前に流行した「おさかな天国」を思い出させ、忘れられません。また、「サラスポンダ」の振り付けは、曲想と一致しており、合唱による舞台演出はここまで可能であるという典型を示してくれました。男子もここは約2割ほどおり、小学生はもとより、高校生ぐらいに見える団員までも全員半ズボン姿だったので、最初は「そこまでやるか。」とも思いましたが、歌が始まると、歌と舞台に打ち込む団員の「本気」を感じてそういうことが気にならなくなりました。

   静と動のコントラスト
 桃太郎少年合唱団は、棚田団長先生の指揮による合唱組曲「あしたの灯」より「祈り」と「地球の歌」の2曲。静と動のコントラストがくっきりと描かれた演奏でした。「祈り」は、ほの暗い中に小さな灯が灯る繊細さが際立っていました。また、「地球の歌」のうきうきするような躍動感は、これと対峙していました。しかし、「祈り」は、終曲の「今始まる」とつながってこそ、さらに生きるのではないでしょうか。この曲の初演を聴いたとき、「祈り」と「今始まる」は、シベリウスの交響曲第2番の第3楽章と第4楽章の曲想に近いという印象をもちましたが、この有機的なつながりこそがこの曲の命であることを再確認しました。しかし、これは時間の制約の問題です。できれば、全曲が聴けなくても「地球の歌」「祈り」「今始まる」の順で3曲を聴きたいと思います。
 会場で桃太郎少年合唱団の歌声に接した人は、少年の声は、磨けばここまでなるのかということに驚かれたでしょうし、柔らかでも平べったく聞こえる少女の声との違いを痛感されたことでしょう。桃太郎少年合唱団に変な振り付けや小細工は必要ありません。歌そのものを正面から聴かせてほしいと思います。しかし、長丁場の定期演奏会などでは、ステージによって上着を着脱するだけでなく、団員の立つ位置を変えるなどの工夫をすべきだと感じます。いつも同じ位置に同じ少年がいるというのは、見る立場からすると単調に感じます。合唱音楽といえども舞台芸術ですから、視覚的な要因は大切です。

 そのような課題を感じながらも、各合唱団が井の中の蛙にならないためにも、全日本少年少女合唱祭全国大会を開催することは、価値あると思いました。

第33回 全日本少年少女合唱祭 西宮大会 
平成26(2014)年3月28日(金)〜29日(土) アミティーホール


第1ステージ 28日 10:30〜12:30 北九州少年合唱隊
第2ステージ 28日 13:30〜15:30 広島少年合唱隊 呉少年合唱団
第3ステージ 29日 10:30〜12:40
第4ステージ 29日 13:30〜15:40 桃太郎少年合唱団

 
   ステージの構成

 会場入り口では、西宮市のゆるキャラ「宮たん」が歓迎に来てくれました。さて、どのステージも、最初に西宮少年合唱団OBでフリーアナウンサーの樋口さち江さん司会のあいさつがあった後、西宮市長はじめ大会実行委員長等のあいさつがありました。続いてホストの西宮少年合唱団(名前は少年合唱団でもこれは、青少年の少年という意味で、女子が約9割を占める少年少女合唱団)団員のリードによって、歌のエール交換というプレオープニングと、各団の代表8名ぐらいが舞台に上がって、全員合唱で「ドナ・ノービス・パーチェム(地に平和を)」を輪唱しました。その後、メインの各団持ち時間7分を使った演奏が9〜12団体続き、最後にエンディングの全員合唱「すてきだな 不思議だな」で終わるという構成になっていました。ここでは、参加した4つの少年合唱団(隊)の演奏について紹介します。

   ミュージカルの片鱗を見せた北九州少年合唱隊

 第1ステージの最初に登場した北九州少年合唱隊12名(2曲目からは13人)は、先ず、「リベラ」の歌で有名になったNHK土曜ドラマ「氷壁」の主題歌「彼方の光」をソプラノとバリトンのソロを中心にした編曲で隊形移動を含めた曲に紡ぎあげました。これは、北九州少年合唱隊の持ち味を生かした演出で、ボーイ・ソプラノが浮き出るような演奏でした。続く「Stand Alone」は、司馬遼太郎原作のの「坂の上の雲」のNHKドラマの主題歌で、これまたあまり児童合唱としては採り上げない曲が選ばれました。これは、歌詞のごとく凛とした演奏でした。このような選曲もまた、北九州少年合唱隊の一側面をよく表しています。3曲目の「宇宙戦艦ヤマト」は、持ち歌の一つで、隊形移動しながらこの歌を力強く構成していきました。指揮の井上博子先生は、定期演奏会ではいつもミュージカルの指揮をしておられますが、今回初めてそれ以外の指揮を見ることができました。このステージからもミュージカルの片鱗を見ることができました。帰りがけの隊員たちに、「演奏よかったよ。女装がなかったのが残念でした。」と声をかけましたが、このジョークわかってくれたでしょうか。

   歌のメッセージが伝わってきた広島少年合唱隊

 第2ステージの3番目に登場した広島少年合唱隊24人は、平田昌久隊長先生の指揮で「大切なもの」と「雨のちハレルヤ」の2曲。「大切なもの」は、この歌詞のもっている根源的な友達への信頼感や大切なものへの気付きの素晴らしさなど、隊員がこの歌詞に本当に共感して歌っていることが伝わってきました。「大切なものに 気づかないぼくがいた」というこの詩の目玉ともいうべき言葉が浮かび上がり、混声合唱としてもきれいなハーモニーで、最近聴いた広島少年合唱隊の歌としては、歌のメッセージがよく伝わってきたという点でもベストと言えるものでした。2曲目の「雨のちハレルヤ」は、NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」のテーマ曲で、テレビから流れるのを聞くだけなら元気の出るよい曲なのに、かえってコンサート会場でじっくり歌詞を味わいながら鑑賞すると、元気さは伝わってきましたが、「晴れ」と「ハレルヤ」の掛け言葉がかえってこの歌の心を浅いものにしているのではないかと感じてしまったりします。そういう意味では、この歌を感銘あるものに創り上げていくことの方が難しいのではないでしょうか。ただ、最後の「ハレルヤ!」の部分はたいへん心に残る歌声でした。

   澄んだ声質が生かされていた呉少年合唱団

 続いて、4番目に登場した呉少年合唱団29人は、昨春のウィーン少年合唱団との共演をきっかけにこれまでの歌声そのものを見直し、その指導の成果を秋の定期演奏会にも披露していました。4か月ぶりに聴く「ゆかいに歩けば」は、昨秋の好調を維持・発展させ澄んだ声質で、2番の前半を抑え気味に歌い後半大きく歌いあげているところや、「ヴァルデリー ヴァルデラー ヴァルデロー ヴァルデ ロホホホ ホホ ヴァルデリー」という部分がせり上がるように次第に高まっていくところなど(最初「みんなの歌」で、この部分を聞いたときの驚きは今も忘れておりません。)完成度の高い歌を聴かせてくれました。続く「いのちの歌」も、花の命や町の命など小さな命をみつめることで生きることの価値をじっくりと考えさせてくれる歌で、澄んだ声質が生かされており、呉少年合唱団にとってのこの1年がいかに価値ある1年であったかを感じることができました。

   マシュマロサウンドに変わった桃太郎少年合唱団

 桃太郎少年合唱団の歌声をヨーロッパ的な金属的な響きの少年合唱団と固定的に考えていた人にとっては、この日の演奏はかなり違う歌声に変わったことに驚かれたのではないでしょうか。高野敦先生が指導陣に加わってから、曲想に応じた歌声ということが一つのコンセプトになったように思います。この日歌われた一見何のつながりもないように思われるこの3曲の作詞あるいは作曲をされた岩谷時子さん、やなせたかしさん、三善晃さんは、昨年(平成25年)逝去されました。この日の演奏は、この3人の方を偲んで選曲されました。「空がこんなに青いとは」は、うれしい驚きが、あこがれに満ちた声で歌われました。「夕焼けに拍手」では、もっとさわやかで活力のある声で拍手と共に歌われました。「雪の窓辺で」は、流麗な伴奏に乗ってふんわりとした歌声で、雪を散る花びらになぞらえたような雰囲気を醸し出していました。雪国に住む人にとっての雪には、厳しさという側面もあるでしょうが、この歌で歌われる雪はひたすら、ふんわりとしているのです。このようなソフトなマシュマロサウンドこそが、桃太郎少年合唱団の新しさです。ただ、21人という人数は、70人台を維持していたころを知っているだけに、ふと、この歌がそれぐらいの人数で歌われたらどうなるだろうという想いがよぎりました。

   男子率0%〜25%が相場

 この大会に参加した各団の人数は、全員が参加したところばかりではないので、本当のところはわかりません。ある特定の学年だけが参加したところ、上級生だけが参加したところ、希望者だけが参加したところなどいろいろでしょう。しかし、少年少女合唱団・児童合唱団と呼ばれている合唱団の男子率は、0%〜25%、平均10%ぐらいでした。どこも決して男子を排除しているわけではないでしょうが、0%のところに男子が一人だけ入団希望することは、たいへん勇気のいることです。また、かつては男子がいたけれど、だんだんいなくなったところもあるでしょう。少年合唱団が少年少女合唱団になったところや、少年少女合唱団が少女合唱団になったところもあるかもしれません。そのような意味でも、日本において少年合唱団を応援することは意義あると考えます。また、確かにこのような大会に参加することで、他の合唱団から選曲・発声・表現の工夫・振り付けや動きなど学べることはあるでしょうが、指導者の理念によってその合唱団が、純然たる合唱をめざすのか、ミュージカル志向なのかによっても、発声や選曲も変わってくるでしょう。2日間いろいろなことを学び、感じました。 


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少年少女合唱団