宝塚市17回花と緑のフェスティバル
平成20(2008)年4月26日  末広中央公園野外ステージ


 毎年、4月29日前後に開かれている花と緑のフェスティバルも、今年は年を重ねて第17回を迎えます。不思議なことにこの日は雨が降らないそうです。10時15分頃、会場の末広中央公園の野外ステージに入ると、木の下で、辻先生が最後の指導をされているるところに出会いました。しかし、今年は、何となく人数が少なそうのがちょっと心配です。

 座席を確保すると、大人の女性による「よさこいそうらん」の真っ最中でした。10時35分頃登場したボーイズ・エコー・宝塚は、数えると12名。(6人欠席だったそうです。)このところ20人台を確保していただけに、ちょっとさびしい感じがしました。司会者の紹介で、
「ボーイズ・エコー・宝塚はこのイベントに毎回登場していますから、初期に登場した団員はもう成人されているでしょう。」
と。
 この日は、マイクや音響の調子がよいためもあって、歌い始めるとすぐに、これは男の子だけの声だとわかりました。また、声部のバランスもよく、特にオブリガードの魅力も伝わってきました。この日の歌は、「団歌」「おお牧場はみどり」「化石の恐竜」「ねずみがちょろちょろ」「かもつれっしゃのうた」「線路は続くよどこまでも」「汽車」「しあわせ運べるように」の8曲。やや、選曲に統一テーマが感じられませんでしたが(こういう聴き方をしているのは、私を含めごく少数派であろうと思われます。)ボーイズ・エコー・宝塚の歌の多様性を聴こうとする人には、30分近くまとまって聴くことができて楽しめたと思います。

 解散してから、東京から来られていた道楽さんや指導の先生方と話し合う時間をがありました。6年生が6人卒団して高学年の比率が低くなり、人数的にも厳しいところもありましが、これは必ず何年かに1度あること。6年前のほうがもっとピンチでした。まだ、新学期が始まったばかりですから、団員獲得はこれからですよ。一度やめてもまた戻ってくる団員もいるそうですから、頑張ってください。等と話しながら別れました。


第42回宝塚市民合唱祭
        平成20(2008)年11月3日(月) ベガホール


 毎年11月3日(文化の日)に行われる宝塚市民合唱祭も、第42回を迎え、出場団体も42団体と増え、2日と3日の2日に分けて行われることになりました。中安先生から、お葉書で今年は8人入団しましたが、当日は5人休みですというご連絡をいただいていました。
 今回のボーイズ・エコー・宝塚の出場は、3日の最初から4番目ということで午後12時半ごろに会場の宝塚ベガホールに着きました。まばらだった席も1時前にはほぼ完全に埋まり、雲雀丘チロルエコーの混声合唱で始まりました。指揮の林誠先生は関西を代表するドラマティックテナー。私が20代の頃は、関西歌劇団でよくその舞台を拝見したものですが、最近は指揮者としてのお姿を拝見することの方が多くなってきました。
 お目当てのボーイズ・エコー・宝塚がはっぴ姿で登場すると、1列15人。顔と名前が一致しない団員が多いのがちょっと寂しいです。今回は、「海の歌」がテーマで、イタリア民謡の「海は招く」、日本民謡の「そうらん節」「金比羅舟々」の3曲。「海は招く」を最初に聴いたのは、エンリコ・カルーソーの豪放な独唱だったので、その後日本語訳の児童合唱を聴いたとき、合唱曲になるとこんなにも繊細になるのかと思ったものですが、この日のボーイズ・エコー・宝塚は、日本語訳にあったようなオブリガードの美しいきめの細やかな仕上がりでした。しかし、「そうらん節」となると、海の男の力強さを感じるところまでいきませんでした。こんなことを言うのも、先日「題名のない音楽会」で、佐渡裕がフレーベル少年合唱団を指導しているところを見たせいかもしれません。「金比羅舟々」は、前半は歌詞がはっきりしない部分もありましたが、後半になって合唱部分がかみ合ってきて盛り返してきました。
 日本民謡は、もともと合唱曲ではないので、編曲が少年合唱に向いているものを選ぶことが第一だと思いました。今、約30年前に録音したビクター少年合唱隊の「天使のハーモニーシリーズ5」を聴いています。2枚目のB面には合唱曲になった「そうらん節」「金比羅舟々」が歌われています。オーケルトラ伴奏のそれらの歌は、ボーイ・ソプラノ声を前面に出した編曲でした。
 3月の定期演奏会まで、どう完成度を高めてくれるか楽しみにしています。

第24回定期演奏会に寄せて


 ボーイズ・エコー・宝塚のみなさん 第24回定期演奏会おめでとうございます。

 この1年間の日本における少年合唱界を振り返ると、かつては、3年に1度だったウィーン少年合唱団の来日が毎年になり、日本人団員も毎年凱旋帰国したり、リベラのオリジナル曲が映画の主題歌として使われて脚光を浴びる一方、日仏修好150周年記念として来日したパリ木の十字架少年合唱団の日本公演は関東で3回だけと、世界の聖歌隊や少年合唱団の来日は総じて少なくなってきた感がします。日本の少年合唱団に目を移しましても、南関東の3団体を除けば、地方の少年合唱団が創立50周年を前に人数的に一層厳しい状況が続いています。

 さて、ボーイズ・エコー・宝塚は、今年創立25周年を迎えます。四半世紀は、一つの大きな歴史の区切りになります。その間一貫したポリシーをもって、指導に当たってこられた指導者の中安保美先生、辻潤子先生の献身的なご労苦に思いをはせると共に、団員の少年たちは、誇りをもって今だから出すことのできるボーイ・ソプラノの歌声で6年生の卒団まで歌い続けてほしいと願っています。

 今日のプログラムを見ると、「崖の上のポニョ」が目をひきます。大橋のぞみは、昨年末の紅白歌合戦に、河野ヨシユキ(昭和29(1954)年)、萩原舞(℃-ute/平成18(2007)年)の11歳を更新し9歳での史上最年少出場しました。河野ヨシユキ以来ボーイ・ソプラノが紅白歌合戦に出場していないことを考えると、もしも、ボーイ・ソプラノが出場すれば、ボーイ・ソプラノに世の注目が集まり、全国の少年合唱団の入団希望者が増えるのではないかと考えたりします。今日のボーイズ・エコー・宝塚の歌には、少年が表現してこそ生きる歌の数々が並んでいます。楽しんで味わって至福のひとときを過ごしたいと思っています。


ボーイズ・エコー・宝塚 第24回定期演奏会
        平成21(2009)年3月15日 宝塚西公民館


 今年も何とか、ボーイズ・エコー・宝塚の定期演奏会に駆けつけることができました。土・日にも公務が入る私にとっては、最近ではこのコンサートに行くことさえ奇跡というか薄氷を踏む思いです。プログラムに目を通すと、今年も団員は23人と20人の壁を越えることができました。しかし、1・2年生が多い文字通り底辺の広いピラミッドの年齢構成です。この10年間、ボーイズ・エコー・宝塚は、このような状況を繰り返しながら団員を育ててきました。満席となった客席の中でも目をひいたのは、10代のOBたちでした。OBたちは、現団員の家族とは違ったまなざしでステージを見つめています。そこには、自分たちが守り続けてきたものを守り続けてほしいという願いさえ感じました。

   楽しさが伝わるには

 この日は、団長の橋本君の指揮する団歌でコンサートはスタートしましたが、「ぼくたちの好きな歌」と題された第1ステージは、のどがまだあたたまっていなかったせいか、1曲目の「崖の上のポニョ」は楽しさ爆発とまではいきませんでした。しかし、3曲目の「トレロ・カモミロ」ぐらいから楽しさが直接客席に伝わるようになってきました。

   「海の少年」

 第2ステージは、古今東西の海にちなんだ曲を集めたステージでした。去年が「山」だから、今年は「海」といった安易な選曲ではありません。「海の男」という言葉は、力強さやたくましさを象徴しますが、このステージで少年たちが示したのは、「海の少年」という言葉がふさわしいさわやかさでした。それは、「そうらん節」や「金比羅ふねふね」よりも「海のマーチ」や「海はまねく」のような歌で顕著でした。少年でなければ表現できない美をそこに感じました。アルペジオの伴奏が流麗な「浜辺の歌」も、曲想をよくつかんではいましたが、1番と2番の歌詞を間違って覚えている団員がいたため、この歌の生命を生かし切れなかったのが残念です。

   ドラマを感じるステージ

 第3ステージは、「汽車の旅」と題する「汽車」にまつわる歌を集めたステージでした。まさか、1曲目の「鉄道唱歌」を長時間かけて最後まで歌うとは思っていませんでしたが、それは兵庫県を中心にあっさり終わりました。その後は、古今東西の汽車にちなんだ曲で盛り上げながら「3つの汽車の歌」という駅の放送を採り入れた曲で締めくくるという舞台構成のおもしろさを味わえるステージでした。その中で、1年生4人にも活躍の場を与えて育てるという意図を感じることができました。

   どんな少年を育てるのか   

 ボーイズ・エコー・宝塚の定期演奏会の開催される時期は、卒業式の時期とも重なります。小学校では6年かけてどのような子どもを育てるかということが問われますが、それは、小学生だけが団員であるボーイズ・エコー・宝塚でも同じことです。この日、ボーイズ・エコー・宝塚は3人の卒団生を送り出しました。一世代前ならともかく、今はかなり多くの少年たちがこの時期に変声期にぶつかります。合唱団によっては、ソロはボーイ・ソプラノの最盛期の少年にだけさせるところもあります。しかし、ボーイズ・エコー・宝塚では、変声も少年が人間として必ずぶつかることであり、それにどう向き合うかも成長の節目として大切なことだと考えて卒団生全員に独唱をさせます。
 よいムードメーカーに成長した荒木将太君は、歌詞に感動したという理由で「Beliebe」を歌いました。後半になってその持ち味を発揮できたと思います。堅実な井野将暢君は、時間の関係でコンサートで省略された「マイ・バラード」をファルセットを駆使しながらこの歌のもっている根源的な感動を引き出すように歌いました。4年生ぐらいまではキラキラ輝くような話し声だった橋本直弥君は、今では音域の広いメッツオ・ソプラノで「サウンド・オブ・ミュージック」を歌い上げました。ご卒団おめでとうございます。

   語り継ぎたいこと

 「平和をねがって」も、ここ数年の定番になってきましたが、戦争や災害の中で人がどう生きてきたかということは、必ず語り継がなければならないことだと思います。そういう思いで聴くと、「鉄腕アトム」もただ元気のよい歌ではないことに気付きます。「さとうきび畑」では、4年生たちの個性的なソロを聴くことができました。阪神・淡路大震災からの立ち直りを歌った「しあわせ運べるように」は、もうこれを聴かなければ、ボーイズ・エコー・宝塚の定期演奏会に来た気がしないようになってきました。何度聴いてもこの歌には新たな感動があります。団長のバトンは、美質のボーイ・ソプラノの佐々野智博君に引き継がれました。この引継ぎ式も、ボーイズ・エコー・宝塚の定期演奏会の大切な儀式となってきました。
 コンサート終了後、佐々野君に、「あとをよろしくお願いします。」と頭を下げたら、「はい。」という美しい声が返ってきました。おじさんから突然こんな声をかけられてびっくりしただろうなあ。でも、そういうステージの上と下の距離が短くて直接交流ができるところが、ボーイズ・エコー・宝塚のよさなんですね。来年は春分の日ごろに第25回定期演奏会が開かれることを願いながら会場を後にしました。

ボーイズ・エコー・宝塚17