ボーイズ・エコー・宝塚は、日本の児童合唱、とりわけ、少年の発声に関する指導における日本の先駆者である品川三郎のもとでピアノ伴奏をしていた高弟の中安保美によって、昭和59年7月11日に創立され、小学生男子だけを団員とする少年の発声特有のボーイ・ソプラノをめざし。練習の成果を市や地域の催し、福祉施設で聴いていただき、歌を通して大勢の人と出会い様々な体験をするという理念のもと活動を続けています。指導者は、創立以来、中安保美(指揮)辻潤子(ピアノ伴奏)の2人体制で行ってきました。練習場所は、次第に変わってきましたが、平成25年度では、毎週水曜日午後3:00ー4:30 宝塚小学校 毎週木曜日午後3:00ー4:30 第一小学校で行っており、他市から参加する団員もいましたが、練習時間の関係もあって最近ではほとんどその2校の児童が団員となっています。
レパートリーとしては、世界の名曲・民謡、みんなの歌系のもの、ディズニーもの、 サウンド・オブ・ミュージックの曲、手塚治虫の漫画テーマ、日本の子どもの歌、日本歌曲など、鑑賞するにあたってあらかじめ予習をして来なくてもすぐに聴いてその曲の本質に触れることができる選曲をしています。これは、少年合唱を広めるという意味では価値ある方針だと思います。団員は、創立した当初は、次第に増加して47人にまでなったこともありますが、その後10人台前半から20人前半の間で推移してきました。平成26年度は4人となりましたが、その厳しい状況の中で定期演奏会を行い、現在は休団となっています。関西地方唯一の少年合唱団として今後、その存続・発展のためには、団内部の創意工夫と同時に行政を含めた各方面からの支援が求められています。
「ボーイズ・エコー・宝塚」の名前を初めて知ったのは、平成11年の初詣で清荒神に行ったときです。広報掲示板の新春コンサートのポスターに他の音楽団体に混じってこの名前が書いてあったのです。名前からして、少年だけの合唱団らしいという感じがしたのです。たいていの大きな市には少年少女合唱団があります。しかし、名前は「少年少女」合唱団でも、たいてい少女がほとんどの合唱団です。日本に少年だけの合唱団の数は全国に数えるほどしかありません。その理由としては、次の三つが挙げられましょう。第一には、外で遊びたい盛り、いわゆる腕白時代の少年に長期間にわたる歌唱訓練が好まれないことです。歌とスポーツを二者択一するとき後者を選ぶ少年が多いと考えられます。第二には、最近ではかなり解消しましたが、ボーイソプラノを「女みたいな声」だと言ってからかうような風潮がまだ残っているということが挙げられます。同世代の少年に認められるかどうかということは、この年齢層の少年にとっては、重大なことです。小学校においても、コーラス部に男子部員が集まりにくい理由の一つがそこにあります。第三には、最近の少年の変声期が非常に早くなったため、実質的に歌える期間が、短くなってきたということも挙げられましょう。声は、訓練によって鍛えられても、音楽性は人格の発達と密接な関係をもち、急には高められません。いわゆる「歌心」は、その少年が持つ素質的なものに加えて、人の喜びや悲しみを感じる心が育っているかどうかによって違ってきます。美しいものを美しいと感じる心のない少年に、声の力だけで、人の心を動かすような歌を歌うことはできません。それだけ少年を集めてその歌声を育てることは難しいのです。
関西にも少年合唱団があるのだろうか、あったらうれしいなと思ってきましたが、忙しさにまぎれ放置してきました。ところが、インターネットを通して全国各地はもとより海外にも少年合唱ファンの友達ができるに至って、再び少年合唱への関心が高まってきました。
平成11年の初詣で清荒神に行ったとき、ポスターを注目していると、「ボーイズ・エコー・宝塚」の名前の入ったポスターを発見しました。そこで、ぜひ一度見て確認したいものと思って、べガ・ホールの第16回宝塚ニューイアーコンサートに行ってきました。出番が少なかったのが残念でしたが、少年達のやさしく美しい歌声を聴くことができてとても嬉しかったです。
あんまり嬉しかったので、面識がないのにかかわらず、プログラムに載っていた指導者の中安保美先生のおうちにお電話して感動の言葉を伝えました。中安先生はたいへん喜んでくださって、これまでの演奏会のプログラムなどを私に送ってくださいました。それによると、レパートリーは広く、世界の名曲・民謡、みんなの歌系のもの、ディズニーもの、サウンド・オブ・ミュージックの曲、手塚治虫の漫画テーマ、日本の子どもの歌、日本歌曲など多彩です。15年の歴史の中で常にいろんなことにチャレンジしておられます。また、音楽劇があるのも特色です。
中安保美先生は、児童発声の権威品川三郎先生の流れをくむすばらしい気骨のある教育者です。品川先生の名著「児童発声」は、昭和30年に音楽の友社から発行され、当時の音楽教育をリードしました。中安先生の情熱によってこの少年合唱団は支えられています。
前掲したことだけでなく、少子化、受験という大きな社会的問題や、わがままと個性の区別がつかなくなり、みんなと揃えて協調することを罪悪視するような今の日本の悪しき風潮の中で、少年合唱団を運営するのはたいへん難しいと思います。事実、「ボーイズ・エコー・宝塚」でも、団員の確保と音楽的水準の向上という課題は常に大きいと聞きます。その厳しい状況の中で少年合唱団の灯を掲げ守り通しておられることは素晴らしいことです。数年間だけ与えられたボーソプラノの美に気づかないで過ぎる少年が何と多いことでしょう。少年の日に美しいものを美しいと感じる心を育てたり、仲間と協力して一つのものを作り上げる喜びを知ること、また、規律ある凛とした態度を身につけることは、一生の宝となります。価値観の混乱した今の日本で、少年達に美しい精神を植え付けるためにも、「ボーイズ・エコー・宝塚」の発展を心から祈念するものです。
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