ウィーン少年合唱団 2008 日本公演
平成20(2008)年5月18日  大阪 ザ・シンフォニーホール


  いったい何年、ウィーン少年合唱団のコンサートから遠ざかっていたのだろう。毎年来日するという甘えが、そのステージから足を遠のかせていた。というより、私の関心が、日本の少年合唱団に移行していたのが最大の原因かもしれない。これは怠慢である。その間、いろんな意味でウィーン少年合唱団は「進化」し続けた。本来の宗教音楽を墨守することなく。それは単に第2部のオペレッタを除いた構成の変化というだけではなかった。観客を楽しませることにも留意しながら、アップテンポの演奏によって現代の観客のニーズに応えようとしていた。しかし、それは、本来この少年合唱団がもっていた典雅な響きという美点が希薄になることにもつながっていた。「流浪の民」にそれははっきりと現れていた。優雅なワルツよりも軽快なポルカのほうが似合うような雰囲気になっていた。これがよいのか悪いのか今すぐに評価することはあえて避けたい。それは、観客一人一人が評価することだから。

 このコンサートでは、ソプラノが多くアルトが少ないという構成をどう解消するかも課題であったが、曲のたびにソプラノをアルトに移すことによってそれを解消しようとしていた。また、マヌエル・メルト君という変声期直前の爛熟したボリュームのあるトップソリストを前面に出すことによって、コンサートの盛り上がりをつくっていた。こういうソリストに重きを置く曲づくりは、飛び抜けたソリストであったマックス・エマニエル・ツェンチッチが団員のときでさえあまり行っていなかった手法である。そういうこともあって、このコンサートから従来の、ウィーン少年合唱団のもつウィーン情緒を感じることは少なかったが、観客を楽しませるステージづくりという意味では、満足度の高いコンサートであった。

 「ヒビキ・サダマツ」と呼ぶべきか「貞松響」と呼ぶべきか、私は未だに迷っているが、「ねむの木の子守唄」の一節で耳にしたその歌声は、一節だけからはオーソドックスで清楚なボーイ・ソプラノであるという以上のものは聞き取ることができなかった。これは、たった一節しか披露しなかったからで、中国公演における「旅愁」で聴く歌声には、さらに濃密な抒情性を感じることができた。

 「千の風になって」「浜辺の歌」など日本公演を意識した曲よりも、私はアンコールのアルゴリズム体操に心惹かれた。こんなことまでやってもいいの?という声もあっただろうが、二人以上が協力して成り立つという点では、合唱もアルゴリズム体操も同じこと。指揮者のアンディ・イコチェア・イコチェアまで一緒になってやるその姿には、師弟同行という精神的価値まで感じた。ナイジェリア出身の少年までチロルの民族衣装を着て踊る姿には、ウィーン少年合唱団もインターナショナル化したなあと思いながらも違和感を感じなかった。ウィーン少年合唱団は、確実に新たな道を歩み始めている。

ウィーン少年合唱団 2009 日本公演
平成21(2009)年5月30日  大阪 ザ・シンフォニーホール


  カイ・シマダ、ヒビキ・サダマツと毎年日本人団員が来日するようになって、もう日本人であるというだけでは「売り」にならないと思っていたら、今年は、日本人団員が2名で、しかもトップソリストが日本人というウィーン少年合唱団の日本公演向きのメンバーの構成でした。しかし、名前の表示がシンタロウとマサヤというのはいかがなものでしょうか?前の二人が苗字を公開されることで何らかの迷惑をこうむったのではないかと、よけいな想像までしてしまいます。
 
 昨年もそうだったのですが、大阪のザ・シンフォニーホールは、幕がないステージなので、団員が1曲目を入場しながら歌い、舞台の定位置に立つという演出は、拍手で歌声が消えてしまうのであまりよい演出とは思いません。

 今回のAプロではトップソリストのシンタロウ君がソロと曲目の解説までやって大活躍。しかし、その歌声は、去年のマヌエル君のような爛熟した太い線のものではなく、正統派の高音から低音まで均一の響きをもつものでした。ただ、それは、私の耳になじんだ優雅で甘いウィーン情緒をもった女声に近いウィーン少年合唱団の歌声と言うよりは、日本とヨーロッパが融合したような澄んだ細めの少年の声でした。日本にもこういう声質の少年はいると思います。ただ、これだけ出番が多いと集中力を維持することが難しいのかもしれません。今回はシンタロウ君をはじめ、ソリストは細めの声質の少年が多かったように思います。マサヤ君の声は最後までわかりませんでした。

 第1部の宗教曲は音の重なりや響きを楽しむことができましたし、第2部の日本の歌を含むおなじみの曲では、民族舞踊を入れたりしながら楽しませてくれました。とりわけ、「荒城の月」は、発音に外国人なまりがあまりなくウィーン流の発声で聞くことができ大満足です。今回のメインであった「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」は、作詞・作曲者のアンジェラ・アキと年齢に近い少年たちによって歌われることで、感じるものもありましたが、何かきれいに流れていくだけという感じも残りました。その点ポルカやワルツはお手のものでした。ただ、これは昨年も感じたことですが、全体にアップテンポで、ウィンナ・ワルツにおいて優雅なウィーン情緒を感じることは少なかったというのが正直な感想です。これも、時代が求めるものなのでしょうか。
 こうなったら、数年追いかけてみようかなと思わせる今年のウィーン少年合唱団の日本公演でした。


ウィーン少年合唱団 2009 日本公演
平成21(2009)年5月31日  大阪 ザ・シンフォニーホール


ウィーン少年合唱団のステージには、AプログラムとBプログラムがあることはずっと以前より承知していましたが、両方を聴き比べたのは初めてです。しかし、Aプロではトップソリストのシンタロウ君がソロと曲目の解説までやって大活躍していたのに比べ、Bプロではシンタロウ君は曲目の解説だけで、ソロは一切なし。(Aプロばかりだと、疲れ切ってしまうから配慮だということはわかるのですが、シンタロウ君のソロを期待して会場に来た人にとっては、ちょっとがっかりのステージだったかもしれません。
 しかし、その代わり、最近のウィーン少年合唱団らしい取り組みにも接することができました。それは、アメリカのヒットメドレーで、舞台上をけだるそうに歩きながら、時にはピアニストの先生の肩に手を置きながら団員の少年が歌う姿は、かつてのウィーン少年合唱団らしくないことでした。儒教文化で育った私からすると許せない傲慢な態度でもあるのですが、そういうことをしなければ生き残れないという切実さも同時に感じました。古いよきヨーロッパ文化が崩れていっていることを感じました。1曲終わるごとに礼儀正しく挨拶するウィーン少年合唱団の少年たちの「ぎこちなさ」にあこがれていた私は複雑な想いでした。アップテンポのウィンナ・ワルツもこういう感性の中から生まれてきたのでしょう。それはウィーン少年合唱団のインターナショナル化ともつながるのでしょう。
 去年のステージのアルゴリズム体操を素直に受け容れることができた私は、この日のBプログラムにそのような複雑な割り切れなさを感じたのでした。


ウィーン少年合唱団 2013 日本公演
平成25(2013)年5月25日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール


 4年ぶりに聴くウィーン少年合唱団のステージ。2ステージ制がすっかり定着してきているので、鑑賞する方の視点もその年の組の特色は何だろうというように変わってきました。今年は、個性の強いソリストはいませんでした。全体的にソプラノのパートは繊細な音色でしたが、アルトのパートは、本当のアルトと変声中・あるいは変声後の団員が混じっていて、ファルセットと地声が聞こえてくることもありました。こんなことが見えてくるのも、今年は、団員が交代で曲の題名を言うために、アルトの体格の大きい団員は変声中・あるいは変声後ということが話し声からわかってしまうのです。10歳〜14歳という団員の年齢は、ウィーン少年合唱団が再出発した第一次世界大戦後ならほとんどみんな変声前だったでしょうが、早熟化が進んだ現代では13〜14歳の団員は変声期にかかって当然で、この辺りにも、少年合唱団の育成の難しさを感じました。4年前に里帰りしたマサヤ君が再び参加ということでしたが、マサヤ君も変声していました。しかし、声が変わったら退団という教育的には残酷と思うことはなくてよいのですが。

 ウィーン少年合唱団は、古典の宗教曲を除いては、ほとんどアップテンポのせっかちな演奏になっており、ワルツがポルカ調になってウィーン情緒に欠けるところが気になりました。「楽に寄す」を歌ったソリストのアッシャー君は、どの音域も安定して美しい響きを聞かせてくれましたが、もう少し一節一節を伸ばして歌うとさらによくなるのにと感じました。このようなアップテンポ化は、現代という時代が求めているものなのでしょうか。むしろ、「ア・ワンダフル・デイ」や「愛を感じて」といったアメリカのミュージカルを英語で歌ったほうがはまっているという感じさえ受けました。これは、指導者を含むウィーン少年合唱団のインターナショナル化の影響とも言えるかもしれません。ただ、舞台の演出としては、打楽器あり、ヴァイオリンあり、トランペットの独奏あり、民族舞踊ありと楽しめる要素が多くありました。「鍛冶屋のポルカ」は特にインパクトがありました。また、今回Aプロ・Bプロの両方で歌われた「花は咲く」と「ふるさと」は、団員が舞台そででガーベラの花を受け取ってステージ前方で一列に並んで歌いましたが、これはオーソドックスな編曲でゆったりとした清澄な響きで、日本語も自然な発音で、心にしみる演奏でした。それと比べると、「となりのトトロ」は、編曲にあくの強さを感じました。楽しめる舞台でありましたが、音楽は時間の芸術ですので、もっとゆっくりと流れる時間がほしかったという想いもあります。


ウィーン少年合唱団 2013 日本公演
平成25(2013)年5月26日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール


 AプログラムとBプログラムでは、かなり内容が違うということは、4年前にも感じたことでしたが、今年の演奏ツアーにおいては、Aプログラム20回に対してBプログラムは8回と5:2の比率になります。しかも、Bプログラムの公演は東京とその周辺がほとんどですので、このステージに接することができるのは、貴重と言えるかもしれません。
 特に、この日は、2人のソロを聴くことができたのが収穫でした。1曲は、昨日と同じアッシャー君の「楽に寄す」でしたが、ミヒャエル・D・ミチ君のフランクの「天使のパン」は、かわいい声質でありながらエッジが効いた演奏で聴きごたえがありました。また、第1部ではシューベルトの「詩編第23篇」をはじめ、ヨーロッパの宗教曲は全体的に水準が高かったと思います。一方、世界の祈りの曲は、ジャンル的には民族音楽というべきで、インターナショナル化したウィーン少年合唱団ならではの選曲でしたが、エネルギッシュな歌であるにもかかわらず耳になじんでいないこともあって、意外に心に残らない選曲であったと思います。こういう曲を期待して来ている日本の客は少ないのではないでしょうか。
 シューマンの「流浪の民」で始まった第2部は、Aプログラムと重なりもありましたが、「ソーラン節」は、初めて聴く打楽器を駆使した編曲で、まだ団員歴の浅い日本人のマリオ君に掛け声の「どっこいしょ」の役割を与えるという演出が、いかにも日本の観客を意識したものを感じました。最後のステージとなるウィーンの名曲集ではヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル《永遠に》は、初耳でありながら、どこかで聞いたようなという旋律やリズムでした。これは、シュネル=速くですから、速くていいのですが、ワルツ「皇帝円舞曲」までがその影響を受けてしまいました。そして、また速い「トリッチ・トラッチ・ポルカ」へと突入。ということで、前日と同じようなことを感じてしまったのでした。これは、芸術監督のゲラルト・ヴィルト先生の好みなのでしょうか。それとも、指揮者のポミ・キム先生の好みでしょうか。ヴィルト先生の姿は舞台には見えませんが、キム先生のソンセンニム魂というか熱意のようなものは確実に伝わってきました。


 ウィーン少年合唱団 2014 日本公演
平成26(2014)年5月24日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール


 昨年に続き、AプログラムとBプログラムを聴き比べすることができました。今年のウィーン少年合唱団の特色と言うより、今年の来日組(ハイドン組)の特色を一言で言うと、ソリストをはじめアルト陣が非常に充実していたことが挙げられるでしょう。ルーカス君、タミーノ君の2人は12歳ということで、ボーイアルトとして頂点に向かう時期に日本公演が重なったのでよい演奏に接することができました。また、指導者を含むインターナショナル化が一層進み、かつてはアメリカの少年合唱団の特色であった「エンタメ少年合唱団」の要素が強くなってきたことを感じました。また、両プログラムとも、団員をステージだけでなく会場のいろいろな場所に配置して、いろいろなところから聞こえてくる歌声の響きの重なりを楽しませるという創意工夫が心に残りました。カぺルマイスター(指揮者)は、香港出身で丸坊主と言うよりもスキンヘッドのジミー・チャン先生でしたが、才気あふれることが伝わってくる指導者で、全体の流れを大きくつかんだステージを創っていきました。

 第1ステージは、「中央ヨーロッパ伝統の歌」と題されて、声楽のコンサートでは定石の古典から現代曲へと時代を追ってプログラムされていましたが、最後は新大陸に渡ってマイケル・ジャクソンの「ウィー アー ザ ワールド」というところが型破りでこのような曲まで採り上げるのかと面白く感じました。「ハンガリー万歳」は、編曲のせいもあって、そこまでやるかと感じるスピードと迫力のある演奏でした。
 第2ステージ前半は「オーストリアからヨーロッパへ」と題し、チロルの民族衣装に着替えた8人の団員がいろいろなところから登場し、いろいろなところからヨーデルが聞こえてくるこだまのような効果を出していました。有名無名なヨーロッパ各国の歌が続きますが、これは各国の演奏旅行の中でその国の歌を採り上げてきたことが、その組の財産として積み重ねられてきたのでしょう。特に心に残ったのは、ルーカス君のソロで歌われるロンドンデリーの歌をもとにした「ダニーボーイ」とジミー・チャン先生がチェロを演奏し、ルーカス君がピアノ伴奏するトルコ民謡の「ウスクダラ」。「ダニーボーイ」は、戦場に向かう母の歌であるだけに、甲高いソプラノよりもしっとりしたアルトの声が似つかわしいでしょう。「ウスクダラ」は、幼い頃どこかで聞いたことのある曲だとなつかしく感じていたら、江利チエミの歌を思い出しました。
 第2ステージ後半は、「ウィーンから日本へ」と言う題で、「花は咲く」は、団員が舞台そででガーベラの花を受け取ってステージ前方で一列に並んで歌い中央の花器に入れるという自然な流れの演出でした。続くおなじみの「ふるさと」は、1番ごとに歌い方を変え、だんだん力強くなって「志」を感じさせるところがよかったです。「ひこうき雲」は、大ヒットした映画「風立ちぬ」の主題歌として採り上げられたので今年の歌として歌われたのでしょう。旋律の美しさは表現できていましたが、外国語なまりが少し気になりました。ウィーン少年合唱団は、音楽的には1960〜80年代のゆったりしたウィーン情緒が好きですが、日本の歌については、毎年来日するようになってから日本語が格段にうまくなっています。最後の3曲は、ヨハン・シュトラウスUの「山賊のギャロップ」「美しく青きドナウ」「ラデツキー行進曲」でしたが、どれも速い速い。
 アンコールには、大ヒット中の「アナと雪の女王」の「レット・イット・ゴー」までが登場。最後は「トリッチ・トラッチ・ポルカ」で締めくくれば、ヨハン・シュトラウスUの曲はシャンデリアのある大サロンで優雅に踊る曲ではなく、早口言葉の系列にある曲なのではないかと思ったりしましたが、これが最近のウィーン少年合唱団の流儀。ステージの流れからしたら、統一感のあるものでした。


 ウィーン少年合唱団 2014 日本公演
平成26(2014)年5月25日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール


  AプログラムとBプログラムの比率は、今年は12:19と約2:3の割合で、Aプログラムが多かった過去のプログラムとかなり違うようです。特に東京近郊以外の1回公演のところにBプログラムが多いというのは、どういう理由でしょうか。鑑賞しているうちにその理由のいくつかがわかってきました。両プログラムに共通曲はあるもの、第1は、ボーイソプラノで表現することがその曲の魅力を増すペルゴレージの「スターバト・マーテル」からの曲や、定番曲にもなっているシューマンの「流浪の民」やコロラトゥーラが聞ける「春の声」が入っていること。第2はミュージカルの曲が多く採り上げられ、それが、ただのミュージカルを合唱曲に編曲して歌うのではなく、ビリー・ジョエルの「ザ・ロンゲスト・タイム」に至っては、もう合唱という領域を超えてミュージカルそのものになっていました。

 第1部に題はつけてありませんでしたが、古典から現代曲へという流れは、Aプログラムと同じです。前半が宗教曲、ブリテンの「金曜日の午後」をはさんで後半がミュージカルというステージ構成でしょうか。「スターバト・マーテル」からの3曲は、ソプラノとアルトのデュエットの構成美が秀逸でしたが、同時にこういう曲を進んで演奏したり鑑賞したりしようとする少年はどれだけいるだろうかということも感じました。その点、後半のミュージカルはわかりやすい。「サウンド・オブ・ミュージック」からおなじみのナンバーが流れると、知っているということもあって、聴きどころもわかるから安心して聴けます。「ドレミの歌」では、多くの団員の短いソロを聴くことができるし、舞台から昇降できる階段に腰かけてタミーノ君がギターの弾き語りで歌う「エーデルワイス」は、オーソドックスな演出でありながらアルトの美しさを堪能することができました。しかし、何と言っても、第1部の最後を飾るビリー・ジョエルの「ザ・ロンゲスト・タイム」には驚きました。一つのトランクが団員の手を通して左に右に舞台を動く中で、フロリアン君はソロを歌うだけでなく、空中を舞うのですから、もうくせになりそうな魅力でした。この曲は視覚に訴えるもので、その魅力はCD等の聴覚だけでは伝わりきらないものです。ついにウィーン少年合唱団もここまでやるかと思う一方、こういうことまでやらないと新しいファンは獲得できないというゲラルト・ヴィルト団長・音楽監督の経営戦略の一端を垣間見ることもできました。もちろん、鑑賞中は歌と団員とトランクの動きの楽しさに集中していましたが。

 第2部は、世界の歌、日本の歌、ウィーンの歌という構成になっていました。世界の歌の1曲目は、「流浪の民」。曲名紹介は日本人のアツシ君で、「ウィーン少年合唱団は、流浪の民のように毎日違う場所にいます。」という他の団員の曲名紹介とは一味違う笑いを伴うもので、会場を和ませてくれました。意外だったのは、ソリストが5人前に出たことで、これはどうなるのかと思っていたら、ソリストは4人で、後の1人は重唱の要員ということがわかりました。また、ヨーデルは、舞台の左右に分かれて歌われ効果を出していました。初めて聴くアフリカの歌もボンゴやタンバリンを叩いてそれらしい香りがしました。日本の歌は昨日通りでしたが、ヨハン・シュトラウスU「春の声」は、ソプラノのヴィンツェント君とジーノ君がそれぞれ、華やかな部分と細やかな部分のソロを分業で行いました。ここでは、声量のあるヴィンセント君と声質は魅力的でも声量のないジーノ君をどう活かして使うかというところがミソでした。また、1人で全曲を歌い抜く20数年前のマックス・エマヌエル・ツェンチッチがいかに優秀なソリストであったかということを再確認することができます。この日も「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は、速い速い。「ラデツキー行進曲」は、昨日同様「手拍子係」をつくることで、観客の手拍子の大小を指示するという工夫もみられました。
 アンコールは、「レット・イット・ゴー」と「ハンガリー万歳!」でにぎにぎしく終了。心から楽しめるステージでした。

  さて、2日間を通した感じたことですが、観客はかなり高齢化が進んでいて(自分のことを放っておいて他人のことは言えませんが)、1960〜70年代のウィーン少年合唱団の来日時に少年少女時代を過ごされたかつての少年少女がご夫妻やお友達同士で来ておられるケースが多く、若者もいましたがほとんど女性のグループで、地域にある少年合唱団あるいは児童合唱団に入ってくれそうな年齢の少年は入場者の1%ぐらいだったところがさびしかったです。チケット代も決して安価とは言えませんが、子どもによい趣味をもたせたいと思うご夫妻は子どもを誘って家族で鑑賞してほしいなあと思います。30年ぐらい前は、観客の10%ぐらいは少年だったように思います。よい鑑賞者を育てることも少年合唱を広める上では大切です。こういうところに、日本における少年合唱の衰退の一端を感じてしまいました。



 ウィーン少年合唱団 2015 日本公演
平成27(2015)年5月30日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール

 これまで私は、カぺルマイスターという存在について深く考えていませんでした。毎年熱意あるカぺルマイスターに率いられて来日するウィーン少年合唱団ですが、それまでは、AプログラムとBプログラムの比較を中心に見ていましたが、今年はカぺルマイスターの持ち味による「組」の違いを痛感させられる公演となりました。ブルックナー組のカペルマイスターのマノロ・カニン先生は、イタリア出身ということもあってか、ステージの構成が演劇的で、見せることにかなり比重がかかっていると感じました。また、自らマイクを取って挨拶をするのですが、その挨拶があえて極端な外国人くさいアクセントの日本語で押し通すところも含めて、エンターテインメント性を重視した演出と言えましょう。

 この日は、カニン先生に率いられた団員たちが、舞台のそでよりデュモンの「サルヴェ・レジーナ」を歌いながら登場しました。これも舞台演出の一つで、会場の雰囲気が一気に高まりました。続いて格闘技の入場曲としてよく使われるオルフの『カルミナ・ブラーナ』より「おお、運命の女神よ」。しかし、声の音色はどこまでも澄んでいてバーバリズムを感じさせません。この日のAプログラムはは、来日60周年記念の「軌跡〜初来日へのオマージュ〜」として、60年前にウィーン少年合唱団が初めて来日した際のプログラムから何曲かが選ばれて演奏されました。その中では、モーツァルトの「ラウダーテ・ドミヌム」とヘルベックの「しもべらよ、ともに歌え」が秀逸で、特に後者は、映画「野ばら」の中でも、主人公のトーニが教会の聖歌隊にあこがれる場面で使われていて、フィリップ君の純度の高い金属的な響きに心惹かれました。14歳ということは、ボーイ・ソプラノとしては、最後の輝きになるのでしょうか。サン=サーンスのアヴェ・マリアのデュエットも清冽な演奏でした。

 この日のステージでは、団員たちがヴァイオリン、チェロ、リコーダー等いろいろな楽器を演奏しながら、それに合わせて歌うという曲が多く見られました。日本人のりゅうせい君はリコーダー専科のようでしたが、息継ぎが難しいようでした。また、赤いチェックのシャツに皮の半ズボンというチロル地方の民族衣装を着て民謡を歌うというおなじみのスタイルも健在でした。このように伝統と、新しさを両立させるところにも、来日60周年記念というメッセージ性を感じました。また、日本の歌として歌われたのは、今年も「ふるさと」と「花は咲く」でした。これは、確実に60年前よりも日本語の発音が美しくなっていますし、曲の心をつかんだ演奏になっていました。意外とアメリカのミュージカルは印象が薄く感じたのは、それまでの曲が濃密であったからかもしれません。プログラムの最後はウィーンの音楽。ヨーゼフ・シュトラウスの「水兵のポルカ」は、ウィーン少年合唱団にとって世界初演奏となりますが、ウィーン少年合唱団は、「美しく青きドナウ」のようなワルツも、テンポ的にはポルカ化しているので、駆け回るような曲という印象を受けました。

 マノロ・カニン先生「また、60年後お会いしましょう。」
 私は生きていないでしょうが、団員たちは、きっと70代の老紳士となって日本の想い出を語ってくれることでしょう。会場の観客に同世代の人がかなり多く、ボーイ・ソプラノ世代の少年が少なかったことも少し気になります。60年前は映像でしか知りませんが、50年前はもちろん、30年前も会場にたくさんいたのになあ。


 ウィーン少年合唱団 2015 日本公演
平成27(2015)年5月31日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール

 イタリアオペラの演技は、十円を拾っても一万円を拾ったような多少オーバーなところがありますが、それがイタリアオペラファンにとってはたまらない魅力です。カペルマイスター、マノロ・カニン先生の情熱的な指揮や挨拶等に見られるエンタテイナーぶりには、そのようなイタリアの血を感じずにはいられません。この日のBプログラムの冒頭を飾る「ピエ・カンツォーネス」の「喜びたまえ」でも、カニン先生は先頭に立って団員をステージへと率いていきました。その姿は、まるでハーメルンの笛吹きのようにも感じられました。

 この日もロイド・ウェッバーの「ピエ・イエズ」では、昨日に続いてフィリップ君の透明度の高い歌声に魅了されました。芸術監督のゲラルト・ヴィルト先生の「マイ・ソング」は、世界初演ということですが、ヴァイオリンと声を素材としながらも、そこにタゴールの詩の日本語訳の朗読を交えたまさに現代的な曲でした。芸術監督のゲラルト・ヴィルト先生は、就任後、各国から集まってきた団員を束ね、インターナショナル化したウィーン少年合唱団の進む道を模索されてきたことでしょうが、その到達点の一つが、このような曲ではなかったかと思います。しかし、詩の朗読の印象が強すぎてまだ耳慣れない現代音楽であるという想いは残ります。それと比べれば、「流浪の民」は、組の中で次々と新たなソリストを育てていることを垣間見ることのできる演奏でした。団員のその時の体調や変声の状況を考えて、次々とソリストの後継者を育てているという感じがしました。

 第2部はマノロ・カニン先生の故郷イタリアの前世紀後半の音楽でスタート。ヘンリー・マンシーニの「ピンク・パンサー」、エンリオ・モリコーネの「ネッラ・ファンタジア」、ドメニコ・モドゥーニョの「ボラーレ」は、作曲者を上下通しで名前が言えるぐらいある世代の人にはおなじみの映画音楽やポップミュージックですが、団員の少年たちは現代的な感覚で、ピアノの裏に隠れたりする演出を伴って演奏していました。ロッシーニ作曲と間違って伝えられた「猫の二重唱」は、2人ではなく4人によるものでいたが、声の掛け合いによる遊びの感覚を楽しめました。実は、ボーイ・ソプラノの歌声と猫の鳴き声には、共通点があるのではないでしょうか。特にノルウェージャンフォレストキャットなどは。続く、アメリカの歌では、マイケル・ジャクソンの「ヒール・ザ・ワールド」とファレル・ウィリアムスの「ハッピー」が振り付けを伴って面白く演出されていました。

 そのような新しいウィーン少年合唱団の姿を見た後だったから、ジーツィンスキーの「ウィーンわが夢の町」が、遅いテンポとあいまってウィーン情緒豊かなノスタルジックな演奏に仕上がっていました。ウィンナワルツがポルカ化しているといった最近抱いていた想いもこの歌を聴いているときは消えていきました。日本人の団員も毎年来日するようになり、「インターナショナル化」と「エンターテイメント」がキーワードとなったウィーン少年合唱団がこれからも守ってほしいものと、時代と共に変えていってもよいものは何だろうと考えながら、帰途に就きました。


ウィーン少年合唱団 2016 日本公演
平成28(2016)年5月28日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール


   春夏秋冬ではなく秋冬春夏

 「四季の歌」を集めてというプログラムは、日本において声楽のコンサートでよく見られます。その典型は、唱歌を編曲した「ふるさとの四季」であり、このような曲が生まれたのも、日本が四季の区別がはっきりした国であるからでもあります。(最近は、それが崩れつつありますが。)ヨーロッパの場合、四季の順序は春夏秋冬ではなく秋冬春夏なのは、学校の新年度が9月に始まることとも関係するかもしれません。「桜咲いたら1年生」や種まきから貯蔵までの農事暦に人生をなぞらえることは、日本人だけがもつ情感とも言えるでしょう。

   立ち位置の違いで

 プログラムAは、秋冬春夏の4章から成り立っていました。ウィーンフィルの今年のニューイヤーコンサートで初演された、軽快なポルカシュネル「休暇旅行で」で始まった「秋の歌」は、高音が空を飛ぶように聞こえます。聴いているうちに、だんだん今年の隊員の並び方は、舞台の上手がアルトで、下手がソプラノではなく、前列がソプラノで、後列がアルトではないかと思うようになってきました。また、今年のシューベルト・コアは、ソリストのできる隊員が多く、ある突出したソリストだけに光が当たるようなチーム構成ではないことに気付きました。そのために、いろいろなソリストによるボーイ・ソプラノの図鑑を楽しむことができました。最近聴き始めたバッハのカンタータも、デュエットではなく合唱であったのですが、このような表現もあるのだろうなと思いながら聴きました。 
 「冬の歌」になると、クリスマスソングのいくつかも交えながら、立ち位置を変えたり、テナーホルンやクラリネットの伴奏を入れたり、ヨーデルの曲を入れたりして、楽しませる要素を盛り込んだ演奏でした。しかし、「キャロル・オブ・ザ・ベル」は、鐘の音の重なりが深みのある曲に聞こえてきました。最後の「鍛冶屋のポルカ」は、金床が以前のものと比べ、ずいぶんと小さくなってハンディサイズとなり、演奏がしやすそうでしたが、それでも工夫して叩いていることが伝わってきました。
 「春の歌」では、牧歌的とも言えるハイドンのオラトリオ「四季」より「来たれのどけき春」から始まり、おなじみのウェルナーの「野ばら」と続きますが、意外だったのは、初めて聴くドビッシーの「春のあいさつ」で、ボーイ・ソプラノの部分ソロとピアノ伴奏のマッチングが面白い作品でした。続く日本の歌は、毎年の来日で日本語がうまくなったなあと感じる「花は咲く」・「さくらさくら」と、日本語をもっと勉強してねと感じる「さくら」に分かれました。

   新企画もありながらオーソドックスな演奏

 「夏の歌」は、「サマータイム」で始まりましたが、その雰囲気をよく出していました。ギター伴奏の「エーデルワイス」などおなじみの曲に混じって、驚いたのは、「トラディギスト村のヨーデル」。隊員が、舞台のいろいろなところに散らばり歌うのですが、オリヴァ―・シュティヒ先生は客席に向かって指揮をし始めるではありませんか。しかし、意外な演出にどう歌ってよいのかわからず会場の反応はイマイチ。「もっと大きな声で歌いましょう。」と促す先生。しかし、何度か繰り返すうちに次第に会場の声も大きくなっていきました。「ウィーン少年合唱団と一緒に歌おう」という新企画は、もっと知られている歌だったらよかったのにと思いましたが、面白い企画です。南アフリカの「ショショローザ」は、ドラケンスバーグ少年合唱団の持ち歌ですが、振り付けも楽しく鑑賞することができました。最後は、「美しく青きドナウ」。しかし、これまでの演奏が非常に多様であったこともあって、たいへんオーソドックスな演奏のように感じました。少なくとも、ポルカのような快速のワルツではありませんでした。これは、オリヴァ―・シュティヒ先生がウィーンの音楽の伝統をきちんと身につけていながら、新しい企画を積極的に採り入れているためでもありましょう。アンコールは、「セシブマ・シギヤ」と「ふるさと」でしたが、演奏の理念は、同じであるように感じました。隊員の中には、観客の中にいる保護者か家族の姿を見つけて、目をちらりとそちらに向けることもありましたが、その辺りはプロ精神を植え付けられながらもまだ子どもだなあと、ほほえましく感じました。

ウィーン少年合唱団 2016 日本公演
平成28(2016)年5月29日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール


   第1部のテーマは?

 プログラムBは、〜ウィーン少年合唱団と映画音楽〜という副題がついていましたが、第1部に映画音楽はなく、古今欧米の宗教曲を中心としながらも、多様な曲が並んでいました。1曲目は、シャインの「息のあるものはみな、主をほめたたえよ」。これは並んでから歌うのではなく、ステージの袖の4か所から団員が中央の定位置まで歌いながら歩いて登場するという演出でした。あれ、団員が25人いるぞ。昨日よりも1人増えている!きっと、昨日は体調不良で1人お休みだったのかな。足かけ3か月の演奏旅行は、健康管理もたいへんだろうな。続く、「カルミナ・ブラーナ」は次第にパワーアップしていくという曲の構築のしかたが面白いと感じました。その他、印象に残っているのは、ヘンデルの「メサイア」から「主は羊飼いのように、その群れを養い」「魔笛」、ロイド・ウェッバーの「ピエ・イエズ」の声質の違うデュエットやトリオの精緻な絡み合いの妙でした。今年は、合唱曲よりもデュエットやトリオが心に残ります。もちろん、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の声の重なりもよかったのですが。このステージで面白かったのは、「町からネコを連れてきた」。団員はもちろん、オリヴァ―・シュティヒ先生までが参加して、ネコ、アヒル、ガチョウ、ニワトリ、ブタ、ウシ等の動物の鳴き声を交えた曲で、くつろがせるところを創ろうという演出でしょう。しかし、日本語の動物の鳴き声とアメリカの動物の鳴き声は違うはず。しかし、何か動物名を特定できないうちに大団円になってしまいましたが、楽しい雰囲気だけは残っています。「ライド・オン・キング・ジーサス」は、ソロの美しさを聴かせて終わりました。結局、第1部のテーマは、「ウィーン少年合唱団の歌の多様性」だったのかなと勝手に決めました。

   映画音楽だけではなかった

 第2部は、ミュージカル映画の曲を中心にしながらも、日本の歌やウィンナワルツを交えたステージでした。サウンド・オブ・ミュージックの「ひとりぼっちの羊飼い」では、技巧的なヨーデルを聴かせ、「野ばら」では、しっとりした合唱を聴かせ、ライオンキングの「愛を感じて」では、ハーモニーの美しさを聴かせるというように、曲の配列に工夫の跡が見られました。ここでも、来日の回数だけ歌われてきた「ふるさと」と比較的最近歌われるようになった「君をのせて」に差が見られましたが、これは、来日の回数が解消してくれると思います。ソリストを各年齢から多く選んでいるのも、その日の体調を配慮し、負担を分かち合う中で次世代を育てようという計画性を垣間見ることができました。「雪が消え去れば、太陽が顔を出す」では、民族衣装や民謡踊りも披露してくれて、視覚的にも楽しませてくれます。
 この日は、ウィーンフィルの今年のニューイヤーコンサートで歌われた「歌い手の喜び」が再演され、ウィーン情緒を味わうことができましたし、「ウィーン気質」は、この日の白眉であったと思います。今年のシューベルト・コアなら、「宝のワルツ」などもお似合いでは?しかし、この曲に歌詞がついているのかどうか知りません。「美しく青きドナウ」が、昨日同様テンポはよいのですが省略版であったことも2日続くと気になります。それでも、オリヴァ―・シュティヒ先生がウィーンの音楽の伝統をきちんと身につけていることが、このような演奏を可能にしたのでしょう。アンコールは「ハリウッドメドレー」と「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。ハリウッドメドレーは、鳴り物入りで、いろいろなハリウッド映画の華やかさを前面に出し、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は、優雅なワルツと対比したスピード感のある選曲でした。今年は、久しぶりにウィンナワルツらしい演奏を聴くことができました。また、耳になじみのある曲と、殆どの客にとって初めて聴く曲を組み合わせ、それらを団員のカンペによる曲の紹介でつなぐことで、展開もスムーズに進行しました。

   冷徹な目で見ると

 しかし、喜んでばかりはいられません。観客の年齢層は、2日とも50代〜70代の比率が高く、子ども連れのファミリー層が非常に少ないことが気になります。これは、大阪に限ったことではないように思います。50代〜70代の世代は、少年少女時代にマスコミや雑誌等を通して、ウィーン少年合唱団に接して、憧れてきた世代です。しかし、今を生きる日本の少年少女にとって、ウィーン少年合唱団は憧れの対象と言えるでしょうか。学校音楽は校門を出ず、多くの少年少女の耳に入ってくる音楽は、ほとんどJ−POPしかないのではないでしょうか。ウィーン少年合唱団は、エンターテイメントの要素を大胆に採り入れ、団員を海外からも募集するなどインターナショナル化することで次世代への生き残りを図っていますが、同時に聴き手を育てることも大切です。日本における10年後、20年後のウィーン少年合唱団の観客はどうなっていくのでしょうか。


 ウィーン少年合唱団 2017 日本公演
平成29(2017)年5月27日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール


      カぺルマイスターの違いで

 ウィーン少年合唱団の来日が、東日本大震災の年を除いて毎年になり、各コアが4年ごとに来ると、団員は総入れ替えになっているというルールが確立しつつあります。ですから、来日時にトップソリストであった団員の印象が強く残ります。また、4年前のモーツァルトコアのカぺルマイスターは、キム・ポミという韓国の先生で、熱情が前面に出る指導が心に残っていますが、今年は、ルイス・ディ・ゴドイというブラジルの先生でした。挨拶も誇張したところがなくゆったりと滑らかな日本語で、ピアノも上手です。それよりも心に残ったのは、ゴドイ先生は、指揮が流麗でまるで舞踏のような動きをされるときもあったことです。もちろん、演出は団長で音楽監督のゲラルト・ヴィルトはじめ、指導者の先生方がかかわっておられるとは思いますが、団員の少年の素質は、指導者の指導によって磨かれていくことを痛感しました。そして、2日間とも今年のモーツァルトコアの歌唱水準は、最近の中で最も高かったように思います。

   ザ・シンフォニーホールの構造を生かして

 プログラムAは、宗教曲をメインにしたものでしたが、第1部のスタートは、パイプオルガンの前にメンバー数人が並び、残りの団員は上手と下手から舞台に現れ、グレゴリオ聖歌「あなたに向けてわが魂を」を歌いながら舞台を降りて、真ん中の通路で交差して、1周して反対の側の舞台に上がって中央の雛壇に並んで歌うという演出は、このザ・シンフォニーホールの構造を生かした見事な演出で、どの会場でもできないようなものを見ることができました。このステージでは、来日以来ファンの間で評判になっていたイェトミール君がモーツァルトのカンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」とハイドンのミサ曲第5番「神なる聖ヨハネのミサ・ブレヴィス」より「ベネディクトゥス」で、重要なソリストを演じましたが、その歌声は輝きと陰影の両方を兼ね備えており、その歌声どこまでも伸びるのではないかと思わせるほどの表現力の高い少年で、おそらく今ボーイ・ソプラノの頂点に向かっていると思われるその歌声は気品があって陶酔的でした。その間に歌われたシューベルトの「詩篇 第23篇」は、かえって温和なハーモニーが心にしみました。また、スルツァー「精霊よ来たりたまえ」は、初めて聴く曲ですが、団員がステージ全体に等間隔で散らばって歌い、他の曲と聴こえ方が違っていました。その他、このステージで心に残ったのは、ウェッバーの「ピエ・イエズ」で、デュエットした二人の声質の違いがよい組み合わせになっていました。宗教曲は、聴き慣れものもありますが、数多く聴くことで聴きどころが少しずつ分かってくるよう思います。このステージの最後は、ヴィルトによる日本初演の「カルミナ・アウストリアカ」より抜粋でしたが、「カルミナ』という言葉から見られるように、「カルミナ・ブラーナ」と重なって聞こえるところもありましたが、楽器の音色も加わって生命力を感じる演奏でこのステージを締めくくりました。

   観客を楽しませるツボを心得た選曲と演出

 第2部は、北海道民謡の「ソーラン節」で始まりました。以前にもこの歌は採り上げられましたが、その時はピアノとジャンベの伴奏だけで振り付けはそれほど派手ではなかったように記憶しています。それが今回は、最近日本の学校で運動会でも採り上げられることが多い「よさこいソーラン」の振り付けで、特にセンターの3人は歌よりも踊りが中心であるかのようで、しかもその踊りがどこかテクノダンスを思わせるところもありました。いずれにせよたいへん迫力のある演奏に仕上がっていました。運動会と違うのは、法被姿がセーラー服というところでしょうか。掛け声役のサッシャー君は、アルトの声質であるだけでなく、他の場面でも歌全体を支えていることが伺えました。続く、コジャットの「ひとりぼっち」は、初めて聴く曲ですが佳曲という言葉がぴったりする上品な仕上がりになっていました。モーツァルトの「春のはじめに」は、日本人のシュンタロウ君とキイ君の東洋コンビ。歌声は、やさしいがやや速めの仕上がりで、年齢的にもこれからの成長株で、次世代のソリストを育てるということも考えての起用だと思います。「ふるさと」やウェルナーの「野ばら」のような定番曲は安心して聴くことができます。今回は、最後にシュトラウス一家の2つのポルカと1つのワルツを採り上げましたが、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「休暇旅行で」と J・シュトラウスU世のポルカ・シュネル「観光列車」は、速くにぎにぎしく、一方、J・シュトラウスU世の「皇帝円舞曲」は、前奏をピアノで長く弾くことによって、優雅さを前面に立ててあえてポルカとワルツを区別した演奏であると思いました。それは、アンコールのヨーゼフ・シュトラウスの速い速い「水兵のポルカ」でも感じることができました。アンコールのもう1曲は、「ビューティフル・ネーム」で、日本ではもう40年近く前の懐かしい曲の一つになってきていましたが、編曲によって新たな元気な生命を与えられたように感じました。

 ウィーン少年合唱団 2017 日本公演
平成29(2017)年5月28日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール


   演出の妙

 昨日のプログラムAの水準がたいへん高かったので、この日のプログラムBにも期待が高まります。冒頭のヴィヴァルディの「グローリア」ニ長調より、冒頭の合唱は、ステージの上手と下手から登場しながら歌うのですが、神の栄光を讃える「グローリア」であることもあってか最初からかなり華やかで力強さを感じるものでした。その他心に残っている曲としては、フォーレの「レクイエム」より「ピエ・イエズ」のソロが、レーニ君の透明度の高い天国へ誘うような歌声で、心に安らぎを与えてくれました。モーツァルトのカンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが」は、昨日も聴いたので、多少聴きどころもわかって聴くので新たな発見もできました。それは、イェトミール君は、高揚したところから、意図的にすうっと声を弱めていき消えなんとする響きの美しさを聴かせてくれました。ヘンデルの歌劇「エジプトのジュリアス・シーザー」より「この胸に息のある限り」においても、クレオパトラの複雑な心境をよく歌いこんでいました。ビゼーの歌劇「カルメン」より子どもたちの合唱と行進曲 「兵隊さんといっしょに」は、オペラの演出とは全く違うウィーン少年合唱団のステージのための演出で、フローリアン君が隊長役となって、観客に敬礼して握手する振り付けで、ほかの子どもたちは舞台上で隊形変換しながら行進して歌います。その間、子どもたちは見られていないだろうと思っていたずらしたり、ふざけたり。このような演出の妙が面白かったです。また、第1部最後のブラジルの歌は、「クラホ族の3つの歌」は、カぺルマイスターのゴドイ先生にちなんでか、民族音楽にはこんなものもありますよといった、演出の妙を楽しませる曲を持ってきました。もう、ここでは誰の歌がどうだではなく、舞台そのものを楽しもうと思って見ていました。

   世界の旅

 プログラムBのテーマは、「ウィーン少年合唱団とつなぐ世界の旅」ですが、第1部を鑑賞していると、宗教曲もたくさんあり、このテーマを忘れていました。第2部は、最初から民族衣装を着てステージに現れる団員もいたので、改めてこのプログラムのテーマを思い出したような次第です。このステージでは、ケルンテン地方の民謡「ふるさとの谷の小さなベル」から始まりましたが、前で帽子とりゲームをする演出が面白く、村祭りの雰囲気が伝わってきました。また、昨日も歌われたシュタイアーマルクの牛追い歌「再び雪解けになり始めるころ」では、レーダーホーゼンと呼ばれる半ズボンの民族衣装を身につけた4人の少年が踊りながら歌うという本来の演出で楽しませてくれました。シャーマンの映画『メリー・ポピンズ』より「チム・チム・チェリー」は、サッシャー君がスケートをするような振り付けで歌い、広いステージ全体を使ったダイナミックな歌が楽しめました。だから、その後に聴く「アメイジング・グレイス」がより真摯な曲に聞こえるのです。日本の歌「花は咲く」「ビューティフルネーム」も、おなじみの演出と聞き取りやすくなってきた日本語が心に残ります。最後は、ヨーゼフ・シュトラウスの「水兵のポルカ」とJ. シュトラウスU世の「美しく青きドナウ」は、ポルカとワルツの組み合わせ。「美しく青きドナウ」では、デュエットもたっぷり聞かせてくれました。そして、アンコールは、昨日のステージでも聴いた「ふるさと」「ソーラン節」華やかに締めくくりました。

   進化するウィーン少年合唱団

 このような副題が適当なのかどうかはわかりませんが、ウィーン少年合唱団も進化し続けています。それは、むしろ歌そのものよりも演出に見られます。それは、伝統文化を維持するだけでなく、エンターテイメントの文化が発達した現代を生き抜くため、あるいは国際化を意識したものです。その方向性は、正しいと思います。あらゆるものは進化を怠れば衰退につながっていきます。それと同時に、日本の少年合唱の振興や少年少女を含む若い世代の観客を獲得するためには、来日中のテレビ出演もNHKの「うたコン」で「ビューティフルネーム」を歌うだけであってほしくないと思います。オファーがかからないというなら、それは招聘した日本のスタッフがテレビ局に対して働きかける努力すべきです。そういう戦略的な発想をもって対応しないと、少年合唱を日本に根付かせることは難しいと思います。


 ウィーン少年合唱団 2018 日本公演
平成30(2018)年5月26日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール


 「カぺルマイスター(指揮者)の成長が、その指導を受ける団員の少年たちの成長につながる。」今回のウィーン少年合唱団のコンサートで一番感じたことは、そのようなことでした。これは、4年前にもハイドンコアを率いて来日した香港出身のジミー・チャン先生は、才気あふれることは伝わって来ましたが、音楽の流れが全体的に現代的なアップテンポで、曲によってはもっとウィーン情緒を感じさせてほしいと思える曲もあったからです。それが4年後のこの日は、緩急自在の音楽へと変貌を遂げていました。2回目の来日となる団員もいるようですが、それは大変珍しいケースではないでしょうか。この日は、Bプログラムでしたが、全公演の7割超がBプログラムというところには、どのような理由があるのでしょうか。

 第1ステージは、「ウィーン少年合唱団の伝統の歌」と題されて、宗教曲あるいは宗教に題材をとった曲が声楽のコンサートでは定石の古典から現代曲へと時代を追ってプログラムされていました。最後には修道院を舞台とした映画「天使にラブソングを2」より「オー・ハッピーデイ」というところが型破りで、隊形移動のある振り付け入りの演奏でした。しかし、全体としては、聖歌隊の伝統を大事にしているというメッセージも込められていたように思います。この中では、カルダーラの「我は生ける糧なり」のデュエットを面白く感じました。今回のソプラノのトップソリストと思われるモーリッツ君がアルトのパートを歌い、もう話し声からすると変声期に入っているのではないかと思われるコウダイ君がかなり強めのファルセットを駆使して歌うのです。その後のバッハ=グノーの「アヴェ・マリア」がモーリッツ君の独唱でしたが、折り目正しい丁寧な歌い方であったと思います。

 第2ステージはヨハン・シュトラウスUの「千夜一夜物語」から始まりましたが、オリエンタルな異国情緒が感じられる好演奏でした。続く、ヴェルディの歌劇「マクベス」の冒頭の場面という珍しい曲でしたが、悲劇の予兆のするドラマを感じさせるものでした。その後が、ウェルナーの「野ばら」というのは、ちょっと一息という位置づけでしょうか。歌劇「ヘンゼルとグレーテル」よりの2曲は、愛らしさを感じるものでした。ここから後は、「世界の伝統の歌」という位置づけで、世界各地の演奏旅行の中でレパートリーにしていった異国情緒あふれる曲が続きます。最後の2曲は、ヨハン・シュトラウスUの「水兵のポルカ」と「美しく青きドナウ」でしたが、ポルカは速く、ワルツは、小ワルツごとに緩急の差がつけられてこの辺りに、ジミー・チャン先生の音楽的な深化を感じることができました。

 アンコールには、何と最近のコンサート会場ではあまり聞かれなくなってきた「千の風になって」。これが、ゆったりしたテンポで、じっくりと聞かせ、最後は速い速い「トリッチ・トラッチ・ポルカ」で締めくくるという合唱曲によるドラマがここでも演じられました。そして、今年のBプログラムは、近年のウィーン少年合唱団のエンタメ化の流れを止めるものであったとも思います。

 ウィーン少年合唱団 2018 日本公演
平成30(2018)年5月27日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール


  それでは、今年のAプログラムの特色はと言えば、第1部はグレゴリオ聖歌から、ヨハン・シュトラウスUの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」までの主としてオーストリアやウィーンに根ざした選曲でありますが、全体として「ウィーン少年合唱団と動物の世界」という題が付けられており、アルトのヤン君の活躍が心に残るステージでした。

 第1部に題はつけてありませんでしたが、古典から現代曲へという流れは、Aプログラムと同じです。前半が宗教曲で後半が歌曲や、ヨハン・シュトラウスUのギャロップやポルカという軽快で速めの曲でしたが、その中ではフックスの「サルヴェ・レジーナ」が初めて聴く曲ですが聴き応えのある曲で、7人のソリストの声部の重なりが重厚で、バロック時代に声楽曲が大きく発展したことを改めて感じました。また、モーリッツ君の独唱による「ます」は、第3節で曲想が変化するところを特に面白く感じましたが、歌っている本人は、この歌の裏の意味など多分知らないでしょうね。

 第2部は、動物を描いた曲が並んでいましたが、アニメから各国の民謡、あるいは歌曲と言えるものまで幅広い選曲を合唱曲に編曲して多くの言語で歌う楽しいステージと言えるでしょう。その中で印象に残る曲を挙げてみましょう。「となりのトトロ」は、編曲のくせが強すぎると違う曲に聞こえるのですが、原曲の持ち味を生かした編曲なので、美しく聞こえました。「コンドルは飛んでいく」は、駅の近くで南米出身の方々の器楽演奏を聴くことのある曲ですが、身長の高いヤン君の歌声は、この曲の憂愁な雰囲気を感じさせるのにぴったりしていました。「ほたるこい」は団員が声部ごとに3ヶ所に分かれて歌いましたが、合唱だからこそこのように表現できるという合唱の醍醐味を味わえるものになっていました。「猫の二重唱」は、一人はセーラー服で、一人は民族衣装のレーダーホーゼンで歌うという演出はありましたが、演出だけでなく、掛け合いの歌としても面白く作られていました。ボーイ・ソプラノの歌声と猫の鳴き声(特にノルウェージャンフォレストキャット)には、共通点があるのではないかと、私はずっと思っています。続くオーストリア民謡「カッコウ」では、さらに8人がレーダーホーゼンを着て登場して、民族舞踊まで入って楽しませてくれました。そして、ワルツ「ウィーンの森の物語」では、小ワルツごとに違った物語が展開するという意図が明快でした。Aプログラムにおいてもエンタメ化は抑え気味であったと思います。アンコールは、「千の風になって」と「美しく青きドナウ」でじっくりと聴かせてくれました。ジミー・チャン先生の学びの深化が、団員たちの演奏にも奥行きを与えてくれました。


ウィーン少年合唱団 2019 日本公演
令和元(2019)年5月25日(土)  大阪 ザ・シンフォニーホール


    身長170cmぐらいのボーイ・ソプラノに驚き

 毎年、大阪では1日目がAプロ、2日目がBプロなのですが、今年は逆でBプロから始まりました。オープニングはステージ上手と下手に分かれた26名の団員が、太鼓とタンバリンの音に合わせて『ピエ・カンツィオーネス』より「喜びたまえ」を歌い入場し、ピアノを挟んで2列に並ぶと、ピアノの両横の4人は身長170cmぐらい、アルト側の最前列は、マノロ先生とほぼ同じぐらいの身長で180cm近くあるのではないかと感じました。日本人の少年なら身長150cmを超えると変声期が始まる比率が急に高くなるので、今年の団員たち変声期は大丈夫だろうかと思いながら聴いていましたが、その心配は杞憂に終わりました。変声期に入った団員はファルセットを駆使して歌っているのでしょうが、むしろ、全体的には明るめの可憐な声が基調でそこに力強いハーモニーが加わった合唱でした。日本人と外国人(今では、ウィーン少年合唱団員もインターナショナル化して、プログラムの名簿を見ても、オーストリア出身は少なそうですが)の子どもの成長の違いも痛感しました。マノロ先生は、「みなさ〜ん、こんにちは!」で始まるくせの強い日本語での挨拶でしたが、令和が始まったことを祝うというメッセージはきちんと伝わっていました。今年が日墺国交150周年ということは、明治2(1869)年に明治新政府とオーストリア=ハンガリー帝国の間に結ばれたことになりますが、その間両国とも政体は変わり、オーストリアは最近政権が不安定化していますが、ウィーン少年合唱団の公演はつつがなく進行しています。2曲目はパーセルの「来たれ、汝ら芸術の子らよ」は、ソリのユニゾンとコーラスが混じり合って曲を創り上げていきました。3曲目のアイブラーの「サバの人々は来たる」は、170cmぐらいのソプラノのソリスト達が、競うように高い声のロングトーンを響かせてくれました。シューマンの3曲は、どれも初めて耳にする合唱曲でしたが、思ったよりも親しみやすく、アンサンブルとして楽しめました。また、おなじみのウェルナーの「野ばら」や、ジルヒャーの「ローレライ」のような曲をプログラムに入れることで、クラシック音楽になじんでいない観客も安心して聴けたことでしょう。第1ステージ最後のビーブルの「アヴェ・マリア」は、団員ががステージ全体を取り囲んで広がって歌うので、ホール全体が聖堂になって、声の響きに包み込まれるような雰囲気になりました。

   マノロ先生の表面だけを見ていたら見落としてしまうもの
 
 第2部前半はミュージカルから生まれたスタンダード曲で、楽しさを前面に出したステージです。2人のトランペット演奏の後、全員が「ア・ワンダフル・デイ」を歌いながら舞台に登場してきました。『ライオン・キング』より「愛を感じて」は、たっぷりと聞かせるように歌いというふうに、曲ごとにかなり歌い方を変えてその曲想を浮き彫りにしていました。初めて聴く「アシカの子守唄」は、心にしみるようなたいへん美しい曲で、やがてウィーン少年合唱団の定番曲にさえなるのではないかと思いました。第2部の後半は、いきものがかりの「YELL」。これは4年前にも聴きましたが、歌の方は外国語なまりを感じることなく、毎年来日することで日本語の発音が確実に上達していることを感じます。続いて、令和へのお祝いか平成への感謝かはわかりませんが、上皇陛下作詞・上皇后陛下作曲の「歌声の響」が披露されました。この曲は、今年2月に上皇陛下の「天皇在位30年記念式典」で三浦大知が歌ったので、そのとき初めて知りましたが、ウィーン少年合唱団は、また違った清澄な味わいのする歌を聴かせてくれました。岡野貞一の「ふるさと」のア・カペラを挟んで、日本人団員のケントによるMCは、落ち着いたアルトの知性的な声で、ソロも聴きたかったなと思いました。その後は、おなじみのヨハン・シュトラウスUの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」「ハンガリー万歳」「美しく青きドナウ」と続きましたが、マノロ先生は、ポルカは軽やかに、ワルツはたっぷりと歌わせてとはっきりと分けていました。アンコールは、「ねむの木の子守歌」と「花は咲く」という日本へのエールで終わりました。アンコールの間、遠い位置から団員に拍手を送ったり、時計を見たり、ピアノの蓋を閉めて「これですべておしまい。」を示すところなど、マノロ先生らしい脚色でした。ところで、マノロ先生は、指揮だけでなくすべての動作が大きいので、どうしても、そこに目がいってしまいます。ところが、このステージでは、マノロ先生が舞台上で独唱した団員の肩を叩いたり、アイコンタクトを送ったりして、団員を励ましていることがより強く伝わってきました。4年前は、面白い演劇的な部分しか見えてきませんでしたが、それは、私の観方が浅かったのです。この辺りが、マノロ先生の教育者としての美質ではないでしょうか。

ウィーン少年合唱団 2019 日本公演
令和元(2019)年5月26日
(日)  大阪 ザ・シンフォニーホール


   対立する要素を組み合わせた構成

  第1部の1曲目は、オルフの『カルミナ・ブラーナ』より「おお、運命の女神よ」で始まりました。この日も、ステージ上手と下手に分かれた26名の団員が、太鼓とゴングを鳴らしながら登場し、野性的でドラマティックな旋律を歌い上げました。この曲を聴くと、どうしても格闘競技の入場シーンを思い出してしまいます。この日も、マノロ先生が「みなさ〜ん、こんにちは!」で始まる挨拶で、令和が始まったことを祝いました。第1部前半は、宗教曲で、ヴィアダーナの「正しき者よ、主によって喜べ」は、第1曲目とは打って変って透明度の高い聖なる世界へと誘ってくれました。メンデルスゾーンの「羊飼いはよみがえられた」は、ボーイ・ソプラノの繊細さを生かした優美な曲。それに対してハイドンの「天地創造」は、壮麗さが際立ち、ミケランジェロなどによって描かれた聖堂の壁画の世界を想像しながら聴いていました。続いて、ブラームスの宗教曲が2曲続きます。どうしても、ソリストの歌に目が向きがちになりますが、ブルックナー組のハーモニーの豊かさは、中・低音部がしっかりしているからということが次第に分かってきました。マノロ先生と団員たち、あるいは団員同士がアイ・コンタクトを取りながら歌っていることが伝わってきました。ゲーリンガーがブルックナー組のために作曲したという「死と愛」は、初めて聴く曲ですが、愛は死を超えるというメッセージのある曲です。第1部の最後は、バンキエーリによる「動物たちの対位法」。題名は難解ですが、団員たちが犬、猫、カッコウといった動物や鳥の鳴き声を声帯模写的な要素も持たせながら再現したので、その可愛い雰囲気に会場からほほえみに近い笑いも出ていました。日本人のケントもこの歌では犬の声で大活躍でした。こうやって、第1部の曲の構成を振り返ると、動と静・聖と俗・重と軽など対立する要素をうまく交えながら組み立て、なじみの薄い宗教曲でも決して飽きさせないで聴かせる工夫がなされていました。
   
   多様な曲で楽しませる

 第2部の1曲目はピアソラの「リベルタンゴ」。ピアソラはタンゴの中興の祖と言われる存在になってきましたが、この曲は歌詞がなく、声によってリズムやメロディを創り上げてくところが面白く感じました。続いて、マノロ先生の祖国イタリアのカンツォーネ・ナポレターナ「オー・ソレ・ミオ」。しかし、テノール独唱で聴くことの多いこの歌は、合唱にすると、主旋律が引っ込んで聴こえることもありましたが、最後のロングトーンは、いったいどこまで続くのだろうというスリリングな面白さを感じました。映画『サウンド・オブ・ミュージック』からは、ヨーデルの掛け合いが楽しい「ひとりぼっちの羊飼い」と、ア・カペラでじっくり聴かせる「エーデルワイス」と対比的な2曲が歌われました。今回、マノロ先生は、かなりの曲をピアノ伴奏ではなくア・カペラにしていましたが、それは、団員たちの声に耳を傾けてほしいというメッセージだったのかもしれません。 続いて日本の歌からは、滝廉太郎の「荒城の月」、昨日もアンコールで歌われた上皇后陛下が高校生時代に作詞された「ねむの木の子守歌」、岡野貞一の「ふるさと」の3曲が歌われましたが、日本語の美しさは、昨日のステージでも感じたことです。さらに、その後には、ウィーン少年合唱団の芸術監督であるゲラルト・ヴィルトが、「令和」という新しい時代を迎える日本ツアーのために書き下ろした新曲「Peace within(内なる平和)」が歌われました。これは、かなり神秘に満ちた曲で、日本の歴史を音楽で表現するとこのような感じになるのかと思いながら聴いていました。そこからは、オーストリアに戻って、民謡の「納屋の大戸」。今年は、民族衣装のレーダーホーゼンを着た踊りはありませんでしたが、手拍子、足拍子で酒場の華やいだ雰囲気を演出していました。続いて、ヨーゼフ・シュトラウスの「水兵のポルカ」は、最近のウィーン少年合唱団の定番曲になってきました。映画『サウンド・オブ・ミュージック』を見た少年時代に、海のないオーストリアにどうして海軍があるんだろうと思っていましたが、アドリア海に面する地域は、以前オーストリア=ハンガリー帝国領であったことを後に知りました。ヨハン・シュトラウスUの「雷鳴と稲妻」と共に、快活なポルカが流れた後は、流麗な「美しく青きドナウ」でプログラムを終了しました。この日のアンコールは、「ドレミの歌」と「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」というふうに、いろいろなタイプの曲で楽しませてくれました。
 
 さて、この2日間の観客は、高齢者層が多かったのはいつもどおりでしたが、若い世代の人や家族連れもこれまでよりも多く見られました。東京のステージでは5〜20歳の観客の入場料を安くしているという情報も入っています。このような工夫をすることが、ウィーン少年合唱団の観客はもとより、クラシックファンの拡大にもつながるのではないでしょうか。


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