第1回 全国少年合唱大会栃木大会




 
桃太郎少年合唱団が平成10年6月にまとめた「日本の少年合唱の現状と課題」がきっかけとなって、かつて日本に約40団体あった少年合唱団がわずか9団体になっていることが確認されました。その後、調査漏れとなっていたボーイズ・エコー・宝塚や、新しく創設された新潟少年合唱団等が発見されましたが、それらの団体が厳しい状況におかれていることに変わりはありません。その後、金沢少年合唱団も解散となりました。
 しかし、そのような厳しい中、栃木少年合唱団は、全国の少年合唱団がお互い励ましあって頑張ろうと、「全国合唱大会」を企画し、平成11年1月23日、その記念すべき第1回の主管をしました。その志の高さは特筆できるものです。参加団体は、栃木少年合唱団、桃太郎少年合唱団、広島少年合唱隊の3団体でした。写真は最後の合同演奏の場面です。
 私は、この第1回全国少年合唱祭が開催されたことを後になってから知りました。


第2回 全国少年合唱大会岡山大会
 
 −元気を出そう!少年合唱団−



   「元気を出そう!少年合唱団」
 「元気を出そう!少年合唱団」、この言葉ほどこのフェスティバルの趣旨を的確に表している言葉はないでしょう。
 ヨーロッパと違って聖歌隊の伝統のない日本においては、昭和30年代になって、ウィーン少年合唱団の来日をきっかけとして、やっと少年合唱や、児童発声の研究が盛んとなり、各地に雨後のたけのこのように約40の少年合唱団が生まれました。しかし、数年を経ないうちに少年少女合唱団になっていたり、解散していくことが多く、現在では全国で約10の少年合唱団が残っているだけになってしまいました。その理由としては、大きく次の3つが挙げられるでしょう。第1には、いわゆる腕白時代の少年に長期間にわたる歌唱訓練が好まれないことです。第2には、男女共生の時代にもかかわらず、ボーイソプラノを「女みたいな声」だと言ってからかうような風潮がまだ残っているということです。同世代の少年に認められるかどうかということは、この年齢層の少年にとっては、重大なことです。小学校においても、コーラス部に男子部員が集まりにくい理由の一つがそこにあります。第3には、最近の少年の変声期が非常に早くなったため、実質的に歌える期間が、短くなってきたということです。しかも、男の子は照れがあって、人前で歌うのを恥ずかしがる傾向もあります。さらに、最近では少子化や受験の低年齢化の影響という要因も加わって、少年合唱団は、どこでも団員募集に苦労しています。例えば、募集年齢を下げたり、入団後約1.2年の訓練期間としての予科制度をやめたりしていますが、それでも人数確保は難しいようです。
 それでは、少年少女合唱団の実態はどうでしょうか。ここでは「少年少女」とは名ばかりで、少年はたいてい数人で、ほとんどあるいは全部が少女というのが実態です。西六郷少年少女合唱団や京都市少年合唱団は、例外的に男子が多い合唱団と言えるでしょう。ひとたび少年少女合唱団となったときから、少年は合唱団をやめていきます。その理由としては、この年代の少年は合唱団の活動を通して、同性の同好の仲間を求めていることが大きいと思います。
 そのような危機的な状況の中、数少ない少年合唱団が励まし合いながら、お互いに高め合おうというこの試みは意義あるものです。昨年(平成11年)1月23日栃木市で栃木少年合唱団・桃太郎少年合唱団・広島少年合唱隊の3団体による第1回全国少年合唱大会が開催されました。残念ながら、私はそのような催しがあったことさえ知りませんでした。しかし、インターネットのおかげでこのフェスティバルのことを知り、また、昨秋桃太郎少年合唱団の定期演奏会に行って、プログラムによりこの企画をより詳しく知ったこともあって、平成12年2月11日、岡山市民文化ホールで開かれた、第2回 全国少年合唱大会に行って来ました。

  
 短時間にどう持ち味を出すか 
 さて、昨秋の段階では参加予定団体は、昨年同様でしたが、その後呉少年合唱団を加え4団体となりました。参加団体が多いのはよいことですが、鑑賞する立場からすると、それは必然的に1団体の出演時間は短くなり(1合唱団約20分の出演)、特に初めて見たところについては、それだけではその全貌がわからないところもあります。そこで、見てきたことをもとにして、感じたことを出演順に述べていきます。

   
繊細な声の音色
 幕が開くと、2'nd Japan Boys Chorus Festibalという横断幕を背景に栃木少年合唱団が整列していました。ベレー帽とベストがオレンジ、シャツと胸ハンカチとハイソックスが白、蝶ネクタイとズボンと靴が黒で、この色彩的な調和は目を引きます。半ズボン22名(小学生)長ズボン3名(中学1年生)の25名で、今度初挑戦する合唱ミュージカル「けんちゃんとおばけ」の8曲を演奏してくれました。最初声部のバランスがやや悪いようでしたが、次第に調子をあげ、最後の「信じてる夢を」では、おそらくこの合唱団の持ち味の繊細な声の音色を楽しむことができました。ただ、この合唱ミュージカルは初挑戦の分野だけに、この合唱団の持ち味が十分発揮されたかというと疑問が残ります。きっと、旋律の美しい作品なら、この合唱団のよさをもっと見つけることができたでしょう。また、1曲ごとに解説をしてくれたのはよかったのですが、ズボンのポケットからメモを取り出して読むというのは感心しません。暗唱して語りかけるようにすべきだと思いました。ところで、解説の話し声を聞くと、中学生の2人は変声し、小学生にも変声期に入りかけている少年がいましたが、それでもがんばっている姿には好感が持てました。これは、後輩によい影響を与えることと思います。

   
まろやかな声と中・低音部の充実
 2番目は呉少年合唱団。白いベレー帽、象牙色の服、同色の半ズボン、白いハイソックス、白い運動靴です。年齢層も小学校3〜6年生の37名、ボーイ・ソプラノとしては最高の時期の少年達です。曲は郷土民謡「音戸の船頭歌」に始まり、日本情緒のある曲、ア・カペラによる「五木の子守歌」、児童合唱曲、ミュージカル、ヨハン・シュトラウスの「太陽のマーチ」まで多彩な選曲でした。これまでいろいろなことに挑んできたことがわかります。そして、わずか20分でもプログラムの構成がうまいことを感じました。 この合唱団の特色はまろやかな声と中・低音部の充実という言葉で表されるでしょう。どちらかというとソプラノが脚光を浴び、メゾソプラノやアルトに光の当たらないことの多い少年合唱ですが、この合唱団はそこが違います。人数のわりに声量も豊かで聴きごたえがありました。ア・カペラによる「五木の子守歌」は出色の出来映えでした。

   
明るい声と気品のある歌
 3番目は、広島少年合唱隊。この合唱団の制服は小学生が白いベレー帽、灰色のベストに、青いネクタイ、灰色の半ズボン、白いハイソックスに黒靴。中学生は、無帽、青いブレザー、赤いネクタイ、灰色の長ズボンで、合計39名です。(小学生31名、中学生8名) 曲目はまずフォーレの「レクイエム」から「イン・パラディズム」。混声という特色を生かし、心の安まる天国的な歌を聴かせてくれました。次に少年のための5つのソング「君がいるから」より2曲。特にタイトルにもなっている第1曲目「君がいるから」は至純至高の友情の姿を描いており、それが少年の明るい歌声とマッチしてすばらしい演奏でした。少年達が本当にこの歌に共感していることが伝わっていきます。「オホーツクの海」「昴」は旋律の美しいニュー・ミュージック系の曲ですが、ここでは男声部に光が当たっていました。この合唱団の男声部は青臭さがあまりなく気品のある歌声です。また、登浩二先生の指揮は表情が豊かで、少年達からよいものを引き出していました。

  
 清澄な響きで感動を伝える
 4番目は、ホスト団の桃太郎少年合唱団、小学生は青いブレザーに赤い蝶ネクタイ、青い半ズボンに灰色のハイソックス、黒靴。中学生と1名の高校生は黒い長ズボンの制服。最初の3曲は上級生52名だけ。4曲目の「ゆかいに歩けば」以後は66名と人数的にも最大で、声は変声後の少年もファルセットを使っているから、同声合唱で迫力があります。といっても、この合唱団の持ち味は清澄な響きで、昨夏ウィーン少年合唱団と合同合宿・合同演奏したことが自信となって、安定した演奏を聴かせてくれました。
「ゆかいに歩けば」では、水笛を使って小鳥の声を表現したり、下級生が元気よく行進して舞台の自分の場所に並ぶ等の演出も自然でした。とりわけ、この合唱団が好んで取り上げる橋本祥路の作品は、感動が直に伝わってくるもので、その持ち味をよく生かしていると感じました。

   
このテーマ、関係者だけでよいのか
 最後は合同演奏。160名を超える少年が舞台に上がると舞台は一杯で、その歌声もボリュームがあります。きっとこの少年達もそれぞれの地域で合同演奏の経験を持っているでしょうが、これだけの人数の少年だけで演奏したことは初めてでしょう。曲目は「グッデー・グッバイ」「気球にのってどこまでも」「Believe」「夢の世界を」。どれも少年の声質にあった曲ばかり。また、共感して歌える歌詞の内容です。歌はどれも大きな盛り上がりをみせてくれました。特にアンコールにもなった「夢の世界を」は人数が多くなることで感動も大きくなることに気がつきました。
 このフェスティバルのテーマ「元気を出そう!少年合唱団」は、ただ少年合唱団の関係者だけが考えればよいものではありません。私たちの少年時代には、「歌のメリーゴーランド」や「歌はともだち」など少年合唱団が出演するテレビ番組があり、住んでいる地域に少年合唱団がなくても自然にそのようなものに触れることができ、夢やあこがれの心を育んできました。しかし、今では、少年合唱に触れることは、外来の少年合唱団の公演を除けば、限られた地域だけのことになってしまいました。少年は身体が元気であればスポーツに向かい、また、受験やテレビゲームが多くの生活時間を奪うようになってしまいました。青少年の心の荒れが深刻化している今、青少年の健全育成を願うなら、マスコミはこういう分野にも光を投げかける必要があるのではないでしょうか。



第3回 全国少年合唱祭広島大会
  
−ぼくたちの清純な歌声をあなたの心に響かせたい−




 昨年(平成12年)2月11日、岡山市民文化ホールで開かれた、第2回 全国少年合唱大会に続き、今年は、8月25日に広島市にある広島県民文化センターで第3回全国少年合唱祭広島大会が開かれ、ボーイズ・エコー・宝塚の中安先生ご夫妻と一緒に行ってきました。
 実は、第2回 全国少年合唱大会以後、桃太郎少年合唱団の棚田国雄団長先生や広島少年合唱隊の登浩二副隊長先生と知り合うことができ、これらの先生方が、自分の指導する合唱団の発展だけを考えるのではなく、日本の少年合唱全体のことを憂いて行動しておられることに深く共感しました。第3回は、前回以上に多くの参加団体があって盛会になるようファンサイドでも応援しようと考えました。とりわけ、応援させていただいているボーイズ・エコー・宝塚の参加を期待していましたが、先の大阪教育大附属池田小学校の事件による団員・保護者の心理的影響を配慮され、今回の参加を辞退されることとなりました。指導者の中安保美先生によりますと、3月より保護者会を重ねて参加のための準備を重ね、旅程やバスの手配まで終えていたところにあの事件が起こり、また池田小学校がボーイズ・エコー・宝塚の団員の住む校区内であったことから、子どもたちと保護者の衝撃は非常に大きく、残念ではあるが緊急保護者会の結果、今回は見合わせることに決定したとのことです。また、前回出場の呉少年合唱団は、韓国公演のため、日程が合わないということから今回辞退となりました。その代わり、平成11年度に少年の部を独立させた和歌山児童合唱団“少年の部”が参加し、数の上では前回同様4団体の参加となりました。

   制服に着替えると歌声も変わった
 昼過ぎに会場に到着すると、入り口で隊長の林久雄先生が応対してくださいました。何人かの隊員の少年たちも迎えてくれましたが、通団服を着た少年たちの態度は実に礼儀正しく爽やかでした。広島少年合唱隊の礼儀正しさと気品ある態度は、最初から最後まで一貫していて、今でも日本にこういう少年たちの集団が存在することを嬉しく思いました。
 さて、新幹線やバスで到着した少年合唱団はスケジュールに従って会場や練習場で練習しましたが、会場でのリハーサルを参観させていただきました。
 特に、和歌山児童合唱団と栃木少年合唱団二つの団は、遠かったということもあって着いたばかりでは少し疲れが見えたりしましたが、次第に調子をあげて本番へと高まりを見せました。それに、でれっとした今風の私服からきりっとした制服に着替えることによって、見違えるように演奏もよくなるのは不思議でした。少年合唱団の制服は、どこも今では日本でほとんど見られなくなってしまったヨーロッパ系の気品のあるものです。   
 さて、15分ほどの出番だけではその全貌がわからないところもありますが、2度3度と見るうちにその合唱団の持ち味のようなものも見えてきます。そこで、見てきたことをもとにして、感じたことを出演順に述べていきます。

   現代的な表現 
 幕が開くと、第3回 全国少年合唱祭広島大会 −ぼくたちの清純な歌声をあなたの心に響かせたい− という横断幕を背景に初出場の和歌山児童合唱団“少年の部”が登場。服装は、4年生までが白いカッターに黒のつり半ズボン、5年生以上が黒の長ズボンでした。演目は「合唱のための楽しいエチュード」より2曲と「もののけ姫」「君をのせて」の4曲でした。本来“少年の部”は、小学校2、3年生が中心だそうですが、5年生から変声後の中学生もファルセットで合流して出場しました。どちらかというと胸声の強い発声で、ときには力強さを超えるところもありましたが、それが現代的な曲にはよくマッチしていました。とりわけ、あとの2曲は、独唱のファルセットを歌った中学生の少年の好唱とあいまって独特の美しさを表現していました。沼丸晴彦先生の指揮もエネルギッシュかつはつらつとしていて、好感が持てました。

   少年合唱の王道を
 2番目は、桃太郎少年合唱団、小学生は白いカッターに赤い蝶ネクタイ、青い半ズボンに白いソックス、黒靴。中学生と高校生は黒い長ズボンの制服。最初の3曲は、橋本祥路の「夢の世界を」「歌よありがとう」「翼を抱いて」と、「ずいずいずっころばし」「ほたるこい」「備前太鼓歌」の6曲。指揮は前半が浦池和彦先生、後半が棚田国雄先生です。声は変声後の少年もファルセットを使っているから、同声合唱で人数も多いから迫力があります。といっても、この合唱団のよさは清澄な響きで、この日も安定した演奏を聴かせてくれました。ボーイ・ソプラノが好きな人ならきっとこの合唱団を好きになるでしょう。前半は、橋本祥路独特の濃密な抒情の世界を楽しむことができました。とりわけ、「翼を抱いて」は、曲想の変化がくっきりと描き出されていました。後半は日本の伝統と現代的なアレンジをどう一体化させるかが見どころでしたが、それをそつなく表現していました。

   日本の美を体現
 栃木少年合唱団は、今回もベレー帽とベストがオレンジ、シャツと胸ハンカチとハイソックスが白、蝶ネクタイとズボンと靴が黒で、この色彩的な調和は秀逸です。はっきり言って前回の、合唱ミュージカル「けんちゃんとおばけ」は初挑戦の分野だけに、この合唱団の持ち味が十分発揮されたかというと疑問が残りました。今回の演目は団歌と「ふるさとの四季」よりという小学唱歌のメドレーです。こういう曲は、みんなが知っているだけに、よくも悪くも失敗があれば目立ってしまいます。しかし、今回の演奏ではそういう破綻は見られませんでした。むしろ、この合唱団の特色である繊細な声による美しい日本の自然の移り変わりとそこに住む人の心の美しさを楽しむことができました。「故郷」で始まり「故郷」で終わるこの組曲は、ともすれば忘れがちになる日本の美を体現していました。人数的には厳しい状況ですが、それだけに、少人数でも表現できる曲に挑むことが大切だと感じました。神永秀明先生の指揮には秘めたる情熱を感じました。
  
   声域の広さを生かして
 最後は、広島少年合唱隊。この合唱団の制服は、小学生は白いベレー帽、ループタイ、紺の半ズボン、白いソックスに黒靴。中学生は、無帽、赤いネクタイ、灰色の長ズボンです。この合唱団の特色は混声合唱団という特色を生かし、各声部の持ち味を出していこうというところにあります。曲目はまずフランクの「パーニス・アン・ジェリクス」。清澄かつ力強い歌を聴かせてくれました。次に変声後の男声に光を当てた「SO MACH IN LOVE」。ソリストの少年はかなり安定したしかもみずみずしい声で歌ってくれました。平田先生が少年たちと一緒に歌うのも、好ましく感じました。「昴」は旋律の美しい曲ですが、ここでは、広い声の重なりを楽しむことができました。「Sing」は、観客を楽しませることに主眼をおいて舞台演出という面で魅せました。最後の「アメージング・グレイス」はまた最初に戻ってという感じで、全体としてたのしく構成されていたと思います。また、いつもながら登浩二先生の指揮は表情が豊かで、少年達の心をつかみ、よいものを引き出していました。

   10倍の人数で歌うと
 最後は合同演奏。今回参加できなかった呉少年合唱団の代表3名を加え、165名を超える少年が舞台に上がると舞台は一杯で、ホスト団の広島少年合唱隊は一部舞台下に整列しました。(少し詰めれば全員舞台上で演奏できたのになあ)曲目は各合唱団が持ち寄った持ち歌とも言える推薦曲。「ひろい世界へ」「この星に生まれて」「Believe」「ぼくたちのひろしま」。どれも少年が共感して歌える歌詞の内容です。歌はどれも大きな盛り上がりをみせてくれました。さらにアンコールにもなった「しあわせ運べるように」は、ボーイズ・エコー・宝塚の中安先生が特別出演で指揮されました。阪神・淡路大震災からの立ち直りを歌ったこの歌、ボーイズ・エコー・宝塚では、定期演奏会のたびに取り上げてきましたが、10倍の人数で歌うとこんなにも迫力があるのかと改めて感じました。

   少年合唱団員の人間的成長
 登先生のご厚意で、交流パーティや指導者懇親会にも参加させていただきました。交流パーティで感心したのは、団員の少年たちの人間としての育ち。おしゃべりをしていても、司会が「『夢の世界を』を歌いましょう。」といえば、自然に歌の輪が広がって、おしゃべりがなくなるという現象でした。また、各団の代表の挨拶が始まると、前に集まってきて座って聞く輪が広がるという姿も見られました。そこには、大人のあまり面白くない話でもとにかく聞こうという姿勢がありました。これは、面白い物には飛びつくが、そうでないものには関心を示さずおしゃべりを続けるという日本の同じ年頃の少年の集団とは全く違うものがありました。これは、ふだんからの指導者に対する信頼感がなせるものでありましょう。また、そのような指導をしている少年合唱団のすばらしさを改めて感じたような次第です。

   これでよいのか、今の日本!
 このフェスティバルのテーマ「−ぼくたちの清純な歌声をあなたの心に響かせたい−」は、確かに会場に来られた方には通じていたと思います。しかし、何と言っても観客は多いとは言い難かったです。宣伝のあり方もあるでしょうが、こういう素晴らしい企画を無視するマスコミの姿勢にも疑問を感じました。金にならないものはとりあげないというのが、今の日本の現状です。全くおかしいと思います.我々としては、草の根運動を繰り広げるしかないと思いました。なんだか、最後はぼやきみたいになってしましましたが、これからも、日本の少年合唱団を応援しようと決意しました。

     
広がる友情の輪
 
  全国少年合唱祭
は、平成11年1月の第1回栃木大会以来、1〜2年に1回各地持ち回りで開催されて来ましたし、これからもそのような形で続いていくものと思います。しかし、より大切なことは、常時活動において少年合唱団が励まし合いながら、お互いに高め合おうという気運が盛り上がることです。
 全国少年合唱祭が開始される以前より長く交流があった団体同士では定期演奏会に賛助出演ということもありました。例えば、平成11年の桃太郎少年合唱団第37回定期演奏会では広島少年合唱隊が、平成12年の第38回定期演奏会では呉少年合唱団が賛助出演しています。団員や指導者の交代はあっても、友情は永遠に続いてほしいものです。
 その後も、お互いの定期演奏会に出かけたり、祝電を送りあったりするような交流は続けられていますが、お互いの持ち歌を歌ったり、お互いの地を描いた歌を歌ったりすることもまた、友情の発露と言えましょう。広島少年合唱隊は、桃太郎少年合唱団の委嘱作品である「ひろい世界へ」をたびたび歌っていますし、平成13年の第42回定期演奏会では、諸般の事情で第3回全国少年合唱祭に残念ながら出場できなかったボーイズ・エコー・宝塚の持ち歌である「しあわせ運べるように」を採り上げました。
 このことに感銘を受けたボーイズ・エコー・宝塚では、団員児童が通っている小学校の修学旅行の行き先が広島であることもあって、平成14年11月の宝塚市民合唱祭や平成15年3月の定期演奏会で広島の平和の祈りを描いたシンガーソングライター梅原司平の「折り鶴」を歌いました。


第4回 全国少年合唱祭呉大会と今後の課題

 第4回全国少年合唱祭は、平成15年8月25日に呉少年合唱団の主管で行われましたが、第27回広島県少年少女合唱連盟 定期演奏会と合同開催ということで、参加団体も少年合唱団については、中国地方の3団体だけにとどまり、客観的に見て、全国少年合唱大会(祭)としての勢いは弱まったと思っています。関係者の方からは、
 「どのような形態であろうとも、継続は力なりで、すばらしい大会でした。この後の、交歓パーティーも隊(団)員相互の自然な交流があちこちにあふれる男の子のよさを感じさせる、よいものでした。」
という感想を頂いております。
 確かに、参加団体にとっては、それなりに意義あるものだったでしょう。しかし、何でもそうですが、物事には内部評価と同時に外部評価が大切です。私ははっきり申しまして、今後ともこのままの形態でやることには、限界がきていると思っています。過去4回の反省をきちんとして、それをもとに新機軸を打ち出して開催してほしいと願っています。第1回目は、やることそのものに意義があったでしょうが、今では、多くの賛同者を得て、よりよいものにすることにこそ意義があります。

 さて、合唱大会や合唱祭といったイベントに参加する最大の意義は、ただ練習成果を発表するだけでなく、交流を通して井の中の蛙にならないということでしょう。自分たちはこれでよいと思っていたが、もっとすばらしいものがあると知ったところから、努力が始まります。音楽の質的向上はそういうところから生まれます。また、イベントを通じて、世間の少年合唱への関心を高めるということもあるでしょう。しかし、計画はかなり早くから立てて各団体に打診しないと、それぞれの合唱団にはすでに年間計画があって、それを変更してまで参加することは、たとえ、趣旨に賛成であっても難しいと思います。もっと大きな問題は、参加した合唱団指導者・団員・保護者にとって、旅費・宿泊費等を払っても参加してもよかったと思わせるだけのメリットがあるかどうかということです。

 そこで、少年合唱を盛んにするという趣旨には賛成だが諸般の事情で参加は難しいというところには、例えば「ビデオ参加」という道を拓いて、当日会場でスクリーンに1〜2曲ずつ放映するステージを創るような工夫があってもよいのではないでしょうか。どこの合唱団でも定期演奏会のビデオぐらいは撮っているでしょうから。いやしくも、日本における少年合唱の衰退を願っているような少年合唱団はないはずです。「アカウンタビリティ」という言葉があります。それは、説明責任と結果説明から成り立っています。まず、きちんとした趣意書を作って大会(祭)開催の社会的意義を明らかにし、これまでに参加しなかった団体に対しても、誠意をもって説明していくことが求められます。また、マスコミ関係に開催とその意義を周知する努力を怠っては、成果は参加団体だけのものになって、世に広まらなくなってしまいます。
 
 ナショナルの松下幸之助は、功成り名遂げてから経済記者の
「これまでに、会社経営で失敗されたことはありませんか。」
というインタビューを受けたときに、
「失敗したことは、ありまへん。」
と、答えたそうです。そんなはずはない、小さな町工場を世界的な企業に発展させていく中では、きっと多くの失敗をしてきたはずであると思って、さらに問いただしたところ、
「失敗したところでやめるから失敗になりますのや。私は、成功するまで決してあきらめまへん。」
と、答えたそうです。この意地と執念、そして過去の失敗を克服するために行ってきた創意工夫こそが、松下幸之助の偉大さです。こういう精神をもって、今後の全国少年合唱祭を切り拓いて頂きたいと思っています。

第5回 全国少年合唱祭栃木大会の成果と課題

 第5回全国少年合唱祭は、平成18年1月21日に栃木少年合唱団の主管で行われました。第1回の主管団体に再び戻ってくるまでには、諸般の事情もあったことでしょう。このホームページの掲示板にもいくつかの報告が書き込まれました。また、桃太郎少年合唱団のホームページには、次回は平成19年2月11日(日)桃太郎少年合唱団の主管で行われることが決まっているようです。それでは、それまでに、第5回全国少年合唱祭の成果と課題を明らかにしておくべきでしょう。当日関東地方は、記録的な雪で交通機関が乱れ、リハーサルも不十分であったというようなことは、自然現象が原因でで仕方のない面もありますが、各団体への呼びかけや宣伝のあり方については、もっと工夫が必要ではなかったかと思います。

 今回の最大の成果は、京都市少年合唱団(男子部)の初参加です。少年少女合唱団の中に男子部を設けているところは、他に和歌山児童合唱団があることはわかっていますが、
探せば他にもあるかもしれません。そういうところに道を拓いたという価値があります。また、第1回と比べ人数的に厳しい状況にあった栃木少年合唱団が、主管を引き受けた心意気は高く評価されるべきだと思います。

 しかし、期日が当初の平成17年8月から平成18年2月に移ったために参加できなくなった団体も出てきた可能性もあることや、各合唱団への連絡が
電話だけというのは、組織づくりとしていかがなものかと思います。趣意書と運営の詳細についての文書を作成し、それをもとに、各合唱団で検討してもらうような緻密な計画が必要です。これは、人脈を使って各合唱団にアプローチする場合、必ず求められます。また、栃木少年合唱団のホームページがこの催しをほとんど伝えていなかったことは問題です。かえって呉少年合唱団や桃太郎少年合唱団のホームページの方が詳しく採り上げていました。また、参加していないフレーベル少年合唱団OB会のホームページも、日本の少年合唱団にとって大切な行事として採り上げられていました。諸般の事情で参加できない団体にも、趣旨に賛成のところはあるはずです。そういう団体を大切にしない限り、発展は望めません。さらに、栃木少年合唱団にとっても、このイベントをきっかけにして少年合唱の魅力を地域の子どもたちに伝え、団員増加につなげるチャンスだったのではないでしょうか。そんな意味でも宣伝のあり方をもっと工夫すべきだと思います。

 当初、全国少年合唱祭は、団体数も減り、団員数も少なくなった少年合唱団が、互いに励まし合い高め合おうという趣旨でありました。しかし、全国の少年合唱団の関係者とつながりをもつ中で、それぞれの少年合唱団が抱える問題は一様ではないということもはっきりしてきました。団員数の減少、音楽の質的向上、指導者の後継者の育成、財政的基盤の確立等課題は団によって違います。人数的には困っていない合唱団もあります。それなら、もっとポジティヴな理念を掲げていくことも大切ではないでしょうか。すべての少年合唱団が、たとえイベントに参加できないまでもお互いに協力し合える組織を作ることこそ急務です。イベントは、日本の少年合唱活性化の一つの方法であって、目的ではありません。特に有力な南関東の3団体(TOKYO FM・フレーベル・グロリア)を巻き込むことができるかどうかが今後の最大の課題だと思います。

   参加団体の推移

 回(主管団体) 1(栃木) 2(岡山) 3(広島) 4(呉)  5(栃木) 6(岡山)
   H.11(1999)
 H.12(2000)

H.13(2001)
 
H.15(2003)

H.18(2006)
 
 H.19(2007
   参加団体 栃木
桃太郎
広島
栃木
桃太郎
広島

栃木
桃太郎
広島
和歌山
桃太郎
広島
栃木
桃太郎

京都
桃太郎

京都
広島
オブザーバー参加 宝塚


第6回 全国少年合唱大会岡山大会
          平成19(2007)年2月11日   岡山市民文化ホール

    「晴れの国」岡山で

 第6回全国少年合唱大会は、平成19年2月11日(日)桃太郎少年合唱団の主管で行われました。昨年の第5回栃木大会が、雪という天候に恵まれない大会でしたが、記録的暖冬の今年の岡山大会は、「晴れの国」と呼ばれる岡山らしい冬としては穏やかな天気でした。この大会のため、桃太郎少年合唱団では1年前から趣意書を作って各少年合唱団に呼びかけるということをしてきました。また、福武文化振興財団をはじめとする地域の企業の助成を得てきました。そういう努力もあって、当初5団体の参加が予定されていましたが、直前になって栃木少年合唱団が不参加となりました。理由は近く中学生の宿泊行事があって重なるということだそうです。その分、各団は、当日のプログラムにない曲まで演奏してくれました。
 この日、会場の岡山文化ホールの幕は開いたままで、6’th Japan Boys Chorus Festibalという横断幕が目に入りました。舞台へ出入りしやすい1階の前席は、各合唱団の座席で約200人の団員と関係者が座り、一般客はその後ろと2階ということで、合計約500人ぐらいの観客であったでしょう。団員に他の団体の演奏を視聴させそのよいところを盗ませることも、この大会の大切な目的の一つであることから、この座席の配置はたいへんよいと思いました。
 ステージは、トップバッターの桃太郎少年合唱団が舞台に上がりながらも、舞台下の3団体と共に歌う合同演奏の「夢の世界へ」で開幕しました。伴奏がこれまで聞き慣れたものと違うこともありましたが、人数の多さが大きな盛り上がりをつくることが心に残りました。

   
いぶし銀の魅力

 桃太郎少年合唱団は、オルバンのミサ曲第6番より4曲と、十八番の橋本祥路の曲という組み合わせでした。どちらかというと地味な選曲でしたが、少年合唱の王道を歩む桃太郎少年合唱団にとっては、こういう選曲がその持ち味である清澄な響きを生かしていることは間違いありません。
 大塚先生の指揮でオルバンのミサ曲第6番を聴くのは2回目。この曲の骨格らしきものが少し見えてきました。アルペジオの伴奏に導かれたほの暗い「キリエ」は、ときどき激しく神へ憐れみを請います。「グロリア」は、次第に精神の高揚を見せながら神の栄光を頌えます。「サンクトゥス−ベネディクトゥス」は、微妙な声の重なりが盛り上がりながら心安らかな世界へと誘い、「アニュス・デイ」において、ひたすら祈り続ける敬虔な小宇宙が展開されていきます。曲の最後辺りに見られる曲想の変化が心に残ります。
 棚田先生指揮による「歌をありがとう」「翼を抱いて」は、桃太郎少年合唱団らしい清澄な響きを聴くことができました。しかし、ぜいたくを言えば、これらの曲を何年も聴き続けている私には、ボーイ・ソプラノが一番美しく輝く年齢の団員が少ないことによる突き抜ける音色を聴くことができなかったことに少し淋しさも感じました。そういう意味では、今回の桃太郎少年合唱団の演奏は、選曲的にもいぶし銀の魅力と言えるのではないでしょうか。

   彩りと活力のあるステージ

 広島少年合唱隊は、持ち前の明るい声質を生かした彩りと活力のある舞台を展開しました。選曲も多彩で、一曲ごとに広島少年合唱隊のもっている引き出しの数の多さを表していました。指揮は平田先生。「Let’s Search for Tomorrow」は、この合唱団の混声合唱団らしい声域の幅を活かした若々しい歌になっていました。曲想は一転して静寂へと変わり、フォーレの「レクイエム」より「ピエ・イエズ」では2人のソロを配し、ボーイ・ソプラノの繊細で清純な声の魅力を全面に立てていました。続く「一本の樹」では、歌に詩の朗読を加え、話し声と歌声の接点を探りました。また、プログラムにはない「怪獣のバラード」では、着ぐるみの怪獣こそ出てきませんでしたが、あふれんばかりの元気よさを表し、最後を飾る「カンタール」では、合唱における振り付けは、ここまで可能であるという視覚と聴覚の両方に訴える演奏を披露しました。これで、平和を祈る「折り鶴が飛ぶ日」が加わると、広島少年合唱隊の縮図になると感じました。

   サプライズの連続 

 呉少年合唱団の指揮は田中先生。ア・カペラ曲が多く、歌声そのものを聴かせるという選曲が目につきましたが、同じア・カペラでも「音戸の船頭歌」では、波と櫓をこぐ擬音を背景(伴奏ではない)に歌われる民謡独特の節回しが聞かせどころであり、「反核の玉」では、命の叫びに近い歌声を聴くことができました。ただ、「ゆかいに歩けば」では、オブリガードを生かせばもっとよくなるのにとか、「けだものがきた」では、アクセントになるセリフをもっとゆっくり言って印象づけることができれば、さらによくなるという注文もあります。また、プログラム最後の「宇宙戦艦ヤマト」では、おそらく初めての混声合唱に挑みました。中学生はもとより、半ズボンの小学生でも身長160cmを超える体格の大きい少年が目につくので、きっと何人かは変声期に入り、ファルセットで歌っているなと思っていましたが、舞台上で場所移動して歌い始めると、かえってその方が自然に感じられました。
 これも驚きでしたが、本当の驚きは、その直後にきました。「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」のピアノ伴奏に合わせて退場した団員が、灰色の上着を脱いで空色のベストスタイルで再登場。これは、演出としても最高で、プログラムにない「アレルヤ」と歌劇「魔笛」より「パ・パ・パ」の2曲を歌ってくれました。これらは、声量もあり、それまでの歌とまた違う一面を見せてくれました。

   歌声に反映していた話し声

 京都市少年合唱団男子部の二人の中学生が団の紹介をしたとき、何とその話し口のおっとりとしていること。まるでお公家さんが話しているようでした。ところが、歌い始めると、それがそのまま歌にも反映していました。京都市少年合唱団のボーイ・ソプラノの育成においては、柔らかい声という声の質の面を重視し、声量をあまり求めていません。それが、1800人収容の京都コンサートホールのような大きな会場では、ややもの足りなく感じることもあるのですが、この800人定員の会場ではむしろそのソフトな歌声がプラスに働いていました。人数的には30人ほどで、しかも中学生の比率が3分の2ぐらいで、全員が揃った時の響きとは違いましたが、選曲の面白さもあって、これまでに感じなかったよさを感じました。京都市少年合唱団男子部は、毎年の定期演奏会でも毎年違う曲を歌うなど広いレパートリーをもっていますが、それだけに、これが十八番というものがあまりはっきりしません。この日歌われた曲が十八番かどうかはわかりませんが、持ち味を生かしていたことは確かです。
 指揮は山口先生。曲の順番はプログラムとは違いましたし、全部初めて聴く曲ばかりでしたが、リズムにおもしろさのある曲を楽しむことができました。3曲は「バイエル」を編曲したものでしたが「ハンガリー風シチューの作り方」は、リストの「ハンガリー狂詩曲」を彷彿させる速いフリスカ調のリズムが耳に残り、「ピアノ先生の言うことは」は、「ハイ」というかけ声やお囃子がユーモラスで、「虫歯のタンゴ」は、「歯が痛いのに歯医者さんがお休み」という面白い歌詞がタンゴのリズムに乗せて面白おかしく歌われました。「星めぐりの歌」と「初心の歌」は、それと比べると印象が希薄でした。

   力強い合同演奏

 このコンサートの最後を飾るのは合同演奏。「マイ バラード」「With You Smile」「ビリーブ」は、160人ほどの人数で歌われる力強い迫力もありましたが、歌詞にメッセージ性があり、それが少年合唱である故に生きることを感じました。
 
 確かに、少年合唱大会のあり方には、課題もありますが、このコンサートに関する限り、少年の歌声の魅力を堪能することができました。


第6回 全国少年合唱大会岡山大会の成果と課題

 桃太郎少年合唱団は、この大会のため前回の栃木大会が終わるとすぐに1年前から趣意書・開催要項等を作って各少年合唱団に呼びかけてきました。このような姿勢は、全国少年合唱大会の意義を少年合唱団関係者に知らせる上でも価値あることだと思います。 また、福武文化振興財団をはじめとする地域の企業の助成を得てきました。そういう努力は、大いに評価すべきであると思います。

  当日の演奏水準も高く、当日の観客は満足して帰路についたと思います。さらに、参加した団員も、他団体の演奏に大いに刺激を受けたことと思います。 しかし、このイベントが開かれることを伝えたマスコミは、私が知る限りありませんでした。インターネットのコンサート案内がいくつかあるのみでした。もっとこの趣旨を知らせる必要があるように思います。また、入場無料で行うのなら、岡山県教育委員会や岡山市教育委員会も後援しているのですから、チラシやポスターを岡山市とその近郊の学校に送付して周知させるような工夫もできるのではないでしょうか。それは、観客動員と共に桃太郎少年合唱団の団員獲得にもつながると思います。

 次に、趣旨に賛成する参加団体が輪番で開催するのはよいのですが、趣旨に賛成でも、距離的に遠いため、あるいは財政的に苦しいため参加できない団体が、何らかの形で参加できるシステムを構築することが急務です。例えば、ボーイズ・エコー・宝塚は、趣旨にはこれまでもずっと賛成で、ビデオ参加ならすぐにでもできますが、旅行・宿泊を伴う参加は財政的な面から保護者の一致した賛同を得られないとのことで参加を見送ってきました。無理をして参加することが、かえって団の危機につながるのでは、全国少年合唱大会の趣旨にも反することになってしまいます。そのような意味からも、もっと柔軟な参加形態を探る必要があります。

 全国少年合唱大会(祭)の今後

 第7回の開催地は、おそらくこれまでに全国少年合唱大会に参加した団が主管して行われることになると考えられました。しかし、それ以来10年以上の月日が経ちますが、開催されていません。また、その間、中心的な存在であった栃木少年合唱団は解散し、他団体も開催当時と比べると、京都市少年合唱団を除いては、人数を減らしています。また、この企画の中心として活躍した指導者も交代しています。さらに、それに追い打ちをかけるように、令和元(2019)年末より、中国の武漢に源を発する世界的なコロナ禍が広がり、次々とウィルスが変異を重ねてきたため、日本だけでなく、世界のすべての合唱団が厳しい状況にあります。
 そのような意味では、全国少年合唱大会は、その歴史的使命を果たし、新たな企画を検討すべき時が来ているのではないかと考えられます。
 
 

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