ねこ横丁 (2007.AUG)

キティちゃん

07年8月12日のおうち日記に書きかけたんだけど、あまりに湿っぽいので、こちらへ移動。
読んで頂く方は、にゃんこ好き限定でお願いします。・・・最初から最後まで親ばかの戯言の羅列なので


きのう、きっちゃんが旅立った。
「ついに」という思いと、この期に及んでまだ「まさか」という思いが錯綜している。
8月に入ってからは、毎日病院に通い、点滴と注射をしてもらっていた。
それでも、確実に弱っており、私の中でも時間の問題だという覚悟が50%から99%に、それでも復活してくれるかもという期待が50%から1%になってきていた。回復を求めるというよりは、痛みを楽にしてあげたいという思いでの通院になっていた。

きっちゃんは、もともと誰かに飼われ、病気のために捨てられちゃったらしい迷い猫だが、おトイレの躾だけはものすごくしっかりしていて、どんなに隠れていても、必ずトイレだけは、ちゃんと砂箱にしていた。一昨日、病院から帰った後、数週間ぶりにうんちをする素振りを見せたけど、途中で力尽きてしまったので、獣医さんに相談の上、床に新聞紙を引いて浣腸をした。少しして便意を催したきっちゃんは、もう足腰が弱りきって思うように動かないのに、砂箱に這い上がろうとして必死になった。実際、砂箱に上げてあげても、座ってられなくて横たわっちゃうんだけど、とにかく「トイレは決められた場所に」というのが、ゆずれない身上だったようだ。
(ちなみに、体の外から直腸をしごくと、便が見え始めたので、手袋をして引っ張り出すと、栓のように固くなったのがズボっと抜け出た。大成功といっても過言ではない。ただ、病状の変化にはつながらなかったようだ)

弱ってきてからも、なんとかトイレに足を入れ、用を足していたが、実際にはお尻は砂箱の外に出てたので、ほとんどがお漏らし状態だったのだが、たぶん本人は気付いてない。私達も、箱の外にオムツをしいて対応していたから、それほど困ったことにはならなかった。

そして昨日の朝、廊下に倒れているきっちゃんを発見。倒れているといっても、歩きつかれて所構わず横になることは多かったので、それほどのこととは思わずに近づいた。
近づく私に、きっちゃんは、悲しそうな、情けなさそうな、申し訳なさそうな声で・・・いや、実際は声はほとんど出なくて、でも口を開けて、声を出そうとした。なんともいえない悲しげな感じで、慌てて、背中を撫でると、尻尾の辺りがちょっと濡れてる。
「???」と思って、顔を上げると、ちょっと先に、水溜りがある。
あれだけおトイレに命をかけていたきっちゃんの、はじめての「失敗」だった。しかも本人もそれを自覚しているらしく、自分の失態に傷ついている。私の知るきっちゃんの一生で、一番可哀相な瞬間だった。

その日も、その後すぐ獣医さんに連れて行って、いつもと同じ治療をしてもらい、「明日日曜日も○時なら開けてますので、様子を見ながら来て下さい」と言われる。その言葉にほっとはしたけど、たぶんそれは獣医さんの優しさで、本当はもうだめだってわかっていたようだ。
帰ってからは、お気に入りだった本棚の隙間に寝かせ(もう自分で歩いたり、場所を選んだり、寝返りもできなくなっていた)、添い寝するように私も廊下に寝転んだ。背中を撫でてあげると、ゴロゴロいうが、もう尻尾は動かない。そうして、そのうちゴロゴロも言えなくなってしまった。

いつもなら目を閉じて寝るのに、今日は寝ることもせず、じっと撫でられている。そのうち、私に向かって「助けて〜」と前足と顔をあがくように動かし、苦しみだした。苦しむといっても、一瞬から数秒で、その後はまた穏やかに撫でられている。その苦しみの間隔が、ちょっとずつ短くなってきて、私は耐えられず獣医さんに電話した。その苦しみがずっと続くようなものなら、今、また病院に行って、安楽死の注射を選ぶつもりだった。先生は、「もう弱ってますから、うちに連れて来る頃には力尽きているかもしれないので、そのまま、おうちで愛情で見てあげてください。苦しがったら、大丈夫大丈夫と言って撫でてあげてください」と話してくれた。
実際、獣医さんに電話したときが苦しみのピークで、その後は、苦しみ方も減っていった。私も泣き疲れ、背中を撫でながら、うつらうつらとし始めた。ハッと気付くと、猫の背中に手を置いたまま寝てたりするので、猫が重いと思い、今度は猫の前足を触りながら、うつらうつらしていた。猫が苦しむと、前足が動くので、すぐに目が覚めた。そしてまた性懲りもなく、うつらうつらする。猫のためにと歌ってあげてた子守唄に、自分がやられてしまったらしい。

「きっちゃ〜ん。おねえちゃん、眠いわ。ちょっと寝かせてよ〜」と冗談半分に話しかけたりもした。

そして、しばらく、私の記憶は途切れる。時間的には20分ほどだが、どうやら本気で熟睡してしまったらしい。
なぜ自分が目覚めたのかわからないが、朝、寝坊したときの「しまった〜寝過ごした!」みたいな感じで、目が覚める。何か夢を見たいたのだが、それは思い出せなかった。
きっちゃんを見ると真っ黒くて真ん丸い目を開けて、こっちを見ている。自分が起きたのは、きっちゃんが苦しんで前足を動かしたからかなと思ったので、ほっとする。あんまり可愛いので、側にあったデジカメでパチリと写真を撮る。だって、きっちゃんの黒目が、暗闇以外でこんなに丸くて可愛いことなんてなかったから。

「ごめんごめん。寝ちゃったね〜」といいながら、背中を撫でてあげる。顔も撫でてあげる。顔を撫でて、違和感を感じる。なんか変だ。なんだろう。顔を撫でても、目も動かないし、反応がない。
「まさか」
と思い、もう一度、背中を撫でてみる。尻尾はちょっと動いたような気がする。(たぶんこれは私の体に尻尾が当たってたせいなのだが) 心臓に手を当ててみる。さっきまでは忙しなくコトコト動いていた手触りが、いまいちわからない。でも動いてないとは言い切れない。また背中を撫でると、ちょっと背中が動いた気もする。
最終的には、まぶたを閉じさせようとして、顔に手をやったが、全く閉じる気配なし。これで逝ってしまったことがわかった。よく「目が死んでる」とか「もう目に力(光)がない」という表現があるけど、私は逝く時は目を閉じてるか、白目が出るんだろうなと思い込んでた。でも、きっちゃんは、生前以上に可愛い目をして逝ってしまった。あんなに黒くてしっかりした目のまま逝ってしまうなんて・・・幸いなことに、たぶん逝く時には苦しまなかったんだろう。ちょっとでも、もがいていたら、私も目が覚めてたと思う。じっと私の寝顔を見ながら、すーと逝ったんだと信じている。もしかしたら、私が起きている間は、私に気兼ねして、逝けなかったのかもしれない。

2日前の9日、私は仕事で帰宅が遅くなった。そんな中、突然、きっちゃんが「にゃおうううーん」と変な鳴き声でウロウロオロオロし始めて、最初は普通に猫をなだめていた両親も、終いには私に何かあったのかと思って、生きた心地がしなかったらしい。私が家の門をガラガラと開けた途端、きちゃんは鳴きやんだので、私はその時の様子がわからないのだが、母は「あれは可哀相でたまらなかった。あんたが近くにいてあげるのが一番」と言う。獣医さんによると、痛みや苦しみではなくて、妄想だろうという。

生前、食べたくないのに、無理やり食べさそうとする私、顔を洗わないきっちゃんの顔を、めん棒で綺麗にしようとする私から、きっちゃんは避けたり逃げたりしたもんだから、犬が飼い主に抱くような愛情をきっちゃんが持っていたとは思えなくて、自信がなかった。行方不明になったり、家の中でも姿をくらまし、隠れることも多かったきっちゃんなので、添い寝しながらも、ほんとはひっそりと逝きたいのかなとも思ったが、9日の「あんたが帰ってくる音が聞こえた途端、落ち着いた」という母の言葉に勇気付けられ、(眠ってしまったけど一応)最後を看取る決心がついた。また、ありがたいことに、その日は唯一、私が一日中、家にいることができる日だった。

逝く瞬間を見せなかったこと。逝くまでの時間をちゃんと二人で過ごせたこと。なによりも、可愛い、穏やかな、生きてるような顔で逝ってくれたこと。本当に親孝行な猫だった。逝ったのが土曜日の午後だったので、遺体は月曜日に引き取りに来て貰う。だから実は今、ガンガンと冷房中の部屋で、私の横には、アイスノン入りの箱の中で横たわったきっちゃんがいる。獣医さんに相談したら、夏でも2日位は大丈夫らしい。パッチリ開いた目は、その後何とか閉じさせて、今の表情は、寝ている 時のいつものきっちゃん。体を持ち上げようとするとカチカチに固まってるから、本当に逝ってしまったんだとわかるが、それ以外はまるで生きてるみたい。毛はフワフワだし、背中を撫でてあげると、グルグルいいそうだ。ふっと見ると、お腹も呼吸で微かに上下しているように錯覚する。白という色のせいかもしれない。耳もピンとたってるし、今にも「寝てるのにうるさいなあ」とあきれたようにこっちを見そうだ。明日から、きっちゃんがいない生活。まだ信じられない。


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