ティールーム(97.6)
本日のお菓子は、 草の露(和菓子) 本日のお茶は、 福昔(一保堂) でございます 各部屋では 十分におはなしできなかった犬の こと、植物や野鳥などの自然、その他のトピッ クスのお部屋です。 また豊能町についてのご案内を通して、皆様に 「豊能町への小旅行」や「短期/長期滞在」の 気分を味わっていただけたらと思っています。
No.87(1997.6.17) ほととぎす その2 ホトトギスを漢字で書く時、つぎのように何通りもあるのですね。 時鳥、 郭公、 田長鳥、 霍公鳥、 沓手鳥、 不如帰、 妹背鳥、 思帰、 卯月鳥、 子規
No.86(1997.6.16) ほととぎす その1 何週間かまえからホトトギスのなく声をきいています。 「特許許可局」などと聞こえるとされていますが、私には「特許、キョキョ キョキョ」のようにきこえます。 夜遅く、午前2時ごろにも鳴いているとの友人の言葉に深夜、テレビなどの 音源を消してみると・・・ 「トッキョ、キョキョキョキョ」 あっ、鳴きました。午前2時前、2時過ぎ、そして4時にも。7時にも聞こえ ました。夜行性でもなさそうなのに、いったいいつ眠るのでしょうね。 万葉集では2位の雁を詠んだもの49首をはるかにしのぐ151首にホトトギ スは詠まれているそうですし、古今和歌集巻三夏歌では全34首のうち28首 がホトトギスの歌です(数えてみました)。あと恋歌一から五、哀傷歌に 計16首ほどもホトトギスの歌でした。 「皆様へ(テーマ)」の部屋のアップ時以来、私の愛読書となって(?) いる(紀)貫之さんの古今和歌集(新潮社)から何首かご紹介しましょう。 わがやどの 池の藤波 咲きにけり 山時鳥(やまほととぎす) いつか来(き)鳴かむ よみ人しらず (わが家の池のほとりの藤の花が咲いた。山から時鳥が来て鳴いてくれるのは いったいいつのことか、待ち遠しい。) けさ来(き)鳴き いまだ旅なる 時鳥 花たちばなに やどは借らなむ よみ人しらず (今朝、山から里に来て鳴いたばかりで、まだ旅心地の時鳥よ。咲きそめた この花橘に宿を占めて、鳴き声を聞かせてほしい。) やどりせし 花橘(はなたちばな)も 枯れなくに など時鳥 こえ(声)たえぬらむ 大江 千里 (すみかと決めている橘の花もまだ枯れないのに、なぜ時鳥よ、声が聞けなく なったのだろう。) ホトトギスは、藤や橘(たちばな)といっしょに詠まれることが多いのですが、 ウグイスが梅の木に宿るのとおなじ発想だということです。先月アップの 「豊能町の自然 Part-13」の たちばなと藤をご参照ください。 夏の夜の 臥(ふ)すかとすれば 時鳥(ほととぎす) 鳴くひと声に 明くるしののめ 紀 貫之 (眠ろうとして横になったと思うと、一声、時鳥が鋭く鳴いて、たちまち夏の 夜のとばりがあけはなたれる、もはや夜明け。) 五月雨(さみだれ)の 空もとどろに 時鳥 なにを憂(う)しとか 夜ただ鳴くらむ 紀 貫之 (梅雨の夜空をとどろかせるばかりに鳴く時鳥は、いったい何をそんなに憂れ わしく思って、あんなにひたすら夜を鳴くのであろうか。) むかしから人はホトトギスの声を聴いてきたのですね。先人たちの環境は なんらの雑音もなかったこと、うらやましい鑑賞条件です。
No.85(1997.6.7) 大河ドラマにおけるPC(ポリティカル・コレクトネス) 6月1日のNHK大河ドラマ「毛利元就」をみていたら面白い場面があった。 元就が息子3人を座らせて矢を1本ずつ手渡し、折ってみるように言い、次に 3本ずつ手渡してやはり折ってみよと言います。 一本ならたやすく折ることができるが、3本になると容易に折れないことを 経験させ、お家の繁栄のために兄弟3人が力をあわせれば強い力となること をおしえるのである。 ところがこのあと、元就の娘がこのことを聞きつけて父親に、自分はお家の 繁栄のために兄弟と協力していくことを期待されてないのかと問いただすので ある。 元就はあわてて矢を4人に4本ずつ手渡し、やはり折れないことを確認させた うえで、男女のきょうだい4人で協力してゆくように訂正するのである。 女性が発言して、やっとポリティカリー・コレクト(政治的妥当性)となった この場面。 溜飲をさげることができましたね。 さすがは女性の脚本家(内館牧子さん)です。
No.84(1997.6.1) 時間どろぼうとモモ ミヒャエル・エンデ作『モモ』を友人に借りて読みました。これは時間どろぼ うと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語です。 「時間がない」とか「時間のあるときに」などとよく言いますが、いったい時間 とは何なんでしょうか。 この本を読んでいる時くらいじっくりと考えてみませんか・・・と作者が問い かけているように感じられます。 灰色の男たちに時間を吸い上げられた人々の表情、行動、考え方等はまったく それ以前とは異なります。読者はだれもが第三者としてそれらの人々の表情、 行動、考え方等を観ることで、 「あっ、自分のことだ。」 と、痛感させられるのではないでしょうか。 もっとこわいのは致死的退屈症です・・・無気力、無関心、ゆううつ、自分や 世の中に対するつのる不満、感情さえなくなり心の中は冷えきって人も物も 愛することができなくなる。 現代人への痛烈な批判をしながらも物語は純粋な詩的世界の童話です。エンデは これをメールヘン・ロマンと名づけているそうですが、空想科学小説ともいえる 世界に引き込まれ『モモ』といっしょに歩いてゆくことで現実をすっかり忘れて しまえるひとときが持てます。 人間はひとりひとりが「金の時間の殿堂」を持っているのだそうです。 これをちゃんと意識でき、享受できるような時間のつかい方をしたいものです。 印象深い物語でした。