ティールーム(97.7)


                                               本日のお菓子は、 すずかぜ(和菓子)
                                               本日のお茶は、   冠香の歓び(森半)
                                               でございます
                                               

各部屋では 十分におはなしできなかった犬の                                 
こと、植物や野鳥などの自然、その他のトピッ
クスのお部屋です。
また豊能町についてのご案内を通して、皆様に
「豊能町への小旅行」や「短期/長期滞在」の
気分を味わっていただけたらと思っています。
                                                      

No.92(1997.7.16) ドイツ旅行 その4 中世都市 ロマンチック街道沿いの観光都市をいくつか訪れました。10-12世紀から のままのきれいでかわいい都市。まず町のまん中に市庁舎、その前にはかなら ず広場がある。教会はひとつ、あるいはふたつあって目立つ存在である。通や 広場は石畳、家々は壁、屋根ともにカラフルで高層建築である。窓を飾る花が 一層かわいさを加えている 当時から高層建築? というのは、じつは厚い壁で重力を受け、マッチ箱を重ね る工法で階を積み上げていったらしい。窓はおのずと小さくなる。(このあと ゴチックになると、柱で重力を受けるという工法になる。) 町のまわりには市壁があり、頑丈な門が残されている。(観光都市よりも近代 都市への道を選んだ町、たとえばミュンヘンなどは、市壁はとっくに撤去され、 いまは広い道路となっている。) 町全体の規模は概して小さい。川沿いのハイデルベルクで、幅 1.5km の町が、 約3kmの長さでひろがっているが、ローテンブルクなどは東西に500m幅、 南北にも500mだが、南北の一部のみ約800mの長さがある。 ローテンブルクで面白かったのが「中世犯罪博物館」、犯罪をとおして当時の 市民の生活がしのばれました。 次回に。
No.91(1997.7.09) ゲイって?・・・まじめに 昨日お話したゲイについては、最近日本でも話題になってきていますね。 つまり、病気としてとらえ、必要なひとには手術などの処方を施すべきである と考えられてきているようです。 いつだったか『コナンドラム(Conundrum)』という本を読みました。これは 男性として生まれジャーナリストとなったが、のちに転換手術により女性にな ったひとの手記です。 著者はこう説明していました。 どちらの性( sex )かという時は器官(体)の違いを意味しますが、 どちらのジェンダー( gender )かという時には、「脳が(自分がそうである と)意識している性」をさすのだそうです。 従って、著者の場合は性(sex)は男性、ジェンダー( gender )は女性だった ので、本人は大変不都合で不幸せな人生を歩んでいたのでした。 想像もできない世界のことに関心を寄せたものの、まじめな説明に皆、納得し たことを覚えています。
No.90(1997.7.08) ドイツ旅行 その3 ゲイ・ウォッチング 6月28日土曜日急に町中の人口密度が上がったのには理由があったのです。 午後2時発のポツダム行きの観光バスが予定の位置に見当たらず、観光を断念 せざるを得ませんでした。交通規制のためにバスは来られなかったのです。 ベルリンのメイン・ストリートが歩行者天国と化しました。 ゲイの人たちの大規模なデモを見るはめに(?)なり、人間ウォッチングも趣 味のひとつとしている私は観光を返上、観察に切り替えたのでした。 パレードの誰もがなんと陽気にはしゃぎ、踊り、行進していることでしょう。 飾り立てたトラックの荷台には大型ステレオ・スピーカーがビートをきかせた 音楽をがんがんならし、車上の人は派手なお化粧やいろんな扮装でアピール。 行進する人たちも負けじと奇抜な衣装。 見物側のゲイ・ペアたちのゲイ・ペア ルックもなかなかおしゃれ。 ドイツ国内だけからこんなに大勢?というほどパレードの車、行進のひと、車、 行進、車、行進とつづきますが、見物人もまた大勢。大通りの両側に人垣が 何重にも途切れなくつづいています。 子連れの多いのは意外でした。子供にちゃんと説明してあげるのでしょうか。
No.89(1997.7.08) ドイツ旅行 その2 シャルロッテンブルク宮殿 ベルリン市の中心から少し西に位置するシャルロッテンブルク宮殿は、初代 プロイセン国王フリードリヒ一世が、妃のゾフィー・シャルロッテのために建 てたエレガントな宮殿。戦火をのがれた美術品があり、プロイセンの歴史を物 語る貴重な博物館でもある。 赤の部屋、グリーンの部屋、タペストリーや関係者の肖像画がいくつか掛って いる部屋、書斎、食堂などをみてまわったが面白いことに各部屋に中国製の大 きな壷が置かれている。最後に案内された所は「磁器のキャビネット」と呼ば れる部屋で、壁全体に中国磁器がこれみよがしに展示されてある。 展示というより、所有者にとってはむしろ「みせびらかし」であったのですね。 当時は、現在の何倍もの価値があったことでしょう。 でもこの飾り方には見物のだれもがうんざりしていました。
No.88(1997.7.05) ドイツ旅行 その1 ベルリン ずいぶん御無沙汰いたしました。ホトトギス、その3を用意するつもりでした が、それはもうすこし先に延ばすことにして・・・。 じつは約一週間ドイツにおりました。ベルリン、フランクフルト、そしてハイ デルブルグ、ローテンブルグなどの中世からの古い町を見てきました。 ベルリンといえばやはり「ベルリンの壁」。 一部クリアされてないところが あるそうですが、まずふつうの観光客の目にふれることはありません。 でも、もと東、西のいずれの側だったかははっきりとわかります。 西側は、近代化した都会といった町並みですが、東側ではビル郡は古く、粗末 な感じがします。そしてそれらの建物のかなりが取り壊され、現在再建の工事 があちこちで進行中、クレーンがにょきにょきと立っていました。 東側にはベルリン最古の教会、ニコライ教会(1230年)をはじめたくさん の博物館、かつてホーエンツォレルン家の宮廷教会だった大聖堂(Dom)など 中世から近代までのみどころが多いのですが、私はブランデンブルグ門、大聖 堂などを見て、当時の栄華を偲びました。 ブランデンブルグ門の東側には何台もの観光バスが停車していましたが、まわ りは工事用の砂が積まれてあったり、水パイプが頭上を横切っていたりで雑然 としていました。 工事が多い理由のひとつはドイツは高緯度に位置するため冬は寒すぎて工事は できないとのこと、観光シーズンでもある夏場は工事シーズンでもあるのです。 1990年10月3日、東が西に組みこまれ両ドイツ統一がなされ、事実上 首都となったベルリンですが、まだ国会議事堂などはボンにあり完全な首都 になりきれていないそうです。

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