ティールーム(98.09)
本日のお菓子は、 桔梗 本日のお茶は、 慶知の昔(お詰めは小山園) でございます。
各部屋では 十分におはなしできなかった犬の こと、植物や野鳥などの自然、その他のトピッ クスのお部屋です。 また豊能町についてのご案内を通して、皆様に 「豊能町への小旅行」や「短期/長期滞在」の 気分を味わっていただけたらと思っています。
No.156(1998.09.29)不都合、不便だけれど、不幸ではない 町が主催した会合に、自治会の一員として出席したことがあります。そこで私には 初めて盲人の方のお話を聴く機会がありました。大阪府○○市立図書館にお勤めの 方でした。 点字用の(短い)定規をあてがっての点字筆記のなんという速さ! 晴眼者の「走 り書き」に相当するのでしょうか、その速さには会場から驚きのざわめきがおきま した。(晴眼者が)普通に字を書くのと同じスピードです。実際に点字を使うとい うのはこういうことなんだということが解かりました。 歩く時にはまわりの風、空気の動きで前方に車が停まっているのがわかり、地下鉄 に乗る時にはやはり、ドアでない部分とは異なる風のながれでドアの前がわかる、 と説明されました。一人での外出もされていることがわかります。 力強く訴えられたのは、「盲人は、その生活には不都合、不便さはあるけれど、 決して不幸ではない」ということでした。 身障者の近くに居ない者は、「不都合、不便 = 不幸」のように思い込みがちです。 でも、仮に自分が、または家族のだれかが失明したり、聴力を失ったり、身体のどこ かに不都合が生じたりした場合のことを考えてみるとわかりやすいかも知れません。 あの訴えは私の脳裏に強く残っていて、今になってよみがえってきました。
No.155(1998.09.17)季節のしっぽ 「季節のしっぽ」に出会いました。武田花さんという方のフォト・エッセイ集です。 廃屋にいる猫や、海岸にいる犬、寂れた感じの風景など、猫のシーンが圧倒的に多い のですが、全部モノクロです。 (写真集『眠そうな町』で木村伊兵衛賞というのを受けておられます。) 今時のモノクロ。それが、猫たち被写体を生かしています。寂れた感じが、人恋しさ が、何にも動じないで平然としている猫の存在が伝わってきます。 相対するページのエッセイがいいなあ。人生のお連れというより切り離せない相手と なってしまっている猫とのふれあい、子供の頃母から聞いた話を思い出したり、著者 の日頃の取材を含む生活の様子などなど。なんども笑わせてくれるのです。 なぜかゆったりとして、リラックスできるのです。 脳がアルファー波を出す状態にさせる「アルファー波ミュージック」というCDがあ りますが、ちょうどそんな感じなのです。
No.154(1998.09.12)鳥山淳子さんからメールが来た! No.59(1997.4)でご紹介した「映画の中のマザーグース」の著者、鳥山淳子さんがこ のたびホームページをスタートされました。 突然、そのお知らせのメイルをいただいて感激の真っ只中。 マザーグースが、映画や児童文学のなかでどのように出てくるのかが、よくわかりま す。どんなにお忙しくとも、新しく封切られた映画をチェックすることはずっと続け ておられる様子。既に340本あまりの映画を調べて来られているのは驚嘆です。 気軽に訪問してみましょう。楽しみながら生きた英語に触れられます。 大好きマザーグースはこちらです。
No.153(1998.09.10) 老年時? 壮年時? 眠くてねむくてたまらない時、絶対に起きたくはないのに無理矢理起きざるをえな い時、頭をチラとよぎるフレーズがあります。 「死は永遠の眠りだ。」というハムレットのせりふです。 当然シェイクスピアの考えですよね。どうしてこう言っているのでしょう? あちこちが老化し、痛みや病気を抱える老年期には、このようにあっさりと理詰め で言い切れるでしょうか? まだまだ元気で脚本を執筆していた壮年期、思う存分 眠りたいと願い続けたからこそ、「眠り」を憧れのものだと聴衆に教えているので はないかしら? でも、再考してみると 眠っている間は意識がない。つまり痛みや悩みや病気もその間は感じないというこ とでもありますね。それらから一切解放される「ゆめのような」時ですね。 つまり、どのような健康状態であれ精神状態であれ、(どんな年齢であれ)、(死 とは)あこがれの対象として考えようではないか・・・と400年前の舞台から説得 しているのでしょうか??