2004/8作成
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 鎌倉市 KK-03
写真1 腰越の海岸と江の島
写真2 鎌倉 市腰越の浄泉寺山門
写真3
浄泉寺の関東大震災殃死者供養塔
撮影:2004/7
腰越は鎌倉市の西端に位置し、江ノ島(藤沢市)がまぢかに見えます。
写真2の手前の道路は国道134号線で、左方向が江の島(江の島入り口まで約800メートル)、右方向が稲村ガ崎。
浄泉寺は鎌倉市史 社寺編(昭和三十四年)によると、
『小動山松岩院淨泉寺(こゆるぎさんしょうがんいんじょうせんじ)と号する。古義真言宗。もと青蓮寺末。いま京都大覚寺末。開山は空海と伝える。中興開山は弘治四年に寂した元秀である。本尊、左剣不動明王。・・・』とある。
腰越津村は全戸數の三割七分に當る二百七十八戸を焼失し、全潰四百十五戸、半潰百六十二戸、死者五十八名を出し、全村殆ど壊滅した。同村七里ヶ濱の鈴木病院は全潰して、死者十一名を出したのは悲惨であった。(鎌倉震災誌 昭和5年)
供養塔の背面には上下7段に亘って死者80名の氏名が刻まれています。この犠牲者の多さには驚かされます。鎌倉震災誌に記されている腰越津村の死者数と比べて極めて多いのはどんな理由ががあるのでしょうか。
供養塔 正面
供養塔 背面
津波に関する記述
海嘯*の被害を記せば、震後約二十分、約三十尺(約9.1m)の高度を以って鎌倉町、腰越津村、川口村の海岸を襲い、(中略)腰越津村では、七里ヶ濱の縣道護岸十餘丁(110m余り)震災の為大破した上更に海嘯の来襲を受けて壊滅し、その為に倒潰した民家も多く、・・・・・ (西坂勝人 神奈川県下の大震火災と警察 より)*海嘯=かいしょう:津波のこと
腰越津村に於ては七里ヶ濱縣道護岸十餘丁震災に依り大破し、更に海嘯の襲來受け壊滅し、之が爲に民家の倒潰せるもの少なからず、・・・・・ (神奈川県警察部 大正大震火災誌 1924 より)