作成:2015/1
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 藤沢市 FS-02
写真1 亀井神社
正面鳥居からの全景
写真2
本殿と大震災復興記念碑(右の石碑)
写真3 大震災復興記念碑
写真4
大震災復興記念碑と篆書で書かれた題字(篆額)右から上下の順で読む
撮影:2015/1
当地は震災当時は高座郡六会(むつあい)村字亀井野でした。1942年(昭和17年)に藤沢市に編入。
六会村の死者数は15名*でしたが、石碑の記載によると亀井野で14名が亡くなっており、六会村の死者のほとんどは亀井野が占めていたようです。
御由緒の石碑より
御由緒
不動ヶ谷の先住氏族はこの地に定住すると農地の開拓にのりだした そして彼等の中には信仰心の厚い者もいた 即ち不動の森を霊山ときめ法華の教えを信じた 當時の信仰の流れとして経文一文字を一石に書き塚を作る之が経塚であり水に因んで不動明王を祭り不動堂を作った これが不動様の初めである(天正十八年 1590年)
明治のはじめ日本は神国なりと時の政府は各村落に社を作り神を崇拝するように命じた 私達のお不動様も亀井神社と名を改め村の鎮守社となる 余神天軻句突知命*(火の神様)當社は源義経四天王亀井六郎の祈願せし□にして天正十八年堂宇建立宝永年中岡部和泉守崇敬厚く社殿を改築せりと傳ふ 大正十二年大震災により社殿鳥居等倒壊せしを後日氏子中にて再建す
平 成 五 年 六 月
- *余神天軻句突知命(あめのかぐつちのみこと)
- □は文字不明
大震災復興記念碑の正面には碑文が、背面には建築員、発起者が刻まれています。碑文には、ここ亀井野はほとんど全滅するほどの被害を受けたこと、神社・鳥居を再建したこと、復興を記念して記念碑を建立したことなどが刻まれています。
*死者数 諸井孝文,武村雅之 関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定 日本地震工学会論文集 第4巻 第4号 2004の付表より