作成:2005/4 更新:2015/3
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横須賀 YS-04
写真1
石段の参道より本殿を望む
写真2
神社の補修・改築記念碑
諏訪大神社の伝承(案内板より )
神社の伝承によると、康暦二年(1380)にこの地の領主であった三浦貞宗(横須賀貞宗とも言う)が、信濃国(現在の長野県)諏訪から上下諏訪明神の霊を迎えて建てたとあります。 また、徳川家康が、江戸に幕府を開いた三年後の慶長十一年(1606)二月二十七日、大寒長谷川三郎兵衛の発起で、社殿と境内地の大改修が行われたことも伝えられています。 祭神は、健御名方命(たてみなかたのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)の二柱です。健御名方命は、武勇に優れた神で、東国の守り神と言われています。事代主命は、えびすさまとも言われ、開運の神として広く信仰されています。 (以下省略)
資料*によると、諏訪神社の被災状況は次のように記されています。
市役所と共に市の丘陵にありしも地盤の関係か神威の然らしむる所か、僅かに中玉垣全部崩壊せしのみにて他に何等損害を蒙らざりき。震後更に氏子より一萬八千圓の寄附金を得て玉垣の修理其の他の手入れをなし倍舊の美観を呈するに至れり。
(旧字体、かな送り、句読点を変更)
写真3
社殿に向かって右側にある大震災避難記念碑
写真1~3 撮影:2005/4
避難記念碑の台座正面には避難者の名前が刻まれています。「よこすか中央地区 碑を歩く 1993」によると、
…多くの住民が境内の社務所や社殿で、寝食をともにしました。いまも神社裏側の建物に、当時の落書きが残っています。碑は、鎮守府司令長官、海軍大将野間口兼雄の書で、台座正面には四十三人の避難者の名が刻まれています。
とあります。
諏訪社の避難者は約400名(資料*)で、災害直後は多数の人が避難していました。諏訪大神社は災害直後の一時避難場所からその後の避難場所になりました。
台座正面に避難者の名前が刻まれていますが、宮司さんの話によると、これを被う形で銅板が取り付けられており、銅板にも名前が刻まれていました。この銅板は戦後の物のない時代に盗まれたとのことです。銅板が取り付けられていた6カ所のビス跡が剥離しており、氏名の一部が欠落して判読できない字もあります。
写真4
狛犬と鳥居
諏訪大神社の石柱と鳥居との間を通して石垣の下部に神社の補修・改築記念碑が見える
写真5
火にさらされた狛犬
写真4~5 撮影:2015/3
写真4の鳥居の後ろには、「大正十五丙寅年一月再建 相模運輸株式會社」とあり、補修・改築(復興)記念碑が建立される4か月前に再建されていることが分かります。また、鳥居の前面には一対の狛犬がありますが、正面に向かって右側の狛犬(写真5)は補修した跡が残っています。宮司さんの話によると、高台にある諏訪神社には多量の荷物を持った避難者が集まっていましたが、降りかかる火の粉によって荷物に火が付き、その熱で狛犬の後ろ側が火に曝されて劣化損傷したそうです。
参考資料
*資料 横須賀震災誌 附 復興誌 横須賀市刊行会編纂 昭和7年