作成:2005/2 更新:2015/3
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横須賀 YS-08
写真1
国道16号線船越トンネル
群霊宝塔はトンネルの下り車線際にある
写真2 殃死者群靈寶塔
写真3 殃死者群靈寶塔
。田浦町は三浦郡に属し、郡内では浦賀町に次ぐ被害が発生し、死者97名*1を出しました。
田浦町は横須賀本港の北西に位置する長浦湾に臨む町であり、水雷学校や海軍の重油タンクなどがあり、重油タンクの爆発が起こりました。
<資料-2>*2には次のような記載があります。
田浦町では海軍水雷学校が小破した外、同町箱崎の海軍重油タンクは、重油の充実したもの6基、工事中のもの6基あったが、重油充実したもの①気が震動の爲破損して流出した重油が、未完成タンクの工事に従事していた土工等が他に避難した後で、同工事現場にあった残火に移って発火し、火は忽ちタンクに伝わって爆発し、他の重油充実タンクも強い灼熱のため一斉に大爆発を為し、同時に是等の重油は海中に流れ込んで付近海面一帯を火の海と化したので、同所沖合に停泊中だった軍艦榛名は、急遽錨鎖を切断して軍港外に避難した。
(旧字体やかな送りを変更、漢数字をアラビア数字に変更)
殃死者群霊宝塔の建立者は在郷軍人会*3 田浦町分会田浦班とあり、慰霊の対象は田浦町の犠牲者と思われます。重油タンクの爆発は特異な事件でしたが、海軍用地であり、人的な被害はありませんでした。津波やがけ崩れもなかったことから、犠牲者の多くは家屋倒壊による圧死者と思われます。
殃死者群靈寶塔 正面
*1 死者97名 諸井孝文,武村雅之 関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定 日本地震工学会論文集 第4巻 第4号 2004の付表より
*2 西坂勝人 神奈川県下の大震火災と警察 1926 より
*3 帝国在郷軍人会 平時は通常の市民生活を送り、有事の際は召集される予備役及び後備役の軍人によって構成される組織である。全国の連隊区ごとに支部、市町村に分会という系統で組織化された。関東大震災では現役兵で構成される陸軍・海軍部隊だけでなく、在郷軍人も活発な救護活動を展開している。(1923関東大震災報告書(第2編)より)