| 想い出の日本の少年合唱団 |
| 1 少年合唱団から少年少女合唱団に移行した団体 |


| プロフィール |

| ボーイソプラノ合唱団 クリスマスコンサート 平成28(2016)年12月17日(日)東山スカイタワー5階スカイホール |
昨年「常滑少年合唱団」として発足し、今年度「ボーイソプラノ合唱団」として新たな出発をした合唱団のクリスマスコンサートが東山スカイタワーであることを知って、行くことを最終決定したのは2日前のことです。その理由は、会場のある東山公園は、鳥インフルエンザのため東山動物園が当分の間休園になるなど、直前まで開催がはっきりしないことでした。15日にコンサート決行のニュースを常滑市青海市民センターのホームぺ―ジで知って、行くことを最終決定しました。動物園が休園ならば、植物園の方から行けばよいだろうと思って、午後1時半過ぎに地下鉄の星ヶ丘駅で降りて会場に向かって上り坂を歩きはじめると、椙山女学園大学を過ぎるあたりから人通りがなくなって、東山スカイタワーの近くまで一人も人に出会わないという珍道中?となりました。2時ごろエレベーターで高さ約100mのスカイタワーの5階に昇ってぐるりと1周見回りましたましたが、人の姿は売店の方だけ。コンサートが開かれる場所を店員の方に聞きました。
「鳥インフルエンザの影響は大きいのでしょうね。」
「はい、とても大きいです。」
そこで、ステージになる場所の前のソファーに腰かけて待っていますと、コンサートのスタッフの方々が準備のために入ってこられて、デジタルピアノの配線をして、アコーディオンと音合わせを始めました。そのころから、合唱団員やその家族と思われる名札を首にかけた人たちが続々と入ってこられ、団員は、侍者服をかぶって準備に入り、やがて予定の開始時刻となりました。メモをもとにして、この日のプログラムを掘り起こすと、次のようです。
1.もろびとこぞりて(全員合唱)
2.ひいらぎかざろう(全員合唱)
3.あれののはてに(全員合唱)
4.Caro mio ben (ソロ)
5.Nel cor piu non mi sento (ソロ)
6.Ombra mai fu(ソロ)
7.花のワルツ(アコーディオン&デジタルピアノ)
8.おめでとう クリスマス(全員合唱)
9.赤鼻のトナカイ(全員合唱)
10.Vaga luna che inargenti (ソロ)
11.彼方の光 (ソロ)
12.アヴェ・ヴェルム・コルプス(全員合唱)
13.きよしこの夜
人数的には昨年の2倍に増えた10人の団員が前後2列に並んで加賀誠二先生の指揮のもと3曲の有名なクリスマスキャロルでコンサートは始まりました。まだ、のどが十分温まっていないところから1曲ごとに少しずつ調子を上げていくのが伝わってきました。また、クリスマスキャロルは、最後の「きよしこの夜」まで全体を通してたいへんシンプルでオーソドックスな合唱編曲によるものでした。よく考えてみると、私が聴いた日本の少年合唱団のクリスマスコンサートの生演奏は、ほとんどTOKYO FM 少年合唱団のものであり(合計11回)、その独自の凝ったアレンジが耳に焼き付いているから、ボーイソプラノ合唱団の演奏がかえって、新鮮に感じられたものです。
続いて高学年の3人によるイタリア古典歌曲などのソロが始めりましたが、最初の“Caro mio ben”が終わったところで、加賀先生よりこの合唱団のコンセプトとなる重要なメッセージが発信されました。それは、イタリアの古典歌曲の独唱を通して、ベル・カント唱法を身につけ、一人ひとりが合唱において自分の役割に対して責任をもつという理念的なことでした。半年や1年の練習で、それが完璧に身に着くとは考えられませんが、師がめざしているものがはっきりしていれば、きっと団員たちは師の想いを実現すべく努力し、それは、2~3年後には一定の結実をもたらすであろうと思いました。それは、後半の1年以上団員を続けている2人のソロを通してより確かなものとして感じられるようになりました。“Vaga
luna che inargenti”では、明るい声が前面に出ており、“彼方の光”では、高音の輝きに満ちた声を聴くことができました。
イタリアの古典歌曲の独唱を通して、ベル・カント唱法を身につけ、一人ひとりが合唱において自分の役割に対して責任をもつという理念を持った少年合唱団は、これまで日本に存在しなかったと思われます。理念の後半部分だけなら当然あるでしょうが。そのような意味で、この合唱団が今後どのような歩みをしていくのかを興味深く感じながら鑑賞していました。団員達も、ON OFFの切り替えが素早く、その辺りにも好感をもちました。来年もし同じ会場で開催したら、鳥インフルエンザが再発しない限りもっと一般客は来てくれるだろう。秋のバスツアー演奏会も一定のファンをつかんだだろう。知多半島から名古屋市に進出することでこの合唱団はもっと発展するのではないだろうか。そんなことを思わせるクリスマスコンサートになりました。
| 2 解散または解散したとみられる少年合唱団 |
東京にあった少年合唱団で、昭和30~50年代(1950年代から1970年代前半)に活躍しました。東京第二師範学校(現・東京学芸大学)を卒業した奥田政夫が、昭和23(1948)年東京都中野区立上高田小学校(令和2(2020)年度より新井小学校と統合して、令和小学校に統合)に赴任して、同小学校の上級生を集めて合唱指導を始め、60?70人の児童が集まりましたが、当初はほとんどが女子であったそうです。そこで、方針を変更して、昭和25(1950)年、男子だけの合唱団となり、同年11月「全日本学生音楽コンクール」合唱部門で、いきなり東日本1位になりました。昭和28(1953)年「NHK全国唱歌ラジオコンクール」で、全国1位になり、昭和29(1954)年、両コンクールで全国1位になることで、「上高田」の名が全国的に知られるようになりました。その頃から、レコード、ラジオ、テレビ番組の主題歌の仕事も舞い込むようになり、「上高田小学校児童」として歌うわけにもいかないということで「上高田少年合唱団」という芸名でレコーディングすることになり、この名前が全国的に知られるようになりました。なお、最初の放送番組は、昭和32(1957)年に放送開始したラジオ番組『赤胴鈴之助』の主題歌です。ところが、昭和34(1959)年、奥田は東京都練馬区立開進第四小学校へ転任。さらに、昭和37(1962)年、東京都板橋区立中根橋小学校へ転任しましたが、転任先でも合唱の指導を続け、テレビの収録などにはその時々の教え子を連れて行いましたが、名称は引き続き「上高田少年合唱団」を踏襲しました。つまり、有名な日本最初のアニメ『鉄腕アトム』(昭和38(1963)や『スーパージェッター』(昭和40(1965))などの主題歌を歌っていたのは、中野区上高田ではなく、実際には練馬区や板橋区の児童であったということになります。上高田少年合唱団は、硬質な声と詩を縁取るような力強い歌い方で、その番組を視聴する子どもたちの精神に正義感を育んでいきました。戦後、日本の教育音楽の世界では、歌詞よりも曲が優先される傾向があります。私は、それを否定しません。しかし、昭和30年代から40年代にかけては、テレビやラジオの子ども番組の主題歌が、学校における教育音楽を補完していたと言うこともできるのではないでしょうか。上高田少年合唱団の歌には、ヨーロッパの聖歌的な響きはありませんが、戦前より引き継がれた日本の少年らしい凛としたものを感じます。ある意味では、その歌声は昭和初年の戦時歌謡にもつながるものかもしれません。上高田少年合唱団は、昭和30~50年代(1950年代から1970年代前半)にかけて、数多くのテレビのアニメ番組・実写番組のテーマ・ソングのレコードが残されていますが、昭和50(1975)年奥田政夫の退職によって解散しています。平成8(1996)年、上高田小学校は創立70周年を迎え、その記念に往年の合唱団のOBに集まってもらい児童に歌を披露してもらおうという話がもちあがりましたが、全国に散ったOBたちの多くは消息がつかめず、一時的な復活の夢は果たせませんでした。平成18(2006)年、「東京国際アニメフェア2006」で上高田少年合唱団は、特別功労賞を受賞しました。授賞式には、奥田政夫が代表として出席しています。なお、一時期コロムビア少年合唱隊という少年合唱隊がありましたが、これは、上高田少年合唱団から選抜されたメンバーによる合唱団だそうです。




| プロフィール |


| 第2回全国少年合唱祭」より |
| 「第3回全国少年合唱祭」より |
| 「栃木少年合唱団を想う」 |
| プロフィール |
| 「第3回全国少年合唱祭」より ~現代的な表現~ |
| プロフィール |
日進市の日進キリスト教会を練習会場・コンサート会場に平成27(2015)年に誕生した「名古屋少年合唱団(Nagoya Boys Choir)」は、トム・ウィルソン先生の指導のもと、活動をしています。ウィルソン先生は、以前はアメリカのバーミンガム少年合唱団(Birmingham
Boys Choir)をご指導されていたということです。平成29(2017)年7月2日にサマーコンサートを行いました。その当時の団員は16名だそうです。平成30(2018)年5月27日には、スプリングコンサートを行っています。ポスター(ちらし)を見ると、持ち歌は、聖歌が中心ではありますが、ブロードウェイ、テレマン、ヘンデル、メンデルスゾーン、ドボルザーク「家路」、民謡と多彩です。また、伴奏はピアノだけではなく、クリスマスコンサートではヴァイオリンや管楽器であるところにも特色があります。また、この教会ではゴスペルもやっているようですが、それも採り入れながらやっているようです。なお、ウィルソン先生は、現在(令和3(2021)年4月)アメリカに帰国中なので、休止状態ですが、また来日後活動を再開してほしいと願っています。

⑳ ボーイズ・エコー・宝塚
ボーイズ・エコー・宝塚は、日本の児童合唱、とりわけ、少年の発声に関する指導における日本の先駆者である品川三郎のもとでピアノ伴奏をしていた高弟の中安保美によって、昭和59(1986)年7月11日に創立され、小学生男子だけを団員とする少年の発声特有のボーイ・ソプラノをめざし。練習の成果を市や地域の催し、福祉施設で聴いていただき、歌を通して大勢の人と出会い様々な体験をするという理念のもと活動を続けています。指導者は、創立以来、中安保美(指揮)辻潤子(ピアノ伴奏)の2人体制で行ってきました。練習場所は、次第に変わってきましたが、宝塚小学校と第一小学校で行っており、他市から参加する団員もいましたが、練習時間の関係もあって最近ではほとんどその2校の児童が団員となっていました。
レパートリーとしては、世界の名曲・民謡、みんなの歌系のもの、ディズニーもの、 サウンド・オブ・ミュージックの曲、手塚治虫の漫画テーマ、日本の子どもの歌、日本歌曲など、鑑賞するにあたってあらかじめ予習をして来なくてもすぐに聴いてその曲の本質に触れることができる選曲をしています。これは、少年合唱を広めるという意味では価値ある方針だと思います。団員は、創立した当初は、次第に増加して47人にまでなったこともありますが、その後10人台前半から20人前半の間で推移してきました。平成26(2014)年度は4人となりましたが、その厳しい状況の中で第30回定期演奏会を行ったのち休団となりましたが、10数年経った現在も復活しないので、「想い出の少年合唱団」に入れます。詳細な活動記録は、リンクをたどってください。
https://www5d.biglobe.ne.jp/~yakata/boysecho.htm
㉑ ボーイソプラノ伊勢
令和2(2020)年秋、伊勢に「ボーイソプラノ伊勢」というユニットが誕生しました。伊勢少年少女合唱団代表で、地域の合唱指導を精力的に行っている廣めぐみによる5回の歌唱指導を受け、同年12月19日(土曜日)シンフォニアテクノロジー響ホール伊勢(伊勢市観光文化会館)
大ホールにて成果発表を行いました。写真を見ると9人の少年が参加しており、「カッチーニのアヴェ・マリア」「彼方の光」などを演奏しました。
この時点では、この年限りの単発のイベントのための合唱ユニットなのか、翌年も継続していくのかが不明でしたが、次年度、さらに継続することがわかりました。小学3年生~6年生までの変声期前の男子をオペラ歌手が用いるベル・カント唱法をもって20回の歌唱指導を行い成果発表を行います。また、「特別公開レッスン」の特別講師には、フレーベル少年合唱団の音楽監督で、日本合唱界のリーダーでもある野本立人を迎え、特別公開レッスンを行うこともわかってきました。
令和3(2021)年の「クリスマスコンサート」を期して、令和3(2021)年4月3 日~ 5月23日まで25名を募集しましたが、
今年度も、コロナ禍の中での企画でもあり、進学・転校もあり、昨年度来のメンバーである小学5年生3人と、新しく小学3年生2人の、計5人での活動となりました。演目は、昨年度の「カッチーニのアヴェ・マリア」「彼方の光」に加え、「サンタクロースがやってくる」「わたしはだれでしょう」「森のくまさん(替え歌)」「翼をください」が歌われ、最後には、三重県内のスーパーマーケットを経営する「株式会社ぎゅーとら」の社長 清水秀隆作詞・作曲のオリジナル曲「あおい空 あおい海」が、初演されました。しかし、その後、企画者のシンフォニアテクノロジー響ホール伊勢(伊勢市観光文化会館)が、この企画を立てて地域の少年を募集することもなく、この企画が立ち消えになったものと考えられるので、「想い出の少年合唱団」に入れます。

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