少年合唱と制服

 本コーナーでは、少年合唱団(隊)や聖歌隊にとって、制服はなぜ重要なのか?という問いに答え、世界のあるいは日本の少年合唱団(隊)や聖歌隊の制服やその変遷について述べます。

 1 少年合唱団(隊)や聖歌隊にとって、制服はなぜ重要なのか?

 少年合唱団の制服といえば、海外においても、日本においても時代と共に変遷を重ねたことは事実ですが、時代や国によって大きく異なります。ヨーロッパにおいては、歴史的に古くから生まれた団体はキリスト教の聖歌隊として出発しているので、祭服の名称は宗派によって違います。カトリックの団体ではミサのための「典礼衣装」が普及していましたが、教会を背景に持たない少年合唱団では、制服にテルツ少年合唱団やモスクワ・アカデミー合唱団やチェコ少年合唱団“ボニ・プエリ”のように民族衣装を採り入れていることろもあり、ウィーン少年合唱団のように、かつては幼年学校の制服(軍服)を制服にしていたものが、第1次世界大戦後セーラー服を制服にしているところもあります。宗教を背景にしない合唱団では、学校スタイルが取り入れられていることが多く見られます。ステージによって制服を変える合唱団もあります。

 ここで、大きな問いが出てきます。「合唱団の制服はなぜ重要なのですか、大切なのは音楽ではないのでしょうか。」という問いです。なぜ、合唱団は何世紀にもわたって制服を重視してきたのでしょうか? ごく最近まで子どもの学校における制服が重要視されていなかったアメリカでも、学習への集中力による学力向上や愛校心を高める効果があることから、学校に採り入れようとするクリントン大統領のような政治家が出てきました。その当時アメリカの一部の学校の規律が乱れて、荒れていたこともあったのでしょうが。なお、アメリカの少年合唱団にも制服はあります。多くの合唱団の指導者は、衣装が重要であると確信しています。なお、2024年1月、フランスのマクロン大統領は、「制服は、家庭間の格差を解消するとともに、各自が尊重される環境をつくり出す。今年から任意の約100校で試験的に導入する」という方針を発表し、良好な結果が出れば、2026年から全国で導入すると述べました。2025年3月の中間評価では一定の効果が確認されたが、効果は学校によって大きく異なるという結果が出ています。具体的には、格差差解消・いじめ対策としては限定的という指摘が強く、賛否は依然として大きく分かれており、全国導入(2026年予定)はまだ確定していないというのが現状(2026年1月時点)です。

 「人は、その制服のときの人間になる。」と、ナポレオン・ボナパルトは、喝破しました。人は、身だしなみを整えると、それだけでなんだか心が変わり、自信が湧いてきます。仕事着に着替えると、気持ちが引き締まるような経験は、多くの人がもっているのではないでしょうか。医師や看護師、警察官や消防士や自衛官が制服を着ることで、人は「求められている自分」に変身するのではないでしょうか。そして周囲の人もきちんとした見た目の人には好感を持ち、信頼さえしてくれます。

 警官の制服を着ている人を見るだけで、なんだか少し緊張します。人が集団に対して受ける第一印象は、本質的にその外見、態度、行動によって決まるという側面があります。やや内容的には浅いのですが、人の第一印象の9割は、見た目で決まると主張する人(竹内一郎 著『人は見た目が9割 』)もいます。そこには、「周りから求められる姿」があります。人は「求められている自分」になろうとする傾向もあります。合唱団の少年たちは、何よりも、整然として混乱がないほうが好感を持たれ、注目を集めます、人は、初対面の人に会うとき、外見によってその人の内面を推測します。これは集団においても本質的に当てはまるのではないかと感じます。ただ、登下校を含む学校生活の間着用して、場合によっては生徒指導の一環として着用させる制服と、宗教活動や舞台衣装として着用する制服を同次元で語ることは、少し違うのではないかと思います。さて、少年合唱団(隊)の制服は、その団体のイメージづくりの上でに非常に重要な役割を果たしています。制服によって、団体のメンバーは所属感や一体感を持ち、観客に対してはプロフェッショナルな印象を与えることができます。また、長い歴史を持つ団体ほど、制服は伝統的なデザインを持っており、誇りとなることもあります。

 少年合唱団(隊)の制服は国によって、団体によって色々なスタイルがあります。カトリック・プロテスタント・イギリス国教会など、キリスト教でも宗派によっても違いがあります。また、ウィーン少年合唱団などのセーラー服スタイル。アメリカやオーストラリア等によく見られるなスーツスタイルなど、多様になっています。また、時代と共に制服も変化していることもあります。さらに、いくつかの合唱団には、ステージごとに制服を変えることがあります。宗教曲と世俗曲によって制服を分ける場合もあります。

 さて、NHK学校音楽コンクールに出場する小学校は、私立はもちろん、西日本を中心に制服(標準服・奨励服)のある学校もありますが、私服で学校に通う学校も多くあります。さて、昭和の後年、普段通りの私服で出場した小学校(合唱部)の合唱は、その外見だけで不揃いという印象を受けました。それが歌にも反映していたように思います。その時代でもほとんどの出場校は、普段は私服の小学校でも合唱の場面では、ステージ衣装としての「制服」を着て歌っていました。最近では、日野市立七生緑小学校(指導者:後藤朋子)が全国学校音楽コンクール(小学校の部)では、中止となった令和2(2020)年を除き8回連続の金賞(史上初)の8年連続金賞という快挙を達成しましたが、この学校には制服がなく、合唱部だけがステージ衣装として、校名にあやかった黄緑色のポロシャツ、男子は黒の膝上のハーフパンツ、女子は黒の膝上のスカート、白い短い靴下、黒い靴を履いています。後藤朋子が、異動した日野市立平山小学校においても、合唱部は、ピンクの上着(他は、日野市立七生緑小学校と同じ)です。

 2 宗派による聖歌隊と制服




3 少年合唱団(隊)や聖歌隊と制服

 このようなところで、個人的な経験や想いを語るのは少しはばかられるのですが、かつて、私は制服が嫌いでした。私服の小学校から詰め襟制服の中学校に入って、そのきゅうくつさがいやでした。入学当時、身長も低く首が短かったから、詰め襟の制服の白いプラスチックのカラーが痛かったというのが最大の理由です。それは辛抱するとしても、制服が学校への誇りを持たせるものならよかったのですが、そうではなくはっきり言って生徒の「非行防止」の取り締まりの手段になっていたから嫌だったのです。戦後すぐの開校以来、生徒指導上の問題を頻繁に起こす経済的に貧しい地域の中学校の生活指導としてはしかたがなかったのかもしれませんが、やがてそのような生徒の不満は、昭和40年代の高校における左翼学生運動の制服廃止・私服化を求める動きとして爆発していきました。思想的に共鳴しない者でさえ、部分的に共感する部分はありました。

 ところが、一方、同じ時期に放映されたテレビの「歌のメリーゴーウランド」に登場する少年(少女)合唱団の制服には、あこがれを感じていました。そのセンスのよさは、清純な歌声や団員の気品のある態度と結びついて違った制服に対するイメージを形成しました。この矛盾した制服に対する心理は、昭和30~40年代に少年時代を迎えた人には程度の違いはあっても、見られるのではないでしょうか。
 少年合唱団の制服といえば、ウィーン少年合唱団のセーラー服が有名です。もともと海軍の水兵の服であったのが、19世紀後半から20世紀初頭にかっけてヨーロッパの上流階層の間で子ども服として流行し、採り入れられたそうです。日本ではセーラー服は女子の制服というイメージが強いため、少年(少女)合唱団の制服になっているところは、北九州少年合唱隊やNHK熊本児童合唱団など限られています。また、半ズボンに白いハイソックスという衣装は、パリ木の十字架少年合唱団やシェーネンベルグ少年合唱団はじめヨーロッパの少年合唱団の制服としてかなり広く採り入れられていましたが、日本では少年合唱団の制服としてだけではなく、小学校の制服やよそ行きの私服として昭和45(1970)年頃から、平成の初めまで日本を席捲します。それは、高度経済成長の日本が経済的に豊かになる象徴のようでした。ところが、バブルが弾けた後の平成5(1993)年頃から、ストリートファッションと称し、スケートボードやバスケットボールに起源をもつダボダボのシャツ出し、ハーフパンツという服装が流行し、それが今では子ども服の定番のようになってしまいました。また、それしか選択肢がないといった状況があります。ところが、これは、日本だけの問題ではなく、世界的な流れのようです。実は、このころから日本の子どもの規範意識は地に墜ちはじめました。この二つの現象の間には相関関係があるのではないかと推測しています。

 しかし、それによって、少年合唱団の制服がよけいに輝きを増すという逆説的な状況が生まれてきました。かつては制服が嫌いだった私も、今では制服賛成に転向しました。だらしない今の少年服の流行が一日も早く衰退することを心より願っています。

 そこで、日本の少年合唱団の制服について調べてみましょう。なお、最近では平成16(2004)年11月の定期演奏会よりフレーベル少年合唱団の制服がリニューアルされました。また、平成19(2007)年10月の定期演奏会からは、広島少年合唱隊、平成24(2012)年には、TOKYO FM少年合唱団と呉少年合唱団の制服がリニューアルされました。全体的に見ると、1960年代後半から1970年代の世界的な流れを受けて、半ズボンが衰退していることを感じます。この分野はさらに調べていくと、制服リニューアルの歴史に発展するかもしれません。
(なお、解散したり休団しているところも参考までに掲載しています。間違っているところもあるかもしれません。ご指摘ください。)

団体名(※存続している団体) 学年 帽子 上着 ネクタイ ズボン ソックス 聖衣
侍者服
栃木少年合唱団 小・中 赤ベレー帽 オレンジベスト 黒蝶ネクタイ 黒半ズボン
黒長ズボン(中)
白ハイソックス

  
※ TOKYO FM少年合唱団 なし 緑トレーナー(予科生)
灰色ベスト
(本科生)
なし
臙脂ネクタイ
紺半ズボン
黒半ズボン
白ハイソックス
黒ハイソックス
あり
※ 暁星小学校聖歌隊 小3~
小6
なし 黒詰襟
グレー半袖
なし
黒半ズボン
グレー半ズボン
黒ソックス
あり
フレーベル少年合唱団(旧) 幼・小・中 紺ベレー帽 青ブレザー なし グレー半ズボン 白ハイソックス    
フレーベル少年合唱団(新) 幼・小・中
(ユースクラス)
紺ベレー帽
なし
紺ダブル

赤ブレザー

赤蝶ネクタイ
紺半ズボン(幼小)
紺長ズボン(中)

黒長ズボン
黒ハイソックス      
※ 立教小学校聖歌隊         グレー・ダブルの上着
白カッターシャツ
赤ネクタイ グレー半ズボン 紺ハイソックス あり
※ グロリア少年合唱団 幼・小・中・高 紺ベレー帽
(BCクラス)
白カッターシャツ
団Tシャツ(夏期)
グレーセーター(夏期以外)
臙脂ネクタイ 紺半ズボン
紺長ズボン(小4以上可)

各学校の制服ズボン(中・高)
白ハイソックス



あり
※ 新潟少年合唱団 小・中・高      白カッターシャツ
白Vネックベスト
水色ネクタイ 黒長ズボン          
※ 京都市少年合唱団  輝(ひかり) 小4~中 なし 水色半袖
紺セーター(冬)
臙脂・白ストライプネクタイ 黒長ズボン 黒ソックス
   
和歌山児童合唱団  少年の部 小1~
小4
なし 白カッターシャツ 紺蝶ネクタイ 紺半ズボン 白ソックス    
ボーイズ・エコー・宝塚 なし 赤ブレザー
Tシャツ
なし 白半ズボン 白ハイソックス    
※ 桃太郎少年合唱団 小・中・高 なし 青ブレザー
白カッターシャツ
赤蝶ネクタイ 青半ズボン
黒長ズボン(中以上)
グレーハイソックス

   
広島少年合唱隊(旧) 小・中 白ベレー帽 グレーベスト
白カッターシャツ
紺ブレザー
(中以上)
緑ネクタイ
ループタイ

臙脂ネクタイ
(中以上)
グレー半ズボン
紺半ズボン

グレー長ズボン(中以上)
白ハイソックス
白ソックス


あり
※ 広島少年合唱隊(新) 幼・小・中・高 なし 水色カッターシャツ 緑ネクタイ 黒半ズボン(~小3)
黒長ズボン
(小4以上)
黒ハイソックス(~小3) あり
※ 呉少年合唱団 幼・小・中・高 白ベレー帽
(~小3)

なし
(小4~)
空色ベスト 白ブレザー

水色ブレザー
紺蝶ネクタイ

ストライブタイ
グレー半ズボン
(~小3)
黒長ズボン
(小4~)
白ハイソックス

黒ソックス


   
※ 北九州少年合唱隊 小・中・高 セーラー帽
(ジュニア)
セーラー服(ジュニア)
白カッターシャツ・黒ベスト(シニア)
リボンネクタイ
(ジュニア)
臙脂ネクタイ

(シニア)
紺長ズボン(ジュニア)
黒長ズボン(シニア)



黒ソックス?
          
   

日本の少年合唱団の制服(代表的なもの) 夏服・冬服・聖衣・中学生以上の服などは以後追加して充実させます。


 
栃木少年合唱団(解散)  
       TOKYO FM少年合唱団
 
  暁星小学校聖歌隊        フレーベル少年合唱団 立教小学校聖歌隊 
 
グロリア少年合唱団 新潟少年合唱団 京都市少年合唱団  輝(ひかり) 和歌山児童合唱団  少年の部  (現在活動していない) ボーイズ・エコー・宝塚(休団) 
 
桃太郎少年合唱団 広島少年合唱隊 呉少年合唱団 北九州少年合唱隊  

4 世界の少年服の動向と、制服のリニューアル
 令和3(2021)年の正月に、朝日テレビ系列で『おしょうバズTV』という番組が放映されましたが、「10代が驚いた昭和から平成常識ランキング」の第6位は、ほとんどの男の子が1年中太もも丸見えの半ズボンを履いていたということが紹介されました。そこで、世界の少年服の歴史的な推移と、それが、世界と日本の少年合唱団の制服にどのような影響をを与えたのかを述べていきたいと思います。

   

    ① 半ズボン

   子ども服が、大人の服と分化を始めたのは17世紀と言われていますが、ヨーロッパでは、19世紀後半に、英国の王室とその側近の中で、男の子に長ズボンではなく短いズボンを着せるようになりましたが、第1次世界大戦後、主要なヨーロッパの国の子ども服として半ズボンは広まり、学校の制服や少年合唱団の制服としても採り入れられました。1950~60年代のパリを舞台にした漫画の絵本をもとにしたフランス映画『プチ・二コラ』(写真上左)や1960年当時のパリ木の十字架少年合唱団の制服(写真上中)を見れば、そのことがおわかりになるでしょう。)
   映画『プチ・二コラ』予告編 
https://youtu.be/pwIF8dKE9VA
 パリ木の十字架少年合唱団 ラモーの「夜」(1958年)  
https://www.youtube.com/watch?v=WCAmRV1snYc

   日本では、昭和20年代(1940年代後半~1950年代前半)までの少年服は、保護者の手作りの現在とほぼ同じようなヒザ丈の文字通り「半」ズボンでした。昭和30年代(1955年頃)に入って、脚の長い西洋人の体形へのあこがれもあって、短い腿の露出したいわゆる『半ズボン』(半ズボンの定義は、膝より丈の短いズボン<裾が5分丈未満>の総称)が、当時ファッション界で権威のあった百貨店の宣伝もあって急速に流行しはじめました。従って、昭和30年代(1955年頃)~平成初頭(1990年代前半)まで男の子は、特に都市部において私服の普段着において股下数センチの短い半ズボンが男の子ども服のの象徴で、冬の寒冷地を除いては、通学服や遊び着として定番でした。そこには、下着は保護者の手作りの猿股から、アメリカから入ってきた白いブリーフへ変化したことも影響しています。ただ、昭和30年代頃は、半ズボンは制服を除けば、春から秋の服で、冬は長ズボンというのが普通で、1年中半ズボンというのは、おしゃれな服装とみられていました。ところが、当時の教育界には、子どもは薄着の方が丈夫になるという健康教育上の考えが広がり、「代謝が上がって健康に良い」「体が鍛えられて、風邪をひきにくくなる」といったことから、半ズボンが推奨され、保護者には、「子どもは風の子」という子育てを支える考えが一般的で、子どもの間でも1年中半ズボンがかっこいいという考えが広まりました。また、その期間は、東京オリンピック以後、昭和45(1970)年から、昭和の終わりから平成の初めごろまででした。(写真上右)昭和44(1969)年に『ケンちゃんシリーズ』の放映、『ドラえもん』連載が始まりましたが、主人公(ケンちゃんやのび太)は、どちらも半ズボン着用であったことも、無言の規範になったのではないでしょうか。しかし、この当時でも、半ズボンは小学生の服と限定されており、中学生になると長ズボンという不文律がありましたが、これは通学服(制服)に限定されており、中学生も体操服は半ズボンと同じ丈の短パンであり、夏では空調も行き届いていなかったこともあって、中学生も家に帰ると半ズボン(短パンの体操服)にはき替えて生活することが、よく見られました。当時の実写版のテレビ番組やドラマのに出演する子役は、実際には中学生でも小学生の役を演じるときは、半ズボンをはいて登場していることが多くありました。ところが、「最近の子どもはは大きくなった。」という声が聞こえるほど日本の子どもの栄養状況が改善して、成長の前傾化が進んだ昭和50年代後半(1985年)以後には、早熟で体格の大きい小学校高学年の子どもが、夏の暑い時期でも半ズボンを嫌がって長ズボンをはく傾向も出てきました。小学6年生までは半ズボンを着用し、中学生になったら長ズボンをはくということは、その当時のにおける「通過儀礼」のような意味をもつとも言えましたが、今では服装が世代を問わないものになってきました。現在、日本では制服を除けば、私服の短い半ズボンは見かけません。このように急激に広がり、急激に姿を消した服も珍しいのではないでしょうか。

   さて、少年合唱団については、1960年代後半から約20年ぐらいは、毎年のようにヨーロッパを中心とする海外の少年合唱団や児童(少年少女)合唱団が来日し、その地域にある少年合唱団や児童(少年少女)合唱団と合同演奏することもあったため、少年合唱団(児童合唱団)の制服もその影響を受けています。ところが、その後1960年代後半~1970年代には、半ズボンは発祥の地であるフランスやイタリアをはじめ世界的に衰退期に入りました。なお、東ヨーロッパでは、比較的長く半ズボンが維持されていました。なお、ビッグ・マンモスが活躍していた時期(1975~1982)は、日本における少年服の半ズボンの全盛期であったと言えます。それまで半ズボン制服を採用していた日本においては、半ズボンは1990年代半ばに入ると、急速に衰退しはじめ、その代わりに、バスケットボールやサッカーJリーグの開始などによるスポーツウェアの影響を受けて、ハーフパンツという丈長でひざ下まであるようなステテコのようなズボンの子ども服が台頭してきました。それは、下着がブリーフからトランクスやボクサーブリーフへと移行したこととも関連します。この傾向は、ヨーロッパではもっと早くから現れ(アメリカでは、スポーツウェアとしてのジョギングパンツはあっても半ズボンが流布したことは、上流階層を除いてほぼなかったと言えます。)例えば、パリ木の十字架少年合唱団の制服においては、1980年代に半ズボン制服の丈長化の傾向が現れます。日本においてはヨーロッパの諸国よりも少し時代は遅れますが、21世紀になって、少年合唱団の制服にもその影響が現れ、小学校高学年の制服を半ズボンから長ズボンにしたり、あるいは中学生の制服を長ズボンにリニューアルしたりする団体が現れました。

       ② ソックス

 本来は、日本語の「靴下」という言葉を使うべきかもしれませんが、少年合唱団(隊)の制服を語る関係で、あえて英語のソックス(sockの複数形)を使います。ソックスの本来の働きは、足(脚)の保護や保温です。日本では、足袋がそれにあたります。ソックスの働きは、本題から外れるので略しますが、アメリカの少年合唱団のように半ズボンの文化がほとんどなく長ズボン制服の少年合唱団では、ソックスの色や長さは、ズボンの色や靴の色に合わせていますが、来日したヨーロッパの少年合唱団が、パリ木の十字架少年合唱団のような半ズボン制服の場合、膝下いっぱいまでの長さのハイソックスをはいていたことから、トータルルックとしての制服の一部として日本の少年合唱団でもそれを採り入れることが多かったと考えられます。

 白いハイソックスは、日本では、半ズボンの丈が短くなった1970年代から1980年代にかけて、白地にワンポイントやいろいろな色の横ラインの入ったスポーツハイソックスも含め、私服としても少年の間で爆発的に流行しましたが、半ズボンの衰退とともに衰退していきました。そのような意味では、少年服にとって、半ズボンとハイソックスは運命共同体的なところがあります。(少女については、スカートをはく場合、現在でも紺や黒のハイソックスは健在です。制服では、白いハイソックスの学校もあります。)また、近年では、その時期に盛んになったスポーツのスポーツウェアが少年服に影響を与えていることは間違いありません。しかし、少年合唱団(隊)の制服にスポーツウェアが影響を与えているとは考えにくいです。

 日本では、栃木少年合唱団、フレーベル少年合唱団、TOKYO FM少年合唱団、グロリア少年合唱団、広島少年合唱隊、呉少年合唱団、ボーイズ・エコー・宝塚等が白いハイソックスを採用していましたが、21世紀になって、色を白から黒に変えたところもあります。桃太郎少年合唱団は、制服が紺系であったことから、イギリスの学校制服にも採り入れられていた灰色のハイソックスを採用していました。また、ハイソックスは防寒用という意味もあったので、夏期は短い白いスクールソックスにしていた団(隊)もあります。なお、ビッグマンモスは、その服装を見てもわかるように半ズボンとハイソックスの全盛期(昭和50 1975~昭和57 1982)に存在したユニットと言うことができます。ファッショントレンドは移り変わります。そのようなことを押さえて、少年合唱団の制服を考えることが大切だと思います。

      ③ 半ズボンと白いハイソックスの組み合わせ

 日本においては、1970年代から1990年代前半にかけて、半ズボンと白いハイソックスとの組み合わせは、都市在住の中産階級の家庭を中心に少年服の理想像として流行しました。この組み合わせは小学校の入学式・卒業式や音楽発表会といった「晴れ」の場における標準装として、あるいは家庭教育の表象としても機能しました。とりわけ白という色彩が象徴する無垢性・規律・衛生観念が、教育的理想と結びつきました。その背景には、高度経済成長による生活水準の向上と、テレビを中心とするメディアによる理想的児童像の視覚的再生産があります。(当時の実写版のテレビドラマに出演する小学生役の少年は、半ズボンに白いハイソックスというスタイルが定番で、『あばれはっちゃく』(2代目以降)のようなわんぱく小僧は、半ズボンに裸足で靴をはいていました。)
 さて、ヨーロッパの伝統的少年合唱団においては、半ズボンとハイソックスは宗教的儀礼における「純粋性」や「無垢性」の視覚的表現としての意味を持っていました。この形式は戦後日本にも輸入され、少年合唱団(児童合唱団)において模倣されました。制服としてのこの装いは、舞台上において声と身体の一致、統一性、秩序を象徴すると同時に、少年という存在の美的・精神的イメージを強化する役割を果たしました。

      
④ セーラー服

 セーラー服が制服の少年合唱団と言えば、ウィーン少年合唱団のことを真っ先に思い出す人が多いことでしょう。日本では、セーラー服は女学生の学校制服という印象が強いですが、もともとは、世界中で海軍の軍服として使用され続けています。また、その頃日本でも導入され、現在の海上自衛隊においても使用され続けています。子ども服としては、19世紀後半から20世紀初頭にかけて上流階級のファッションとして世界的に流行しました。

 ウィーン少年合唱団の前身である王宮礼拝堂付属少年聖歌隊は、宮廷のためのミサや非公開のコンサート、国家行事のために活動していましたが、1918年に第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗北するまでは、幼年学校の制服である詰襟の軍服のスタイルでした。しかし、最後の宮廷楽長であったヨーゼフ・シュニット神父は、王宮礼拝堂付属少年聖歌隊がなくなることを惜しみ、私財をなげうって民営の少年合唱団を創設しますが、制服も幼年学校のものから、当時の上流階級のファッションであったセーラー服へと変えました。ウィーン少年合唱団の古い写真を見ると、時代と共に少しずつ制服であるセーラ服のデザインは変わっているようです。しかし、セーラー服はある意味では完成形の服なので、多少のバリエーションはあっても、大きな変革はないと考えられます。

 日本の少年合唱団で、セーラー服の制服を採り入れているのは、現在では、北九州少年合唱隊だけですが、かつて、佐渡裕(1961~  )が京都市少年合唱団で歌い始めた小学5年生のころの制服は、写真を見ると、セーラー服です。ただし、当時の女子の制服がセーラー服であったかどうかは不明です。また、テレビにもよく出演していた森の木児童合唱団(現在は解散し、現在は、ことのみ児童合唱団として活動中)は、少年少女合唱団ですが、制服は緑色のセーラー服でした。

      ⑤ 帽子

 ベレー帽は、軟らかく丸くて平らな、鍔や縁のない帽子で、軍服の帽子という面もありますが、日本では、美術系の芸術家の帽子としてのイメージがあります。もともと、日本においてベレー帽が子ども服の定番になったことはありませんでしたが、芸術家風のスタイルとして一部の少年合唱団のステージ衣装として採り入れられましたが、現在は、少なくなっています。なお、鼓笛隊の制服においては、むしろベレー帽が見られます。セーラー服にはセーラー帽が対応していますが、日本では、北九州少年合唱隊(~中学1年生)の制帽となっています。(なお、日本においては、普段着として少年が自分が応援しているチームの野球帽をかぶることが広がった時期(昭和30年代から20年あまり)がありましたが、これも今は見かけません。)ちなみに、呉少年合唱団は、約60年の歴史がありますが、その間、下図のように7回(イラストは、それまでの6回のもの)制服のリニューアルを行っています。なお、イラスト左下は、第50回定期演奏会のプログラムに掲載されていたものです。現在でも、小学3年生までは、この帽子をかぶってステージに上がっています。また、セーラー服の帽子であるセーラー帽は、ウィーン少年合唱団のように外でかぶっても、部屋に入り、あるいは舞台の上では脱帽するところと、トータルルックとして着帽してステージで歌う北九州少年合唱隊のような団体があります。

      ⑥ ネクタイ

 ネクタイは、洋装で、首の周りに装飾として巻く布のことで、ワイシャツ(カッターシャツ)の襟の下を通し、喉の前で結び目を作って体の前に下げます。首に巻く細い方を小剣(スモールチップ)、前方に下げる太い方を大剣(ブレード)と言います。これは、ダービー・タイと呼ばれる一般的なものですが、ボウタイ(蝶ネクタイ)やリボンのような形態のものなどもあります。少年合唱団の制服としては、その両方が使われることがあります。詳細は、各少年合唱団の制服の絵をご覧ください。

          

   このように、少年合唱団の制服も時代と共に変遷しています。そのリニューアルの歴史もまたその時代を反映しています。これは、流行の問題であって、善悪の問題ではないので、それを、簡単に「よい」「悪い」と決めつけることはあえてしません。時代によって半ズボンの制服がかっこいいと感じることで入団したいと思う少年もいるでしょうし、その逆もあるでしょう。日本においては、昭和の高度成長期に半ズボンは少年服の主流となり、その丈も次第に短くなり、バブルがはじけて不況の波が押し寄せてきたいわゆる「失われた〇十年」の時期に急速に衰退しました。このホームページは、なによりも日本の少年合唱の振興を目的としています。そこで、ここでは好き嫌いや価値観を抜きにして、最近十数年間の間で制服をリニューアルした少年合唱団の制服の変遷を客観的に紹介しました。どちらが美しいと感じるかは、訪問者の美意識にお任せましょう。

合唱団
 フレーベル少年合唱団
  広島少年合唱隊
   呉少年合唱団
 TOKYO FM 少年合唱団
      (予科・本科) 
   
   京都市少年合唱団
      輝(小学生)
   

                                                                                 
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