『坂柿一統記の世界』
  さかがきいっとうき
新刊案内『坂柿一統記(抄)』
(菅沼昌平著、山本正名校訂・解説) 風媒社から令和2年9月1日発売(2000円+消費税)



江戸時代の医療史と医者の養成

 NHKラジオの番組「私の日本語辞典」で,『記録資料にみる“江戸医師”たちの学問修業学問修業』(4話構成)を聞いた。
 令和2年(2020)6月頃,海原 亮(うみはら りょう)先生(住友史料館主席研究員)がアナウンサーの質問に答える対談形式の話だった。

 江戸時代,医者は身分も不確かだったが,どのように学び,修行して医者になっていったのか,医療と医者の歴史を史料に基づいて解説している。そこには,菅沼昌平を重ねてみることができた。
 『坂柿一統記(抄)』を読んでから聞くか,聞いてから『坂柿一統記(抄)』を読むか。いずれの方法によっても,この話を聞くと,江戸時代の医療の実情と発展の流れ,医者の学びと養成,疫病への取組等について理解が進むと思う。菅沼昌平より少し後の時代の話が中心であるが,分かりやすい話になっている。
 YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=8fYhj1539uc等)で聞くことができる(映像はタイトル画像のみ表示)が,1話終わって次のファイルがどこにあるのか苦労したので,下記のとおりまとめてみた。
第 1 回【 彼らの 身分・資格の習得・実践 】 1/2 2/2
第 2 回【 当時の 医学教育・子供が 医者になるまで 】 1/2 2/2
第 3 回【遊学・医学の 中心で あった 京都 】 1/2 2/2
第 4 回【 近代医学への 扉 】 1/2 2/2

 江戸時代の医学史の大まかな流れは,自作の次の図をみると,理解が早いかもしれない。
 なお,江戸時代の医学と幕府の施策等については,海原亮著『江戸時代の医師修業 学問・学統・遊学』(吉川弘文館),書評「江戸時代の医師修業」地域の「医界」に育てられた(本郷和人著)が参考になる。

 江戸,文政の頃の医療の学派の状況について,昌平は,次のように『坂柿一統記』に書いている。
(ここでは要旨を記載する。原文の翻刻文は,『坂柿一統記(抄)』を参考にされたい。)
【文政二卯(う)年(1819)昌平41歳】 《地101》
五月、医療必用を読んでみた。その述べるところは,先生の古方(こほう)の趣旨で、傷寒論及び療法を説いている。ことごとく国字で書いてある。思うに、このように見やすくするのは,古方の概要を,座ったまま先生の説明にあずかるようなものだ。なおまた、近来国字を以て療法の頼りとするもの、出版も多くある。これによって民俗療法を知れば、医の職に害がありそうだが,全く害をなすことはない。民俗も,その療法を受くべきことの大事さを知れば,医事の助けにもなる。世の広大なること、我が小国にあっても、なおかくのごとしである。

【天保九戌(いぬ)年(1838)昌平60歳】 《人117》
 道連れの原田助弥なる者が私に聞いてきた。「医に古方(こほう)と後世(ごせい)の説があるが、いずれが正しいのか」と。
 私は,答えた。「いずれであっても,修業がすぐれる方がいいだろう。しかし,今、古方が流行って、後世(ごせい)は医者にあらずなどと言って,後世の書は見たこともないのに後世をいやしむ者もある。
 僧法の祖師方は、八宗〔天台宗、真言宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、時宗〕を兼学して、そのうち自分の心に叶(かな)うものを良しとして一宗を立てたけれども、今僧たちは、他宗は知らないままに、我が宗ばかりを貴(たっと)んで,高慢顔をするのは、これ祖師の真似をするだけのこと。医もその通り、みな師家の真似ではないか。
 しかし,今源氏が盛んの世であって、平家の武士は役立たずのように思う者もあるようだ。平家の武士にも源氏の武士より勝(すぐ)れた者もあるようだけれども、みな隠れて現れない。源氏の武士は劣れる者であっても、なかなか立派に見える。このように考える時は、いずれを是とし、いずれを非とするか,迷うものである。
 もっとも今、古方といっても,後世方(ごせいほう)を取り交ぜて使い、後世といっても古方を取り交ぜて使っており,いずれも気性を立て、一方のみを使う者は少ない。そうであれば、いずれを賤(いや)しむこともできないけれども,みな己れが流儀を貴(たつと)んで他流を賤(いや)しむのは、道心〔正しい道を求める心〕ではない。その人心は,聖人の賤(いや)しむ所である。」

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