今までの人生の中で一番時間を掛けながらレンは玄関のドアを開けると、用心深く周囲を見渡した。 周囲に人影が無いのを確認すると、雑居ビルの四階にある店舗兼自宅から通路へと出る。ただそれだけの動作に、全神経が異常なまでの緊張をしているのをレンは感じていた。 「大丈夫だ。ここにはいないみたいだ」 半ば自分に言い聞かせるようにしながら、背後にいるスミスに外に出るように促す。また唾を飲みこみながら、スミスが周囲を見渡しながら通路へと出た。 「まず、警察署に行こう。少なくてもここよりは安全だろう」 「お、おう……」 震える手でモスバーグを握り締め、スミスがレンの後に続く。 二人で辺りを警戒しながら、ゆっくりと階段を降りる。階段の踊り場に出る度にスミスが唾を飲みこむ音が何故か不自然に大きく聞こえた。 ようやく一階に続く階段の踊り場に辿り着いた所で、ふとレンの足が止まる。 「どうした?」 「しっ」 口に指を当てながら、レンが階段の下を指差す。そこには向こう側を向いたゾンビが一体立っていた。 (ど、どうする?) (やり過ごせればいいんだが………) 小声で話し合っていた所で、突然ゾンビがこちら側へと振り向き始める。 それを見たレンが覚悟を決めて猛烈な勢いで階段を降り始めた。 (先手必勝!) 階段の最後の段を降りると、もうゾンビが目と鼻の先にいた。 こちらに気付いたゾンビが動くよりも速く、レンは左足に力を込め、降りた勢いを乗せて一気に抜刀した。 思っていたよりも軽い手応えを残して、名刀はゾンビの体を通過、一瞬の間を置いてゾンビは腰から斜めに切断された。 ゾンビの上半身が床へと鈍い音を立てて落ちる。 息を一つ吐いて、レンは初めて人間を斬った事実を認識しようとしたが、上半身だけになったゾンビがそれでもこちらに這い寄ろうとするのを見て、とっさに左手で腰のホルスターからクーガーDを抜くとゾンビの頭へと向けて連続してトリガーを引いた。 鈍い音を立てて9ミリパラベラム弾がゾンビの頭を肉片へと変えると、微かにケイレンしながらゾンビはようやく動きを止めた。 「………やったのか?」 「ああ、なんとか…」 言葉の途中で、突然ガラスの割れる音が響き渡る。驚いた二人が前を見ると、そこには入り口のガラス製の自動ドアを突き破ったゾンビ達の姿が有った。 レンは慌てて裏口へと続く後ろの通路を見るが、そこにもこちらへ向けて迫ってくるゾンビ達が見えた。 「スミス!後ろを頼む!」 「おい、待てよ!」 スミスの静止の声を聞くよりも、レンが前方のゾンビの群れへと突っ込んでいく方が速かった。 最初に一番左側にいるゾンビへと向けて振り上げた刀を肩口へと袈裟斬りに振り下ろす。 その体がゆっくりと傾いていくのを横目で見ながら、その隣にいるゾンビへと向けて刀を真横に振るう。 振るわれた刃は一体目の胴を両断し、その隣にいたゾンビの胴をも半ばまで両断するが、半ばまで両断されたゾンビが血と臓物を撒き散らしながらまだ近付こうとするのに気付いたレンは、その額へと向けてほとんどゼロ距離でクーガーDのトリガーを引く。 額を撃ち抜かれたゾンビが倒れていくのを横目で見ながら、レンは手首を返して刃を真上へと向けると一番右側にいたゾンビの胸の辺りへと向けて刀を水平に突き刺す。 刃の半分程がゾンビの体へと突き刺さると、そのまま刀を真上へと斬り上げる。 やや硬い感触を残し、ゾンビの顔面を縦半分に斬り裂きながら刃は頭頂へと抜けた。 「来るな、来るんじゃねえ!」 背後でスミスの怒声と銃声が響いていたが、お互いの状態を確かめる事もままならない。 レンは必死になりながらもゾンビ達を斬り裂き、弾丸を撃ち込んだ。 随分と長い時間に感じられる時間が過ぎ去り、床を這ってきた最後のゾンビに弾丸を撃ち込んだ所でクーガーDのスライドが後退したまま停止、弾丸が尽きた事を知らせた。 肩で息をしながらレンが後ろを振り向くと、同じように肩で息をしながら構えていたレッドホークをゆっくりと降ろすスミスの姿が有った。 「無事か………」 「一応………」 スミスの返答を聞きながら、レンは壁に背中からもたれかかると崩れるようにして床へと座り込んだ。 「そっちは?」 「生きてる」 そのままの状態で刀を床に置くと、レンはクーガーDのマガジンを抜いて弾丸を装填する。 同じく床へと座り込んだスミスもそれに習って弾丸の再装填を始めた。 しばらく弾丸を込める音だけが静かに響いていたが、おもむろにスミスが口を開いた。 「なあ」 「なんだ?」 装填を終えたマガジンを戻しながらレンが返事をすると、疲れ切った声でスミスが続けた。 「ひょっとして、この先もずっとこんな調子なのか?」 「最悪の場合はな」 しれっとしたレンの返答に、スミスの手が止まる。 それに構わず、レンは立ち上がると床に置いておいた長船を手に取り、何度か振るって刃に付いた血や油を落とす。 「勘弁してくれよ、ずっとこんなんじゃオレぜってえ死んじまうよ」 「どっちにしろ何もしないで死ぬよりはマシだ。それに逃げられるようだったら逃げればいい」 泣き言を言うスミスを尻目に、レンは持ってきたペーパータオルで刃にこびり付いた腐肉を拭き取る。刃がキレイになったのを確かめると、刀を鞘へと収めた。 「おめえは怖くないのかよ」 「怖いさ。でも怖がってて助かるんだったら苦労はしない」 どこか冷め切った表情のレンを見ながら、スミスはモスバーグのポンプをスライドさせた。 「強いな、お前」 「さあな…………」 立ち上がりながら、スミスは感心したような目でレンを見た。 (こいつはホントに強い………) 心の底からスミスはそう思った。今でもそこいら辺に散らばっている肉片や臓物で吐きそうな自分に比べ、レンはそれらを見てもほとんど顔色を変えていない。 (やっぱりサムライだよ。お前は) 心の中でスミスはそう呟くと、レンの方へと向き直った。 「さて、行こうか」 「ああ」 レンの声に、スミスは力強く答えた。 もはやドアとしての役割を果たさなくなった自動ドアをくぐり、二人はマンションの前の通りに出た。 周囲にいたゾンビがあらかた集まっていたのか、不思議と静かに雨が降り注ぐ通りには人もゾンビも姿が見えなかった。 そのまま、大通りの方へと二人は無言で歩き始める。大通りの手前で明らかに食い殺された形跡のある死体を見つけると、レンはその傍へとゆっくりと近付いた。 「おい、何やってんだよ」 スミスの問いに答えず、レンは注意深く死体を観察すると、突然刀を抜いてその死体の首筋へと突き刺した。 「お、おい!」 「介錯だよ。首を切ればゾンビも死ぬみたいだからな」 慌てるスミスに刀を抜きながらレンは短く答えると、空いている左手で拝む仕草をした後、刀を振るって鞘へと収める。 「下の階に住んでいたボブさんだ。いっつも吹雪並の寒いジョークばかり飛ばしてたけど、いい人だった」 表情を曇らせながら、レンは死体から離れる。その顔が蒼ざめているのがスミスの目に写った。 「行こう」 それだけを言いながら、レンは知人の死体から急ぐように離れた。 大通りにはつい数時間前まで繰り広げられていた戦闘の爪痕がありありと残されていた。 通りは警官と逃げ遅れた民間人、そしてゾンビの死体で埋め尽くされ、あちこちにクラッシュした車が放置され、その内のいくつかが炎上して雨で薄暗い通りを紅く照らしていた。 「ひでえな、こいつは」 青い顔でぼやきながら、スミスが用心深く死体を避けながら大通りの中央へと出る。 そこで周囲を見渡すが、少なくても見える範囲内の大通りは全て似たような状況だった。 「車かバイクが使えればよかったんだが、これじゃ戦車でも無きゃ無理だな」 少し血の付いているパトカーのボンネットに肘を掛けながら、レンもぼやいた。 ふとパトカーの中を見ると、空いたまま壊れているドアから中を物色し始めた。 「今度は何してるんだ?とうとうパトカーから置き引きか?」 「弾を探してるんだよ。この調子じゃ何発有っても足りそうに無いからな。お前も手伝え。それともその辺にいる勇敢な殉職警官達から分けてもらうか?」 目的の物が無いのを確認したレンが他のパトカーを物色し始める。さすがに死体を触る気になれないスミスも同じようにパトカーを物色しようと傍の一台に近付いた。 「う……うう…………」 スミスがドアを開けようとした途端、そのパトカーにもたれ掛かるようにしていた警官が低いうめき声を上げて僅かに動いた。 「ひっ!」 「待て!」 悲鳴を上げながらモスバーグを向けようとしたスミスをレンが静止させると、慌てて傍へと駆け寄った。 「生存…者か…」 僅かに身じろぎをしながら、そう呟いて警官は薄く目を開けた。 「ああ、そうだ。これからこの街から脱出する為に警察署に向かおうとしている所だ」 「だ…めだ……」 レンの声に、警官は力無く首を左右に振った。 「この事件は……どこか…おかしい……ゾンビが……現れる……ずっと…前から……しょ長が…妙な指示ばかり……出していた………今思えば……しょ長は…何か……知っていた………署はキケ…ン…」 そこまで言った所で、警官は咳き込み咳と一緒に血を吐き出した。 「大丈夫か!?」 レンが慌ててペーパータオルを差し出すが、警官はそれを拒絶した 。 「オレは……もうダメ…だ…この街から……にげたい…なら……ここから……8番…どおりを抜けて……西へ向かえ……バリケードで……ゾンビ達は……入ってこれない……はず」 震える手で通りの向こうを指差しながら、警官はかすれた声で脱出路を教える。 「最後に……頼みが………ある……」 「何だ?」 「死んで……も……ゾンビ………になりたく………ない………オレの…………頭を………撃ちぬい…」 そこまで言った所で警官の頭がカクンと下に下がる。 「しっかりしろ!おい!」 レンが警官の体を揺さぶるが、もはや警官の体からは生命が完全に失われていた。 「死んだのか………」 「ああ」 警官の体から手を離しながら、レンは低く呟く。そして、ホルスターからクーガーDを抜くと、警官の額に銃口を当て、トリガーを引いた。 「彼の最後の頼みだ。これが脱出路を教えてくれたせめてもの恩返しだ」 震える手でクーガーDを降ろしながら、自分に言い聞かせるようにレンはそう言うと、警官の死体に背を向けた。 「なあ、スミス」 「なんだよ」 「もし……オレが死ぬか、ゾンビになったら……同じようにオレの頭を撃ち抜いてくれ」 「!!」 レンの突然の言葉にスミスが絶句する。 拳を硬く握り締めたレンの顔には、悲痛の覚悟が秘められていた。 「出来ないね」 「どうしてだ?」 スミスは向こうを向いているレンを強引に自分の方へと振り向かせると、強くレンの両腕を握り締めた。 「出来る訳が無いじゃねえか!お前がそんな状態になるんだったら、オレなんかとっくの昔に死んでるよ!だからそんな事は考えるんじゃねえ!絶対二人で生き残ってこの街から脱出するんだ!」 「スミス………」 予想外に強い口調でのスミスの断言に、レンが驚きの表情を浮かべる。 何秒かそのままお互いを見つめていたが、ふとレンが微笑みを浮かべて視線をそらした。 「ありがとう」 「な、なんだよ。お前にそんな事言われると気持ち悪いな」 突然礼を言われてスミスは照れを隠しながら、握り締めていた手を離した。 「さあ、ゾンビになんねえ内にとっとと行こうぜ」 「ああ、そうだな」 先に行こうとするスミスの後を追って、レンは警官の指差した方向へと歩き始めた。 が、角を曲がろうとした時そこから誰かが覗いているのに気付いたレンが慌てて刀に手を掛ける。 「誰だっ!?」 「きゃあぁぁっ!」 そこから悲鳴を上げながら一人の女性が身をひるがえして走り出す。 「生存者!?」 「追うぞ!一人にしとくのは危険だ!」 二人は大慌てでその女性の後を追い始めた。 嫌!もう嫌! なんで私はこんな所にいるの? 生きているのは私一人。 他は全部化け物ばかり。 この間まで普通に暮らしてたはずなのに、何でこんな事になったの? また化け物が来たわ! 嫌!来ないで! (アンシンシロ、オレタチハニンゲンダ!) (ココハキケンダ。ハヤクニゲヨウ) 人間の言葉を喋っているけど信じない。 あいつらは警官を殺していたわ。 だから化け物の仲間よ。 それに人間は私一人だけなんだもの。 銃だって扱えるわ、撃つわよ! だから早く何処かに行って! 「ちょっと待て!」 「やばいぞ!こいつ!」 ようやく見つけた女性に声を掛けようとした途端、銃を突きつけられた二人は慌てて逃げ出す。 その背中に乾いた発砲音が重なった。 「マジで撃ちやがった!」 「隠れろ!」 建物の影に隠れた二人が荒い息をしながら顔を見合わせた。 「どうなってんだ…………?」 「どうやら彼女発狂してるみたいだな…………無理も無い。街がこの状況じゃあな」 レンが建物の影からそっと様子を窺うが、すでに女性の姿は見えなかった。 「何処かにいったようだが、どうする?」 「物陰から撃たれたりしないよな?ゾンビから逃げて人間に撃ち殺されるなんてシャレになってないぞ」 「持ってた銃は22口径だったな。頭にでも当たらない限り死にはしない」 レンは慎重に周囲を見渡しながら、ゆっくりと通りへと足を踏み出す。 その時、通りの向こうから女性の悲鳴が聞こえてきた。 「しまった!」 「おい、待てよ!」 走り出したレンの後を追って、スミスも走り出す。 通りを曲がった所で二人は先程の女性が無数のカラスに襲われているのに遭遇した。 「助けるぞ!」 「お、おう」 レンは素早くクーガーDを抜くと、慎重に狙いを定めて発砲、発射された弾丸は一羽のカラスを撃ち抜く。 が、それを合図にしたかのようにカラス達はレンとスミス達にも襲い掛かってきた。 「こなくそ!」 「はっ!」 スミスは上へと向けてモスバーグを連射して次々とカラスを撃ち落していき、レンは最上段に向けての変形の居合でカラス達を斬り落としていく。 最後の一羽が縦に両断されて路面へと落ちると、レンは刀を一振りして鞘に収めながら女性へと歩み寄った。 「もうだいじょ…」 「嫌、来ないで!化け物は嫌!私は人間でいたいの!」 女性はレンが差し出した手を振り解くと、突然銃を自分のコメカミへと向けた。 「!止めろ!」 レンが銃を奪おうとするよりも、彼女がトリガーを引く方が早かった。 小口径弾特有の乾いた銃声が、通りに木霊する。 小さな音を立てて、女性が路面に倒れ伏す。 レンもスミスも目を見開いたまま、その光景を信じられないといった顔で見つめていた。 「……………助けられなかった…………」 レンが目を見開いたままの女性の死体を見ながら、小さく呟く。 「…………仕方ないさ、こいつはもう………」 スミスが力の無い声で語り掛けるが、レンは拳を力強く握ったまま微動だにしない。 その肩は小さく震えていた。 無言でレンはしゃがみ込むと、見開いたままの女性の瞳をそっと閉ざした。 「己を貫けぬ者が闇を見れば闇に捕らわれる…………」 「なんだそりゃ?」 「剣を教えてくれた伯父の口癖だ。今、その意味が分かった…………」 レンは女性に向けて拝む仕草をすると、スミスに背を向けたまま立ち上がる。 「オレにもう少し力が有れば、あるいは………」 「レン…………」 「行こう。悲しんでいる暇は無い」 「ああ、そうだな」 名残を惜しむ暇も無く、二人は歩きだした。 生き残る為に。 |
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