理由は、しごく単純である。8畳にも満たない小部屋ではあるが、曲がりなりにも私ひとりの部屋である。誰に気兼ねする必要もないし、誰に邪魔されることもない。この部屋の獲得に尽力していただいた渡辺勇一先生には、いつもながら大感謝である。
実験系の研究者と異なり、野外に出る機会の多い私のような研究者は、普段は自動車に積んでいる調査道具を定期的に取り出し、メンテナンスしなければならない。そのため、これらの調査道具を置くスペースを、部屋の中に確保する必要がある。自分ひとりの部屋を与えられた現在、モンゴル・ダルハディン湿地調査の直前がそうであったように、持って行く調査道具を床に広げていても、忙しくて片付ける暇がなく、あちこちに物を置きっ放しにしていても、誰に文句を言われる筋合いもない。自分とは何の関係もない農学系の大学院生や留学生が、常時15〜16人もいるような理不尽なまでの大部屋で、他人に遠慮して常に整理整頓を心掛けていた頃と比べれば、まさに天国である(1)。
私が整理整頓を心掛けていた最大の理由は、几帳面な性格であることを別にして、研究活動に必要な機材や資料が限られたスペースに納まり切らなかったことにある。そのスペースとは、他の大学院生や留学生と同様に、研究生という理由だけで「平等に」与えられた狭い狭いスペースで、何年も前に博士号を取得して国際舞台で孤軍奮闘している研究者に対して「リスペクト(2)」の欠片(かけら)も感じられないものであった。そもそも、農学系から理学部の生物系・化学系に至る、別々の研究室の人間を同じ部屋に押し込めようとする発想自体が間違っているわけで(実際、生命系の新しい建物が出来てからは、それぞれの研究室に分かれたわけだが......)、私の研究業績をまったく知らない連中が、そこら辺りに転がっている論文の「ろ」の字も知らない博士前期課程(以前の修士課程)の大学院生より、研究生である私を下に扱おうとしたのは、無理からぬことであったのかもしれないが......。
私は、他人に対して、ものすごく気を遣うタイプの人間である(3)。ひとりの部屋を与えられ、他人に余計な気遣いをする必要のない昨今、気疲れすることが全く無くなった。その結果、研究活動の一環であるデスクワークも、現在は順調に進んでいる。
[脚注]
[脚注の脚注]
(1) ひとつ問題があるとすれば「この部屋が、生物学科の他の研究室からは隔離されている」ということくらいである(同じフロアにある他の部屋には、以前からの住人である無機化学研究室以外に、現在は地質科学科の一部が入っている)。現在の新潟大学理学部生物学科には、私のように野外調査がメインの研究者はいない(当然のことながら、野外調査をする学生や大学院生もいない)。従って、彼らと一緒の建物にいる必然性はないのだが、室内実験に必要な器具や試料を携えて別棟の実験室まで出向く手間を考えると、雨風の強いときなどは「同じ建物内に居ればなあ」と思うこともある。
(2) リスペクト(respect): 日本語では「敬意=尊敬の念」と訳すのだろうが、最近は格闘技ブームも手伝ってか、世間一般で普通に認知されている言葉のようである。
(3) その証拠に、これまで付き合ったことのある彼女らは、こぞって「(こっちが気を遣わなくていいから)一緒に居て楽だわ〜」と言っていた(1)。
(1) 「老若男女を問わず、色んな人と付き合う」という観点からすれば、私の昔からの特技は「初対面の人とも、すぐに打ち解けられること」である。まあ、それがあるから「野外調査という、他人と交わる機会の多い仕事でも、なにかとスムーズに事が運ぶ」という、それなりの結果が付いて来ているわけだが......。ただ近頃は、インターネット上にホームページをアップしたこともあり、それを読んで幾ばくかの警戒心を持って接して来る人が増えたようである。でも、ほとんどの人は「実際に会ってみると、(私が勝手に想像していた)イメージとは全然違って、人当たりも良くて、ダンディで恰好良い人だわ〜」と言ってくれるので、それが救いでもある(ここで面白いのは「情報が一方通行で、私のほうは、そういった人の情報を全く知らない」という事実である)。