ウランバートルの観光地


2004年7月15日(木曜日)、丸一日かけて、ウランバートル市内を観光することになった。国内線でムルンへ向かうのは、16日である。「野外調査をやる前に、いきなり観光か?」と内心は思ったのだが、こっちは初めての参加で、交ぜてもらってる身だから、上が決めたことに、とやかく言える筋合いのものでもない。諦めて、付いて行くことにした。まあ「諦めた」とは言っても、その時々を楽しむのが私の主義であるから、もちろん、そんな感情はおくびにも出さなかった。

「日本人16名(1)」と通訳のウンドラさんとで何台かの自動車に分乗し、まず最初にザイサン丘の頂上にある展望台(ザイサン・トルゴイ)へと到着した。ここからは、ウランバートルの市街地を一望することが出来る。この丘の入り口には戦車が飾られ、ロシア兵に関する碑文が刻まれた記念碑が建立されていた。展望台へと続く石の階段には、自分が書いた絵やアクセサリーを売る人々が店を広げていた。その中でも、階段を上り切ったところで絵を売っている若者は、自慢の喉で「ホーミー(Khoomii)」を聴かせて、観光客を集めていた。喉の奥の、どこから出ているのか分からない不思議な声色の響きに、しばし魅了された一時(ひととき)であった。

その後、ボグド・ハーン宮殿博物館、スフバートル広場、民族歴史博物館、等々を見学し、最後に「Mongolian National Song and Dance Academic Ensemble」の「馬頭琴(Morin Khuur)」のコンサートを聴くことが出来た。モンゴルの通貨と物価の詳細に関しては、次に掲載するが、こんな素晴らしいコンサートをたった6,000Tg(Tg=トゥグリク; 日本円にして600円弱)で視聴することが出来て、感動すると共に、慣れない金銭感覚に戸惑うばかりの一日であった。

その日は結局、午前10時から午後9時30分まで、ずっと市内観光であった。慣れないことは、するものではない。途中、バヤンゴルホテル併設のレストランで取った昼食のときは普通に食べられたのだが、ナイラムダル公園内にある韓国レストラン(Seoul Club)で取った夕食のときは食欲が湧かなかったくらい、疲れ切っていた。しかも「会計を簡素化するために、全員が同じものを注文する」という段取りから、バイキング形式を選択せざるを得ず、いつものように食べられなかった私には「もったいない」と思う気持ちだけが残ってしまった。

観光は疲れる。野外調査をしているほうが、よっぽど楽である。

[脚注]
(1) 今回の調査に参加した日本人は、全部で19名。そのうち、トラック部隊として14日の午後7時30分過ぎに陸路をムルンへと向かった中川雅博さんと冨士利郎さん、それにウランバートルで用事がある調査隊長の○○さんの3名を除いたメンバー構成である。


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