観光地の入館料は、ボグド・ハーン宮殿博物館が2,500Tg(250円弱)、民族歴史博物館が2,000Tg(200円弱)であった。これらの値段は、言わずと知れた観光料金である。日本人の感覚からすれば安い部類に入るのだろうが、ウランバートル市内のタクシー初乗り運賃(1km)が250Tg(25円弱)であることを考えれば、モンゴル人にとっては相当に高い料金設定であることが、お分かりいただけるかと思う。
7月27日の午後0時5分、ウランバートルの中心街からタクシーに乗り、郊外にある韓国資本のショッピングセンター(Sky Shopping Center)へと向かった(2)。その途中、えらい交通渋滞に巻き込まれ、到着したのは午後0時27分であった。22分間、掛かったことになる。運賃のメータを見ると、575Tg(57円弱)を示していた。一緒に乗っていた佐野智行さんと「これじゃ、商売にならないね」と言いながら、運転手に1,000Tg(100円弱)を渡し、英語で「おつりは要らないよ」と言うと、なぜか妙に恐縮されてしまった。
レストランで供されるビールの値段は、Heineken(ドイツ)、Cass(韓国)、Tiger(韓国)の小瓶や350ml缶が1,600〜1,900Tg(160〜190円弱)で、これには既に15%の飲食税が含まれている。日本人には値段が安いせいもあって、ウランバートルでは外食の度にビールを飲んでいたような記憶がある。また、私たちが宿泊したホワイトハウスホテルの2階にある和食レストラン「艶(Tsuya)」には、仲間5人で7月25日の午後7時40分に入店し、久しぶりの日本食である「鰻蒲焼定食13,000Tg(1,300円弱)」を注文した。どこで捕れた鰻なのか知らないが、身がふんわりとして柔らかく、どう見ても天然物である。日本で食べたら、安く見積もっても4,000〜5,000円は取られそうな代物であった。
これは、モンゴルでは最高級の贅沢かもしれない。罰が当たりそうである。なにしろ、普段モンゴル人が利用している、ガイドブックには載っていない「普通のレストラン(ゴアンズと呼ばれる食堂)」では、それだけで腹一杯になりそうな具沢山のスープが380Tg(38円弱)、オムレツ・ライス・サラダが盛られたメイン料理の一皿も380Tg(38円弱)で食べられ、この2つを注文しても、1,000Tg(100円弱)で、おつりが来たくらいだから......(3)。
その一方で、前述の「Sky Shopping Center」は、品揃えは豊富だが、値段は全体的に日本と大差ないようであった。この店で、お土産を運ぶために私が購入したバッグは韓国製で、15%の剰余価値税を含んだ値段が23,800Tg(2,380円弱)であった。また、この店にテナントとして入っている「Hi-Fi Records」で購入した「My Motherland」という馬頭琴とホーミーのCDの値段は23,000Tg(2,300円弱)であった。バッグは、他の店で適当な品物が見つからなかったので、仕方なく購入したものである。CDは、店員が「発売されたばかりで、まだ日本には入っていない」と言うから、値段は高いような気がしたのだが、その店員の言葉を信用して購入したものである。
以上のように、モンゴル人の価値観からすれば、かなり高額な価格設定の商品がウランバートル市内には溢れている。ウランバートルの物価は、日本の一般的な地方都市の物価の1/20くらいのものもあれば、日本で買ったほうが安上がりなものまで多種多様である。言わば、物価までが「キメラの国」といったところである。
[脚注]
(1) ガイドブックには「トゥグリクは、紙幣で1、5、10、20、50、100、500、1,000、5,000、10,000の10種類、硬貨で20、50、100、200、500の5種類がある」と書いてある。しかし、今回の滞在期間中、硬貨が市場に流通しているのを見る機会はなかったし、1Tg、5Tgの紙幣も見なかった。また、通訳のウンドラさんによると「モンゴルに造幣局はなく、ドイツで紙幣の印刷をおこなっている」という話であった。ちなみに、モンゴルの硬貨は国外持ち出し禁止になっている。
(2) 郊外とは言っても、ウランバートルの中心街は、端から端まで2kmもない。それを過ぎると、辺り一帯には「ゲル集落」を初めとする居住地の光景が広がっているだけである。モンゴルの人口は約250万人で、その3割がウランバートルに集中しているが、この街全体の風情を一語で言うと、中川雅博さんが寄越したメールにあった「都会と田舎、便利と不便、資本主義と社会主義の混在したキメラの国」という表現が、ぴったりと当てはまるようである。
(3) 7月26日の午後0時10分に、お昼ご飯を食べようとして、森田孝さん、佐野智行さん、それに私の3人で、たまたま入ったゴアンズでは、メニューが全てモンゴル語で書かれていた。一瞬「これは、しまった」と後悔したのだが、幸いなことに若い女性の店員が、英単語を並べるだけの簡単な英語なら話せたので、それぞれの料理の説明をしてもらい、どうにかこうにか注文することが出来た。