ホテル


2004年7月14日(水曜日)午後7時、モンゴル・ウランバートルの空港に到着した私たち一向は、モンゴル教育大学の教員や学生の熱烈なる出迎えを受け、調査道具を2台のトラックに積み込んでから、何台かの自動車に分乗し、宿泊するホワイトハウスホテル(White House Hotel)へと向かった。このホテルはウランバートル市街地の西方にあり、空港からホテルへは自動車で30〜40分間の道のりである。ちなみに、モンゴルでは、自動車は右側通行である。

「地球の歩き方 D14 モンゴル 2003〜2004年版(ダイヤモンド・ビッグ社)」によると、ホワイトハウスホテルは全12室で「中級ホテル」に位置付けられている(朝食込みのツイン料金はUS$65.00)。1階にはフロント・ロビー・洋食レストランが併設され、2階には飲食店などが入っている(和食レストラン「艶(Tsuya)」がある)。5階建てで、3〜4階が客室のようである(5階は、よく分からない)。各階へは、階段で昇り降りする。エレベーターはない。階段を上がった3階フロアーの入り口には、従業員1名が交替で詰めている。ある事情通に言わせると「これは社会主義体制時代の名残りで、客の行動を監視しているんだ」という話であるが、どこまで本当なのかは分からない。昨年の宿泊場所はエーデルワイスホテルで、こちらは高級ホテルという位置付けである(朝食込みのツイン料金はUS$90.00)。6月1〜2日に金沢で開催された会議の際、○○さん(金沢学院大学)から受けた説明では、このホテルに泊まることになっていたが、予算の都合なのか、モンゴルへの渡航直前で変更があったらしい。

ウランバートルにある他のホテルとの比較が出来ないので何とも言えないが、そのとき割り当てられた部屋(305号室)は、お世辞にも「良い」と言えるような代物ではなかった。同室は、金沢大学で長らく研究を続けて来られた花粉分析の世界的権威で、藤則雄さん(金沢学院大学)という、私より30歳も年上の方であった。藤さんとは「物の見方・考え方」が似通っていて、そのせいもあるのか、親子ほど年が離れている割には気が合い、その後のテント生活も一緒であった(彼は1次隊なので早く帰国している)。この藤さんが、浴室と洗面台・トイレの仕切りとなるカーテンを触った途端に、カーテンを吊るしていた棒が外れて落ちてしまった。この棒は、どうも固定式ではなかったようである。外れた後の棒は、もはや修復不能な状態で、シャワーを使う際に飛び散るお湯で、辺り一面がビチャビチャになるのを覚悟しなければならなかった。それだけなら未だしも、シャワーの噴出口のある金属部分が途中で外れて元に戻らず、ただのホースからお湯が出ているような状態であった。また、シャワーのお湯と供に米粒くらいの大きさの黒い固まりが多数、浴槽に出て来たが、これは、どうも泥のようであった。おまけに、何だか訳の分からない、縄紐のようなものまで出てくる始末であった(1)。

この他にも、部屋の広さに比べて利用可能な灯りが電気スタンドしかない(部屋の電気が暗い)、部屋の窓が開けっ放しで閉まらない、換気扇が壊れている、ホテルの隣接部分が工事中で騒がしい、等々の不満があった。この中で「部屋の電気が暗い」というのは、ウランバートルの電力事情もあるだろうから、とやかく言う筋合いのものではないのかもしれない。しかし「部屋の窓が開けっ放し」というのは、窓枠のところに填められた(はめられた)網戸のせいで、取り外すには工具が必要な代物であった。網戸が付いていない部屋もあったそうだから、これは特定の部屋へのサービスのつもりなのかもしれないが、その有効性には疑問の残るところではある。それというのも、ミキサーなどの工事の騒音が、朝の7時頃から夜中の1時過ぎまで続いていたからで「うるさいから」といって窓を閉められないので、我慢して寝るより他になかったのである(2)。

また、ダルハディン湿地の調査からウランバートルに戻った後の7月25日以降も、このホテルに宿泊したのだが「10日振りに入れる」と思った風呂も「お湯が出ない(3)」ということで、今度は冷たい水風呂を余儀無くされてしまった。そのとき割り当てられた部屋(304号室)の同室は佐野智行さん(姫路獨協大学)で、私より2つ年下である。専門は情報処理だが、手先が器用で何でも簡単に直してしまうので、彼がいてくれて助かったことは少なくない。お湯が出ないので、私は浴槽に水を張って身体を洗ったのだが、彼は「水風呂に入るのは嫌だ」と言って、タオルで身体を拭いただけであった。

以上のように誉められない点が目立つ反面、私たちが「これは予想外」と喜んだのは「NHKの海外向け放送(4)」が受信できる点であった。これで日本からの情報が得られ、例の7・13水害も知ることが出来たのである。

また、ちょっと考えさせられたのは、私たち日本人がホテルで当たり前のように「使い捨て」にする「シャンプーの容器」が、中身を詰め替えて再利用されていることであった。これには驚かされたが、自分が歩んで来た道を振り返ってみても、この「物を大切に扱う」という行為は、人として生きるための本質なのかもしれなかった(5)。

[脚注]
(1) 空気が乾燥しているので、就寝前には必ず浴槽に水を張り、洗面所のドアを開けて寝ていたのだが、10cmほど張った水が翌朝には、すっかり乾いているのであった。そのせいもあり、起床すると喉がガラガラになっていることが多かった。そんなとき一番役立ったのが、うがい薬のイソジンであった(これはモンゴル旅行には必須アイテムである)。
(2) これはホワイトハウスホテルの増築工事のようで、昼夜を問わずに働いている約20名の若者は、中国から出稼ぎに来た季節労働者だそうである。ちなみに、モンゴル人の某教員に言わせれば「モンゴル人が好きなのは、ロシア人、日本人、韓国人の順で、嫌いなのは中国人」という話である。
(3) 部屋に入ると、テーブルの上に英語の注意書きがあり、そこには「地域の水の供給パイプラインが断たれたので、今日はホテルのお湯が出ない」と書かれてあった。「今日は」とあるので「明日は出るのか?」と思ったのだが、フロントに確認したところ「お湯は8月1日まで出ない」とのことであった。それに水道の蛇口からは、ちゃんと水が出ているので「水の供給パイプラインが断たれると、何故お湯が出なくなるのか?」と、理解に苦しむところではあるが、おそらく英語の注意書きが間違っているのだろう。
(4) TV画面の左上に、日本では「時刻」が示されるが、海外向け放送では「NHK」の文字が示される。これ以外に大きな違いはなく、全て日本語による放送である。
(5) ここウランバートルでは「ホテルのアメニティグッズが、持ち帰り可能なのかどうか?」といった点が不明である。アメニティグッズを持ち帰ってしまうと、何か国際問題にまで発展しそうな、そんな雰囲気がホテル側には感じられる。


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