関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 館山市 TY-03
写真1
岩場に2段の海岸段丘が認められる 「見物海岸」バス停附近の海岸
写真2
写真1の最低位の海岸段丘面(大正ベンチ) 1923年の関東地震で離水した、泥岩の侵食面
写真3 見物海岸のバス停
後方の電柱には海抜4.0mとある。道路周辺は人工的な改変が加えられている可能性があるが、この付近は元禄段丘面(沼Ⅳ面)に相当か?
撮影:2010/11
館山湾の海岸段丘(見物海岸)について
房総半島南部は最低位の段丘を元禄段丘とし、4段の段丘が分布しています。これらの段丘面は館山市沼地区の地名をとって、上位から沼Ⅰ面、沼Ⅱ面、沼Ⅲ面、沼Ⅳ面(元禄段丘面)とよばれています。沼Ⅳ面(元禄段丘面)は当時の波食面が1703年の元禄地震で離水した面です。
房総半島では元禄関東地震と大正関東地震では地殻変動のパターンが異なることから、関東地震*には元禄型と大正型の地震があり、大正型が1つの断層が動くのに対して元禄型では1つ以上の断層が連動して動くものと理解されています。
沼Ⅰ面~沼Ⅲ面は沼Ⅳ面(元禄段丘)とほぼ同じ幅を持ち、分布形態も非常に似ていることから元禄型の関東地震に伴って隆起・離水したものと考えられています。これらの段丘面の境界附近にはさらに2~3面の小段丘に区分できることから、これらの小段丘は大正型の関東地震で生じた段丘と考えられています。写真1および写真2の最低位の段丘面は大正関東地震に伴って隆起・離水した平坦面であり、大正ベンチと呼ばれています。
以上のような海岸段丘の分布状況は、数千年来、元禄型の地震の間に2~3回の大正型の地震を挟むような地震発生パターンを繰り返してきたことを示しています。資料3によれば、6,800年前(縄文海進時の最高位旧汀線の離水時期)以降の関東地震の平均再来間隔は380~400年とされ、また、元禄関東地震から大正関東地震までは220年であったことを考えると、現在は大正関東地震からまだ90年程度しか経過していないので、関東地震の再来までにはしばらくの間余裕があることになります。
*関東地震 ヒィリピン海プレートが日本列島へ沈み込むことによって発生する地震のうち、相模湾トラフ沿いで歴史的に繰り返して発生している地震を総称して関東地震と呼びます。関東地震としては1923年の大正関東地震(マグニチュード7.9)やその1つ前の1703年の元禄関東地震(マグニチュード8.2)が知られていますが、一般に、関東地震といえば、関東大震災をもたらした大正関東地震をさす場合が多い。
参考資料