関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 山北町 YK-01
写真1 JR谷峨駅 ホーム
写真2
崩壊地遠景 「松の木は滑った」位置は山地斜面末端部付近の急斜面にある
写真3
酒匂川左岸下流側から土砂および松の木が乗り上げた対岸(見取り図より推定して橋より上流側約180m)を望む
写真4
酒匂川左岸上流側(写真3の逆方向)から下流方向の松が滑り落ちた付近を望む
資料の見取り図から推定して、松が滑り落ちた箇所は堰堤の上流側70m付近。
撮影:2014/9
「大磯小学校校長 薮田拓司 関東大地震松の木は滑った 観測だより 神奈川県温泉地学研究所 通巻38号 平成元年」には関東地震の際に発生した、
という2つの出来事が記載されています。このページでは上記の資料から「松の木は滑った」について紹介いたします。
以下、- - - - - (end)まで上記資料抜粋
わたしの故郷嵐は現在山北町に属し、御殿場線谷峨駅の対岸にあたり、酒匂川*1の左岸で河床から40mほど高い河岸段丘の上にある。山北町に合併するまでは清水村に属していた。道幅4mのわが村のメインストリートは中世・近世の甲州道である。この道に沿って頼朝桜、地蔵堂がいまでものこされている。かっての街道をしのばせる茶屋という屋号もあった。
酒匂川やその支流の中川川に沿ってつくられた高位段丘の緩斜面では現在おもに足柄茶が栽培されている。嵐付近から酒匂川の谷を見おろし、後ろにそびえる富士の眺めは大変美しい。わが村の地下20mには東名高速道路の都夫良野トンネルが通っていて、嵐はそのトンネルの西口の上に在る。
昭和9年丹那トンネルが開通し、東海道本線は国府津から小田原、熱海、丹那トンネルを経て三島に至る前は、今の御殿場線が東海道本線であった。今でこそ単線であるが御殿場線は複線であった。酒匂川の谷を列車が登って行くときは前後の蒸気機関車がついてシュッシュポッポと迫力のある光景がみられた。
私の父義文の話では、私たちの集落は現在の嵐の位置より500mほど北の台地にあった。元禄大地震でこの台地は酒匂川に向かって滑落し、その上にあった集落は大被害を受けた。そんな危険なところには住めないというので、500mほど南東にある現在の位置に移住したとのことである。
…… 中略 ……
松の木は滑った
奇妙な事件はこのとき発生した。嵐の村の崖縁に2本の大きな赤松が生えていた。(図2、3)。ニかかえもある太い赤松であった。この木の根元で遊んでいた薮田一郎さん(6歳)は思いもかけない大事件にめぐりあった。嵐の村をのせていた台地の縁が二十数mにわたって地震で崩落した。2本の赤松は崩れ落ちる地盤もろとも40m下の酒匂川に向かって立ったまま移動しはじめた。赤松の下で遊んでいた一郎さんは余りの恐ろしさで赤松の幹にしがみついていた。このがけ崩れの土石流は酒匂川の激流を横断し、対岸谷ヶ駅(当時はまだ駅はなかった)の下の水田に乗り上げて止まった。2本の赤松も一郎さんと共に立ったまま酒匂川を横断していた。不思議というべきか、一郎さんは怪我もせずに赤松にしがみついたまま300mの大滑走をしたのである。大地震で深刻な被害を受けた中で、一郎さんの大冒険は暗くなりがちな人々の心に、暖かみを与えたエピソードとして話題になった。
酒匂川をわたったこの土石流は間もなく激流に流されてしまい、酒匂川をせき止めるには至らなかった。当時は水力発電所もなく、酒匂川の水量は今よりずっと豊富で速く、力泳者でも川の横断は容易ではなかった。
薮田シズエさんの遭難
嵐の西はずれの薮田一雄さん(当時6歳)の家は地滑りの被害を受けた。一雄さんは家の外にあったトイレで小用中に地震にあった。余りの激震に小便がどうなったかはさだかではない。一雄さんの家は地盤と共にずるずると沢に向かって動きだし30mも移動した。むろん一雄さんも外のトイレもいっしょであった。幸いなことに、建物は崩かいしなかった。
このとき、薮田一郎家の下をとおる山道を、ハルさん(崖縁の赤松と共に滑りおりた一郎さんの母)と学校帰りの小学校5年生薮田シズエさん(10歳)とが家に向かって登っていた。この2人は薮田一雄家をのせたままずるずると滑り落ちてきた土石流に襲われてしまった。押し寄せる土石流にびっくりした2人のうち、ハルさんは沢の対岸に向かって逃げる途中で土石流につかまり、半身埋まって動けなくなった。小学校5年生のシズエさんは坂道をかけあがって逃げたが、土石流に呑みこまれてしまった。
地震直後、村人総出で救出がはじまった。半身埋まったハルさんは夕方までに救出され、一命を助かった。小学校5年生のシズエさんはどこに埋まっているのかわからなかった。気の毒なことに3日後遺体で発見され、その位置から坂を登って逃れようとしていたことがわかった。
- - - - - (end)
*1追加
*1 酒匂川 読みはさかわがわ。山間部を抜けて足柄平野を貫流し、小田原市で相模湾に注ぐ。