関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-17
写真1 "数寄屋橋交差点
数寄屋橋交差点の角の三角屋根は交番です。交番の裏側には、震災共同募金会によって建立された関東大震災十周年の記念塔があります。
写真2 数寄屋橋の震災記念塔
台座正面の標語
関東大震災の記念塔の前面下には建碑趣旨文があり、次のように刻まれています。
関東大震災の記念塔
この塔は大正十二年(一九二三年)九月一日午前11時58分東京を中心に関東一帯をおそった大震火災を記念するため広く浄財をあつめて十周年の昭和八年九月一日に建てたもので、わが国彫塑界の巨匠北村西望先生が「平和の神」を象徴して制作されたものであります
標語の「不意の地震に不断の用意」は、当時朝日新聞社が全国に懸賞募集した十余万の応募の中から選んだもので長くこの日をしのび二度と惨害をくりかえさぬよう注意を喚起するものであります昭和三十五年九月一日
震災共同募金会
朝日新聞厚生文化事業団
震災の被害状況
死 者 99,331 倒壊家屋 全壊 128,266
負傷者 103,733 半壊 26,233
(漢数字の一部をアラビア数字で表示)
警句「天災は忘れた時分に来る」と「不意の地震に不断の用意」について
今村恒明著『地震の国』「天災は忘れた時分に来る」より
寺田寅彦の天災に関する警句に最も共鳴したものは震災共同基金会(震災防救共同会とすべきか)であろう。
これは、有馬頼寧伯が大正13年9月1日その一族を率いて街頭で大衆の義金を集め、これを以って内外罹災者の急を救い、あるいは災厄を予防する資金にしようというにはじまったのであるが、爾来(じらい)23年間東京朝日新聞社がこれを後援しているのに顧みてもその健実さがわかるであろう。 そしてその10周年に当たり、会が記念事業の一つとして選んだのが、かの警句を生かす記念塔の建設である。
これがために先ずその忘れた時分に来るはずの震災に善処する意味の標語を懸賞によって募ったのであるが、「不意の地震にふだんの用意」というのが当選した。
会は、更にこの標語を表徴する彫像を北村西望氏に依頼しそして作り上げたのが、かの銀座横、数寄屋橋詰の小緑地帯は(の?)交番横に屹立する震災記念塔である。
灯明を右手に掲げて前方を見守る青年像は、「不意の地震に不断の用意を忘れるな9月1日」、「震災は忘れた時分に来る」のいずれを表徴しているといっても差し支えない。
あの広場は小さすぎる嫌いはあるが、露天には惜しい美術品である
(旧字体や旧かな使いを変更し、一部の漢字をひらかなあるいはアラビア数字に直しています。カッコ内は追記)