作成:2003/8
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-12
写真1 萓雲寺山門
写真1の山門をくぐり、石畳に沿って進み、右折すると正面に2基の石碑があります。
左の石碑が震災供養塔で、右の石碑が大震災殃死者紀念碑です。(写真2参照)
写真2
戦災供養塔と並んで建つ大震災殃死者紀念碑
写真3 大震災殃死者紀念碑
撮影:2003/7
大震災殃死者紀念碑の背面には大震災でなくなった人の氏名がびっしりと刻まれています。氏名数で134名ですが、外何名の記述も加えると154名となります。
最下部右側には「深川区東大工町第三部」とあり、発起人の名が連なっています。東大工町は現在の地名としては残っていませんが、現在の江東区白河および三好町に相当します。
震災予防調査会「大地震ニヨル東京火災調査報告」(中村清二 1925)を参照すると、東大工町の火災の様子は次のようになります。
① 延焼の規模が大きい
東大工町のガラス工場に発した火は、現在の地名で北は森下三丁目~五丁目、南は木場一・六丁目に達しました。この火系は約1.4平方キロで大きさでは9番目です。② 延焼速度が大きい。
東大工町から延焼が南下して木場に達した頃、九月1日の午後7時から8時までの一時間に八百二十メートル進み、最大の延焼速度になりました。
延焼によって火に囲まれ、脱出できなかった焼死者が多数出ました。東大工町566番地の丈六原では扇橋署が113名の焼死者を検死しました。113名という検死数は十番目に多い箇所になります。