作成:2015/5
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-34
写真1 古壽老稲荷神社 ビルの谷間にある神社
写真2 鳥居と社殿
写真3
震災復興記念碑は社殿に向かって左側のある
写真4
震災復興記念碑 旧鳥居が記念碑の石材として使用されている
写真5
破損した鳥居は土留材としても使用されている
古壽老稲荷神社は、桜田通りから天神坂を登り始めると直ぐ左側にあります。
< 古壽老稲荷神社の由緒 >
猫のあしあとhttp://www.tesshow.jp/minato/shrine_takanawa_kojuro.htmlを参照させていただきました。
昔、麻布飯倉片町の付近に鎮座してたが、延宝六年(一六七八)ころ現在地に移った。俗に「小女郎稲荷」ともいう。そのわけは『御府内備考』三田代地(君塚町)の条に、「右に剣左に宝珠持、白狐に乗れる女之姿に相見え、里俗小女郎稲荷と唱来、弘法大師の作と申伝候」とあるので知られる。古来より町の失火もまったくなく、氏子中土地代々の家多く、氏神産子の念強く、神社を中心とする氏子を含む一画は、大正十二年関東大震災、昭和大空襲ともに難をまぬかれ氏子中はもちろん、近隣の人びとも「火除の神として崇敬深く日々の参拝は多い。(東京都神社名鑑より)
正面に「震災復興記念 昭和十年四月十五日」、背面には世話人として19名の氏名が記されています。
関東大震災の時、港区高輪付近は延焼から免れましたが、地震による揺れで被害が発生しました。それから12年後の昭和10年に復興したことを記念して震災復興記念碑が建てられたようです。記念碑は鳥居の石柱が材料として使用されており、地震で鳥居も倒壊したものと思われます。