作成:2015/4
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-09
写真1
吾妻橋船着場の表示板の隣に「隅田公園入口」と記した石柱がある(墨田区側)
写真2
「隅田公園入口」と記した石柱(墨田区側)
写真3
隅田川沿いの桜並木(墨田区側) 前方の橋は言問橋(ことといばし)
言問橋は1928(昭和3)年に完成した震災復興橋の1つである。
写真4
東京スカイツリーを背景とした隅田公園の桜(墨田区側)
写真5
隅田公園 公園内には牛島神社や日本庭園がある(墨田区側)
写真6
東京観光汽船水上バスと隅田公園の桜(台東区側)
撮影:2015/3
関東大震災の復興事業で東京市に新設された公園には国施工の三大公園(隅田公園、錦糸公園、浜町公園)と小学校に隣接させた市施工の52の小公園があります。これ等の公園は都市の良好な環境を保持するためだけではなく、防災拠点、防火帯、避難地としての機能が意識され、公園が都市の重要なインフラであることが認識されて施工されました。また、猿江恩賜公園、旧芝離宮恩賜公園、清澄庭園、旧安田庭など、御料地の開放や財閥の寄付によって大規模な公園が新設されました。
横浜市では国施工の公園として、野毛山公園、山下公園、神奈川公園の三つの公園が新設されました。
隅田公園は復興事業を代表する公園であり、隅田川両岸にまたがっています。墨田区側(隅田川左岸)に日本庭園と神社、台東区側に東京観光汽船水上バス乗り場、台東リバーサイドスポーツセンター(野球場・陸上競技場・テニスコートなど)が含まれる多目的公園です。
隅田公園(18.9ヘクタール)は、日本初の本格的なリバーサイドパークで、隅田川の両岸を挟んで広がる延長1300メートルの臨水公園である。向島側では約一万坪の旧徳川公爵邸跡を含み、日本庭園が設けられた。隅田公園の地は元来、墨堤(ぼくてい)の桜で有名な場所であった。そこで、日本の伝統的な風景(ランドスケープ)と西欧近代の公園手法を結びつけ、幅員十八間(33メートル)の桜並木、遊歩道を主体とし、道路と公園が一体となった道路公園(ブールバール)をつくりあげた。これは、震災を前後してつくられた明治神宮外苑の四列の銀杏並木、内外苑連絡道路(乗馬道を有する並木道)と並んで日本の都市計画上、画期的な街路であり、公園であった(設計者はいずれも折下吉延)。
(越澤明 復興計画 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで p77-78 中公新書 2005)より
石柱は正面に「墨田公園入口」とあり、実用的な石柱として設置されていますが、背面には「復興完成記念」とある。
隅田公園入口を示す石柱
(復興完成記念) 背面
参考資料
越澤明 復興計画 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで 中公新書 2005
伊東孝 東京再発見 岩波新書 1993