関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-29
写真1 浄名院の表門
淨名院の八万四千体地蔵について(説明板より)
八万四千体地蔵
台東区上野桜木二丁目六番四号 浄名院
この寺の名は初め浄円院といい、寛文六年(一六六六)寛永時三十六坊の一つとして創建された。享保八年(一七二三)浄名院となる。表門は享保年間(一七一六~三五)の建立。
地蔵信仰の寺となったのは第三十八世地蔵比丘妙運和尚の代からである。妙運和尚は大阪に生まれ二十五歳で日光山星宮の常観庵にこもったとき地蔵信仰を得、一千体の石造地蔵菩薩像建立の発願を立てた。明治九年浄名院に入り、明治十二年、さきの一千体の願いが満ちると、さらに八万四千体建立の大誓願に進んだ。明治十八年には地蔵山総本尊を建立。各地から多数の信者が加わり、地蔵菩薩像の数は増え続けている。
境内にある青銅製の大きな地蔵菩薩坐像は、かつて江戸六地蔵第六番の地蔵菩薩像があった深川永代寺が明治維新のとき廃寺になったためと、日露戦争の戦没者を弔うため、明治三十九年新たに建立されたものである。
なお、旧八月十五日の「へちま供養」には、せき、ぜんそくに効験を願う人々で賑わう。
平成十三年三月
台東区教育委員会
写真2 大震火災同業者受難碑
写真3
大震火災同業者受難碑の上部クローズアップ
大震火災同業者受難碑の裏面には、
大正十三年之建
東京刷子刷毛信用購買販賣組合
東京輸出刷子同業組合
城北毛工會
外同業者有志一同
とあり、その下には世話人として三名の名前が刻まれています。
写真3のお地蔵さんを挟んで左側には「八万四千体之内」、右側には「第七千番」とあり、大震火災同業者受難碑の地蔵尊は大誓願八万四千体のうちの7千番目にあたるものと思われます。