作成:2015/6
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-21_3
写真1
震災横死者供養塔とその併設碑
写真2
震災横死者供養塔
写真3
震災横死者供養塔の併設碑
この碑には「関東大震災で亡くなった有情を供養するためにこの碑を建てる」と刻まれている
2015/6撮影
関東大震災にまつわる石碑群の後列には3基の石碑が並んでいます。3基の石碑の左側が震災横死者供養塔です。この碑の背面には横死者64名の氏名・年齢が刻まれています。「大正12年12月9日建之 堀内町有志者」とあり、宝生寺の所在する堀内(堀ノ内)町の犠牲者を弔った供養塔のようです。
中央の石碑の由来は不明ですが、左側の震災横死者供養塔と同じ石材が使用されていること、さらに、石材は安山岩質凝灰岩と思われる珍しい石材が使用されていることから、震災横死者供養塔と対になった併設碑と思われます。
この併設碑には「関東大震災で亡くなった有情*を供養するためにこの碑を建てる」と刻まれています。
この碑とは、左側の震災横死者供養塔のことと思われます。
* 有情(うじょう)生きとし生けるものの総称。また、衆生(しゅじょう) 広辞苑より
< 資料 横浜市役所 横浜市震災誌 第二冊 1927 >には堀ノ内町の被災状況を次のように書きとどめています。
石碑に刻まれているように64名の犠牲者が出ていても、横浜市の平均的な被害状況(死亡率6.6%)と比べると、被害が少なかったと思われます。