作成:2010/11
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-22
写真1 慈雲山吉祥寺
写真2
大震火災横死者諸精靈之碑
「大震火災横死者諸精靈之碑」は石段を登り、本堂正面(写真1参照)に向かって右側の墓地内にあります。この石碑の背面には殃死者俗名として名前が記載されています。表面の剥落もあり正確な人数は不明ですが、120数名の名前が上下7段に分けて刻まれています。背面左側には「大正十三年九月一日一週年忌 横濱市大岡町青年會 大岡町 石工 亀井常七」とあり、大岡町の死者の慰霊を目的として建立されされたことがわかります。
横浜市震災誌第二冊132頁には「町内の死者は百二十名であったが、多く勤め先で死んだものである。」と記されており、石碑に刻まれている死者の氏名数とほぼ一致します。
同資料によると、大岡町の被害状況は「市街地の家屋は約半は半潰或いは大破した。丘地では少しばかり破れた位のものであった。大岡川の堤防には大小多數の龜裂を生じた。火は中央なる高等學校及町内の三箇所から一齋に發火し、東北に向かって延燒し、忽ちにして市街地を一舐めにした。」とあります。