作成:2015/6
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-15
写真1 元町公園
写真2
斜面遊歩道の一角 突き当りに山手80番館の遺跡が見える
写真3 山手80番館遺跡
写真4
山手80番館遺跡の案内モニュメントで、THE BLUFF 80 MEMORIAL TERRACE(ブラフ80メモリアルテラス)として公開されている 両脇のタイルは遺跡から出土したものの複製
写真5
山手80番館遺跡 玄関に向かうコンクリートの階段
撮影:2015/5
元町公園は元町の背後、谷沿いの低地と丘陵地にかけての公園であり、元町側から公園に向かうと、込み入った住宅地の奥に洋式公園と斜面の鬱蒼とした緑の景観が広がっています。
元町公園は関東大震災から7年後の昭和5年に開園した公園であり、ジェラールの瓦工場と水屋敷跡および山手80番館遺跡などの史跡やブラフ溝記念碑があります。
案内板より
この地は、明治初年フランス人アルフレッド・ジェラールが、居留地建設にともなう西洋瓦や煉瓦を製造した工場並びに水屋敷跡です。
ジェラールの経歴については不明な部分も多いのですが、居留地77番~79番の約3,370坪(約11,200m2を落札し、永代借地権を獲得して蒸気機関を原動力とした工場を経営しました。日本絵入商人録(明治19年刊)によると製品には、西洋瓦・普通及穿孔煉瓦・土管・タイルなどがみられます。1873年(明治6年)の製作年号のある瓦が確認される最古のものです。
また、ジェラールはこの地から湧き出る清泉を代官坂に溝を掘って掘割に通し、「船用最上飲用清水販売所」の看板を掲げて、船舶に販売しました。水屋敷の呼び名はここから生まれました。
大正12年(1923)の関東大震災により崖が崩れ、工場は倒壊しました。跡地は震災の復興に際して私有地となり湧水を利用してプールを建設しました。
(横浜市教育委員会文化財課 財団法人 横浜国際観光協会 平成5年3月)
水屋敷跡から斜面の遊歩道を登って、山手本通り方向に向かうと、斜面を登りきる手前に外国人住宅の遺構である山手80番館遺跡があります。この住宅は山手本通り側に玄関のある、斜面に建てられた3階建ての建物(鉄筋補強煉瓦造)でしたが、現在は地下室及び基礎部だけが残っています。
案内モニュメント(写真4)より
この赤レンガの構造物は、関東大震災前の異人館遺跡で、震災当時はマクガワン夫妻の住居となっていたところです。
この一帯は、かつての外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅のほか、学校・病院・劇場・教会などの西洋建築がたちならんで「異人館のまち」をつくっていましたが、今日なおその面影をそちこちに残しています。
本遣跡は、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており、耐震上の配慮がなされていましたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大地震による被害状況を物語っています。現在、地下室部分を残すだけですが、浄化槽をも備え、古き良き横浜の居留外国人の華やかな暮らしぶりをうかがいしることができます。
両わきのタイルは遺構から出土したものを複製しました。
昭和60年3月 横浜市緑政局 横浜開港資料館