作成:2014/1
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-16
写真1
谷戸坂 山手町方向(南西方向)を望む 谷戸坂と記された石柱
向かって左側が港の見える丘公園
写真2
追悼碑はマンションの基礎部に設けられている
谷戸坂(やとざか)の大震災追悼碑については建立年月日、建立者など、詳しいことは不明です。
谷戸坂は低地の山下町や元町から台地の山手町を結んでいます。
【地形】
横浜市の市街地を成す低地の多くは、縄文海進(最盛期は5,500~6,000年前)によって陸地に入り込んだ入り江に大岡川や帷子川によって運搬された土砂が堆積することによって、あるいはその後の干拓によって形成されたものであり、地下には大岡川や帷子川の深い谷が隠されています。これに対し、山手町などの台地は最終氷期が始まる前の海進(下末吉海進12~13万年前)で堆積した平坦面、あるいは海食平坦面(波食台)がその後の地殻変動により上昇したことによって形成されました。横浜中心部の地形は低地と台地によって特徴付けられています。
写真1の谷戸坂は前方に向かって上り坂となっており、向かって左側は港の見える丘公園、右側の建物の背後は外人墓地でいずれも台地です。谷戸坂は台地に切れ込んだ谷地形部を通過しており、登り切った台地の上には岩崎博物館、横浜市イギリス館、山手111番館、山手十番館、大仏次郎記念館などがあります。
坂の名前である谷戸坂の「谷戸」とは一般に、丘陵・台地の解析された谷底平坦地とそれを囲む3方の斜面を含む地形とされ、谷戸坂は谷底から台地へ続く斜面を利用した坂道がその由来と考えられます。
【参考】谷戸の示す場所*1
*1 島村雅英、森清和 横浜で谷戸といわれる地域の地形地質学的側面から見た特徴 横浜市環境科学研究所報 第24号 2000
写真3
谷戸坂 大震災追悼碑