作成:2006/10
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-02
写真1 東福寺山門
赤門町は昭和10年の町界町名整理の際に新設された町名であり、赤門町は東福寺の赤門(山門)に由来します。
赤門については「横浜市 西区役所 区政推進課広報相談係り 平成16年」に次のような説明があります。
赤門といえば東京大学、と相場が決まっているようだが、どっこいヨコハマにも歴(れっき)とした赤門がある。江戸のほうは将軍家斉(いえなり)の娘、溶姫(やすひめ)が加賀藩前田家に嫁いだ文政10(1827)年建造のものだが、こちら光明山東福寺は後嵯峨(ごさが)天皇の勅願で元心法師が寛元年間(1243~7)に創建したと伝えられる。天正19(1591)年には徳川家康公より寺領を賜り、その折、葵の御紋の使用を許されたという名刹(めいさつ)である。往時の山門は二階の豪壮なものだったが、創建以来戦災を含めて七度焼尽(しょうじん)され、現在のものは昭和35年に再建された。ご本尊は90センチの観世音菩薩。
写真2 東福寺の追悼碑
碑文
東福寺の追悼碑(正面)
追悼碑には「横浜印刻業者震災惨死群霊追福」とあり、印刻業者による法要が営まれたようです。