作成:2006/10

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 横浜 Y-02

西区 --- 東福寺の追悼碑 ---

  • 所在地:横浜市西区赤門町2丁目
  • 碑名:追悼碑
  • 形状など:菱形の石板
  • 建立年月日:大正15年7月
  • 交通:京浜急行「黄金町」より徒歩約7分(行程450m)
東福寺山門

写真1 東福寺山門

赤門町は昭和10年の町界町名整理の際に新設された町名であり、赤門町は東福寺の赤門(山門)に由来します。

赤門については「横浜市 西区役所 区政推進課広報相談係り 平成16年」に次のような説明があります。

赤門といえば東京大学、と相場が決まっているようだが、どっこいヨコハマにも歴(れっき)とした赤門がある。江戸のほうは将軍家斉(いえなり)の娘、溶姫(やすひめ)が加賀藩前田家に嫁いだ文政10(1827)年建造のものだが、こちら光明山東福寺は後嵯峨(ごさが)天皇の勅願で元心法師が寛元年間(1243~7)に創建したと伝えられる。天正19(1591)年には徳川家康公より寺領を賜り、その折、葵の御紋の使用を許されたという名刹(めいさつ)である。往時の山門は二階の豪壮なものだったが、創建以来戦災を含めて七度焼尽(しょうじん)され、現在のものは昭和35年に再建された。ご本尊は90センチの観世音菩薩。




東福寺の追悼碑

写真2 東福寺の追悼碑




東福寺の追悼碑

碑文

東福寺の追悼碑(正面)

追悼碑には「横浜印刻業者震災惨死群霊追福」とあり、印刻業者による法要が営まれたようです。