作成:2003/4
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-01
写真1 合祀霊場全景
写真2
合祀霊場正面 円墳と卒塔婆
写真3
横浜市大震火災横死者合葬之墓の石碑(合祀霊場正面左)
写真4
大震火災横死者合葬之墓の石盤
写真5 説明板のクローズアップ
合祀霊場は久保山墓地の一角の管理事務所の傍にあります。
関東大震災での全体の犠牲者のうち、東京都が約3/4を占め、神奈川県が残りの約1/4を占めます。
横浜市の死者:23,440人、不明者:3,183人(宇佐美龍夫『新編 日本被害地震総覧』による)
都市では大都市である東京市と横浜市がともに大被害をこうむりました。東京市と横浜市を比べると、犠牲者(死者・行方不明者)の絶対数は東京市が遥かに多いものの、その率でいうと横浜のほうが大きくなります。東京市では100人に2.7人が犠牲になったのに対し、横浜市では100人に6人が犠牲になりました。そして、横濱市大震火災横死者合葬之墓と刻まれた石碑の裏には、犠牲者のうち三千三百余人の氏名が分からないままに仮葬にしたと刻まれています。
背面の碑文
大正十二年九月一日関東の地大ニ震フ蓋(けだし)前古未曾有(ぜんこみぞう)也横濱市ニ於テ殃死ヲ遂ケタル者無慮(むりょ=およそ)三萬人此ノ中氏名不詳ニシテ假葬ニ付シタル者實ニ三千三百有餘ヲ算ス今茲一周忌ニ値(あた)リ地ヲ相シテ合葬ヲ行ヒ墓碑ヲ建テ以テ永(とこし)ヘニ幽魂ヲ弔(とむら)フ
合祀霊場正面の右側には石造の説明板があり、説明板には次のように刻まれています。
大震火災横死者中ノ無縁者に對シ本市ハ曩(さき)ニ合葬ヲ行ヒ墓碑ヲ建設セルカ其後忝(かたじけなく・おそれおおく)モ皇室ヨリ金七萬五千圓ノ恩賜ヲ交付セラレタルヲ以テ茲ニ聖旨を奉體して合祀霊場を新設し且永久に祭祀ノ途ヲ講スルコトヽナセリ之レ一ニ優握ナル天恩竝(ならびに)一般ノ深甚(しんじん)ナル援護ニ依るモノニシテ枯骨恵澤ニ霑(うるお)ヒ幽魂永ニ安慰ヲ得ヘク加フルニ餘榮ノ大ナルハ寔(まこと)ニ感激ニ勝ヘス今茲竣工ニ際シ、鐫刻(せんこく)シテ仁恩ヲ傳ヘ併セテ英霊ヲ弔フ 大正十五年九月一日
横濱市
( )内にふり仮名を追加
写真6 殉難朝鮮人慰霊之碑
殉難朝鮮人慰霊之碑は合祀霊場正面手前左にあります。その表裏には次のように刻まれています。
〔表〕 関東大震災 殉難朝鮮人慰霊之碑
〔裏〕 昭和四十九年九月一日
少年の日に目撃した一市民建立