織田信長は歴史を二度変えたと言われています。初めは旧体制の代表格と言える今川軍を撃退したことであり、二度目は「本能寺の変」でその生涯を閉じてしまったことです。
歴史は巨視的に見れば必然的な流れがあるような気がします。しかしそれは必ず一つの点に向かって集約されるべきものではないような気がします。歴史は川の流れと同じで上流から下流へと流れるものだとよく言われますが、実は誤解を招きやすい例えだと思います。
川の場合は無数の支流から本流へと流れ込み、大河となって海へと続きますが、歴史の場合はそれと全く反対で富士山の上から無数の川が下流へと続いているような状態なのではないでしょうか。
社会の下部構造が上部構造を支配するというのはマル経理論そのものですが、これはある意味では正鵠を得ていると思います。社会の経済発展状況に対してより適合しているシステムの方が社会の勝者になり易いということです。
武士階級が権利を獲得していった過程はまさにそのもので、日本史においても証明されたような気がします。
ただ下部構造というのは実は非常にとらえどころがないものだと思います。何しろ下部構造に属する数があまりにも多いので、その方向性は無数にあると言ってもいいからです。当然下部構造間で熾烈な戦いがあることでしょう。
いくら沸き立つエネルギーがそこにあっても、それを使いこなせなければ何にもならないということを信長は私たちに教えてくれています。
信長は旧体制の破壊者でしたが新規参入を図りたい者たちにとっては保護者であったわけです。規制緩和が盛んに叫ばれているわけですが、400年前にこれを実行した信長はすごすぎます。